きみを守るためにぼくは夢をみる2 白倉由美
眠りに誘わない声
レビュアー:ややせ
「探すことにうんざりしてからは みつけることを憶えた」
主人公の朔の、印象的な冒頭の言葉だ。
一人の少年が必死に大人になろうとする物語、というと、まるでよく出来た童話のようだ。
たとえば、失われた何かを回復させるための旅であったり、理不尽なことを受け入れやすくするための助けとなる物語。
けれどこの物語は、引用した文章の通り、何かを探しに行くクエストではない。
主人公の朔は十歳の初デートの帰り道で不思議な声に誘われ、ほんのひとときのつもりで居眠りをした。そして目覚めたら、七年後の世界にいた。
失われたのは、単に朔の七年分の時間だけではない。
朔以外の人間が正当に享受した七年間。彼らとの差額の時間も朔が引き受けなければならないことの一つであり、これが現実である限り、この状態がいつか回復し元通りになるということもない。
この物語は、主人公の少年がただ彼を思う家族や恋人のために全うに成長しなくてはならない、というルールのようなものに沿って進む。
必死に学び経験を積み、食べたり動いたりしなければ(そうしても失った時間は戻せないのだが)、時間に置いて行かれるのではないかと朔は苦しむ。
2巻では、あふれんばかりの愛情を注いでくれていた母が倒れ、恋人は不在。新しい人達との出会い、そして父親との再会。
朔の日々は、たくさんの人々の夢がひしめきあう中に不安定に漂っている。
「ここ」で成長すること、長い長い階段を一つずつ登って行くこと。その手抜きできない地道な苦労こそが、朔が見る夢を現実に近づけてくれる。
逃げ出したり、放り出したりすることは、朔を愛する人々への裏切りになる。
朔にとって「夢を見る」ということは、なんと孤独で勇ましい戦いなのだろう。ラストで下される決断には驚かされるが、朔の成長のためになくてはならない決断の痛みなのだと、一読者として冷水に身を曝す心持ちになった。
しかし、果たして本当に一生懸命成長する必要なんてあるのだろうか。このままの流れに身を任せていれば、いつか大人になれるではないか。
今、目の前にいる大人を見てみろ。あれが立派な大人か?
あの程度を目指すなら、このままでいいのではないか?
それに、「今」とは本当に成長が必要な時代なのだろうか?
……朔と同じように、読者も絶えずこのような疑問と向き合うことになる。
一生懸命に成長しようとすることをストレートに書くのは、もしかして古臭いことなのかもしれない。
時代の最前線、フィクションの最前線、ではないのかもしれない。
けれど、どこにも逸脱していけない、今いる「ここ」で頑張らなければいけないという読者にとって、この物語は自分の気持ちをすくい上げてくれるように思うだろう。
そんな読者にふと手に取られる宝物のように、この物語も誰かに見つけられるのを待っているのではないか。
たとえば、返事の来なかったメール、雪の日の落としもののように。
主人公の朔の、印象的な冒頭の言葉だ。
一人の少年が必死に大人になろうとする物語、というと、まるでよく出来た童話のようだ。
たとえば、失われた何かを回復させるための旅であったり、理不尽なことを受け入れやすくするための助けとなる物語。
けれどこの物語は、引用した文章の通り、何かを探しに行くクエストではない。
主人公の朔は十歳の初デートの帰り道で不思議な声に誘われ、ほんのひとときのつもりで居眠りをした。そして目覚めたら、七年後の世界にいた。
失われたのは、単に朔の七年分の時間だけではない。
朔以外の人間が正当に享受した七年間。彼らとの差額の時間も朔が引き受けなければならないことの一つであり、これが現実である限り、この状態がいつか回復し元通りになるということもない。
この物語は、主人公の少年がただ彼を思う家族や恋人のために全うに成長しなくてはならない、というルールのようなものに沿って進む。
必死に学び経験を積み、食べたり動いたりしなければ(そうしても失った時間は戻せないのだが)、時間に置いて行かれるのではないかと朔は苦しむ。
2巻では、あふれんばかりの愛情を注いでくれていた母が倒れ、恋人は不在。新しい人達との出会い、そして父親との再会。
朔の日々は、たくさんの人々の夢がひしめきあう中に不安定に漂っている。
「ここ」で成長すること、長い長い階段を一つずつ登って行くこと。その手抜きできない地道な苦労こそが、朔が見る夢を現実に近づけてくれる。
逃げ出したり、放り出したりすることは、朔を愛する人々への裏切りになる。
朔にとって「夢を見る」ということは、なんと孤独で勇ましい戦いなのだろう。ラストで下される決断には驚かされるが、朔の成長のためになくてはならない決断の痛みなのだと、一読者として冷水に身を曝す心持ちになった。
しかし、果たして本当に一生懸命成長する必要なんてあるのだろうか。このままの流れに身を任せていれば、いつか大人になれるではないか。
今、目の前にいる大人を見てみろ。あれが立派な大人か?
あの程度を目指すなら、このままでいいのではないか?
それに、「今」とは本当に成長が必要な時代なのだろうか?
……朔と同じように、読者も絶えずこのような疑問と向き合うことになる。
一生懸命に成長しようとすることをストレートに書くのは、もしかして古臭いことなのかもしれない。
時代の最前線、フィクションの最前線、ではないのかもしれない。
けれど、どこにも逸脱していけない、今いる「ここ」で頑張らなければいけないという読者にとって、この物語は自分の気持ちをすくい上げてくれるように思うだろう。
そんな読者にふと手に取られる宝物のように、この物語も誰かに見つけられるのを待っているのではないか。
たとえば、返事の来なかったメール、雪の日の落としもののように。