大学という場所を思い返してみると、活気があって、若さがあって、華やかで。
そんな青春言葉群がわんさか出てくる。そう、それは確かにそうだった。
「雨の日に傘を盗まれました」
それがきっかけで大学に行かなくなり、ひきこもりになってしまった女性がこの物語には登場する。ひそれしきのことで。そんなささいなことで。
それがあまりにも大学という場所を象徴していたのでなにやら悲しくなってしまった。大学ってとてもさびしいところだったよ、そういえば。
例えば大教室で講義を受けるとき。なんでこんなに人がいるのに自分はその人たちのことを誰一人知らないのだろう。
例えば食堂でご飯を食べるとき。なんでこんなに人がいるのに自分は一人で食べているのだろう。
例えば大学から帰るとき。なんでこんなに人がいるのに自分は今日一言も言葉を発することがなかったのだろう。
こんなに人がいるのに。こんなに人がいるのに、なんで自分は彼らにとって何者でもないんだろう。
そんなことを思っていた。それを思い出してしまった。大学は誰かと一緒にいなさいなんて言わない。関わろうとしなければ簡単にひとりぼっちになれるところだった。
周囲には大学生がたくさんいておしゃべりをしていて活気に満ちている。その中で誰とも関わりをもたない自分は彼らにとって背景でしかなかった。あるいは逆か。たくさんの大学生は背景で、ここには自分ひとりしかいなかったのかもしれない。
傘を盗まれた彼女は、そのことを誰にも言い出せず、雨の中を濡れて帰ったのだという。盗まれたときのショックはどれほどのものだったろう。背景が自分に関わってきたと思ったらそれは悪意だったのだ。実際には悪意なんてなかったのかもしれない。なんの気なしに傘を持っていっただけかもしれない。
情景が目に浮かぶ。周りにはたくさんの傘をさした大学生。傘で顔の隠れた大学生という背景。その背景の中にただひとり、傘を取られて雨に打たれ、剥き出しにされてしまった彼女の姿。ひとりぼっちを晒された彼女の姿。
実際にそんなことは書かれていないけれど、痛々しく鮮烈なイメージとして残ってしまって頭から離れない。
そうして打ちのめされてしまった弱い彼女は、それでも大学に心残りがあったらしい。ひきこもった挙句、また大学という場所に現れて仲間を探すのだ。なんと未練なことだろう。ひとりぼっちだったけれども人が嫌いではないらしい。人が大好きのようなのだ。彼女はどこまでも人を信じている。人は善いものだと信じている。大学にはこんなに人がいるのだからきっと誰かとわかりあえると信じている。だからこそ、傘を盗まれるというたったそれだけの悪意にも耐えられなかったのだ。
大学という場所。こんなに人がいるのだから少しの勇気を出せば誰かと関わりをもつなんてたやすいことかもしれない。でもこんなに人いるから誰かの何者――友達でも、恋人でも、ただの知り合いというだけでもいい――になるなんてできるのだろうかとも思う。そんな中に関係のない自分が入っていけるのかと思う。
人におびえ、人を愛する彼女。
人を愛するゆえに、人におびえる彼女。
そんな感情を知っているからこの物語に惹かれるのか。人にやさしすぎる彼女を見ていると胸が痛く、そして愛しい。