きみを守るためにぼくは夢をみるIV
若葉のころ
レビュアー:鳩羽 Warrior
葉桜の頃はまばらに、おずおずと生えていた新緑も堂々と陽光をはね返すまでになった五月の盛り、図書室ではあまり見かけない顔が飛び込んできた。<br />「咲良っ! 今日は新入生の発声練習を先輩たちにチェックしてもらう日でしょ! なにぐずぐずしてるの!」<br /> たんぽぽみたいなつんつんと跳ねた髪型をした眼鏡の女子生徒は、棚の側に立ったまま、じっと文庫本に見入っていたもう一人の女子生徒にクロスチョップをくらわせる。<br />「ごめーん、読みたかった本の新刊が入ったって聞いたから、ついこっちに足が向いちゃって~」<br /> そう言って咲良は読んでいた本の表紙を、眼鏡の少女、爽子に向けてみせた。<br /> 雨の夜を描いた繊細な景色の中に、一人の少年が背を向けているイラストの表紙。ぽつんとバス停があり、奥の方に何かのお店らしき建物がある。少年はその店の明かりをじっと見つめているのだろうか、街灯に照らされた雨が銀色の針のように画面いっぱいに降り注いでいる。<br />「えー、なになに。『きみを守るためにぼくは夢をみる』? タイトル長っ。どうせ、君を守るために僕が夢を見る話なんでしょ」<br /> うさんくさそうに眉をひそめる爽子に、長い髪を揺らして咲良は考え込む。<br />「そう、なんだけど。だんだん、このタイトルの意味がよく分からなくなってきたんだよね」<br />「げっ、そんなに複雑な話なの?」<br />「複雑、というか」<br /> 言葉を探すように、咲良はしばらく本の小口をなぞっていた。<br />「主人公の男の子、この子の名前が朔っていって、私の名前をよく似てるなと思って読み始めたんだ。簡単に説明すると、この朔くんが十歳の初デートの帰り道にちょっとうたた寝をして、その間に七年間が経ってしまったっていう話なんだ」<br />「ふーん、タイムトラベルみたいなSFなんだ」<br />「それが全然違うの。七年間の間は朔は行方不明扱いだし、同い年の恋人は七つ年上になっちゃうし、弟も自分より大きくなっちゃうし、周囲からは気持ち悪がられるし。起こってしまったことの原因も明らかにならなくて、ただただ大変なの」<br />「疲れそうな話だねぇ」<br /> 咲良の手から本を取り上げると、爽子は「わーポエムー」と悲鳴を上げながらぱらぱらと中の文字を拾い読みし始める。<br />「成長するのが怖い、大人になるのが不安っていう気持ちは誰にでもあるけど、でもだからって永遠に子供のままでいられないじゃない? <br /> 次から次に理不尽な目に遭って、かなりがんばって努力して、世の中に立ち向かっていかないと、人並みの成長もできなかったのが、朔なんだ。でもそれは初恋の人のためにするものじゃないでしょ。といって自分だけのためにするのでもない。『きみを守る』ってどういうことなんだろう、『夢をみる』ってどういうことなんだろうって考えると、だんだん分からなくなってきちゃって」<br />「そうだよね、うちらだってついこの前まで一番の下っ端の一年生で、なんにも変わってないつもりだけど、今ではおっかなびっくりでも後輩を教えていかなきゃならないもんね」<br /> 次の部長候補と言われている爽子の言葉に、妙なリアリティを感じて咲良は思わず吹き出した。<br />「笑うな! でも、こういう成長していく課程がはっきりしている間って、ありがたいな~と思うよ。大人になったら、一年経っても自動的に学年あがったりしないじゃん」<br />「うん、分かる。普段はそんなこと考えないんだけどね。<br /> 朔も、十歳から少しずつ大きくなって、四巻でやっと十七歳になったみたい。進路の問題も出てくるし、恋人とも再会できてハッピーエンドになりそうだったんだけど、なんだかなぁ。三巻に出てきた妹みたいな女の子がいてね」<br />「あ! ダメ! それ以上言わないで!これ私も借りてみよっと」<br /> そのまま返してくれなくなっては困ると、慌てて咲良は爽子の手から文庫本を取り戻す。 <br />「これは私が先にみつけたの! 大体、爽子は先の巻を読んでないでしょ。はい、一巻」<br />「わー、これもきれいな表紙だねぇ。朔くんがまだ男の子って感じだ」<br />「あっという間に追いつかれて、追い越されそうだよ」<br /> 二人の女子生徒はちょっと不思議そうに顔を見合わせると、自分たちの前にまだまだ続いている階段を思って少しうんざりとした表情をし、やがて仕方なさそうに笑み交わした。<br /><br />「ちょっと、爽子。時間!」<br />「あ、本当だ。すっかり忘れてたっ。やべー」<br /> 騒々しく貸出手続きを済ませると、二人の少女はばたばたと、淑やかさの欠片もなく、けれどまぶしいくらいの瑞々しさを振りまいて出ていった。<br /> 図書館では静かに、と何度か注意せねばと思いつつ、結局言いそびれてしまった司書の萌江は、ブラインドを下げようと窓辺に寄った。強烈な西日は本を傷める。ブラインドの角度を調節していると、窓の向こうを体育館へと向けて走っていく少女たちの姿が一瞬見えた。野暮ったい制服では隠しきれない、健康的でまっすぐな四肢がほほえましい。発声練習といっていたから、演劇部が合唱部かもしれない。今度来たら、聞いてみよう。<br /> 予約の順番がいつもついているような、大人気の本ではない。けれど、時々すっと借り出されて、すっと戻される。最初だけ人気があって、後から見向きもされなくなる類の本とは違う。<br /> 子供には、かなしいけれど特に女の子には、危険や毒や落とし穴がいつも待ちかまえている。元気で明るくてかわいければいいという正義がどうしようもなく通用しないことが、多々ある。そういう残酷さを、運命とでも呼ばないことには慰めきれないつらさを、そっと手の届くところに置いていってくれるのがフィクションの役目なのだろう。<br /> そこだけがらんと開いた棚を見て、萌江は薄く笑った。<br /> 彼女たちが話題にしていた本の一巻目を、萌江が最初に読んだのはもう十年も前のことだ。