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「レッドドラゴン」のレビュー

銀

レッドドラゴン

ヤラセだとしても

レビュアー:ジョッキ生 KnightKnight

2年以上にわたる更新が、ついに終わってしまった。

レッドドラゴンとは、豪華作家人・イラストレーターが競演したTRPGを連載したものだ。TRPGとは、例えるなら、ドラクエみたいなRPGを即興劇で演じたようなもの。ただし、途中の行動、選択肢はサイコロの目によって決定されるという、多分に偶然性を含んだアナログなゲームになっている。それゆえに、思いもしない方向に話が転がったりして面白く、先の見えない展開が光るゲームだ。

この偶然性の積み重ねが奇跡を起こし、無事結末へと至ったわけだが。終わってみて思うのは、ちょっと出来すぎじゃね?ってことだ。つまり、ヤラセの可能性を疑う自分がいる。すべては台本通り、打ち合わせに則って行われ、失敗してしまった所はカットされて、再プレイされていたなんてことがあってもおかしくはない。なぜなら、読んでいる僕らには結果だけが知らされるし、オープンな場でこれらが行われたことはないからだ。だから、ケチを付けようと思えばいくらでもできる。

でも、僕はあえてしない。なぜなら、この物語は面白かったからだ。ヤラセかどうかなんて気にしなくなるほどに面白かった。ただそれに尽きる。

ヤラセに憤慨する人の気持ちを考えた時、信じていたのに騙された的な、リアリティを追求した結果起こる齟齬が原因な気がする。そりゃあメディアに属するものは基本娯楽だし、特にバラエティとして放送してるものに真実もへったくれもねえだろとは思うんだけど、そう思わない人もいるんだろう。だから、このレッドドラゴンもきっとヤラセじゃねーのと追及し、実際にヤラセだった場合、憤慨する人も出てくるのかな?とは思う。

でもね、個人的にはどっちでもいいと思ってる。前にも言ったが面白かったからそれでいいやって思ってる。それは僕の中の大きく占める概念として面白ければ許すというものがあるからだ。それは人生を楽しく生きるためのルールにしているんだが、笑わせたもの勝ちだなって思ってる。人を笑わせるって結構難しい。だから、僕はそれが出来る人に最大級の賛辞を送りたい。それゆえに辿り着いたのが面白ければ許す、この概念だ。

創作物なんて大抵フィクションだよ。楽しめればいいんです。特にそれ以上のことを求めるのはちょっと酷ではないかい?だからそこは童心に戻った気持ちで楽しもうじゃないか。不毛な探りあいなんてやめて、ただ楽しもうよ。このレッドドラゴンというコンテンツは、それに足る娯楽であると僕は思っている。

レッドドラゴンで紡がれた物語。それは最初から最後まで出来すぎた物語だった。対立関係にあったローとスアローの結末や、忌ブキが王になったこと等、偶然を重ね合わせたら必然に落ち着いたという、なんとも現実的なお話だった。そこに僕はなるようにしかならないという人生訓みたいなものを見いだしたが、どうだろうか。この物語を偶然が生んだのなら奇跡を、必然が生んだのなら喝采を。どちらにせよ、僕はこの物語に最大級の賛辞を送りたい。

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2014.06.18

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

深謀遠慮

レビュアー:ラム AdeptAdept

長かった物語がようやく終焉を迎えた。
それは、とても素晴らしい出来事だった。
それぞれの思惑の中、おめでとう、と心から祝福できる最高の幕引きだったと思う。

忌ブキは最高に主人公だった。

エィハは忌ブキのために気を抜けない戦場を闘いきった。

婁さんは最初から変わらない。

スアローも、禍グラバも、正反対ながら同じ思いで出来る限りを尽力していた。

そして、GMと、RPFを裏で支え、作り上げたスタッフの方々。正直、なんかすげぇことが起こってたのにきれいにまとまってしまったのはプレイヤーだけの力ではないと思う。

好きな作家さんたちが集まって楽しそうなことをやっている、と思っていた。
今も、思っているけど、そのための努力も途方もないものなんだろうって今なら分かります。

ありがとう、皆さんお疲れ様。

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2014.06.18

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

小太刀右京『レッドドラゴン ワールドガイド』

レッドドラゴン観光ガイド

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 旅行に行く際、観光ガイドを一冊携帯していくと、旅先の土地にある歴史や風土を知る手掛かりとなる。旅先の土地について知ることは、その旅の密度を濃くしてくれる。
 本書もまた、『レッドドラゴン』という旅の物語をより楽しくしてくれる観光ガイドだ。

『レッドドラゴン』は旅の物語でもある。出自や思惑を異にする五人が、竜退治という目的の為にニル・カムイの土地を渡り歩く。様々な風土が本編には描かれているが、本筋の物語と関わらないところについては、当然ながら詳細に描写されているわけではない。
 本書は、そういった部分へのフォローとも言える。
 キャラクターたちが立ち寄った場所にある、歴史や風土が詳細に語られている様は、さながら作品世界の観光ガイドのようである。作中で登場しなかった風景や人々についても、イラスト付きで解説されている。(食事についてのコラムまである!)

 しまどりるさんの秀麗なカラーイラストで彩られた風土と、『レッドドラゴン』作中の革命家の言葉で語られていく土地の歴史は、読者に対してこの世界の存在感をありありと伝えてくれている。
 本書を読んだ後で、是非もう一度、本編を読み返してみて欲しい。
 二度目の旅は、一度目よりも濃い体験となっているはずだから。

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2014.03.27

「レッドドラゴン」のレビュー

銀

『レッドドラゴン』

呼気を感じる3枚のイラスト

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 久しぶりに実家に帰ると、本棚に子供の頃読んだ絵本が何冊か残っていて、『タンタンの冒険』などを数年ぶりに手にとって読んでみたところ、とても懐かしい気分になるとともに、どこかでこれに似たような感じの絵を見たような感覚を覚えた。
 しばらくして、それが「レッドドラゴン」の挿し絵だったと気づいて、「ははん!」と短く呟いた。
『レッドドラゴン』3巻の終盤、忌ブキが自らの迷いをスアローに相談し、自分なりの答えを得て、エィハに言葉を告げに行くシーン。ここでの挿し絵は、冒険に立ち向かうタンタンのように、躍動感に溢れている。

 挿し絵は2ページに渡って続いているが、それは文章と並列して置かれている。
 まず、部屋を飛び出した忌ブキに、スアローが後ろから声をかけている様子が、文章とイラストで同時に描かれる。そして項をめくると、ページ右上部に部屋から部屋へと駆けていく忌ブキの姿、ページ中央にはシーンを描写する文章が流れ、そしてページ左下部に、忌ブキの突然の訪問にキョトンとした様子で座っているエィハの姿が描かれている。
 文章と並列されたこの3つのイラストの躍動感は、マンガの絵のように活き活きとした動きが見えてくるようで実に見事だった。
 たぶん、文章を読みながらイラストを目で追っていくことで、自然と右から左へと視線が誘導されたのだと思う。その視線の動きが、キャラクターの動きとあいまって、躍動感につながっている。ページ左方向へ呼びかけるスアロー、同様に左方向へ駆けていく忌ブキ、そして忌ブキの来訪に驚いて右方向を見ているエィハ。動きの始まりと終わりが、言葉にされなくても伝わってくる。
 女の子座りをするエィハのキョトンとした表情からは、忌ブキが勢いよくドアを開けて入ってきた様子がよくわかる。忌ブキの方は、プレイヤーであるしまどりるさんのこの場面での熱の入りようが絵からも伝わってきて、まるで駆けている間の呼気までを感じ取れそうなほどに活き活きとした動きが描かれている。

『レッドドラゴン』には、名場面を文字通り彩る秀逸なイラストが何枚もあるけど、個人的ベストは、今のところ、この場面の三枚の絵だ。

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2013.07.08

「レッドドラゴン」のレビュー

銀

レッドドラゴン

幕が降りるまで

レビュアー:鳩羽 WarriorWarrior

 こんな物語、早く終わってしまえばいい。
 いいところでストーリーを切られ、欲求不満にさせられる。次週持ち越しというのが我慢できない性質だから、テレビドラマの類も連載ものの漫画も小説も、見ようとすることはほとんどない。それでもこのレッドドラゴンの単行本一巻目を手に取ったのは、今をときめく錚々たる参加者達、TRPGをテキストにしてそれを参加者じゃない私が楽しめるのかという興味、そしていささか食傷気味になった「物語」「物語」「物語」……という言葉の澱みを吹き飛ばしてくれるような何か。そう、強くて新しい風に当たってみたかったからである。
 参加者達のすべての活動を私は知らないが、一つのジャンルを軽々と飛び越えるような活動をしているクリエイターばかりのようだ。文章、絵、音。それらはかつて、単独で鑑賞されることしかなかった。だが、昨今ではこれらを同時に体験する鑑賞の仕方が、しかも個人ではなく大勢で同時に体験し、その感動を同期的にやりとりすることすら珍しくない。音がつけられることが前提の絵、動画となることが前提のシナリオ、リアルタイムで感動を引きずり出すことができる創作物、そういった純粋さと強靱さの両方を求められる創作のいわば猛者たちが、全力で虚構の中に潜り込み、それを遊ぶ。

 ゲームのプレイヤー達は、最初は紅玉いづき、しまどりる、というふうにこちら側、現実の名前で表記されている。それがキャラクター紹介の後から、それぞれのキャラクター名の表記となるが、完全にキャラクターになりきっているというわけでもない。プレイヤー同士の他愛ないやりとり、フィクションマスターへの質問、ゲームへの感想といった素の発言も結構ある。文脈から注意深く読まないと、ああこれはキャラクターの発言なのだなと分からないところすらある。キャラクターは知らないキャラクター同士の情報をプレイヤー同士が知っていることもあれば、秘密にしたいことを他のプレイヤーにも伏せることもある。
 ゲームの舞台ニル・カムイという島、プレイヤー達が集うどことも知れない部屋、そしてそれを観戦する我々、幾層にも折り畳まれた存在と存在の狭間で、ゲームの仕組みを最大に生かし裏をかこうとする虚淵玄の操るキャラクター・婁が笑えば、それは果たして虚淵玄が笑ったのやら、婁が笑ったのやら、判別がつかずに戦慄する。しまどりるが操るのは策を巡らせるタイプではないキャラクター・忌ブキ。率直な感情で予想もつかない展開を引き起こしては、物語の土台を大きく揺さぶる。奈須きのこ本人も、操るキャラクター・スアローも、飄々としていて人なつっこいが誰よりも固い殻で何かをひっそりと隠したまま打ち解けない。そして紅玉いづき操るエィハは、世界の成り立ちを理解する前の開始早々に自分が死ぬか守るべき存在を見殺しにするかの選択を迫られ、疑似的に一度死ぬ。
 そしていくつものキャラクターを使い分け、遊技盤を整えるフィクションマスターの一番の鉄仮面っぷり。彼は一体どんな棋譜を思い描き、どこに辿り着こうとしているのだろう。

 理性と感情。正義と情念。その均衡と綱渡りは、サイコロの出目のようにその時その時に決定される。この物語は、選択されなかった選択肢の先の物語を殺しながら、幾層にも重なった息づかいを一身に受けて、ただ一本の道を選択してつき進んでいく。誰かを助けて誰かを見殺しにし、誰かの声を聞いては誰かの声を無視する。動かされるキャラクター、複数のプレイヤー、リアルタイムで追いかける観戦者、混乱したポリフォニーから、やがて一つの主題が自然に出来上がってくるのか、それともプレイヤー達が創作者の意地をかけて作り上げるのかも、不確定だ。
 終わってしまえば過去のものとなり、語られなかったことは知るすべもない。だが私は意味なく死んでいく悲鳴を聞いた。プレイヤー達の動揺と、躊躇う姿を見る。生き生きとした魅力と、限りない期待と興奮、大きな手のひらで受け止めてもらえるような安心感を、もう一度物語りに見つけるだろう。
 だからこそ、早く終わってほしい。
 完結してから、読み終わりたくない! とじりじりしながら読むのが好きなのだ。

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2013.06.22

「レッドドラゴン」のレビュー

銀

レッドドラゴンの油絵

5人のキャラクターと2つのダイスを、見て楽しむ

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

「たまに、絵の見方のコツを教えて下さい、と訊いてくる人がいるんですけど、そんなのは私だって知らないですよ」
 その話を聞いたのは、日本美術史の授業だったか、あるいは西洋美術史だったか、または東洋美術史だったか。授業名も授業内容も、もはや記憶が曖昧だけれど、少し授業の話から脱線したその話だけはよく覚えている。
 教授は苦笑を浮かべながら、その話をした。
「絵に見方があるとするなら、まず絵の全体を隅から隅まで見ることです。私でも、初めて見る絵ではそうします。それしかないです」
 シンプルな言葉だったので、記憶に残っているのだと思う。

 今から丁度一年前の2012年6月。立川市のオリオン書房で、しまどりるさんの描いたレッドドラゴンの油絵が飾られていると聞き、仕事帰りに立ち寄ってみた。エスカレータを上って書店に到着し、右手に曲がると、すぐ正面にその絵が見えてきた。
 F50号という、縦1メートルにもなる大きなサイズに描かれた絵は、離れていてもキャラクターの存在感をありありと感じさせる。描かれているのは、右上に禍グラバ、左上にエィハ、中央右に忌ブキ、中央左に婁、そして下段中央にスアローが描かれていた。
 私は絵のことがよくわからない。それでも、大学時代に聞いた教授の話通り、絵の隅から隅まで視線を向けると、わからないなりに、楽しめる部分が見つかっていく。

 エィハと婁が描かれる画面左は、赤と黒の色が大胆に使われていて、生命の暗い部分を示しているようで、キャラの背景としてしっくりくる色合いに思えた。右上で空を飛ぶように両手を広げた禍グラバの背後には、うっすらと緑がかった灰色の空が広がっていて、素性不明の怪人のような雰囲気が演出されていた。忌ブキは画面中央のあたりへ視線を向けつつ、口元には柔らかい笑みを浮かべ、身をひねるような胴の動きを示している。笑みも動きも、5人のなかでもっとも大きく描かれていて、革命という物語を背負うキャラクターらしい活力が満ちている。(あと個人的には、レッドドラゴン関連のすべてのイラストのなかで、あの忌ブキが一番可愛い表情であると思う)そして中央のスアローは、他の4人よりも大きく描かれ、片手剣を構えてまっすぐに前を見据えて立っている。何かを守っているようにも見えるし、何かに立ち向かうところにも見える。スアローの横、画面の左下には、キャラクターと物語の運命を左右する2つの赤いダイスが、目立つように配置されている。

 5人のキャラクターと2つのダイス。

『レッドドラゴン』という作品の重要な構成要素が、そこには描かれていた。私はそれをじっと見つめているうちに、とりとめもなく、いろんなことを考えたり、この絵の楽しみをいくらでも思いつくことができた。
 婁の背後にある黒いものは、山の巨人の影なのではないか。絵の下部の背景が、羊皮紙のような色合いなのは、TRPGのゲームテーブルをイメージしている気がする。禍グラバの緑がかった灰色のイメージは、ブリキの玩具のような触感が伝わってくる。などなど……。挙げていけばキリがない。

 絵の隅から隅までを見て、それからその絵について考える。それを実践してみると、自分なりの絵の楽しみ方のようなものが見えてくる。
 しまどりるさんの絵は、キャラクターや世界観の感触がとてもよく描かれていて、いくらでも楽しみ方を見つけられた。

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2013.06.22

「レッドドラゴン」のレビュー

銀

レッドドラゴン

その熱こそが、……

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

『Fate』の奈須きのこ。
『魔法少女まどかマギカ』の虚淵玄。
『バッカーノ!』の成田良悟。
『ミミズクと夜の王』の紅玉いづき。
 この中に貴方が好きな作家が一人でもいるなら、私は自信をもってこの本を貴方に薦めることができる。
 なぜなら、「レッドドラゴン」という物語には、この4人の作家の創作表現を支える、資質や世界観が色濃く映し出されていて、互いの世界観の強度を試すかのように、激しくぶつかり合っているからだ。

 4人の作家の世界観を、私の言葉で簡潔に説明してみよう。

【奈須きのこ】特殊な力をもった主人公が登場するが、その力の使い方と、自身の在り方は、徹底して「他者」の存在を前提に描かれる。主人公が自分のために力を使うことはほぼない。

【虚淵玄】主人公は圧倒的な力を持っていることが多いが、その力の使い方と、自身の在り方は、「自分の持つ力は、どのように扱われるのが最も相応しいか?」という問いと、その答えに支えられている。

【成田良悟】視点の置き方に特徴がある。長年生きた不死者の視点や、複雑な事件を鳥瞰する観測者のような存在を描く。ある種の超越的な視点を設定することで、様々な価値観を錯綜させ転倒させる。

【紅玉いづき】命を賭けてでも手に入れたいものについての寓話が多い。その対象は愛であったり、記憶であったり、信頼であったりする。それは、「自分の命の使い道」について深く模索するような物語の形をとる。

 どうだろうか。一読してわかることは、奈須きのこと虚淵玄の世界観の対立、などがあると思う。実際に、「レッドドラゴン」では2人は互いのキャラクターを通して、その世界観を激しくぶつけあっている。
 3巻で描かれた、野営地でのスアロー(奈須きのこ)と婁(虚淵玄)の会話が特に顕著で、ここではお互いに、「力の使い方と、その目的」について言葉を戦わせている。
 世界観の対立は、奈須きのこと虚淵玄だけの問題ではない。エィハ(紅玉いづき)や禍グラバ(成田良悟)についても同じだ。戦争を回避したいと願う者がいる傍らで、戦争によって富を築いた者がいる。はかない命を嘆き守りたいと強く思う者の傍に、他者のために自分の命を捨てることに躊躇しないような者がいる。
 固有の世界観を持ち、それを言葉で十全に表現できる者同士がいて、彼らが一つの物語に入り込んだとしたら、異なる世界観同士が摩擦を生むのは明らかだ。
 その摩擦によって生まれる熱こそが、この作品の魅力だ。

 そして実際に、4巻でこの物語は、それぞれの作家たちの世界観を背負ったキャラクターたちの様々な行動と決断によって、大きな熱を呼ぶこととなる。

 赤の竜の襲来だ。

 物語の中で、赤の竜は大きな破壊をもたらすのだが、それはキャラクターの行動次第では止めることもできたはずだった。
 だが、キャラクターたちがその身に背負う世界観に忠実に動いた結果、赤の竜は誰に阻まれることなく破壊の限りを尽くすこととなった。
 物語を読みながら、私には、まるで4人の作家たちの世界観が起こした摩擦熱が、赤の竜を呼び寄せたように思えて仕方なかった。
 4巻の物語で、赤の竜は討伐されなかった。
 物語の中で、熱はまだうねっている。

 そして、ここまで敢えて触れなかったが、この物語にはもう一人のプレイヤーがいる。商業出版作品を持たない漫画家である、しまどりるが残っている。私は彼(彼女?)についてはよく知らない。先ほど挙げた4人の作家に比べ、その世界観がどのようなものであるのか、判断する材料は非常に少ない。
 しかし、「レッドドラゴン」における役割は、これは私なりに考えているものがある。
 しまどりる演じるキャラクター、「忌ブキ」が背負う物語が「革命」であるように、しまどりるが「レッドドラゴン」で担う役割は「革命」だ。
 すでに確固たる世界観を持った4人の作家たちに対して、新たな価値観をもって切り込み、対峙する革命者。
 忌ブキは、作中である人物に「この島の人々は、『生きている』って言えるのかな?」と問いかけている。この問いは、忌ブキに対峙するほかの4人のキャラクターに対しても、同じように向けられているように、私は感じる。
「自身の世界観を守るだけのキャラクターは、『生きている』って言えるのかな?」
 忌ブキは、そんなメッセージをほかの4人のキャラクターへ問いかけている。

 4つの確固たる世界観と、1つの革命。
 5つの要素がぶつかり合い絡み合い、摩擦が起こって熱が生まれる。
 その熱は、形をもって読者の前に現れる。

 その熱こそが、赤の竜であり、「レッドドラゴン」そのものである。

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2013.06.11

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

色校正紙

粋なファンサービス

レビュアー:牛島 AdeptAdept

 手元に一枚の紙がある。『レッドドラゴン』の第四夜にて〈赤の竜〉が現れ、咆哮するシーンのイラストだ。イラストレーター・しまどりる氏のサインも入っている。

 これは五月、徳島はマチ★アソビのレッドドラゴントークショーにて、イベント参加者全員に配布された「サイン入り色校正紙」だ。
 いろこうせいし。聞き慣れない言葉だ。いわゆる「印刷物の発色」を確かめるための試し刷りで作られるものだ。パソコンの画面などと実際の印刷とでは微妙に色合いが異なっているため、そのチェックと微調整のために刷られるのだという。普通はそのまま捨てられるそれらをこうして配るというのも粋な話だ。チェックのための試し刷りとはいえ紙の質は星海社FICTIONSと変わらないし、なにせ作家のサイン入りなのだ。嬉しくないはずがない。ましてやこれを再利用だなんて言うのは、無粋の極みだろう。
 実際、これが配られた直後のufotableシネマは「ウルリーカさんの水着! ウルリーカさん水着回きた!」「シメオン団長だった!」「俺のは地図だった! 逆にレアだ!」なんて声があちこちから聞こえてすごい光景だったのだ――が、それはさておき。
 最前線をチェックしていると定期的にこの「サイン入り色校正紙」の情報が出てくる。イベント等にはなかなか行けないという方も、是非この粋なプレゼントに応募してみてはいかがだろう。

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2013.06.11

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

3夜連続読破ッ!

レビュアー:桃埜

3夜連続読破あああああああ!!
目が釣り針に引っかかった魚みたいに止まらない・・・。

RPF・・・最高のフィクションを、一流のクリエイター達で作り上げる・・・!

 そうか、こんな読み物今までなかった。

そう思わせてくれるのが「レッドドラゴンの魅力」ですねー。


最初は好きな小説家さんを追っていたら見つかったのが最前線で、ばっと目に入ったのがレッドドラゴンでした。
しまどりるさんの絵だともすぐ分かり、なんともなしにポチリ。

 おおっ、なんか好きな空気。RPG系のゲーム始める前みたいな気分!

そこで、第一夜を見てみると。

 これ・・・わくわくぞくぞくするやつだ・・・!

一瞬で画面の中に吸い込まれるようになり、マウスを離さない(笑)
いつも小説を読むスピードよりも断然に早く、そして内容がすらすらと出てくる・・・・!
イメージの絵があるおかげで頭の中はまるでその世界を自分の目で見ているかのように進むんです!!

TRPGは何度かプレイしているところ見たことがあったので親しみやすいし、何よりみなさんが楽しそうだったり、絶望したり、騙し合いをしたり・・・。
クリエイターさん達の「顔」が垣間見えるものだと思いますよ。


物に恋する男。
物に好かれない男。

つながっているから分かること。
つながっていなくても分かること。

体がなくなっても愛し続けてくれていること。
いなくなってから大切だと思ったこと。

彼らはただの冒険をしてるんじゃない。
ヒーローになるわけでもない。
もてはやされたいわけじゃない。

自分の正しい道のために、今を生きて、今を進もうとしている。

さて、後半4~6夜まで楽しみで仕方がない・・・!!

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2013.04.30

「レッドドラゴン」のレビュー

銀

レッドドラゴン

豪華すぎるプレイヤーとステージ。

レビュアー:尾根。

このRPFを読むきっかけとなったのは成田良悟先生の『バッカーノ!』の最新作の後書きで、レッドドラゴンの名前を見つけたことから始まります。

――ん?レッドドラゴンの『ゲームプレイヤーとして参加』ってどゆこと?
作家さんなのに執筆で参加じゃないの??

珍しい!

俄然「レッドドラゴン」というゲームに興味が湧き、「よし、やってみよう!」と意気込んで辿り着いた公式ページ。
(※この時点ではMMORPGだとばかり思ってた)

あ。絵が綺麗!背景や小道具の描写が細かく描かれていて雰囲気出てる~
あ!CMも作ってあって凄いなぁ~、ってコレ皆さんどこかで見たことある名前ばかり…!!
そしてMMORPGじゃない、だと!?(やっと気づいた)

RPFという名前は初めて見たのですが、
それぞれのプレイヤーやフィクションマスターの会話式という、普段見慣れてない形式だったのでビックリしました。

最初からかなり際どい選択が現れたり、「これ、虚淵先生だったらどう回避したんだろ」とか後から冷静になって思い返したり。

成田先生がプレイヤーとして導入した時の奈須先生の発言も、普段の距離感が出ていて笑ってしまいました。

この話のすごく面白いところは「全員が主人公」なんですよね。
普通のお話なら主人公を軸としてストーリーが進むので他のキャラはどうあがいても主人公以上にはなれない。
主人公が置いてけぼりな進め方は出来ないわけですが、
この「レッドドラゴン」では5人がそれぞれ目的があるので最終到達のポイントがそれぞれ違います。
そしてリアルタイムに話が創作され、進んでいくので「いつ誰の策略で誰かが犠牲になっても可笑しくない」という不安(という名の期待)もあり、展開が全く読めません。
特に虚淵先生の行動とか(笑)

戦闘シーンの描写は音楽と挿絵も交えて凄く臨場感満載でした。

まだ完結してないので次回の更新が気になって辛いのと、『まだ続きが読める!』という楽しみで待ち遠しいです。

それぞれがどんな選択をし、キャラたちがどうなるのか早く読みたいです!

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2013.04.30

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

『レッドドラゴン』

Webの片隅で愛を叫んでみた。

レビュアー:ユキムラ AdeptAdept

 すみませんが、流石にもう辛抱ならんので叫ばせてください。


   成田さーん、ちょー待ってたー!!


 ……ふぅ、ちょっとスッキリ。
 ぶっちゃけ、『レッドドラゴン』の更新の度に、出てくるのを待ち構えてたっちゃ。
そいで、何回も肩透かしをくらって。
恋する乙女並みに、待ち焦がれておったんですよー。


 私は、成田さんが好きだ。
 成田良悟という作家の調べる物語が好き。
『バッカーノ!』の馬鹿騒ぎに心躍らせ、『バウワウ!』みたいな復讐の狂宴に価値観を蹂躙される。
 成田良悟という作家が奏でるキャラクターが好き。
純粋な暴力に支配されているのにいいヒトな平和島静雄にきゅんきゅんして、数百年越し粘着質なフェルメートにニヤニヤする。
 成田さんが想像したモノに惹きつけられる。

 だから。
なんかもう、『レッドドラゴン』は鉄板すぐる。
出会う前から立ってるフラグ。
【成田良悟】がキャラクターの一人として紡いでゆく物語。
他の人との共演して作り上げるストーリーでありながら、同時に、成田節全開がすでに約束されているキャラ設定。

 今まで【成田良悟】を素通りできなかった私が、読まずにいられるワケがない!

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2012.06.08

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

感想

レビュアー:雪ノ下 NoviceNovice

レッドドラゴンを読んでの感想は
やはり、自分も遊びたいに尽きる。

キャラクターを作って、あの世界で
動かしてみたい。

キャラクターを作るなら、前衛で戦う
ファイター系のキャラクターを遊びたい。

武器も使うが、素手でも戦える
キャラクターを作ってみたい。

セッションに出てくるような、特殊能力を持つキャラクターにも憧れますが彼等を敵に回したくはないです。

もしも遭遇して、戦闘になろうものならば
100%自分のキャラクターが負けるのが幻視できるので。

遊ぶなら、自分のキャラは子や孫に看取られて老衰で終わるようなハッピーエンド
を迎えさせたいです。

なんか、セッションの人達は本当に超人過ぎだと思いますくわばら、くわばら。

そして祝リプレイ刊行決定、やはり本になるのはありがたいです。

電子書籍見れるようなツールを持っていないと言うのもありますが、活字の本の方が
楽だと思います。

この調子で、いつかはユーザーも遊べるように
ルールブックも本として出して欲しいです。

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2012.06.08

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

『レッドドラゴン』

可能性の最果てに、

レビュアー:ユキムラ AdeptAdept

 大型連休を費やして、『死神と少女』という乙女ゲームをプレイした。
幻想に包まれ 甘い隠し味を盛大にまぶされた、少女と死神たちの美しくも儚い物語だった。
特に、【兄】である遠野十夜のさいご――【黒の章】における死神の死に、私はこの上無く嘆き悲しんだ。
 それは、私が【兄】という存在に特別な感情を抱いているからなのかもしれない。
 かつて存在したとされる、私の兄。
 その命と触れ合った記憶も記録も事実でさえも、私には残されていないけれど。
それでも私は【兄】という存在に心惹かれ、同時に、この上無く憬れた。
『死神と少女』における【兄】は――その祈りの死と終末は、まさしく、私の心を打ったのだ。
 自らが選択したことで辿り着いた物語の果て。それは、小説とは少し違った味と雰囲気を醸し出している。

 ――嗚呼、そうだ。
 私は物語を読むように、ゲームをするのが好きなのだ。
 私は物語を読むような、ゲームが好きなのだ。

 だから本当は、『レッドドラゴン』の更新がつらい。
 物語が進むごとに、読むことのできない物語が上積みされてゆく。
この、赤き竜を廻る狂騒の物語は、私の手元には無いゲームだから。
過去をめくり戻って、やり直すことは赦されない。
 そのことが、どうしようもなく つらいのだ。切ないのだ。
私の知らない物語。知らずに通り過ぎてしまった物語たち。
それは阿ギトの死亡シナリオだったり、ハイガでの戦争だったりする。
 私もプレイしたいとは言わない。ただ、通り過ぎていった可能性を拾っていきたいだけなのだ。
もしこうなっていた場合、プレーヤー達はどう動いたのか… そんなifを集めてゆきたいだけなのだ。

 ああ、分かっているさ 分かってる。
そんな願いもまた我侭だと。
これはTRPGという形式。私の望みは叶えられぬ定めの、高望みに過ぎない。
 それでも――

 読みたかった。読んでみたかったのだ。

 あらゆる可能性たちに目を向けたとき、私はTRPGという形式がこの上無く憎たらしくなる。
だが、その想いの重さに比例して、『レッドドラゴン』が愛しいのだ。

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2012.05.18

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

『レッドドラゴン』

a blind spot

レビュアー:ラム、ユキムラ

人形浄瑠璃は、三味線が伴奏をし、太夫が義太夫節を語り、黒子が操り人形に息吹を与えて紡ぐ伝統芸能。太夫の語る詞章はセリフや仕種・描写も含むから、【歌う】ではなく【語る】という。
そして、人形は黒子三人で動かしている。

『レッドドラゴン』もまた、この芸術と同じような共同作業である。
RPFには音楽があり、FMは太夫のような役割を担う。プレイヤーも語りはするけど、どちらかと言えば人形を動かしている黒子だ。見えているけどいない存在。否、いるけど見えない存在という方が正しい。人形が一人で勝手に動くワケがない。人間が動かしている それは当たり前のこと。
けれど、人形浄瑠璃を楽しむ為に、上演中は見えないことになっている。
主役は人形。
人間の目も便利なもので、演目に集中すると黒子なんて視界から消えてしまう。見えてはいるのだろうけど、意識しないと、いなくなる。
そして、観客に自らの存在を意識させないことが優れた黒子の素質のひとつなのだろう。


FMの三田誠さんは、たくさんのキャラを演じている。
メイドのメリル、妖剣・七殺天凌、急拵えの栄さん、忌ブキの幼なじみ真シロちゃん、ほか多数。
FMからそのキャラに移ると、三田誠はすぐに見えなくなる。FMは他のプレイヤーよりも余程、素をさらしているハズなのに。
奈須さんとの掛け合い、虚淵さんとの掛け合い......オッサンから幼女、果ては竜や剣、三田さんの演じる存在は老若男女に収まらない。
ストーリー進行を司るFMの三田さんは、太夫に近いポジションでありながら、それと同時に優れた黒子でもあるのだと思う。
スアローとメリルとの掛け合いを、いい年した(であろう)男性二人の声で再生してごらんよ。



……………(イメージ再生中)……………………メリルぅぅぅ!!!!!



ねぇねぇ、マジでイメージぶっこわれない? 今イメージしちゃった自分を責めて後悔してるでしょ? メリルだけじゃなく、真シロちゃんもさ。
それくらいに、しまどりるさんのイラストに違和感ないキャラを三田さんは演じられるのだ。

舞台で、黒子ばかり凝視するような無粋な真似をしてはいけない。
『レッドドラゴン』でも、貴方の楽しみを邪魔したくない……のだけどでも、読後に少し思い返してみてほしい。
「貴方には、そこにいる三田誠が見えていましたか?」

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2012.05.18

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

久しぶりに出会う、見えない著者

レビュアー:横浜県 AdeptAdept

初めてTRPGに出会ったのは『風の聖痕RPG』だった。
同名のライトノベルが題材で、リプレイ本も発売された。
そもそもTRPGとは、複数人が会話形式でゲームを進めていく遊戯だ。
そこに用意されたシナリオはなく、筋書きは即興で生み出される。
またリプレイとは、ゲーム中に交わされた会話を脚本風に編集したものだ。
私は『風の聖痕RPG』のリプレイを読みながら、その場で物語が紡がれていく臨場感に興奮したのを覚えている。
著者の欄には「三輪清宗」とあり、あとがきでは彼のリプレイ処女作であることが記されていた。関係者への謝辞など、随所には初々しさが見受けられて、なぜか「初めて読むリプレイには丁度よかったのかしら」なんて一方的な親近感を抱いた。

『風の聖痕RPG』以来、私はTRPGのリプレイを読むようになった。
著者の作り上げたセッションが、私をTRPGの世界へと引き込んだのだ。
あれから4年半が経過したいま、私は再び彼の携わる作品に出会った。
星海社の『レッドドラゴン』である。
ルールシステムの担当が「三田誠ならびにTRPG界にこの人ありと謳われる三輪清宗、小太刀右京」の3人とされている。
驚いたものだ。初な言葉で処女作上梓について語っていたあの著者がだ。いつのまにやら「TRPG界にこの人あり」と呼ばれているだなんて。
どうやら実際には、TRPGの黎明期を当事者として体験していた方らしい。第一線で活躍されるまでになるのも納得である。

さて『レッドドラゴン』の公開が待ち遠しくてたまらなくなった私は、やがて1つの間違いに気がついた。
あくまで彼は『レッドドラゴン』のゲームデザイナーである。ゲームの進行役でもない。だから公開されたリプレイを読んだところで、私は彼の姿を作品の中に確認できるはずがなかったのだ!
特に本作のプレイヤーには名だたるクリエイターが並んでいる。そのためゲームより物語の側面が強調され、「RPF(ロールプレイングフィクション)」という造語でもってジャンル分けされていた。
なおさら姿が見えないわけである。

「残念だなぁ」と嘆きつつ、彼のTwitterを眺めてみる。
そこで私は、新たに1つの間違いに気がついた。
ツイートには本作に対しての熱い言葉が並んでいた。例えばこう書かれている。
「ゲームデザイナーとしては、『レッドドラゴン』は先人への感謝の想いと、これから来る後進へのバトンとして作りました。あくまでも作品としては物語が主であり、システムは従ですが、ゲームデザイナーとしてはそんな気持ちで作ったのです」
作品に彼の姿が見えない、私はただそのことに囚われていた。
でもたとい見えなくなって、彼は確かに『レッドドラゴン』へ想いを注ぎ込んでいるのだ。私はそれを感じとるべきだった。
また彼は「今まで見てきたTRPGの歴史」を本作に詰め込んだのだという。
ならば目の前で紡がれているこの物語が、今この形でここにあることは、彼のノウハウが注ぎ込まれたことによって成されているのではないのか。
彼のような裏方がいなければ、『レッドドラゴン』は成り立っていない。それを失念していた。

そう思って作品を見つめ直してみる。
確かに彼の姿は見えない。まるで見えてこない。
そこではセッションが滞りなく進み、自然と物語が生まれていく。
読者はただ、文字におこされた会話にのみ集中をする。
ゲームデザイナーの影がチラつくこともない。裏方の存在に思いを馳せるべくもない。
でも私たちがそうやって物語に没入できるのは、ゲームデザイナーの仕事が申し分ないからではないか。
緻密で決して揺るがず、されど柔軟なゲームシステムを、彼らが作り上げたからではないか。
ゆえにゲームは盤石な土台の上で行われ、私たちはその基礎に意識を向けることなく、物語だけを見つめることができるのだ。
『レッドドラゴン』において、裏方の姿は決して見えてこない。
だが見えないからこそ、むしろ見えてくる仕事ぶりがある。
かつて私をTRPGの世界に引きずり込んだ三輪清宗の姿が、あのときより大きく、力強く浮かび上がってくる。
セッションが何事もなく進行し続ける今、だから私はとても嬉しい。

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2012.05.18

「レッドドラゴン」のレビュー

銀

レッドドラゴン(十六幕まで)

俺にはもうエィハしか見えない

レビュアー:よ・よ・よ InitiateInitiate

 友人と同じ企業から内定を頂き、同じように内定承諾書を出さず、酒を飲んだ。
 働きたくないだの、社会不適合者でもなれる職業ってあんのかよとか、くだらない妄想と現実逃避を肴にしながら話した結果、TRPGに手を出そうということになった。何を言っているのか解らないだろうが、自分にもよく解らないことを説明しろというほうが野暮というもの。つまり面白いことがしたいということだ。

 そこで勉強のための『レッドドラゴン』。これを読んで、最初に思い浮かんだのが戯曲だった。たまたま先月はシェイクスピアやら、ゴーゴリやらを読んでいたから、会話文だけの文章を読んでいても苦ではなかった。余談だが、三島由紀夫は『文章読本』の中でこう言っている。「いったん戯曲を読むことに親しんだら、その面白さは小説以上であります」と。なぜなら、会話文だけが続くので、会話だけで人間関係の機微が描かれることになる戯曲の方が読み手にスキルを要求するから、らしい。その点、TRPGに馴染みのない私はプレイヤーの楽しげな雰囲気を感じた。ライト戯曲的な新しいジャンルじゃないか? (笑)とかついてるし、背景だって格好良いし、何か壮大な音楽が流れているし。
 同時に新しい電子書籍の形としても魅力的だと思った。出来たら音楽ファイル付きで電子化して欲しい。着信音にしたいからという超個人的な理由で。まあ、そもそも技術的に可能なのか解らないし、著作権の問題とかで難しいとは思う。全作セットでサウンドトラック付きとかで発売するのとかでもいいけど。もう一つ付け加えると、この世界観で遊べる仲間が欲しいかな。これは友達が少ない弊害。

 長くなったが、絶対に書いておきたいことがある。ここから先は、俺の俺による俺のための情念に満ちたエゴイスティックな文章なので、読みたくない方は辞めておいた方がいい。軽いネタバレも含まれているし。
 俺は断然エィハ萌えだ。可哀想だろうが! なんであんな可愛い奴が唾かけられたり、十六歳まで生きられないとか宿命付けられてるんだよ! ふざけんな! 会話の一言一言が短めで、なんとなく達観した雰囲気とか出てるし! まだ十才だぜ? 正気かよ? ロリコンだよ。俺が十才の頃なんて何にも考えてなかったボンクラウスノロ野郎だったのに。とにかく紅玉いづき氏には命を賭して頑張って頂きたい。勝負に勝てなくてもいいとか言うのが大嫌いだけど、とにかく無事に旅を終えて欲しい。本来有り得ないほど、胸が苦しくなるぐらい、恋と呼んでも差し支えない程度には、エィハの無事を祈っている。

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2012.05.18

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

五人五色

レビュアー:牛島,横浜県,zonby,ユキムラ,ラム

【虚淵玄as婁震戒】

 TRPGの鉄則として、まずプレイヤーは世界観を尊ばねばならない。その点はこのRPF「レッドドラゴン」でも同じだろう。
 その中でこの男・虚淵玄は惚れ惚れするほど自由に婁震戒というキャラクターを操り、ニル・カムイの中を暗躍する。
 熟練者ゆえのそのスタイルには有志から「虚淵さんのプレイはお手本には危険すぎない?」というツッコミが入るほどである。確かに表面だけを見ればそう取られかねないだろう。セッションとはこうも自由にルールの裏側を突いていくものなのか、と。

 だがしかし。私は虚淵玄は何も間違っていないと思っている。彼のプレイは八爪会の暗殺者・婁として、FMの世界観から一切逸脱していないからだ。そうした見えない配慮、ギリギリの見極めがあり、何より世界観に完全に入り込んでいるからこそ彼のプレイはあんなにもカッコイイのだ。

 あなたが真に虚淵玄のプレイに憧れるならば――その心意気こそを己のものとしなければならない。


【奈須きのこasスアロー・クラツヴァーリ】

奈須きのこは無能か? 天然か? クズか?
もちろん違う。
では、スアロー・クラツヴァーリは?
従者のメリルにお金も生活も任せっきり。発言も天然ボケ丸出しである。
自然体で演じる虚淵玄、キャラと共に悩み戸惑う紅玉いづきとしまどりる。他の作家がキャラと一体化しつつあるなか、奈須とスアローの両極端な性格は目立って見える。
実際に第7幕では「奈須きのこはともかく、スアローは」不穏な空気に「まったく気づかない」とある。彼らの異なりようと、スアローの能天気ぶりが窺える。
まったくの別人とさえ思えるド天然スアローであるが、これから奈須はどう即興で動かしていけるのか。
またそんなスアローの言動に、奈須らしさをいかにして盛り込めるのか。
他の作家には用意されないだろう腕の見せ所である。
先の長い物語だ。しっかりと注目したい。


【紅玉いづきasエィハ(withヴァル)】

『グロじゃないです! 気持ち悪いのが可愛いんです、ここは譲りません!』
この台詞はレッドドラゴン。第一夜において、エィハが自らの片割れであり、自分と繋がった異形の魔物・ヴァルについて、熱く語った一文である。
これに両手を上げて賛同し、そこまで言い切ったエィハに感涙したのが私である。
誰が何と言おうとヴァルは可愛い!
小さく華奢なエィハとは対照的に、巨大でグロテスクに描かれているヴァル。けれど、仕草はエィハと連動していて、ことりと首をかしげたり、ぺたりと耳を動かしたりする。目の包帯のところには、花もちゃんと描かれている。
ヴァルが異形であるだけ、その仕草が堪らなく可愛く感じられる。
物語を刻むメイン六名の動向は実に見ものだ。けれどそれに加え、メインプレイヤーのいない、けれど各人の決断に運命を左右されるヴァルのような存在も、私にとってはとても興味深い物語の要素なのである。


【しまどりるas忌ブキ】

 忌ブキの妹、気になっています。まだ幼いけれど、それでも れっきとした小さな『女』。
 忌ブキと同じ出生を抱えた彼女は、如何な人生を歩んでいるのか。そして、忌ブキと再会するのはいつか。一体どんな状況下でか。
 死人が還る島を司り続けたとされる皇統種末裔の双子の片翼。
 昏い感情に囚われて赤き竜と共に一行の障害に回ってもいいし、第四勢力の傀儡に成り下がっていても素敵。
 どんな形であるにしても――未登場妹の行方と、再会時の忌ブキの態度に期待しすぎて、萌えずにはいられないのです。


【成田良悟as禍グラバ・雷鳳・グラムシュタール】

禍グラバ・雷鳳・グラムシュタール。
独立自治権を持つという不死商人。出番はまだだが、不意に明かされる設定に飛び跳ねそうになる。
不死、といえば成田のデビュー作に通じるテーマだからだ。
錬金術師たちが悪魔を呼び出して造った不死の酒を巡る群像劇「バッカーノ!」
レッドドラゴンでは、五行躰という機械の体を宝術で取り替えて生きながらえるらしい。
狂った竜を殺すというテーマを負ったレッドドラゴンに、不死はどう関わってくるのか。
三つの国の名を持つと自称しながら、どこにも属さない禍グラバ・雷鳳・グラムシュタール。それはとっても成田らしく、どこへでも羽ばたいていけそうだ。


【三田誠asフィクションマスター】

三田先生が随所に仕込む「物語の真っ当さ」がとても好きです。だからこそFMを担当されると聞いて、とても期待しました。これからも読者をわくわくさせてください!from★牛島
作家であれゲームデザイナーであれ「三田誠は三田誠だ」と、そう作品から感じさせてほしいです。from★横浜県
尚一層きわどく!更に複雑な選択肢で! プレイヤーをFMの掌でコロコロ転がし、良い意味でお互いに裏切られて欲しいです。from★zonby
三田節、毎回毎回 各プレーヤーさん達へと同じぐらいの期待を向けてます。from★ユキムラ
FMはいろいろなキャラを演じているので、大変そうだけど一番楽しいのではないかと疑っております。from★ラム

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2012.04.23

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

作家萌え

レビュアー:ラム AdeptAdept

僕が好きな作家?
たくさんいるよ。
そうだね、だいたい好きな作品を作った人だから好きになるんだけど、たまにあとがきやエッセイかなんか、作品に対する思いや趣味について語る姿に好感を覚えて好きになるね。
僕にとって作家はアイドルと同じなんだ。
何かを可愛いと思うことを、この国では萌えって言うんだろう?
性別なんて関係あるもんか!
僕もアイザック・アシモフに萌える日がくるなんて想像もしてなかった!
おっと、レッドドラゴンの話だったね。
レッドドラゴンには何人かの作家が登場するんだ。
もちろん僕の好きな作家ばかりさ。
なかなか個性的なメンバーが集まっててね、僕はゲームがあまり得意じゃないんだけど、レッドドラゴンはいつ誰に萌えるか分からないから目が離せない。
読み進んでいけば、いずれこのゲームにも詳しくなるはずだし、彼らの内面にも深く触れてもっと好きになっていくと思うよ。
他の人はどう思ってるか知らないけどね。
僕はTRPGを知らなくても十分エンジョイしてる。あぁ当然さ!
フィクションの世界ももちろん楽しいけど、それを作れるのは生きた人間だけだ。これほど愛すべき存在は他にないよ!

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2012.04.23

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

成田無双

レビュアー:ラム AdeptAdept

遅れて登場するのはヒーローか、ラスボスか、あと何だ。
……成田だよ成田成田がまだ出てないのよ。
キャラはなんとなく登場したけど、成田本人が。
いや、キャラの話題だけでも成田らしさ全開で良かったけど。
でも婁@虚淵さんにいちいち反応する奈須さんが可愛くて面白くて
可愛くて、成田も早く出ておいでーって思う僕悪くない。

キャラとプレイヤーが同時に存在する二重構造が楽しすぎて! テンション上がるー。

喋るように書くとは言うけど、奈須さんてば竹箒日記そのままやん?
キャラにブレない虚淵さん。
躊躇いなくがぶがぶしているようで、じつはおびえている紅玉いづきさん等。

物語や登場人物の後ろに作者を感じることはあるけど、レッドドラゴンはホンマにおるねんもんなー。

遅参を一番悔いているのは、多分本人だろうから成田を責める心算はない。
成田が楽しいなら万事オッケー☆

でもそれとこれとは話は別だ。
早く、更新、しよ?

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2012.04.23

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

面白い・・・だからこそ

レビュアー:独眼龍弐世 NoviceNovice

まず、第七幕まで読んだ感想は面白い。ありきたりな言葉だということは自分でも重々承知しています。ですが、第一幕~第七幕まで読んだときこの言葉しか思いつかなかったので率直な感想として述べさせて下さい。
この「レッドドラゴン」の世界は演者(プレイヤー)次第で展開が全くと言ってもいいほどに読めないのです。もしかしたら物語の結末も演者(プレイヤー)次第で大団円で終わるかもしれないし、バッドエンドで終わる可能性もあります。言わば、大まかな道筋こそあれど、ゴールとそこまでに至る道を演者(プレイヤー)の方々がFMと一緒に創っていくという感じです。そして、この作品を読んでいて感じたのは演者(プレイヤー)の方々も楽しんでいること。特に第七幕の婁がニル・カムイについてから栄さんを懐柔する辺りが楽しんでるという雰囲気を感じました。
ただ・・・こうして面白いと感じているのと同時に歯痒さというか寂しさ似たよう何かを感じたのも事実なのです。結局の所、自分は読者であり、第三者でしかないのです。演者(プレイヤー)の方々が楽しそうにしているのをお話として読むことしかできないのです。できることならそこに読者が加わって「レッドドラゴン」の世界を飾っていきたいというのは出過ぎた願いなのでしょうか?

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2012.04.23

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

求めよ、さらば与えられん。

レビュアー:zonby AdeptAdept

それは予期せず。
そして一瞬の出来事だった。
予告はされていた。
けれども私のTV環境では、見ることなどないと思っていた。

CM。
番組の合間に流される、告知や宣伝の役割を持つ映像。

『革命、開幕。』
その言葉と共に、それはあまりに唐突に。
まるでわざと置いてけぼりを食らわせるかのように、明朗な英語で始まる
闘いのリングにあがる選手を呼ぶ時のような、次々とコールされる名前と、画面一杯に広がるキャラクターの映像。
呼ばれたその名前が誰であるのか、一体何のCMであるのか。
それを理解するより早く、「考えるな、感じろ!」とでも言うように画面は次々と切り替わり、≪闘い≫のイメージをちぎりとるように投げつけてくる。
大きく表示される「RED DRAGON(レッドドラゴン)」というタイトル。
映画の予告編を彷彿とさせる音楽のフェードアウトと共に聞こえる「SAIZENSEN」の言葉。
最後にしてやったり、とでも言いたげな涼しげな佇まいで映る青い星を波が横切るような形のロゴマークと、「星海社」の文字。

「なんじゃこりぁああああああ!!こう来たかぁああああああ!!」

…と、事前の予告を知っていた私でさえそう思ったのだから、予告もなしにこのCM見た人は私の数十倍。

「なんじゃこりぁああああああ!!」

と、なり。

「…っていうか星海社ってなんじゃぁああああ!!」

と、なったに違いない。

一夜限りで星海社が行なったロールプレイングフィクション『レッドドラゴン』CM放送。
その事実は、いろいろな意味で新鮮であり、実験的であり、出版社が通常行うアプローチとしてはかなり冒険的なものだったと思う。
一夜限り!
(基本的に)予告なし!
字幕があったとはいえ、日本人が日本で見るTVに英語を使用!
その上、一夜限りで終わらせるにはもったいないくらいのクオリティ!

普通見かける、洗剤の「この洗剤を使うと汚れがこんなに落ちますよ~」。食べ物の「これを食べると体にこんな良いことがありますよ~」。あるいは「こんな危険はあるので気をつけて下さいね~」。
というものすごくわかりやすいメッセージ性が、『レッドドラゴン』のCMにはなかった。
ひたすらになかった。
ただ何か凄いことが始まりそうな予感と、自分は今何か凄いものを見てしまったんじゃないか、という理屈のわからない興奮だけは確実に見た人にぶつけたとは思う。

そう。
『レッドドラゴン』CM放送は、まるで通り魔のようで。かつ暴力的だった。
英語は簡単に理解されることを拒むようであり、次々と移り変わるイメージはボクシングのジャブのように、頭の中をシェイクする。
やっとシェイクされた脳細胞が、CMを理解しようとする頃にはCM自体が終わり。終盤にかけて見え、聞こえた「レッドドラゴン」「最前線」「星海社」という言葉が残響として残像として残る。
今のCMは何のCMだったのか。
何を伝えたかったのか。
何が始まるのか。
それらを差し置いて、最後にえも知れぬ興奮が先に生まれる。

人に理解されるものを作ることは重要だ。
言いたいことがすぐに分かってもらえた方が、両者にとって利点は多い。
しかし星海社が出してきたCMは、明らかに両者にとって利点ばかりが多いとはいえない作りである。
「なんだったんだろう」で済まされるかもしれない。
「わけがわからない」と言われるかもしれない。
けれど、このCMは最後に残る謎の興奮のありかを突き止めようとする者には、惜しまず『レッドドラゴン』への道を示す作りにはなっている。
興奮の源を自ら探求する者にだけ、『レッドドラゴン』に辿り着けるCMという名の扉なのだ。

これからもそんな
「なんじゃこりぁああああああ!!こう来たかぁああああああ!!」
と。
澄まし顔で現れる、ロゴマークと「星海社」の文字に、私は期待しています。

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2012.04.02

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

遊びたいっ!!

レビュアー:雪ノ下 NoviceNovice

自分が『レッドドラゴン』を知ったのは
システムデザイナーを担当されている
小太刀右京先生のブログだった、星海社
を知ったのも同じ経緯だった。

セッションに参加されるメンバーも
スタッフも、TRPGを知る人間なら
おおっと、声を出す豪華メンバーが揃っている。

セッションは文字通りTRPGのセッションを掲載している、webリプレイと呼ばれる形式に見える。

和風の国舞台はニル・カムイであろう島で
大人と子供と魔物の混ざった軍隊の行軍に
ニヤリと笑う。

読んでいて俺は、感じた。

この感覚は、鎖に繋がれた犬が届きそうで届かない所にご馳走を置かれた時の感覚に似ている。

そう、俺もこの世界で遊びたいっ!!

読むのも好きだけれど、もっと深く味わいたいっ!!

自分も世界に入りたいと、思わせられた。

ネットでTRPGを遊ぶPBWでも、TRPGのルールブックでもあるいは両方でも構わないので遊びたいただの読者で終わりたくないと思わせられた作品だった。

キャラクターを作るなら、武装僧侶で
遊びたいです。

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2012.04.02

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

『レッドドラゴン』

次元越えの魔術形式

レビュアー:ラム、ユキムラ

■たこ焼きライス
■「海鮮炒めじゃないんだよ!」
■有機vs人参
■カナダ☆レモン

 正常な日本語に翻訳できるフレーズが上記に多々ある人は注意した方がいい。
貴方はテニミュ――ミュージカル『テニスの王子様』に毒されている。

 ふとした瞬間、テニミュに心奪われ、魅せられる。
 私達はいつの間にか、彼らを一人の人間として認識している。
漫画やアニメ、ゲームとは違う『テニミュ』の越前リョーマや跡部景吾として。
 本来二次元であるはずの彼らの生きる姿、実際に戦う姿を目の当たりにする稀有なる感動。
そして、ミュージカルという特性ゆえに、歌やダンスの中に、キャラではなく役者としての姿が垣間見える。
 でもそれは残念なことではない。
歌やダンスからにじみ出る役者の姿――その生き様は、「もしそのキャラならこう動くだろう」と、役になりきるためにみんなの頑張った証左なのだ。
 そんな頑張りに接して役者ごと好きになって。そして、ますますテニミュを好きになる。


 本当の、
   本当に。

 どうしようもないくらい――魅せられる。


 そんなテニミュのように、初めは作家さんに釣られてレッドドラゴンの世界へと踏み込んだ。
 テニミュと『レッドドラゴン』とは類似したカラクリだ。
 そのキャラを演じるひとがキャラと別物であることを、私達は知っている。
実際はキャラ自身が存在しているのではなく、誰かがキャラを演じているに過ぎないカリソメ//舞台劇であることも。
頭の片隅では真実を理解しながら、フィクションの世界に入り込む。
 入念に作られた音楽が世界観を奏で。
世界の創造主は、冷酷に無慈悲に、キャラに選択を迫る。
さっきまで紅玉さんだったものが対面した苦い選択は、すでにエィハとしての決断だ。
ロー・チェンシーの即断も同じ。
 作家さんがその都度、選択して、その一瞬一瞬を懸命に生きているのは、その世界を生きる者として。
 その息遣いを、確かに感じる。
「この人は、この先どういった選択を突きつけられ、どの道を選ぶのか?」
 キャラの未来を案じ、作家さん達の決断に息を呑む。
それは、現実とフィクションが交じり合った准虚構かつ准現実だからこそ、抱く感覚。
純粋な小説では味わえないし、また、純粋な現実でも持たない、曖昧な境界線。

 ――嗚呼。
 これこそまさに、2.5次元の葛藤。
 二次元ではなく、三次元でもない。
どうしようもなく…コウモリ(ルビはどっちつかず)な、2.5次元。


「2.5次元など…ないっ!!」
 そのように、以前 星海社の某編集長がツイッターでつぶやかれました。

 しかしながら、私達は2.5次元は存在すると思うのです。
確かに、実際に、明瞭に、ここに。

 2.5次元だからこその、この魔力。
そのチカラに魅了されて――レッドドラゴンの世界へと、私達がダウンロードされる。

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2012.03.09

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

開幕

レビュアー:ジョッキ生 KnightKnight

ついに物語が開幕しました。世界観やキャラの立ち位置もより明確になり先の展開が気になります。

早々レッドドラゴンの狂いっぷりには非常に驚いたし、やってくれたな三田さんという感じで面白かったです。

キャラ同士の絡みもありましたね。エィハと忌ブキの出会い。これは主従というより友達に近い関係になっていくのかな?という気がします。スアローとローは国同士が対立してますが意外と気が合いそうな感じで、最後には背中合わせで戦ってそうなイメージが浮かびます。

設定では硬そうないろいろが読んでみるとあっさり入ってきたのには自分でもびっくり。何か難しそうとか、よく分かんない思ってる人もまずは読んでみるといいんじゃないでしょうか。

あとは気になるアンノーン成田さんですが、パーティーの構成上回復役がいなそうなのでそういう役回りかな?と予想。そこで改めて絵を見てみると羽が生えている…。こいつ、フェアリーじゃないよな。まさかまさか…。と、そんな悪夢が過ぎった所で続きを期待しています。

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2012.02.18

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

これから

レビュアー:ラム AdeptAdept

ダンガンロンパの帯だけで終わるはずがないとは思っていました。

そして、
遂にきました成田良悟!
まだ出てないけど\(^o^)/

レッドドラゴン!

豪華作家たちによるロールプレイングフィクション。

フィクションマスターの進行でストーリーが進んでいくテーブルトークのRPG。

そもそもゲームが大好きで、もし○○が〜なら、などのifストーリーを考えるのが大好きな成田に持ってこいなイベントじゃないですか。

しかも、奈須さんや虚淵さんたちと。
Fate熱が高まってエイプリルフールに二次創作公開したり、「Fate/Zero Tribute Arts -死にゆく者への祈り-」では、まだ本人に会ったことがない、と「僕の考えた虚淵さん」を創造したりしていた成田が。
胸が熱くなります。


成田良悟は良くも悪くもライトノベル的なキャラクター小説を書く。記号的かつ特徴的。そんなキャラクターたちが立ち回る群像劇を描くのが上手い。二枚のパズルを一枚の絵に仕上げるような、綺麗な収束を描く群像劇。
登場人物が多く、最終的に百人を超すこともある。
私はその中でもトリッキーな設定で、普通じゃないキャラクターが好き。成田の世界でしか生きられないようなワクワクと驚きを詰め込んだキャラクターが。
そんな通常ならざるキャラクターを生き生きと描く成田が、満を持して、まだ! 登場しない!
しかも名前も説明も???のままで。
イラストを一見しただけで 普通じゃねぇな 感は溢れ出てますけど!!!

レッドドラゴンでは、動かすキャラクターの設定はそれぞれ自分であらかじめ考えるらしい。

プロの作家たちが、全てを注ぐであろうキャラクター。

第一夜の五幕までで、他は出揃った。

残るは成田。

期待しかないのです。

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2012.02.18

「レッドドラゴン」のレビュー

銅

レッドドラゴン

世界を創造する数多の冒険者たち

レビュアー:またれよ NoviceNovice

「うわあああ、音楽鳴ってる……なんか映画っぽい……!」

『レッドドラゴン』のプレイヤーの一人はそう言った。
そこに鳴る音楽。それがプレイヤーを、読者を物語の中へ誘う。新しい未知の世界へと旅立たせる。

映画の開幕、無音から音が鳴り出す時のあの静かな興奮。あるいは新作RPGを初める時。オープニングの音楽から、これから始まる冒険へ想いを馳せるあの高揚感。

音楽が鳴る瞬間に現実は背後に退き、眼前に立ち現れるのはまだ見ぬ世界。そこでは作家たちが物語を紡いでいる。選択の先、決断の末に物語が生み出されていく。読者はそれを追っていく。その先に何が起こるのかを想像する。あるいは選ばれなかった世界を夢見る。

例えば、ただぼんやりとその世界に鳴る音楽を聴いているだけでもいい。目の前にある文字はプレイヤーたちが辿った軌跡である。描かれた物語である。しかしその時、他の場所で他の人物は何をしていたのだろう。あの山の向こうには何があるのだろう。この事件の過去には何があったのだろう。くり返し流れ続ける音楽に身を包まれながら、物語を進めることををすこしばかり止めて、想像の世界に浸る。そんなこともできるかもしれない。

物語を繰り広げ、創造していくプレイヤー。その刺激にあてられて、読む方も何かを創りたくなるのかもしれない。それが読者に様々な想像を許すのか。無数の、あったかもしれない世界。これからありうるかもしれない世界。
音楽が鳴っていることに感動したプレイヤー。音楽が鳴りだしたことに惹きこまれた読者。どちらも同じ事を思う、同じ冒険者であるようだ。

この先にどんな世界が広がっているのだろうか。どんな世界に広げることが出来るだろうか。読むことで、世界は創られていく。

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2012.02.18

「レッドドラゴン」のレビュー

鉄

レッドドラゴンのCM

希なる体験について

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 あまり得る機会のないだろう類の体験について書く。

 2011年12月10日深夜に「fate/zero」の放送枠で流れたCMは、唐突に始まり、説明不足のまま、尻切れトンボのように終わった。
 私が感じたのは、「すごい」とか「意味不明」とか「おもしろそう」とか「つまらなそう」といったものではなく、「この次の瞬間に、なにが起こるのだろう?」という緊張だった。

 例えばその緊張は、上質なストーリーを備えた物語を読む時のそれに少しだけ似ている。しかし、物語で「次の瞬間に、なにが起こるかわからなくてハラハラドキドキする」ことは、それはやはり、「物語」の枠を越えるものではない。それはスポーツだったり、学校の授業でもそうで、どんなに刺激的な出来事も、基本的にはスポーツならスポーツの、授業なら授業の枠を越えでることはない。
 逆に言えば、その枠を越えた時、それが物語であれスポーツであれ授業であれ、他とは比べるべくもない程に刺激的で緊張感のある、今までにない新しい価値と呼んでもおそらく差し支えないような、素晴らしい体験が生まれるだろう。

 だが、あのCMは、そのような事象とも少し違ったように思う。
 これは、リアルタイムで視聴していた時に感じたことではなく、今改めて思い返してみて考えたことだが、そもそもあの時のCMは、なにかの枠を越えたわけではなかった。
 あのCMには、「枠」そのものがなかった。
「枠」がないから、なにが起こるのか想像する手掛かりすらない。
 あの時感じた「この次の瞬間に、なにが起こるのだろう?」という緊張は、言い換えるなら、「この次の瞬間に、なにが起こったとしても不思議ではない」という実感だったのだ。
 なにかが始まる時にだけ、それは起こり得るのかもしれない。
 その瞬間は、もう戻ってこないが、しかしその残滓、あるいはそれが起こした波紋のようなものだけでも、形にして残しておきたいと思い、このレビューを書いた次第。

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2012.01.30


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