ちっす! さやわかです。
二回目の更新も終わって『さやわかの星海社レビュアー騎士団』どういうコーナーなのかご理解いただけましたでしょうか。次回の更新からはジャッジをビシッと厳しい感じでやっていこうかな? と思っておりますので、どうぞ気合いを入れてご投稿ください!
皆さんのレビューを見ていると、傾向がいくつかあります。Twitterのレビュアー騎士団ハッシュタグ
#SywkSRKや、編集部ブログで平林さんが書かれていたのは「文章が長い」というものでしたね(笑)。
たしかに長いのが多い。長文を推奨しているわけじゃないので、短いレビューを送ろうと思っている人が「こんな長文書けないよ!」と思って、送るのをやめてしまうかも。これはコーナー全体にとってゆゆしき問題だ。
それ以外にも、長すぎるレビューは意外と難しい問題をはらんでいる。僕が過去二回の更新でたびたび書いたのは、読者を意識するのが重要ということ。「論理性」も、とどのつまり読者に対する説得性なのだと。ならば、少なからぬ人が読むのをあきらめるようなレビューは、評価にとってマイナスかも。でも今はまだ「愛情」「論理性」「発展性」がどういうものなのか開示が進んでいないこともあるので、将来的に評価されないこともあるレビューにも得点がついていることがあります。
もちろん、長いのは全部ダメだってことでもないですよ。ともあれどんなレビューがいいのかという理想像がちょっとずつ、投稿される皆さんと僕の中で出来上がっていくはずです。
ちなみにここまで推敲して文字を減らしながら書いていて、いま630字である。僕はいつもそんなことを気にしながらレビュアー騎士団の文章を書いている。まあ僕がそうするのは当然ですが。
さて、今日は星海社文庫
『ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編(下)』の話を書くつもりだったのだ。この下巻は全編、主人公の前原圭一が追い詰められて友人たちを惨殺し、自身も死に至るまでの恐ろしい展開が描かれている。上巻の楽しかった部分との落差がすごい。すごいから怖い。これはホラーっぽい作品の王道パターンの一つで、安心して楽しんでいた世界が突然崩壊するので怖いわけである。ここ10年ほどのフィクションは、このような物語の定型性に対して肯定的で、かつ、それをいかに強力に作り上げるか取り組んでいたと僕は思う。『ひぐらしのなく頃に』はその代表だと言ってもいい。いかにも怖いシーンを、怖いシーンだなと思わせながら、本当に怖く描いてしまう。僕が好きなのは圭一が大石と電話中に、窓の外を見てレナを見つけるシーンだ。ちょっと長いけど、省略しながら引用してみよう。
「どうしました? うお、こりゃ急にすごい雷だ。」
「あ、こちらもです…。すみません、どうぞ続けてください…。窓を閉めます。」
電話を続けながら腰を上げ、窓に手をかける。大石さんは話を続けてくれた。
(…)
「初めに事件と申し上げましたが、学校側も被害者も告発してないので、正式には事件ではないのです。……で、ですね、この辺りがどうも関係者の皆さん、口が重いんですよ。(…)もしもし? 前原さん? 聞こえてます?」
窓を閉めるため、俺は受話器を耳に当てたまま窓際に立っていた。……そして、外のそれを見ていた。
門の郵便受けのところにある外灯に、ずっとひとりの人影が立ち尽くしているのが見えた。
(…)
「もしもし? 前原さん? 聞こえてますか? もしもーし……。」大石が話してるんだけど、途中から圭一は聞いていない。大雨の中を不気味に立ち尽くすレナを見ている。受話器からこぼれる声が最後まで残っているけど、カメラのフォーカスは窓の外にある。そういう、いかにもホラーものの映画や何かにありそうなシーンをなぞるために、この小説は大石の台詞を読者に意識して読ませながら、語りかけている相手の圭一は実は聞いていないという簡単なトリックを使っていて、そこがいかにもうまいなあ、と思う。こういう工夫がいっぱいあって、『鬼隠し編』は僕をきっちり楽しませてくれる。
物語の構成だってそうだ。物語の最初で結末が示されるというのもまたよくあるパターンだが、この話もやはり上巻の冒頭で圭一が衝撃的なラストを演じて、以前の穏やかな生活からその破綻に向かう流れが描かれる。竜騎士07はその定型性をきっちりと踏まえて、しかも揺るぎなく構成した。この構成の確かさは気持ちがいい。小説であろうとレビューであろうと、文章を書くならば僕もそうありたいものだ。そんなわけで、ここまでで1900字ってところ。