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「エレGY」のレビュー

銅

エレGY/大岩賢次

走れ、ジス。

レビュアー:ジョッキ生 KnightKnight

ネットに上がってた最新話を読んで、ちょっと話が気になって、ひとつ前を読んで、またちょっと気になったからその前を、なんてやってるうちに1話目に辿り着き、じゃあついでにもう1回読むかー、なんてやってたら小一時間が経っていた……だと!?

ひゃー、時間泥棒が出たわー!1クリックで気軽に続きが読めるのがイカンね。しかも先が気になる構成で、これは出会った瞬間、全読み不可避でしたわー。

内容はネット上のゲーム製作者とそのファンの関係を描いたもので、ファンのエレGYちゃんは製作者のジスさんにベタ惚れ。でも、ジスさんは今までにもその幻想が壊れていく様を何度も見てきたもんだから、消極的な態度で振舞っている。でも内心ではこの少女に惚れ始めてしまっているのだった……。

くー、甘酸っぱい。こういうの大好きだわー。もどかしいねー、本当に。

これはね、ジスさんが試されてるわけですよ。漢としてね。ファンの女子高生を前にして日和るのかどうか。どうせ自分に熱を上げてるのは一時のことなんでしょ?どうせまたすぐに違うかっこいい人を見つけていなくなっちゃうんでしょ?なんていう、ネガティブ思考を打破できるかどうか。それが試されているんですよ、きっと。

だからね、第15話の病み上がりだけど、鼻水垂らしながら、一人寂しくマックでポテトを食べているエレGYちゃんに会いに行く、その選択肢には満点をあげたい。そうだよ、それでいいんだよ!ぐじぐじ悩んでたってしょうがないんだよ!好きな子が泣きそうになってたら会いにいきゃーいいんだよ!好きなら好きって言えばいいんだよ!そんな単純だけどまっすぐな気持ちをエレGYちゃんも待っているんだよ!

ったく、個人的には全くリア充の誕生を応援したくはないが、エレGYちゃんの笑顔の可愛らしさに免じて許してやろう。ほんとお前、今度エレGYちゃんを泣かせたらぶっ飛ばすからなー。覚悟しとけよー。恋愛してるやつの気持なんてちっとも理解できないけど、君らのその幸せくらいはほんのちょっとだけ祈ってやる。……ほんのちょっとだけだかんな!

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2014.02.25

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

件名『泉和良さんへ』

レビュアー:Thunderbolt侍 InitiateInitiate

少し風変わりな恋愛小説「エレGY(エレジィ)」は、300ページ(文庫版)のほとんどをその苦悩の描写に費やしている。

エレGYがジスカルドに向ける全肯定の好意は一方的で無限大だ。
それは不本意な状況に追い込まれているジスカルドこと泉和良にとってどれほど重いものだったろうか。彼女に溺れるという状況が、その言葉の通りに彼を苦しめる。

恋愛において「相手に愛してもらえるか」と同じくらい切実な悩みが「自分が愛して貰うに足る存在であるか」だろう。

愛される資格を、自らに問う。

今、世間には「自分探し」を小馬鹿にする風潮がある。
結局自分なんて、自分の中にしかない。そう思っているからだ。

だからこそ、最後の最後、エレGYの中に「自分」を見つけることができた泉のことを心の底から羨ましいと感じた。

主人公と同名である作者によると、エレGYは7、8割実話だそうだ。
どのあたりが本当で、どのあたりが創作なのか、ちょっと下世話な興味も含めて気になるところだが、以下のくだりは本当(本音)だろう。

『僕が真摯になって生み出す創作物は(中略)奇跡的に誰かのもとへ届き、心の道標や支えとなって、未知なる新しい息吹を生んでいくのだ』

私が新しい息吹を生み出すかどうかはさておき、このことは泉さんに伝えておきたい。
届きましたよ、と。

さあ、恋をしよう。
とりあえず「君のパンツ姿の写真、求む」。

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2013.07.08

「エレGY」のレビュー

銀

大岩賢次『エレGY』

グッドループ

レビュアー:ticheese WarriorWarrior

 ネットで無料ゲームを配布し、関連グッズで生計を立てる天才クリエイタージスカルドは、現実では家賃の支払いにも困る貧乏人泉和良でしかなかった。ジスカルドのファンである女子高生エレGYを前にして、そのギャップに苦しむ泉和良の姿を一気に描いた名場面が、大岩賢次の『エレGY』コミカライズにある。
 ジスカルドが踏切の開かれるのを待っている10ページ間。エレGYとの恋に期待し、夢を膨らませるジスカルドは、泉和良自身の現実を思い出し、絶望に身を焦がす。ジスカルドが泉和良に変わる瞬間、電車が風圧を伴って彼の前を駆け抜ける。結局は吹けば飛ぶような夢なのだ。画面上で恋に輝く青年の顔は、途端に冴えない眼鏡男の顔に変わる。
 実はこのシーン、私は原作にあったか覚えていなかった。泉和良は作中ずっとジスカルドとのギャップに悩み続けているし、そもそも電車が駆け抜けるというのは視覚的表現だ。あまり印象が強くなかったのかもしれない。しかし探してみると原作には確かにあったのだ。
 大岩賢次の描く『エレGY』は、こうして原作の一場面を、漫画でなければできない方法で文字通り絵で描き出す。私はその度に原作を手にとり、彼の内情を余す所なく読み尽くす。大岩賢次の漫画がスパイスとなり、以前より鮮やかに感じ取れるようになるのだ。
 これから漫画がクライマックスに向かい、私の好きだった名場面がどう描かれるのか、楽しみで仕方がない。

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2013.06.11

「エレGY」のレビュー

金

エレGY

心の傷にも絆創膏を。

レビュアー:飛龍とまと AdeptAdept

 本当の俺を見てくれ!
 俺にはこんな力があるんだ。こんな才能があるんだ。誰か見てくれ、認めてくれ、必要としてくれ、褒めてくれ。口に出さなくとも、望む。理想の自己実現を頭で想像し、いつか手が届くに違いないと笑顔になっていた若き頃。夢を胸一杯に抱えていた自分。だが世の中には自分なんかよりも才能に溢れた人間が山ほど転がっていて、ああ俺は井の中の蛙だったのかと絶望し。もしくは必死に夢だけを追い続けて周りが見えなくなっていつの間にか一人になって……行き場のなくなった感情の高ぶりは自分の中で勝手に暴れ回り、そうして知らぬ間に自らの心に深い傷を付けていく。
 ――俺が居ても居なくても変わらない、こんな世の中なんてくそくらえだ――
 自己中心的な自分だけの気持ちは、思い通りにならないことのストレスに助長されいつかとんでもない爆発を引き起こす。

 主人公のフリーウェアゲーム作家・泉和良も、例に漏れずふざけた世の中に対し自らの感情を爆発させた。
 自らの運営するサイトの日記に女の子のパンツ画像を募集する熱烈な文章を書き綴ったのだ。それは一見くだらない、人々に嗤われて一蹴されるような内容で――しかしそれが全てを変えることとなろうとは。
 彼の元にたった一人、自分のパンツ姿の写真を添付しメールを送信した少女がいたのだ。彼女こそが他でもないエレGYである。
 この少女、普通ではない。送信したメールの内容がまず酷く奇妙で、その文末には「へんじがこなかったらじさつします」とまで書かれている。一体彼女は何者なのか? 泉和良は異常さを感じさせつつもどこか抑えがたい魅力を持ったエレGYに惹かれてゆく。そうして二人は出逢いを果たし、数々の出来事を経て交流を深めていき、前を向いて歩いて行く。これは一種の青春小説でもあり、恋愛小説でもあり、泉和良という人間の内面をひたすらにさらけ出した小説でもあるのだ。
 主人公の葛藤や痛みが切実に表現された文章には共感を得ると同時、痛さや辛さもしっかり伝わってくる。同時に、ほんのちょっぴり希望や勇気も見いだせる内容で、だからこそ、この二人を応援したくなるのだ。

 この二人は実のところよく似ているのかもしれない。
 二人共「世界なんてくそくらえ」と思っている。だからこそ彼はその想いを胸にゲームを創って、彼女はそのゲームの背景に隠れた想いを無意識に読み取ってファンになった。出逢いは同じモノを持つ同士必然だったようにさえ思える。
 ただ二人の異なってしまったところは、一人は感情を爆発させた結果日記に醜態をさらすことで一段落をつけたが、もう一人は自らを傷つける行為に走ってしまったことだ。彼女は心の傷に収まらず、身体すらも傷つけるに至ってしまった。
 物語の中で、エレGYの手首の傷に泉和良が絆創膏を貼るシーンがある。するとエレGYはぼろぼろと泣き出してしまうのだ。私は数多い場面の中で一番この場面が印象に残っている。どうして彼女は泣いたのか。それは、もちろん自分の憧れの相手に優しくしてもらえたことが嬉しかったのもあるだろう。でも本当はそれだけでなくて、彼が彼女の傷の深い深いところまで、痛いくらいに分かっているのが、彼の浮かべた笑顔の裏から、触れた手のぬくもりから伝わったから、涙を流したのではないだろうか。
 無意識のうちに、彼の分まで。

 皆に褒め称えられることを求めるよりも、たった一人に絆創膏を貼って貰える方が、ずっと素敵なことかもしれない。

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2013.05.29

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

その物語が、僕の脳をかき混ぜる。

レビュアー:冬野 氷夜 NoviceNovice

 正直な話、これがレビューかどうかはわからない。
 今年、二十歳になるような人間が垂れ流す、便所の落書きみたいなものかもしれない。ひょっとしたら、単なる自分語り(のようなもの)なのかもしれない。
 でも、そういうのでも書きたいという気持ちが湧き上がってきたので書いてみる。笑いたければ、笑って、テキストをゴミ箱の中に投げ捨ててやってくださいな。

『エレGY』を初めて読んだのは、大学校に通っている間だった。
 帰郷している時に、文庫本を購入し、大学校の寮に戻った。繰り返す日常の中で、小説やシナリオを書いたりしていた。
 そんな日常の中で、『エレGY』という本を読み終えた。読んでいる間、痛みと切なさと温かさを感じ、頭の中がグチャグチャになってしまったような気がした。気がしただけ。

『エレGY』という小説を端的に表すなら、「ヘンテコで、痛々しくて、後味すっきり爽やかな、青春っぽいラブストーリー」と言ったところか。……いや、なんというか、こう、変な表現になってしまったような気がするが。
 芸術って、なんだっけ? といった疑問が、物語の根底にあり、当時の僕は物語を読み進めるたびに、自分と『泉和良』を重ねてみるようになった。センスってなんだっけ? 実力、何それ美味しいの? みたいな共感が色々と。
 脳みそがグチャグチャにかき回されて、解体されていくみたいに。破壊されていくみたいに。現実が崩れ落ちていくように。
 僕にとっては、そんな小説のように思えた。他の人だったら、そう言った感覚を、もっと理論的に語れるかもしれないけれど。

 読み終えてしまった後には、もう何も残らなかった。
 彼らには、ハッピーエンドを。
 僕には、シビアな現実を。
『泉和良』は、芸術家になった(吹っ切れた『彼』が、そうなったように思えたのだ)。
 僕は、何も変わらなかった。いや、大学校を休学した。

『彼』と僕の違いは何なのか。いや、あらゆる意味で、僕は劣っているだろう。感覚的にだけど、そう思う。
 でも、なんとなくだけれど、『壊れかけの彼女』と出会ったのが、一番の違いに思える。
 いや、僕と『彼』は何もかも違う。共感できるが、他人だ。唐辺葉介的な断絶だ。相互不理解……多分違うだろうけど。

 ああ、そういうわけでもないのかもしれない。
 僕は、単に嫉妬しているだけだ。
『泉和良』に?
 いや、違う。
『エレGY』という物語そのものに、だ。

 まぁ、つまりは『作者の泉和良先生』が書いた『エレGY』はすごい物語だったってわけで。

最前線で『エレGY』を読む

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2012.06.08

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY 泉和良

馬鹿がつくほどはしゃいだあとに

レビュアー:ややせ NoviceNovice

ゲームクリエイターとそのファンの女子高生との、ハイテンションで爽快なラブストーリーである。
多少痛々しいのも、二人が純粋に「好き」なだけだというのが伝わってくるから、笑って読むことができた。
彼女が好きなのはクリエイターとしてのジスカルドであって、本当の「僕」では無いと主人公が悩み始めるのも、まあいいだろう。
でも、じゃあ何を知っていれば、どこを好いていれば、「その人自身」を慕っていることになるんだろう?
ふと疑問に思ったときから、これは私にとってとても怖い小説となり、適当に頁をめくっていたのが急に読むのをやめられなくなった。

ジスカルドというキャラクター、つまり幻想の自分を想っているに過ぎないとする「僕」の方こそが、実はエレGYのことについて何も知らない。本名も趣味も、どういう心理でリストカットをしてしまうのかも、知らない。
パンツ画像で好きになったんでしょ!と言われても否定できないレベルである。
それに比べると、エレGYはジスカルドの好みを、思考を、想像力で補っているとはいえ知っている。
一方は何も情報が無い状態からの好意、一方は偽物かもしれない情報からの好意。

そして「僕」の友人・小山田とその恋人の関係は、とてもシビアな未来の不安を「僕」に見せつける。
個性があるから主張していかなければならないのか、主張しなければならないから個性を作らなければならないのか。
文章や絵、音楽だけでなく、ファッション、趣味、道楽、あらゆる「好きなもの」を持ち、なおかつそれを説明したり表現したりするのは、オンライン上では必要なことだ。(そうでなければ、その存在の点滅など誰にも知られないのだから)
それをこの二組のカップルのように現実の関係に持ってこようとするとき、引き継ぐことが出来るものは何なのか、変質してしまうものは何なのか。
オンラインから先に出会うということは、ジスカルドのようなファンを持つ立場でなくても、この幻想に悩まされるということではないだろうか。

一目惚れ、という言葉がある。
また、恋とは思い込みから始まる、とも言う。
絶えず相手のことを知り続け、誤解を訂正し続けなければならない永久の戦いのような恋。人間関係。
人の距離は近くなったようで、出会いの組み合わせは無限になったようで……一対一になろうとすると途端に分からなくなる。

「聞けよ、馬鹿!! ジスカルドも泉和良も、両方併せておまえだろ!!」

エレGYは叫ぶ。
そう、どの「私」も「私」であることに疑いはない。
ただそれを見せるのが、怖い。

最前線で『エレGY』を読む

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2012.03.09

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

未来へ飛び立つ重さ

レビュアー:大和 NoviceNovice

 この小説は、不思議な重さを持っている。

 主人公・泉和良はフリーウェアゲームを作りながら関連グッズの販売で収入を得ているクリエイター。だが生活は安定せず、半ば自暴自棄的になった泉和良はブログで女の子のパンツ姿写真を募集する。そこにエレGYと名乗る少女が本当に写真を送りつけてきて、二人は出会い、惹かれ合っていく……それが『エレGY』という物語だ。

 一見して普通の恋愛小説みたいだけど、泉和良という主人公の名を見て「おや?」と思った人もいるはずだ。そう、この小説は大部分が作者・泉和良の体験した実話なのである。無論ただ起こったことを書き殴ったというわけではなく、ある程度は小説として再構成されているだろう。だが描写の仕方一つにしても妙にリアリティがあって、一度読めば、この物語は実際にどこかで起こったことだということを感じてもらえるはずだ。

 しかし、それだけならばただノンフィクションっぽいだとか私小説的だとかいった話で終わってしまう。でも僕は、この小説はそれらの「実話っぽさ」だけでは説明のつかない強度を持っていると思う。

 思えばゼロ年代は「いかにして作品の外部を利用し、強い表現を獲得するか」という手法が多くのクリエイターによって発展した時代だった。例えばFateにおいて、奈須きのこは神話や伝承といった既存の広く知られた物語をキャラクターの背景に取りこんだ。ひぐらしにおいて、竜騎士07は解決不可能にも思える謎と挑発的な惹句によって、プレイヤーたちが謎解きを競い合う広大なゲーム空間を作り出した。そんな時代の潮流の中に『エレGY』もいた。

『エレGY』が利用したのは、ジスカルドというキャラクターであり、アンディー・メンテというサイトであり、数々のフリーウェアゲームであり、泉和良自身の生き様だ。

 アンディー・メンテという言葉で検索してみるといい。僕らはすぐに、ジスカルドの作ったサイトにアクセスし、多くのフリーウェアゲームと出会うことができる。それらを実際にプレイすることができる。そうして泉和良の生きてきた軌跡に触れた時、『エレGY』という作品は不思議な重さを持ち始める。

 そして小説だけが一方的に強化されるのではない。

 物語の終盤、泉和良はエレGYという少女を通して創作することの喜びを知る。エレGYはジスカルドの作品に強く影響を受け、その才能を開花させる。自分の作ったものが誰かに影響を与え、それが「種」となり、新たな才能を生みだしうる――その事実、その実例に出会った泉和良は強く感動する。そして泉和良もまたエレGYの輝きによって影響を受け、より高みへと昇っていく。その結実として誕生したのが『エレGY』という小説なのだ。

『エレGY』という作品はジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちを背景として読み込み自身を強化しながら、同時に『エレGY』自身がそれらを強化する。僕らはジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちに触れながら、『エレGY』によって描かれた物語に思いを馳せることができる。そこで泉和良が過ごした時間を想うことができる。そこで泉和良が出会った感動に、エレGYに蒔かれた種に出会うことができる。

 それは泉和良が智恵を振り絞って繰り出した利口かつ狡猾な手法だとか、そういう話ではないのだと思う。きっと彼は、挫けそうになりながらも全力に生きたからこそエレGYと出会うことができて、どこか不器用にしか生きられないからこそ『エレGY』という作品は書かれたのだ。むしろ自然と生まれたからこそ、この物語は心を揺さぶるのだし、自然とこの作品に辿りついたという事実自体もまた、ジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちを強化する物語になるのだ。

 『エレGY』という作品は、ただの恋愛小説みたいでありながら、ぱらぱらと広がっていた泉和良の人生を一点に凝縮させたような力強さがある。そして更なる高みへと飛翔する泉和良の背中を『エレGY』という作品自体が力強く押してみせる。今、僕が手にしている文庫本は、たかだか数百グラム程度の重量しかないだろう。けれど僕は、そこにかけがえのない重さを感じずにはいられない。ここにあるのは軽快な恋愛小説のようで、一人の男が救われる話のようで、同時に一人の男の人生そのものがぎゅうぎゅうに詰まった物語で、そして一人の男が未来へ向けて飛び立つ意思が刻まれた作品なのだ。

 ぜひ『エレGY』を読んでみてほしい。暖かくて力強くて、飛び立ってしまいそうな重さを感じとってほしい。きっと泉和良は、あなたの胸にも種を蒔いてくれるはず。

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2011.12.20

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

光はそこにある

レビュアー:榎柊

 僕は受験生だ。受験生は勉強が仕事である。
 夜。勉強をしなくちゃ、という義務感にも似た思いに突き動かされながらも、しかし連日の疲れによる怠惰が僕を布団に居座らせていた。ふと、学校の図書館で借りた『エレGY』が目に入る。僅かばかりの逃避として、僕は「最初の数ページだけ……」と『エレGY』のページをめくったのだった。

 気がついたら、『エレGY』を読み終えていた。


 僕は(全く勉強のことなど忘れて)読了感に浸るとともに、すこし前のことを思い出していた。
 僕は、ついこの間――今年の六月まで高校の放送部に所属し、そこでテレビドラマを作っていた。僕はその製作の中で、脚本作りに関して酷く悩んでいたのだ。
 この『エレGY』という作品の主人公泉和良もまた、自らが作るフリーウェアゲームに対して悩みを抱えている。
自分が本当に作りたいものを作りたいという芸術家としての理想と、金を稼ぎ物を食べていかなくちゃいけないという現実。尖るか、丸くなるかという、まさに真逆の方向性の中心に泉和良は立ちつくしているのだ。

 全くおこがましいことだが、これは僕の悩みともリンクしていた。大会で賞を取るにはどうしたらいいのか。放送部内の友人に「君の物語は一般受けしないね」と言われたこと。酷く言えば、賞を取るためにもっと他人に迎合したような作品を作るべきなのか。それは――そう、作中で主人公が作った『ひきこもりの魔法使い』のように。
 泉和良のように生活がかかっていたわけではなかった。それでも、この問題は僕にとっても胃に穴があくほどの重さをもっていた。

 『エレGY』において、主人公である泉和良は、ヒロインの『エレGY』によって救済される。この物語の最後には、先に述べた二つの方向性の一つ――芸術家としての道を泉和良は明確に選択する。そこには彼の〝光〟となった『エレGY』の存在があり、彼女との関係を通して、泉和良は答えと至るのである。

 その姿は、その答えは、奇しくも僕にとって一つの〝光〟になった。
 泉和良がアンディー・メンテを通してエレGYに〝光〟を与えたように。
 エレGYが、その姿を通して泉和良に〝光〟を与えたように。

 小説家泉和良の書きあげた『エレGY』という作品は僕に〝光〟を与えたのだ。

 フリーウェアゲーム作家泉和良の物語は、ここで結ばれる。彼とエレGYの物語はもう紡がれることは無い。しかし、小説家泉和良はまだ物語を紡ぎ続けている。たとえば星海社から既に出版された『私のおわり』のように。
 まだ、泉和良はそこにいる。そしてそこには、この小説の中で主人公が選んだように〝光〟が込められているはずだ。

 何故なら、泉和良によって描きあげられた『エレGY』、そこに込められた〝勇気〟を、僕が受け取ったのだから。

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2011.09.30

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

小説『エレGY』

レビュアー:ヨシマル NoviceNovice

本書がどんな小説家と問われれば『恋愛小説』だと言うに意を異にする人は少ないだろう。本書は主人公である泉和良とヒロイン・エレGYの恋愛の話だ。

現実と理想の狭間で苦悩する泉和良と辛い現実からの逃避を泉に託すエレGYの初々しくも痛々しい恋愛は、主人公=著者の生身の体験からきていることも相まって、一見現実離れした設定のように思われるこの物語がまさに現実に起きたことだと思わされてしまうほど生々しく描かれている。泉和良の苦悩をきっと読者の多くが追体験することになるだろうし、エレGYの純愛には胸を高鳴らせることだろう。だからこの恋に共感してしまいたくなってしまうのだ。

けれど、現実がそうであるように本書の中での恋愛は泉和良とエレGYだけではない。泉の親友である小山田と彼の恋人nikoのそれだ。小山田とnikoはオンラインゲームのオフ会で出会い付き合い始める。彼らは働きながら同棲していることからも分かるように、泉とエレGYの関係とは対照的に成熟した恋愛として描かれている。だから小山田とnikoはエレGYに関して泉に対しアドバイスもするし、最初から付き合うように言うことができるのだ。

そんな恋愛の先輩な小山田とnikoではあるけれど、作中において二人は喧嘩もするし、泥臭く仲直りもする。その仲直りを演出するのが泉であったりするのだ。そのため二人の登場は物語の上で泉に助言を与える機能としてではなく、生きた個人として感じることができるのだ。

そして実はその小山田とnikoの恋愛が物語全体の生々しさを与えているのではないだろうか。泉とエレGYはともすれば浮世離れした存在で多数の「普通」からは外れている。そんな泉とエレGYの物語を現実につなぎとめていられるのは小山田とnikoが地に足の着いた関係があるからだ。彼ら二人は物語の最初から最後まで「普通」に恋愛している。ときどき喧嘩もするけれど、しっかり仲直りできる。そんな二人をもっと見てみたくなるではないか。

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というふうに小山田とnikoに注目してみたけれど、たとえ彼らが物語上で重要な役どころを演じようと彼らはどうしたってサブキャラクターだ。物語の読み方は人それぞれで、どんな読み方を強制する必要もないし、されるいわれもないけれど、でもだからこそサブキャラクターにしか注目しないという自分の読み方に一抹の寂しさを俺は感じる。小説『エレGY』のメインキャラクターは泉和良でありエレGYなのだ。

素直な感想を言わせてもらうと、本書は俺にとって面白い小説ではなかった。誤解を与えない言い方をするならば、本書がつまらなかったのだ。

もちろん、小山田とnikoの恋愛は微笑ましいものだと感じたし、生々しく描かれた泉和良の生活には共感するところも多かった。そして何よりエレGYの健気な可愛らしさは本当に俺の胸を打つものだった。けれど、それだからといって面白い小説だったとどうして言えるだろうか。

主人公の名前である「泉和良」がそのまま著者の名前になっているように、本書の内容は著者である泉和良の実体験が元になっているらしい。なるほど、だから、フリーウェアゲーム作家という本書で初めて知った職業にも現実味を持つことができたのだろう。泉和良の生活をそのまま追体験するようにして読むことができたのだ。

そして、俺がこの小説をつまらないと感じた理由もまたそこにある。

どの程度の割合で著者の泉和良が実際に体験したことかは分からないけれど、その殆どにおいて俺が実際に起ったとしても不思議ではないと感じているのだから、それらが現実だったと考えても差し支えはないだろう。だからエレGYはどこかにいるし、泉和良と二人乗りもしたのだ。しかし、それらが圧倒的な現実味をもって描かれているがゆえに俺には単なるゲーム作家とファンの恋愛という以上のものを感じることができなかった。

確かに自分の好きなゲーム作家の実録記事として読むのなら面白いのかもしれない。泉和良のゲームの裏側を見たような気持ちになれるのかもしれないし、ゲーム作家としての苦悩を共有することで制作者の人間味に思いを馳せることができるのかもしれない。でも俺はジスガルドのウェブページを見たこともないし、フリーウェアゲームに興味があるわけでもない。俺が知っているのは本書を著した小説家としての泉和良だけなのだ。

そして小説として俺が見る限りにおいて、面白くないのだ。泉和良とエレGYの恋は誰にでも訪れる可能性のある大恋愛のひとつでしかなかった。作中で泉和良の制作したフリーウェアゲームがガジェットとして登場するけれど、その概要は伝わってこないし、エレGYが好きなるようなところがどこにあるのかも分からなかった。

それらの要素が面白い小説のために必須だったとは言わないけれど、資源を使って物語る以上そこには何かあれと俺は思う。少なくとも誰かの書いた実録記事以上のものはあってほしいと思うのだ。それがないのならば、友人の語る恋愛話と変わるところはないのだ。

つまるところ、本書を読んで感じた「泉和良」はどこまでもフリーウェアゲーム作家であり、エレGYの恋人である生身の泉和良だった。だからこそ、本書における現実感が生まれたと同時に俺はつまらなさを感じてしまったのだ。

もし小説家として泉和良が面白い『小説』を書いてくれるならばそのときまた会いたいものだ。

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2011.09.08

「エレGY」のレビュー

銀

エレGY

クリエイターの生き様

レビュアー:大和 NoviceNovice

 クリエイターとして生きることを夢見る者は多い。小説、漫画、ゲーム、音楽、美術、etc、各々の分野でそれを生業にすることが出来たらどれだけ素晴らしいだろう? 創作行為を少しでもかじったことのある人ならば、誰もが一度はそんな想いを抱くのではないかと思う。だが現実は厳しい。クリエイターとして仕事を得る、対価として金銭を得るに至るのは激しい競争を潜り抜けた一部の人々だけで、その中でも輝かしい成功を手にするのは更にほんの一握りの人間だけだ。その裏には多くの失敗や挫折が累々としている。

 もっとも夢を諦めることで真っ当な人生を歩むことが出来たのなら上出来だと言えるだろう。中には夢を捨てきれず、身を持ち崩してしまう人も少なくない。例えば小説家、漫画家、芸術家、ミュージシャン、そういった人々の不幸話は枚挙にいとまが無い。彼らの多くはひたむきに夢を追いかけながらも、貧困や孤独といった現実にあえなく押し潰されてしまう。創作や芸術といったものをあまりにも真剣に追い求め、切実に欲してしまうが故に、それらに人生を壊されてしまうのだ。

 『エレGY』の主人公・泉和良も苦しんでいた。物語の序盤では彼がクリエイターとして生きる道を志し、しかし思うようにいかず、貧困に喘ぎ、ついには親からの仕送りやアルバイトに頼らなければ生活できなくなる、といった顛末が語られる。それは単なるフィクションではない。エレGYは作者・泉和良が実際に経験した出来事をベースにした、ノンフィクションに限りなく近い作品だ。この小説に書かれていることは、ほとんど作者の体験談だと言っていい。

 この作品では泉和良とエレGYという名の少女が出会い、そして恋に落ちていく様が中心となって語られる。そこでは恋愛要素と同時に、泉和良がクリエイターとしてどう生きていくか、といった問題が重要なテーマとして常につきまとうことになる。やがてエレGYによって泉和良はある種の救いを得ると同時に、クリエイターとして生きることの喜びにも出会う。

“僕が真摯になって生み出す創作物は、たとえ金銭的に反映されずとも、そこに込められた魂が種となってネットの世界へとばら蒔かれる。
 そしてそれは奇跡的に誰かのもとへ届き、心の道標や支えとなって、未知なる新しい息吹を生んでいくのだ。”

 作者が直面したクリエイターの困難が現実であるのと同様に、彼がエレGYという少女と恋をしたこと、そしてエレGYによってクリエイターの喜びを知ったことも、やはり彼が実際に体験したことなのだ。「泉和良」という文字列で検索してみればいい。すぐさま「あばたえくぼ」というタイトルのページが見つかるだろう。その先にはアンディー・メンテのホームページがあり、たくさんのフリーウェアゲームがあり、ジスカルドの名がある。そこには『エレGY』という小説に出てきたものと同じ名前のホームページがあり、作品があり、管理人がいるだろう。それらに触れ、『エレGY』という物語がどこかで現実に起こったのだということを知った時、あなたは泉和良の言葉に実感を伴った重みを感じるはずだ。

 しかし気をつけなければならないのは、彼がクリエイターとしての「喜び」に出会ったとしても、それによって彼を取り巻く貧困の問題は(少なくとも小説上では)解決されていない点である。確かに彼は一つの答えを得た。それは彼の未来を力強く照らすものであり、彼を大きく躍進させるものだっただろう。だが、いかに彼がエレGYと結ばれ、幸せを手にし、クリエイターとして生きることの素晴らしさを確信したとしても、彼の貧困――クリエイターとして生きることの困難は現実に在り続ける。

 その点を踏まえた時、泉和良の言葉はあまりにもクリエイター視点に寄り過ぎているようにも思えるだろう。世の中にクリエイターを賛辞する言葉は溢れている。しかしそういった言葉によって、クリエイターとして生きることに憧れ、そして身を持ち崩す人もやはり大勢いるのだ。だから「金銭にならずとも魂が種となって世界にばら蒔かれる」とする彼の言葉は、ある種の自己犠牲を肯定する言葉に見えてしまうかもしれない。クリエイターを志す人の自己肯定や自己正当化みたいに見えてしまうのかもしれない。そうやって生きて、そして朽ち果てることをも肯定するような、どこか無責任な言葉に見えてしまうかもしれない。

 だが彼が語っていることの是非によって『エレGY』という作品の是非を判断するのは早計だ。むしろここで明らかになっているのは、彼があまりにも愚直に「クリエイターの性」とも言うべきものに突き動かされ、真摯に作品や表現と向き合っているということだ。

 その真剣さ、ひたむきさ、切実さこそ、僕が泉和良というクリエイターを信頼する理由なのだ。僕が彼を好きになったきっかけは、アンディー・メンテで公開されていた『君が忘れていった水槽』というゲームのBGMを聞いたことだった。そのゲームにはコンシューマーのゲームみたいな凄い作り込みがあったわけでもなく、圧倒的なゲーム性があったわけでもなかった。そもそも「ただ水槽で微生物が増えたり減ったりする様子を眺めるだけ」という、ゲームなのかどうかも分からない代物だった。極めつけに、そのゲームは僕のPCでは起動しなかった。ただBGMが同梱されていて、何の気なしにそれを聞いてみて、僕は強い衝撃を受けた。あまりにも美しく、完成度の高い音楽がそこにあった。いわゆるエレクトロニカと呼ばれるジャンルに近い音楽だったけど、専門で作っているミュージシャンにも決して引けを取らないものだった。それはゲームなのかどうかもよくわからないフリーウェアに用意されたBGMだったけど、しかし何かを真剣に、切実に追及するようにして作られていると僕は感じた。

 そんな彼の姿勢は、『エレGY』という作品において最も明らかな形で表れている。恐らく作者が思う以上に、この作品には彼の人生そのものが――彼のクリエイターとしての生き様が強く焼きつけられてしまっている。この作品は一人の少女との恋愛模様が描かれた小説だが、それを支えているのは、ひたむきで前のめりな情熱なのではないかと僕は思う。

 そして彼の人生はまだ続いている。『エレGY』という物語は一冊の本の中で完結するが、泉和良という人物の物語はまだまだ続いている。たとえば僕の手元には泉和良の新作『私のおわり』がある。『エレGY』の先に、彼はどんな人生を歩み、どんな物語を紡ぐのだろう? 僕はその一端に触れるため、これからページを、そっと開くことにする。

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2011.08.17

「エレGY」のレビュー

銅

『エレGY』

最低の主人公

レビュアー:fei

 わたしは、「主人公」という言葉について、清く・正しく・どんな場面でも格好良い、というイメージを持っている。わかりやすく「ヒーロー」という単語に言い換えると、より共感して貰えるかもしれない。
 ただ、世の物語には、腹の底から噴き出るような大声でサイッテー!と叫びたくなるような「主人公」だって数多く存在していると思う。
 わたしにとって、その「最低な主人公」の一人が、泉和良。こいつだった。

 「アンディー・メンテ」のジスカルドとして、大学生時代からフリーウェアゲームの制作をしている泉和良。
 卒業後はゲーム会社に就職をするけれども、組織に馴染むことができず短期間でドロップアウトしてしまった、社会不適合者。
 固定客を掴むためにウェブ上で演じている「悩める天才ゲーム作家・ジスカルド」という幻想を剥がされ、仮面を被っていた自分を軽蔑されることを恐れて抗不安剤を噛む日々を過ごしている。
 生計的にも、精神的にも不安定な26歳。
 そのくらいなら別に良いんだよ。社会に馴染めなかったり、機嫌の揺れが激しかったり。そのぐらいで人のことを最低なんて断じたりはしない。ましてや、この泉和良というキャラクターは、作者である泉和良本人の実話を元にしたキャラクターだそうだから少しくらい欠点があっても驚かない。
 わたしがこの男を嫌いなのは、他に理由がある。

 この物語が始まる数ヶ月前に分かれたばかりだという元恋人。
 彼女が泉の元を去ったのも、「ジスカルドの魔法」のせいだったと述懐している。
 自分がこんなに感動したものを作った人はきっと天才に違いない=この人が作るものなら必ず素晴らしいものに違いない、という思い込みを利用して、ひとたび自分を崇めさせられれば、どんなものでも無条件で相手に受け入れさせることができるかもしれない── それがジスカルドの魔法。
 フリーウェアゲームはいくら作っても所詮無料で、生計を立てるためには好き勝手にゲームを作るのではなく、作者が凄い人間なんだと思わせるために人気の出るような要素を拾い集めた万人受けしそうなものを作らなくてはいけない。
 理想と現実のままならないバランスを言い訳に、「ジスカルド」をただ演じ続けるだけの泉に彼女は失望してしまう。
 そして、その後に現れた少女・エレGYに対しても、泉は「ジスカルド」を演じようとし、その魔法が解けてしまうことを何より恐れている。
 「魔法」が解けて、自分が傷つくことを恐れている。
 泉和良は、ただひたすらに対面を取り繕っている自分が傷つかないで済むために、結果的に彼女達を傷つけていた。
 わたしには、それが許せないんだよ。


 けれど、そんな「最低の男」泉に対して、エレGYは誠実であり続けた。
 彼の気まぐれにつきあってパンツの写真を本当に送る。彼が作ったゲームの感想を楽しそうに述べる。彼からメールがあれば喜んだ感情をそのまま返す。彼の一挙手一投足に一喜一憂する。

 彼女だって、最低とは言わずとも駄目な女の子の類いに入るのだと思う。
 高校三年生だけれど、不登校でリストカッター。
 泉和良が構ってくれないと自傷行為をすると脅しつけたり、構ってくれると手のひらを返したようにベタベタする。良く言えば無邪気、悪く言えば気分屋。
 アルバイトやゲームグッズの販売で収入を得なければいけない泉が、その義務を放り出してエレGYを最優先することに喜ぶ。良く言えば天衣無縫、悪く言えば世間知らず。
 彼女だって「ヒロイン」のはずだ。けれど、こんな駄目な子のどこがいいんだろう? 一般的にみればきちんと社会生活を営めているだろうと自負する「わたし」から見ると理解できない。
 最低な男に尽くす女の子。それは確かにシチュエーションとしてはありかも知れないけれど、どうして、「エレGY」はこの物語のヒロインになり得たんだろうか?

 それはエレGYが、真っ直ぐに「泉和良」を見ていたからに違いない、と思う。

 エレGYは「泉和良」も「ジスカルド」も「アンディー・メンテ」も、どれが欠けても泉は泉じゃない、と力一杯に叫んだ。
 アンディー・メンテという存在に救われた彼女は、それをずっと見つめ続けてきた。だからこそ、ジスカルドが泉和良の一面を形作ってもいることに気がついたんだろう。
 わたしには無くて、エレGYは持っていたもの。それは、自分の独りよがりではなく、相手を深く深く理解しようとして、それを相手に「真っ直ぐに伝えることができる」力だ。
 好きな人のことを見つめ続けて、ゼロ距離の地点から迷うことなくあなたが好きだと伝えること。
 他のことなんてどうでも良い。あなたが好きで、愛したくて、守りたくて、支えたくて、ずっと一緒にいたい。あなたのことを大切にしたいから、あなたは自分のことを蔑んだりしないで。
 そんな思いを衒いなく伝えられたことが、わたしにあっただろうか?
 自分の利己的な思いだけで、相手からの愛をせがんでいただけだった自分を思い出す。気持ちを押し付けるばかりで失敗ばかりしていた一方的な恋を思い出す。好きだった相手を傷つけてしまった悲しい言葉を思い出す。
 あの時のわたしよりも年若いエレGYのほうが、人の愛し方をちゃんと知っていたんじゃないんだろうか?
 だからこそ、エレGYは「ヒロイン」に、泉和良の一番大事な人になったんだろう。


 いや、この物語は最初から、泉和良ではなく彼女の物語だったんだ。
 なぜ泉和良がこんなに「最低な男」として描かれたか。
 それは彼の後ろ向きな姿勢と対比させることによって、本来の意味の「主人公」としてのヒロイン・エレGYを印象付けようとしたんだろう。
 物語のタイトルは『エレGY』。
 わたしが最初に憤っていたのはお門違いで、主役は彼女だったんだ。
 最低な男だからこそ、ヒロインは微笑みかけることもあるみたいだ。


 この本をすすめるべきは、ゲームや女子高生が好きな男性諸君ではなく、後悔している恋の記憶を持っている女性たちなのかも知れないね……?

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2011.07.14

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

二人乗りにあこがれて

レビュアー:kenan

この恋応援したくなるか?
失恋したばかりの主人公。壊れかけの少女。この話は精神が不安定な男女の恋物語じゃないか!
いつ、その不安に押し潰されて別れるとかありえそうな辛い話ではないか!と思っていた。

しかし舞台は、大井町。
なんと僕の住んでいた町ではないか!
彼女との待ち合わせのマクドナルドのあの席の位置は今でも思いだすことができる。
きっと主人公が通っていた病院もあの位置であろう、もしかしたらぼくが通っていた病院と同じかもしれない。
そんなシンクロがあったからこそ、この物語は俄然面白くなっていった。
黒髪に赤いマフラーをした彼女と大井町を自転車で散策することを頭の中に描いた。
ぼくなら大井町のあの道を走るだろうな。。。
とあれこれ妄想しては楽しんだ。
自転車で道を疾走し、大声で叫ぶシーンが好きだ!
作中で自分の知っている舞台がでることは稀ではあるが、このような一部の背景描写だけでも、僕はエレGYという作品と一体になれて感動できた。

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2011.06.17

「エレGY」のレビュー

銅

泉和良『エレGY』

泉和良の、泉和良による、泉和良ための恋物語

レビュアー:yagi_pon NoviceNovice

なんて独りよがりな物語なんだろうと思った。
私が初めて、『エレGY』を読んだときの感想だ。

著者の名前は泉和良。主人公の名前も泉和良。
職業のフリーウェアゲーム作家、ハンドルネームのジスカルドも同様に同じだ。
だって自分で自分を主人公に書いた物語なんだから。

泉和良を主人公にした、泉和良が書いた、泉和良の思い出がつまったこの物語。
これこそまさに、
泉和良の、泉和良による、泉和良ための物語でしょ。
なんて独りよがり。


けれどもこの物語自体が、そんな独りよがりを肯定している。
フリーウェアゲームをつくっているジスカルドこと泉和良は、
みんなに受けることばかりを考えたゲームをつくっている自分に悩んでいたが、
エレGYという古参のファンとの出会いをきっかけに、
自分がつくっていて楽しい、または誰か一人がやって楽しい、そんなすごく独りよがりなゲームを再び作っていくことになる。

独りよがりだっていいじゃないか。
この物語から見える泉和良の物づくりの基本は、自分とか近しいだれかとかそうした人がおもしろいと思えるものを作っていくことなのだと感じられるから。
そしてそうやって作られたものによってジスカルドは、支持を得てきたのだろうから。

そしてまぁ、誰かがこんなことを言っていたりもする。
「すべての人を等しく公平に尊ぶならば、それは、誰一人として愛さないのと同じこと」と。
すべてを愛そうとしてもきっと、すべてからは愛されない。それでも、誰かを愛せばきっと、誰かから愛される。
ジスカルドも、周りを見すぎて実は周りにいる人を誰一人として見ていなかったのかもしれない。
周りの人を意識しすぎてはしまってきっと、誰も意識していないことになってしまうのだから。


そして、
周りの人を意識しすぎてしまってはきっと、そうした周りの人たちの想像を超えることはできないのだから。

独りよがりだからこそこの恋物語は。私たちの想像を超えて、おもしろい。

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2011.06.17

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

ゲーム製作者と囲碁の関係

レビュアー:くまくま

 作中、泉和良は碁会所に通っていた。フリーウェアのゲーム製作者と囲碁の関係を考えてみるのも、ちょっと面白い。

 多くの人は囲碁といえば、おじいさんがお茶を飲みながらのんびりやるイメージを持つかもしれない。しかし実際の囲碁には、もっとシビアで打算的な要素が含まれている。
 囲碁は、二人の打ち手が交互に打つゲームだ。ゆえに、自分ひとりの考えを追求するだけでは勝てない。相手の思惑を盤上から読み取り、それを考慮した上で自分の狙いを実現する。そのためには、多少の犠牲をはらうことも躊躇しない。この、何かを得るために何かを犠牲にする仕組みは、現実のビジネスに通じる要素だろう。

 この様なビジネス性を優先したゲーム作りを嫌って、泉和良はフリーになった。しかし、定期収入が途絶えれば、結局は生活のためにゲームを作らねばならない。本来目指した、センスと個性を重視したゲームから、ユーザーに求められるゲームを作る様になったのだ。この矛盾は、彼の精神にどれほどダメージを与えただろう。
 だが、この矛盾と何とか折り合いをつけなければ、生きていくことはできない。彼にとって、この折り合いをつけるための儀式が碁を打つことだったとは、解釈できないだろうか?囲碁ですら、何かを得るためには別の何かを犠牲にしなければならない。いわんや、現実をや。


 そんな精神の暗闇の中で彼は、エレGYという女子高生に出会う。そして彼女に魅かれながらも、彼女が理想として見ている自分の虚像に耐えられなくて、彼女と距離を置こうとする。だがそれでも彼女は、彼にくらいついてくるのだ。

 ここで、また囲碁に話を戻したい。囲碁の最も基本的な構成要件は、自分と相手、二人いなければ打てないということだ。自分が置いた黒石を見てその狙いを見抜き、それをかわすための一手を打って来る。そしてその手をさらに超えるための一手をひねり出す。その思考のやり取りの間に、相手は自分のことをどれほど理解してくれるだろう?そして自分は、どれほど相手のことを理解するだろう?

 泉和良は、ずっと一人で碁を打っていると思っていた。だから誰にも本当の自分を理解してもらえない苦しみを抱えていた。だが、そうではなかったのだ。碁盤の向こう側には、いつもエレGYがいた。彼の打つ一手を見て、彼女もまた次の一手を考えていた。ただこれまでは、互いに相手の一手が見えなかっただけなのだ。
 それがいま、同じ盤上でまみえる機会を得た。彼女がそれをずっと待っていたのならば、そのチャンスを逃す理由はない。だからエレGYは、泉和良にくらいつくのだ。


 この作品は、はじめて立ち上がろうとする人に福音を与える作品ではない。ひとたび打ちひしがれ、泥の中に沈もうとしている人に、そっと手を差し伸べる作品なのだと思う。大丈夫、あなたの目指す先にも、あなたを見ている人はきっといるよ、と。

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2011.06.01

「エレGY」のレビュー

銀

エレGY

エレGYよりも

レビュアー:ラム AdeptAdept

泉和良が好き。
それは作者のことか、作中の人物か、混同しているのか?
それとも泉和良は作られたキャラクターなのか?
ただ、泉和良が作られたキャラクターだとしても、文章は嘘をつかない。あるいは嘘を吐いて書かれた文章だとしても、作中の泉和良の喜びや苦しみを書いたのは間違いなく作家の泉和良だ。
わたしは「エレGY」を書いた泉和良が好き。

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2011.06.01

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

若い、絶望的に若い

レビュアー:カンパンマン

こっ恥ずかしい、としか言いようのない物語でした。
主人公は馬鹿ではないでしょうか。この小説を読んでいる途中で「さっさとエレGYと付き合っちゃえよ。相手は美少女で、しかも受け入れて欲しがっているんだし」と思ったのは、僕だけではないでしょう。
そして、彼を逡巡させているのが「フリーウェアゲームを公開しているネット上のキャラと、リアルの自分との落差に落胆されたくない」という恐れのみ。そんなうじうじした気持ちを何度もぐるぐると読まされると、流石に辟易とします。
とにかく先ずは付き合ってみて、駄目なら次に行けばいいじゃないですか。男女の交際なんて、誰と付き合うかじゃなくて、付き合っている間にどういう関係を築けるかが重要なのに。

はっ! でも「若さ」と「馬鹿さ」は同義でしたね。そんな下らないことに延々と悩んでいられることこそ若さの特権だったということを思い出しました。青春というものから遥か遠くに来てしまった自分は、小利口になってしまっていて、それを忘れていたかも。
恋愛とか青春って、そもそも何だっけ、と考え直してみたい方は読んでみて損はない一冊だと思います。

P.S. もはや若くはないであろう主人公が、そんな青臭い気持ちを持ち続けていられたことが妬ましい訳じゃないんだからね、勘違いしないでよね。

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2011.06.01

「エレGY」のレビュー

鉄

エレGY

背中を押してくれる奇跡

レビュアー:大和 NoviceNovice

 エレGYは、すごいヤツだと思う。

 泉和良のブログ――パンツ姿の画像を送れという記事を見て、彼女は本当にパンツ姿の画像を撮影して、想いが込められた文章と共に送ってしまった。そうしてエレGYの踏み出した一歩によって、2人は出会い、惹かれあう。

 泉和良の視点に立つと、エレGYという破天荒な少女に振り回されている状況にも思えるのだけど、当のエレGYからすれば、それはひどく勇気の要ることだったに違いない。ずっと憧れていた人に、思い切って近付いてみる。それもパンツ姿なんていう大胆なものをきっかけにして。先に送れと言ったのは泉和良の方だけど、実際ブログの記事だけじゃ、どこまで本気なのか分からないし、書いた時は本気だったとしても、実際に送られて来たら引いてしまうかもしれない。

 けれどそんな諸々の可能性を蹴飛ばして、エレGYはパンツ姿を送ってみせた。あるいはずっと追いかけてきたエレGYには泉和良の本気さが伝わったのかもしれない。その大胆さが泉和良に十分通用するものだと分かっていたのかもしれない。あるいはリスクなんて考えられなくらい彼女も必死だったのかもしれない。けどそれにしたって、中々できることじゃないと、僕は思う。少なくとも、そこには決意があったはずだ。

 新たな一歩を踏み出す決意。
 それは、泉和良に救いをもたらす。

 彼はずっと『ジスカルドの魔法』によって苦しんでいた。『ジスカルドの魔法』とは何か。簡単に言えば、それは相手をよく知らないが故の過剰な期待を利用した処世術だ。ネット上のコミュニケーションは相手の実態が見えない分、都合のいい幻想を相手に抱くことができる。泉和良はそれを利用して、自分がネット上で演じるジスカルドという人物を「世の中に理解されない天才」とでもいうようなキャラクターに仕立て上げ、固定ファンを獲得していた。収入を得るために編み出した苦肉の策だった。

 だがそれは、あくまでネット上だからこそ作り上げることのできたイメージだった。多くの女性が『ジスカルドの魔法』に引き寄せられ、彼に近づき、そして等身大の泉和良を見て、その魔法から覚めていった。いつしか彼の心には「相手が見ているのはジスカルドであって泉和良ではない」という想いがこびり付いて取れなくなってしまった。

 だがエレGYは、泉和良の悩みを否定する。

”ジスカルドも泉和良も、両方併せておまえだろ!!”

”泉和良からジスカルドを消したら、泉和良じゃなくなると思う。どっちが欠けても駄目……、全部併せてじすさんでしょ?”

 実のところ、これは泉和良だけが特別に出遭った問題ではなく、誰もが直面しうる問題だ。僕らは接する相手や属する共同体によってキャラを使い分ける。例えば友達といる時はふざけたことばかり言うお調子者だけど、職場に行くと物静かで、ネット上では小難しいことばかり喋る――そんな人は今時珍しくもなんともない。だが上手く適応できている時はいいが、時折僕らは演じるべきキャラクターと認めてほしい・受け入れてほしいキャラクターのギャップに苦しむ。泉和良が直面したのは、こういった自意識とキャラの問題が極端な形で現れたものだ。

 それに対するエレGYの言葉は、崇高な思想や綺麗ごとなどでは決してなく、むしろ端的な事実だ。僕らはいくつものキャラを使い分けながら、しかしその中の一つだけが本物であとは偽物、なんてことは言えないはずだ。どのキャラにおける体験も、自分を形作る大切な要素となるはずだ。それを指摘してみせるエレGYの言葉は、あまりにも真っすぐで力強い。

 泉和良とエレGYが出会ったことには必然性がある。泉和良が必死に生きてきたからこそ、いくつものゲームに想いをぶつけてきたからこそ、エレGYは彼の前に現れた。だが元を辿ればエレGYがジスカルドに出会った偶然があって、やっぱり2人の出会いは奇跡みたいなものでもあると思う。

 だがその奇跡は、2人の間だけで完結していない。エレGYの踏み出した一歩、エレGYが放った強い言葉は、泉和良を奮い立たせ、そして『エレGY』という小説に刻まれ、多くの人に届けられた。そして泉和良が救われる様を、再び奮い立つ様を読んで、多くの人もまた、救いと勇気をもらっただろう。

 僕もまた、この小説から勇気を受け取る。この小説には一つの奇跡が結実している。そして今もどこかで奇跡を起こしている。出会った読者に奇跡を起こし続けている。彼女が見せた勇気は、一体どれだけの人を救ってしまうのだろう?

 いやはや、すごいヤツだ。とても敵わない。

 この作品を胸に秘め、僕も踏み出すことにする。新たな一歩を。勇気が必要な一歩を。何も怖がらなくていい。怖がることを怖がらなくていい。躊躇しそうになった時、エレGYはそっと、僕の背中を押してくれる。

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2011.06.01

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

1人の友として

レビュアー:横浜県 AdeptAdept

 恋愛小説の楽しみ方には2つあるんだ。まずは主人公たちに感情移入し、彼らの恋を追体験する「主観的」な読み方。
 初めて『エレGY』に出会ったのは講談社BOXで、当時はジスカルドやエレGYの恋心に寄り添うべく必死だった。でも上手くいかなかった。僕はジスカルドのように、リアルとネットで2つの顔を使い分けてはいない。そのギャップに悩む必要もない。加えてエレGYのように、エキセントリックな少女に出会ったこともない。彼らの恋路は、僕にとって軽く想像しうる範疇を超えていた。だから感情移入なんて、表面的にしかできやしなかった。
 でも不思議なことに、僕は『エレGY』という作品をひどく気に入った。どうしてだろう。その納得できる答えが見つかるには、星海社文庫での再販を待たねばならなかった。その帯にはこうある。
「この恋、きっと応援したくなる」
 僕は気づかされた。この『エレGY』には、先に挙げた読み方なんて、決して似合わないんだって。主人公たちの恋愛を、まるで友達のように応援する「客観的」な読み方こそが、この作品にはピッタリなんだって。
 いうなれば、作中のききたんやnikoの立場になるってこと。(2人は主人公のことをよく知る友人である)ジスカルドの気持ちを分かってはあげられる。彼とエレGYの恋が、成就するようにと祈ってはいる。けれど背中を押すことしかできない。彼と代わってはやれない。
 最初はこれじゃダメだと思ってた。とことん感情移入して、ジスカルドの苦悩を、恋慕の情を、感じとってやらないといけないんだって。
 でも、本当は逆だった。それこそが、『エレGY』の魅力だったんだ。本のページを捲りながら、ジスカルドの恋を陰から応援する。そして彼と一緒に泣いて、笑ってみせる。感情移入なんて、そのためには十分条件でしかないんだ。ジスカルドの隣で、その雄姿を見つめること。それだけで僕らは、2人の恋を祝福してやれるんだ。幸せな気持ちに、きっとなれるんだ。

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2011.06.01

「エレGY」のレビュー

銀

tyoro「僕にかかっていた魔法は解けてない」(『エレGY』レビュー)

魔法が広がっていく

レビュアー:matareyo

やあやあ、君はどうしてその本を手に取ったのかな?

好きな作家。好きなジャンル。表紙に惹かれて。帯の文句が気になって。友達におすすめされて。なんかビビッときて。はてさて?

私が泉和良『エレGY』を手に取ったのはtyoro氏のレビューを見たからなんだね。私自身もレビューを書いてここに送ったりしているから、他の人のレビューもチェックしているわけです。そしてそれが掲載された時、ツイッターでは「新規投稿者がいきなり『金』(レビューの4段階の評価で一番すごいの!)を獲得」 とかで盛り上がってるわけですよ。
読むよね。読んだ。

これはっ、すごい! ……ような、気が、する、か、な?

実はこれがレビューとしてどうすごいのかはその時はよくわからなかった。採点者のさやわか氏の講評を読んで「そうなのかー」となんとなくわかった気になっていただけで。
でも、書き手からどこか切実なものを感じたのだ。
tyoro氏が『ジスカルドの魔法』にかかったファンの一人として、以下のように書いた箇所。


「この小説を最初に目にしたのは、3年も前に発刊された『パンドラ Vol.1 SIDE-B』と いう人を殴り殺せそうなボリュームの雑誌だった。
けど、その時は魔法が解けるのが怖くて冒頭を読んだ所でページをめくる手を止めてしまった。
ファンでありながら読めない、読まないっていうのは『それはほんとうにファンなのか?』と言われてしまえば閉口するしかないのだけど、でも、そういうファン心理が存在するって事は、多分この小説を読んでくれれば(主人公との立場は逆になるが)理解してもらえると思う」



私はこのとき「そういうファン心理」を理解できなかった。それでもその苦悩がどうも気になる。どういうことなのかな?
それ程に書き手を悩ます『エレGY』とは、ジスカルドとは、泉和良とはなんなのだろう。
気になった。 だから『エレGY』を読んだわけです。
そして、読んでわかった。理解しました。tyoro氏の言う「そういうファン心理」を。「魔法」にかかるとはどういうことなのかを。読んでない人は読んでみるとわかる! そうとしか言えない!
そしてもう一度、彼のレビューを読んだのね。

これはっ、すごい!!

今度ははっきりそう思った。
それは一つの物語だったんだ。ジスカルド/泉和良とtyoroの物語。作品を読んだからこそ、tyoro氏の切実さが身に迫ってくる。本の中の『エレGY』とtyoro氏の【エレGY】がリンクする。作家への思い、作品への思い。それが現実に、彼自身の生き方に影響を与えたこと。あの物語にはそれだけの力があったんだ。

私はtyoro氏のレビューを読んでしまった。
もう『エレGY』を作品内に描かれている事だけで見ることはできなくなってしまった。
レビューを見て『エレGY』を買いに走り、早速作品を読んで、そしてまたレビューを読む。その一連の行動とそこで自分が感じたこと。それが私にとっての『エレGY』という作品になってしまった。
作品を分析するだとか、研究するだとか、そういうことには邪魔なことかもしれない。
でも、紛れもなくこれが私の読書体験。そこで感じたことは偽ることができない大事なもの。あのレビューにはそう思わせる力があったんだ。

tyoro氏のレビューは実際に評価もされているし、私がことさらに何かを言う必要ははっきり言ってないよね。それにこういう形で『エレGY』を見てしまうことは、泉和良氏にとっても、tyoro氏にとっても不本意なことかもかもしれない。
それでも私は言いたかったんだ。
あなたのおかげで『エレGY』に出会うことができました。あなたのレビューが私の『エレGY』となりました。あなたが私にこの思いを伝えるきっかけをくれました。その感動を与えてくれました。

私はあなたに魔法をかけられたのです。

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2011.06.01

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

痛々しさと清らかさ

レビュアー:希望星

泉和良氏のデビュー作「エレGY」ついに星海社よりの文庫版刊行、さらに星海社サイト上での本文公開、誠におめでとうございます。

しかし、泉氏ほどたくさんの名前を持つクリエイターもいないでしょう。
ある時はフリーゲームクリエイターとしての「ジスカルド」氏。
ある時はボーカロイドサウンドコンポーザーの「ジェバンニP」氏。
ある時は小説家の「泉和良」氏。

そしてどのジャンルにおいても才能を発揮し、多くの熱狂的なファンを産み出しているというのも、また驚くべき事実です。
泉氏の創るゲームや音楽に張り巡らされた、特徴的な感情の数々に魅了されてしまうのでしょう。

軽妙さ、恋、ピュアな狂気。
絶望、痛々しさ、そして清廉なカタルシス。

「エレGY」では、これらの魅力的な激情を、確かなテクニックでディスプレイしていることに驚きます。
鋭利で強烈、油断しているとすぐに心の柔らかいところをえぐってくる。
傷つきながらその傷ですぐまた次に出来る傷を癒すような刺激に、いつの間にか捉われてしまいます。

好きという言葉だけでは表現できない、切実な必要性に突き動かされ、私はまた泉氏の作品を手に取るのです。
彼の作品でしか届かない部分が、どうしてか、自分の中にあるから。

なお追伸になりますが、huke氏の少し距離感のある美しいイラストが更に泉氏の世界観を増幅しており本当に素晴らしいと思います。

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2011.05.09

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

こんなに長い一日

レビュアー:傍屋きつね

まず、断りを入れておくと。僕は今宮城県仙台市在住の、大学生兼アマチュアモノカキもどきである。

仙台市在住、といっても中心街まで徒歩二時間前後。地震の影響で電車も微妙、近場のツ〇ヤの品ぞろいも微妙。先日講談社BOXから発売された花物語も山形在住の友人に頼んで手に入れてもらった。戯言カードケースは郵便屋さんがチャリンコで届けてくれたのだが、星猫ストラップは音沙汰ない(そこ、外れたなんて言わない。僕の中では未だに、発送が遅れているという事になっているのだから)・・・兎に角、書籍やCDやゲームなどは、普段なら駅前に乱立する本屋やアニメショップに行けばすぐなのだけれど、まあ現状だけにそうはいかないのである。


さて、例の地震が来て、電力が復旧した後、僕の娯楽はもっぱらインターネットと自分の創作活動だったわけで。とくに最前線のサクラコアトミカ毎日更新とかは本当にありがたかったのだが。

で、エレGYである。

四月七日の夜。チャプター1―1を読んだ瞬間、「いやんホントこれ早く続き読みたい!明日、竹さんのUST見る前に、大変だけど自転車使って仙台行ってこよう買ってこようおまけに髪も切ってこよう」だなんて、言っていたのだが―――いやだってさ、こんな挑戦的な書き出しの作品を文庫になるまで読んでなかったなんてはずかしくて仕方がなかったんだもの。そりゃあ、タイトルも、泉先生のお名前も知ってはいたけれど、BOX当時は高校生で、お金もあんまりなくて、マークしていた作品を買うので精いっぱいだったんだもの。あとhukeさんのイラストも素敵過ぎ。チャプター1―1の段階では、この女子は誰状態なのだけれど、愛「らしい」。hukeさん「らしく」、この作品「らしく」、愛「らしい」。とにかく、さわりだけでこんなにとがっているのだから、続きはいったいどうなってるんだろう?・・・とワクワクしていた頃が、自分にもありました―――えー、ご存じの通り。宮城沖を震源とした余震様によって、宮城県内数十万世帯が停電となりまして・・・


え、これちょっといつまで続くの?
明日USTだよ・・エレGY見れない?
買いに・・・行きたいけど隣町水道管破裂して道が使えない?

・・・おいおい。待ってくれよ。


で、四月九日現在。
こうして電力が回復し、なによりもまず最前線をチェックしているわけなんです
。・・・USTはみれなかったけど。エレGYはみれたもの。白いパンツだって見れたもの・・・。


未だ、交通が安定せず買いものに出れない今、もう・・僕の楽しみはエレGYしかない。こうなりゃ毎日更新、とことん付き合わせて頂きますよ!


と、いうわけで。
被災地の娯楽としても愛用されている、泉和良先生のデビュ―作にして希代の傑作(の予感。多分間違いない。)「エレGY」、絶賛連載中&文庫版発売中で御座います。宜しくね。

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2011.05.09

「エレGY」のレビュー

金

エレGY

僕にかかっていた魔法は解けてない

レビュアー: tyoro

最初に書いておくけど、このレビューに共感できる人は少ないかもしれない。


この小説は、悩める自称フリーウェアゲーム作家が出会ったファンの少女との恋愛を描いた私小説風の小説。
完全なノンフィクションではないようだけど、7割くらいは実話 とのこと。


さて、何故共感できないか、という点を説明する為にちょっとだけ自分の事を書く。

僕はアンディーメンテというフリーウェアを制作・配布してるサイト、そしてそのゲームの作者であるじすさんのファンだった。

10年以上前、まだ僕が高校生だった頃に『ミサ』というゲームをプレイしてからアンディーメンテの世界の虜になって、既作を全て遊び新作が出る度に楽しんでいた。
サイトで販売されてるCDも何度か購入した事もあって、今でもiPodにいれて持ち歩いてる。

そう僕も『ジスカルドの魔法』にかかったファンの一人だった。

もし「作者が天才だ」とファンに思わせる事ができれば、どんな未完成な物を発表しても、ファンにはそれが名作に見えるだろう。――(中略)―― これが「ジスカルドの魔法」だ。
(CHAPTER1 9『ジスカルドの魔法』から)



この小説を最初に目にしたのは、3年も前に発刊された『パンドラ Vol.1 SIDE-B』という人を殴り殺せそうなボリュームの雑誌だった。
けど、その時は魔法が解けるのが怖くて冒頭を読んだ所でページをめくる手を止めてしまった。
ファンでありながら読めない、読まないっていうのは「それはほんとうにファンなのか?」と言われてしまえば閉口するしかないのだけど、
でも、そういうファン心理が存在するって事は、多分この小説を読んでくれれば(主人公との立場は逆になるが)理解してもらえると思う。



作中で描かれるのはファンによって神格化された天才ジスカルドではなく、作りあげてしまったキャラクターとのギャップに悩む、しがない(失礼><)フリーゲーム作家の泉和良。
その実態は僕みたいなファンの目からじゃなくても、けっこう悲惨なものだと思う。

そんな主人公が出会った"ジスカルド"のファンである少女 エレGY。
光に満ちた彼女に惹かれながらも、彼女にかかった『ジスカルドの魔法』が解けるのを恐れる主人公。

でもエレGYは、彼女はジスカルドというキャラクターも全てをひっくるめて泉和良という人間に向きあっていた。


この名作を手元に置きながら、3年間読む事が出来なかった自分を情けなく思う……。
(文庫化してくれてありがとう!星海社!!!

とても切ない、心に響く恋愛小説なので、是非沢山の人に読んでほしい。
そしてアンディーメンテのゲームにも触れてほしいな、と思う。


読み終わった後、かつての思いが蘇えってきた。
じすさんに憧れフリーゲーム作家を目指していた頃。
いつしかアーケードのゲーム制作に携わって、最終的に別業界のエンジニアになってしまった今。
でも、この本を読んで失ってしまった情熱を取り戻し、そして何より『勇気』が貰えた。

やりたいと思えるなら今でも遅くない。

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2011.05.09

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

恋愛なんて

レビュアー:戌亥子丑 NoviceNovice

私は、恋をしたことがない。
否、より正確を期して伝えるならば、私は恋愛という行為を種を残すためのただの生物的本能に過ぎないと見下しきっていた。

この「エレGY」という作品を見るまでは。

主人公の思考の純粋さに切なさを覚え、ヒロインの危うさに不安を覚え、二人が会って一緒に行動しているというだけで、暖かくも尊い時間に思えて仕舞う。

だから今、私は声を大にして叫びたい。

切ねえええええええええええ!!と。

「エレGY」は、昨今ものすごい勢いで単純化していく恋愛物語の流れの中に、思いの純粋さゆえに複雑に入り組むという新しい風を吹かせている。

私は、そう思う。

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2011.05.09

「エレGY」のレビュー

鉄

エレGY

幻想と現実

レビュアー:ticheese WarriorWarrior

主人公/泉和良は26歳。
もう現実を知っている年齢です。
現実を知った男の前に現れたのは幻想を抱いた少女「エレGY」。

現実を知ってしまった大人に読んでほしい。
幻想からでも甘い真実が生まれる可能性を、この作品が教えてくれます。

とりあえず、「君のパンツ姿の写真、求む!」ってブログのタイトルに付けてみましょう。何かが変わるかもしれません。

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2011.05.09

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

惚れたぜ、エレGY

レビュアー:牛島 AdeptAdept

先に断っておきます。
私はこの小説が万人に受け入れられる作品だとは思っていません。
いやもう、一時期受け付けられなかった私が言うんだから間違いないと思います。

作品のあらすじはシンプルです。
「心が荒んだ青年がいる」
「青年はヒロインに出会う」
「いろいろあって、ヒロインとの出会いで青年は立ち直る」
……以上です。

我ながら酷いですが、嘘を吐いたつもりはありません。
こうしたある種ご都合主義な物語は世の中にいくらでも溢れていて、ともすれば平凡に受け取られてしまいます。実際、講談社BOX版を読んだときには「ああ、こういうのが流行ってるんだな」程度の感慨しか得ることができませんでした。当時の読書日記にもそう記されてありました。

それが今回の文庫化にあたって再読してみたところ、まったく印象が変わりました。
初見のときは「……ヤバくないか?」としか思えなかったエレGYが、……こう、可愛いんです!
いやもう、本っ当に可愛い!
「今まで私は理想のヒロイン像を探していたが、それってこの娘のことだったんじゃないの?」と自問してしまうぐらい可愛い!
初見のときの自分はなんでこれを「ありそうな物語」とか言っちゃうかなぁ!
「ヒロインが奇抜なだけ」とかさぁ!
もうね、当時の自分! したり顔で偉そうなこと言ってるお前! お前とは女性の好みについて話ができないね!

…………。
失礼。取り乱しました。

さて。
この「エレGYに対する印象の食い違い」ですが、結局この物語の魅力と本質はここにつまっているのでしょう。

つまり、エレGYに惚れられるか、惚れられないか。

端的かつ乱暴に言えば、そういうことになります。
エレGYに惚れた人間だけが、この物語を楽しむことができる。
エレGYに惚れた人間にとって、この物語は凡百の物語ではなくなる。

というのも、この物語は一貫して主人公(=筆者)の泉和良の視点で描かれているからです。
エレGYに惚れる/惚れていくというプロセスは、主人公の視点に収まることの最低条件でもあるのです。エレGYに惚れることなく彼を理解することなどできないのです。
また逆に言えば、主人公・泉和良の視点にのめりこむほど共感したら、自然とエレGYに惚れる/惚れていくようになってもいるのです。彼を理解したならエレGYに惚れずにはいられないのです(つまり初めて読んだとき「よくある話」程度にしか思えなかった私は想定された読者ではなかったということなのでしょう)。
なんという、作者の愛。

私がかつてエレGYを許容できなかったように、エレGYに惚れることができない人もいるでしょう。

そんな人にこそ、
「いやね、人間って変わるもんだから。君の好みだって変わるから」
と伝えたい。
「自分には合わない」なんて決めつけず、いつかまた読み返してほしい。

幸い、最前線には無期限無料で公開されてることですし。

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2011.05.09

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

未来へ飛び立つ重さ

レビュアー:大和 NoviceNovice

 この小説は、不思議な重さを持っている。

 主人公・泉和良はフリーウェアゲームを作りながら関連グッズの販売で収入を得ているクリエイター。だが生活は安定せず、半ば自暴自棄的になった泉和良はブログで女の子のパンツ姿写真を募集する。そこにエレGYと名乗る少女が本当に写真を送りつけてきて、二人は出会い、惹かれ合っていく……それが『エレGY』という物語だ。

 一見して普通の恋愛小説みたいだけど、泉和良という主人公の名を見て「おや?」と思った人もいるはずだ。そう、この小説は大部分が作者・泉和良の体験した実話なのである。無論ただ起こったことを書き殴ったというわけではなく、ある程度は小説として再構成されているだろう。だが描写の仕方一つにしても妙にリアリティがあって、一度読めば、この物語は実際にどこかで起こったことだということを感じてもらえるはずだ。

 しかし、それだけならばただノンフィクションっぽいだとか私小説的だとかいった話で終わってしまう。でも僕は、この小説はそれらの「実話っぽさ」だけでは説明のつかない強度を持っていると思う。

 思えばゼロ年代は「いかにして作品の外部を利用し、強い表現を獲得するか」という手法が多くのクリエイターによって発展した時代だった。例えばFateにおいて、奈須きのこは神話や伝承といった既存の広く知られた物語をキャラクターの背景に取りこんだ。ひぐらしにおいて、竜騎士07は解決不可能にも思える謎と挑発的な惹句によって、プレイヤーたちが謎解きを競い合う広大なゲーム空間を作り出した。そんな時代の潮流の中に『エレGY』もいた。

『エレGY』が利用したのは、ジスカルドというキャラクターであり、アンディー・メンテというサイトであり、数々のフリーウェアゲームであり、泉和良自身の生き様だ。

 アンディー・メンテという言葉で検索してみるといい。僕らはすぐに、ジスカルドの作ったサイトにアクセスし、多くのフリーウェアゲームと出会うことができる。それらを実際にプレイすることができる。そうして泉和良の生きてきた軌跡に触れた時、『エレGY』という作品は不思議な重さを持ち始める。

 そして小説だけが一方的に強化されるのではない。

 物語の終盤、泉和良はエレGYという少女を通して創作することの喜びを知る。エレGYはジスカルドの作品に強く影響を受け、その才能を開花させる。自分の作ったものが誰かに影響を与え、それが「種」となり、新たな才能を生みだしうる――その事実、その実例に出会った泉和良は強く感動する。そして泉和良もまたエレGYの輝きによって影響を受け、より高みへと昇っていく。その結実として誕生したのが『エレGY』という小説なのだ。

『エレGY』という作品はジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちを背景として読み込み自身を強化しながら、同時に『エレGY』自身がそれらを強化する。僕らはジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちに触れながら、『エレGY』によって描かれた物語に思いを馳せることができる。そこで泉和良が過ごした時間を想うことができる。そこで泉和良が出会った感動に、エレGYに蒔かれた種に出会うことができる。

 それは泉和良が智恵を振り絞って繰り出した利口かつ狡猾な手法だとか、そういう話ではないのだと思う。きっと彼は、挫けそうになりながらも全力に生きたからこそエレGYと出会うことができて、どこか不器用にしか生きられないからこそ『エレGY』という作品は書かれたのだ。むしろ自然と生まれたからこそ、この物語は心を揺さぶるのだし、自然とこの作品に辿りついたという事実自体もまた、ジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちを強化する物語になるのだ。

 『エレGY』という作品は、ただの恋愛小説みたいでありながら、ぱらぱらと広がっていた泉和良の人生を一点に凝縮させたような力強さがある。そして更なる高みへと飛翔する泉和良の背中を『エレGY』という作品自体が力強く押してみせる。今、僕が手にしている文庫本は、たかだか数百グラム程度の重量しかないだろう。けれど僕は、そこにかけがえのない重さを感じずにはいられない。ここにあるのは軽快な恋愛小説のようで、一人の男が救われる話のようで、同時に一人の男の人生そのものがぎゅうぎゅうに詰まった物語で、そして一人の男が未来へ向けて飛び立つ意思が刻まれた作品なのだ。

 ぜひ『エレGY』を読んでみてほしい。暖かくて力強くて、飛び立ってしまいそうな重さを感じとってほしい。きっと泉和良は、あなたの胸にも種を蒔いてくれるはず。

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2011.05.09

「エレGY」のレビュー

鉄

エレGY

わたしとエレGY

レビュアー:ラム AdeptAdept

エレGYを初めて見たのはもう覚えていないけど店頭が先かファウストの広告だったか。え、パンドラに全文掲載してたって? あーあー、聞こえない。

あらすじはちんぷんかんぷんだが、目に入る丸いシール。
講談社BOXにおいて帯の代わりを果たすこのシールには編集長の手書きで「やっぱこの人天才だわ」とか、そのシール自体を欲しいなって思わせる何かがちょこっと書いてあるのですよ。
さてエレGYは?

「小説の進化する瞬間を見た。」by 乙一
「間違いなく天才。ページをめくればついつい最後まで読んでしまう。」by 滝本竜彦

むむ。二人とも好きな作家だし、そのオススメ作品も多少読んだけど全部面白かった。
でも、でもね、講談社BOXはちょっと高い。
好きな作家2人のオススメとはいえ学生にはすぐ手が出せなかった。
そうこうしているうちに「spica」、そして「ヘドロ宇宙モデル」まで出てた。
わたしは学生でなくなっていた。
3冊も出ているからやっぱり面白いのだろうと気になって、でも売ってなくて、シールが絶対に欲しかったので通販は不安で結局書店員の友人に取り寄せてもらって全部買って、2009年12月29日に読み終えた。

残してある感想が「定価で買う価値があった」
著者の自伝的小説って言われたら気になるじゃないですか。お金なさそうなことがいっぱい書いてあったから多分こんな感想なんだろう。あんまり内容の核心には触れないようにしてるし。
もうひとつの感想が「ジェバンニまじジェバンニ」
買い渋ってた間、何もしなかったわけではないのだ。
他の人の感想で、アンディーメンテを知っている方が面白く読めるって書いてあったからアンディーメンテってなんだろ? って調べたり、ジェバンニPっていう名前でボーカロイドの曲をニコニコ動画に投稿していることを知って「ジェバンニが一晩でやってくれました」の人か、と衝撃を受けたりしていた。
最前線HPで、エレGY冒頭を久しぶりに読み返して笑った。そうだ、こんな話だった。読んだ後にジェバンニPの「リン廃宣言」聞いてエレGYそのままやんって思ったのを思い出した。

しかし、だからこそ文庫帯の惹句に首をかしげた。
「この恋きっと応援したくなる」
・・・そうでもなかったよ?
常識で考えろって。パンツだぞ。「君のパンツ姿の写真、求む!」って。
変態、とは言わないけど、パンツから始まるラブストーリー、・・・応援できるか!
たくさんの人に読んでもらいたいからさ、Webで全文無料公開しちゃうのは理解できる。
文庫化も、絵もついてちょっと安くなるし嬉しい。
でも絵がなくても、高くても、十分に満足できる作品だったと思う。
だって星海社はフルカラーだから普通の文庫より高いしなー。
というところで思い至った。

「まさかパンツのカラーイラストがあるのか!?」

と思って文庫で確認したけど、なかった。と、言ってしまったら青少年の期待を裏切ってしまうかな? どうかな? まぁないんだけど。
しかし待て。
表紙に可愛い女の子がいるよね。
あの子のパンツだと思うとパンツ自体の絵がなくても妄想力でなんとかなるんじゃないか。
だってパンツから始まるストーリーだものな、表紙に可愛い女の子がいたらこの子のパンツ!! ってなるよね。知らないけど。
いやー、納得なっとく!!
つまり、文庫版なら応援してもいいってことだ。

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2011.05.09

「エレGY」のレビュー

銅

エレGY

発売前やけど……。いや、発売前やからこそレビューや!

レビュアー:横浜県 AdeptAdept

あんたら4月7日は何の日か知ってる?
世界保健デー? いやまぁ、それも大事やけどな? もっと大切なことがあるやろ。
せやな! 「エレGY」の発売日やな!
まさか「買う予定はない」なんて言わへんよな?

……はぁ。ほんま呆れてまうで。
しゃあないなぁ。「エレGY」を知らん星海社ファンの皆さんが、思わーず買いたくなるように、これから紹介したるわ。

まずポイントその1や!

「エレGY」は、星海社文庫として発売される運命にあった!

……別にこんなん過言じゃないんやで。
星海社の掲げる理想の出版を知ってるか?
もちろん「人生のカーブを切らせる」出版のことやな。
でも太田克史さんは、以前にもこの言葉を使ってたことがあるんや。舞台は講談社BOX。小柳粒男、泉和良(エレGYの作者)、針谷卓史の3人を、「危険な新人」としてデビューさせるに伴い、彼が寄せた文章の一節を読んでみよう。

彼らのデビュー作には、読んだあなたの人生のカーブを激しく切らせる可能性があります。

ちなみに「人生のカーブを激しく切らせる」の部分には、ご丁寧にボールドまで施してあった。要するに「エレGY」は、星海社の作品となるに相応しい!  ……ってことやな。

じゃあ「エレGY」が大好きなこの俺は、実際どのように、人生のカーブを切らされたんやろか。そこでポイントその2や!

鮮度に酔いしれろ!

そう、この作品は、何もかもがフレッシュなんや。簡単に粗筋を説明するで。

無料ゲームの作り手として、貧乏な生活をしていた主人公は、ネットで自傷癖のある少女、エレGYに出会う。主人公は彼女と恋に落ちながら、ネットにおけるゲーム作家としての自分と、落ちぶれたリアルの自分とを比較し、そのギャップに葛藤を抱え始める。

うーん、ぶっちゃけて言うと、ありふれてるやん? 外面と内面の、ネットとリアルの相違点を描いた作品は、他にもよく見かけるっちゃ見かけるやん?
でもこの作品は一味違うねん。「在り来たりな筋書き」と評してそれで終わりとちゃうねん。

この作中に登場するゲームサークル「アンディーメンテ」は、なんと実在するんや。更に言うと、その運営主ジスカルドこと主人公は、泉和良その人なんや! 別にこの「エレGY」が、完全な私小説という訳ではないけどな。何処かで見たことのある物語の中には、俺達が虚構でしか眺めたことのない、彼らネットクリエイターのリアルな苦悩が満載なんや。
凄く生々しいねん。凄く痛々しいねん。
それでいて、物語を最後まで貫いているのは、2人の「純愛」なんや。

今までに読んだことあるような内容の筈やのに。どこかこの「エレGY」でないと体感できないような、そんな読後感が、じわーっと広がって来る。
他の作品群とは一線を画すぐらいに、それはもう新鮮な感覚や。

でも皆さん、フレッシュなんはストーリーだけやないで。登場人物もや。

主人公のジスカルドは、さっき述べた通りやな。作者の生き写しで、ネガティヴ思考ばっかりやけど、それでも何処か惚れ惚れするような奴やで。

問題はコイツや、エレGYや。
腕にはリストカットの痕。言動は破天荒で、とにかく不思議ちゃん。言葉は汚くなるけれど、「メンヘラ」と呼ぶのが1番しっくりくる。この娘の台詞、メールの文面、その全てに思わず拍子抜けしてしまう。これぞ将にエキセントリック。でも僕達読者はどうやっても、エレGYの魅力からは逃げられへんねん。変な奴やねん! ネジを何本か落としてもうてるような娘やねん! せやのに憎めへん、嫌えへん、思わず愛したくなる。是非とも、皆さんには彼女と出会ってほしい、一度ドン引きしてほしい、その上で好きになってほしい。そう思うんや。

これで終わりやと思ったらあかんで。ラストにもう一つ新鮮なもの、それは文体や。
前にも言ったけど、「エレGY」のストーリー展開自体はよくあるんや。それでも読者を惹き付けるフックの役割を、この文体が担ってんねん。軽快で、かつ独特なテンポ。秀逸なセンスが光る、今まで見たこともないような表現。
「似たような話を知ってるで!」と思ってた筈なのに、ハッと気が付けば、いつの間にやら読み進めてました。……なぁーんてことになっちゃうんや!

何と言っても、俺がその一人やしね。いやぁ、驚いたよ。こんな小説ありかよって、本当に「危険な新人」やないかって。
僕の思い描いていた小説像を、見事にそのフレッシュさで打ち砕いていったんや。もう、どんだけ俺の人生のカーブを切ったら気が済むんやと。

さて、ここまで長々と「エレGY」の紹介をしてきました。読んでみる気になったか?
もしなってへんかったら、俺の文章が下手なせいや、申し訳ない。普段喋ってる関西弁なら、より熱弁を振るえる気がしたんや、許してーな。
ほな、「エレGY」をよろしくな。是非読んでくれ、感想を語り合おう!

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2011.04.15

「エレGY」のレビュー

銅

文庫版エレGYの表紙

選ばれるもの、選ばれないもの

レビュアー:大和 NoviceNovice

 僕は泉和良が好きだし、hukeも好きだ。

 泉和良に関しては、特に彼の作る音楽が好きだ。僕が最も好きなのは『君が忘れていった水槽』というフリーゲームのBGMで、これはフリーゲームのBGMだとは思えないくらいクオリティが高い。単純にエレクトロニカの楽曲としても秀逸で、そのジャンルを専門とするアーティストと聞き比べても何ら劣るものではない。肝心の『エレGY』に関しても僕はパンドラで掲載された時に楽しく読ませてもらった。一風変わっていて、けれど壮大な感動を持った、素晴らしい作品だと思う。

 hukeとの出会いはシュタインズ・ゲートというノベルゲームだった。ゲーム性やストーリーも素晴らしかったけど、hukeのキャラクターデザインもそれを受け止めるに足る素晴らしいものだった。特に牧瀬紅莉栖というキャラクターの魅力に関しては筆舌に尽くしがたい。無論、一人の絵師としても好きだ。hukeの絵には塗りをあえて掠れさせるような手法がよく使われているのだけど、それが今にも崩れ去ってしまいそうな緊張感を絵に与えていて、すごくカッコいい。

 そして、二人がタッグを組んだ、文庫版『エレGY』。
 ブログで発表された、その表紙を見た時、僕は正直――違う、と思った。

 違和感を抑えつけながら、僕はその表紙をじっくりと観察した。画像下部は帯で隠れているため分からないが、恐らく現実の場所(道路か公園?)が置かれ、空にはゲーム的なドット絵風のひび割れた道とコーンとブロック。(これはもしかして泉和良が実際に作ったゲームの画像から持ってきたんだろうか? そこまでは分からなかった)左には冴えない風貌の男、右にはいかにも二次元美少女然とした黒髪の少女がアコースティック・ギターをストラップと左手で支え、右手は正面を――つまり僕らを指さしている。帯のキャッチコピーは『この恋、きっと応援したくなる!』

 ……なんだか、釈然としない。

 この表紙が完全に間違っているとは言えない。例えば右側の少女=エレGYが持ったギターは本編で重要な役割を果たすし、二人の様子や空に浮かぶ道路のひび割れが、どことなく「暗い」「駄目な感じ」を醸し出しているのもこの作品をよく捉えている。実際、この二人は社会的に上手くいっていなくて、それも物語の重要なポイントになっている。空に浮かぶゲームのドット絵も、主人公=泉和良が作るフリーゲームの象徴として機能しているだろう。そう、考えれば考えるほど、この表紙はちゃんとエレGYという作品を捉えているのだ。

 でも、納得いかない。

 最初は、表紙が持つどことなく暗い感じが気に入らないのかと思った。希望をもっと描いてほしいのかと思った。でも考えてみると、問題はそこじゃないと感じた。ある種の類型に捉えられそうなこと――「冴えない男が女の子に出会って代え難いものを得る」だとか「理想から目を話せなかった男が少女と出会うことで現実と折り合いを付けていく」みたいなステレオタイプの物語に見えることが嫌なんだろうか? だがそれも違和感の本質ではない気がした。

 だから僕は、この作品の何が好きなのか、何に感動したのか考えてみた。

 この作品は主人公=泉和良と少女=エレGYの二人の関係を軸に物語が進む。この作品は恋愛小説だけど、その根底にあるのは泉和良の「フリーウェアゲームスピリット」だ。そしてこの作品に込められているのは、創作するということの根源的な感動だ。泉和良はエレGYと出会うことで、一人の人間として救われると同時に、創ることの喜び、創ることの可能性にも出会う。エレGYは泉和良が作るゲームのファンであると同時に、それらから強く影響を受けた新しい才能でもあって、そうやって自分が作ったモノが誰かに影響を与えうる――そこに込められた魂が「種」となって誰かに新しい息吹を与えうるという事実に、泉和良は衝撃を受ける。そこらへんが典型的な恋愛小説とは一味違うところだ。「一風変わった恋愛小説」のようでいて、裏にはすごく根源的で壮大な感動が隠れている。その一筋縄ではいかない感じがいかにも泉和良らしくて僕は好きだ。
 そう、泉和良は一筋縄ではいかないクリエイターなのだ。彼が作っているフリーゲームはどれも変わったものばかりで、例えば先述した『君が忘れていった水槽』というのは、画面内で自動生成される微生物(?)たちの生態系の変化をただひたすら眺めるという作品だ。もはやゲームなのか何なのかよくわからない。というか、ゲームとして破綻している。しかしプログラムされたものでありながら、そこで繰り広げられる光景は常に一期一会で二度とはお目にかかれない。まるで本物の生物が生まれ落ち、独自の進化をしていくみたいに。そこには何か、泉和良の哲学みたいなものが込められているのだろう。そんな風に、泉和良が作り出すゲームたちは、どれも一筋縄ではいかない、鋭く尖ったものばかりだ。

 そこまで考えて、ふと、気付いた。
 もしかして、僕はこの表紙が「よく出来てる」ことが気に入らないんだろうか?

 その解釈は、僕の中で腑に落ちるものだった。この表紙はよく出来ているが故に、むしろ凡庸に見えてしまうのだ。エレGYという作品が持つ一筋縄ではいかない感じを、泉和良が持つ鋭さを、受け止めきれてないように見えるのだ。無論、表紙一枚で表現できることには限界がある。全てを描けるわけではない。だが、この表紙は泉和良が作るゲームのような「破綻」が無くて、僕には決定的に物足りないのだ。

 でも結局のところ、それは個人的な思い入れに過ぎないのかもしれない。僕が言うような破綻や鋭さを持った表紙より、この表紙の方が売れるのかもしれない。多くの人の手に行き届いて、多くの人を幸せにするのかもしれない。それは全くもって正しい判断なのかもしれない。あるいは誰かにとって、これこそが「破綻を持った鋭い表紙」なのかもしれない。そもそも僕が言うようなことは個人的な妄想に過ぎなくて、みんなこの表紙を支持するのかもしれない。でもやっぱり僕に同意してくれる人もいるかもしれない。分からない。表現として正しい判断、ってどういうことなんだろう。売れること? 誰かの心により強く残ること? それはきっとどちらも正しくて、何を選ぶかって問題でしかないのだと思う。そして後者を選ぶにしても、その「誰か」は「全員」にはなりえないのだと思う。時には両方を満たし、そして限りなく多くを満たすような奇跡にも逢えるのだろう。でも僕は今回、出逢えなかった。そして選ばれなかった。「誰か」の中に入れなかった。ただ、それだけの話なのだと思う。

 でも、やっぱり、この表紙……納得いかないなぁ。

 きっと文庫化だとか移植だとかメディアミックスだとかが起こす「思い入れとのズレ」みたいなものは世の中に溢れるほどあって、日々どこかで誰かが遭遇しているのだろう。でも表現が何かを選択しなければならないものである限り、「納得できる人」と「できない人」が出てきてしまうことは避けられない。それ自体に文句を言ったってしょうがない。だから僕は、ただこの表紙に納得できなかったという事実をここに記しておこうと思う。そしてこれを読んだ誰かが「選ぶこと」「選ばないこと」について考えてくれたら、それだけで救われる。そうやってこのレビューが何かを考えるきっかけになったら、とても素晴らしいことだ。それはまるで泉和良がエレGYの中に「種」を蒔いたことのようで、すごく尊いのではないかと思う。

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2011.04.15


本文はここまでです。