「フェノメノ 美鶴木夜石は怖がらない」
【閲覧注意】怪談の手触り
レビュアー:zonby Adept
怖いものが好きである。
特に心霊の類には目がない。実話怪談を読み漁り、都市伝説や心霊体験がまとめられたサイトを深夜にふらふら徘徊し、夏には時期とばかりに怖い話をせがみ倒す。心霊スポット潜入や廃墟探索などは嗜まないが、体験談は美味しく頂く。心霊動画た心霊写真などは、真偽に関係なくまじまじと見入ってしまう。
惹かれてしまうのだ。
どうしようもなく引かれてしまうのだ。
壁に黒い穴が開いていたら、覗いてみたくなる。覗くのは怖くても、人差し指の一本くらい、突っ込んでみたくもなる。
何を見てしまうのか分からなくても、何に触れてしまうのか分からなくても、全部見なければ大丈夫だ。すぐに指を引っ込めればきっと大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせながら。
私は、穴を覗き―――指先を伸ばす。
「フェノメノ」に感じたのは、独特の手触りだった。
(手触り。そう、怖い本を読んでいる時に感じる気配や感覚は、触覚。皮膚感覚で表現するのが一番ふさわしいように思う)
それは例えるならこんな感じだ。
猫の背中を撫でている。ふわふわとした毛並みは気持ちよく、暖かい。しかし、ふと指先に猫の毛とは違った感触が触れた。おかしい。ふわふわとした毛の中に、ほんの一瞬だけつるりとした感触があった。おそるおそるその付近の毛を掻き分ける。頭では見ない方が良いことは分かっている。しかし手を止めることはできない。
指先が再び違和感を告げる。
血を吸って丸々と膨らんだマダニが。
……それに気づいた時の心境と、感触を想像していただけるだろうか?
この物語は普通の大学生が、異様な美少女と出逢い、怪異に巻き込まれてゆく王道の怪異譚だ。
小説として全体に一つの流れはあるが、一話ずつ完結しておりテンポよく読み進めてゆくことができるだろう。怖くなったら、そこで読むのをやめることもできる。夜に読むのが怖かったら、昼に読むこともできる。それが小説の良いところだ。
しかし残念なお知らせがある。
物語の中に丁寧に織り込まれたエピソードの数々は、残念ながら創作ではない。
インターネットで検索をかければ分かる。
遭遇する度に近づいてくる怪現象。想像の中で家中すべての窓を開け、閉めるテスト。繰り返し見る明晰夢。これらはすべて、今この瞬間にも現実の世界でまことしやかに囁かれているれっきとした怪談なのだ。
本当か嘘なのかを突き詰めることに、意味はない。
重要なのは、人から人へ伝わっているいうことそれ自体が、これら怪談の生きている証拠なのだから。
そんな生きた怪談達が一肇の手によって、文章の隙間という隙間に詰め込まれて、いる。
物語を読み進める中で、掻き分けてゆく中で、もし何かおかしな違和感を感じる箇所があれば、きっとそこに、いる。
見てしまったら
気付いてしまったら、もう遅い。
恐怖には創作と現実の境界など存在しないのだから。
さてあなたは
怖いものは、好きですか?
特に心霊の類には目がない。実話怪談を読み漁り、都市伝説や心霊体験がまとめられたサイトを深夜にふらふら徘徊し、夏には時期とばかりに怖い話をせがみ倒す。心霊スポット潜入や廃墟探索などは嗜まないが、体験談は美味しく頂く。心霊動画た心霊写真などは、真偽に関係なくまじまじと見入ってしまう。
惹かれてしまうのだ。
どうしようもなく引かれてしまうのだ。
壁に黒い穴が開いていたら、覗いてみたくなる。覗くのは怖くても、人差し指の一本くらい、突っ込んでみたくもなる。
何を見てしまうのか分からなくても、何に触れてしまうのか分からなくても、全部見なければ大丈夫だ。すぐに指を引っ込めればきっと大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせながら。
私は、穴を覗き―――指先を伸ばす。
「フェノメノ」に感じたのは、独特の手触りだった。
(手触り。そう、怖い本を読んでいる時に感じる気配や感覚は、触覚。皮膚感覚で表現するのが一番ふさわしいように思う)
それは例えるならこんな感じだ。
猫の背中を撫でている。ふわふわとした毛並みは気持ちよく、暖かい。しかし、ふと指先に猫の毛とは違った感触が触れた。おかしい。ふわふわとした毛の中に、ほんの一瞬だけつるりとした感触があった。おそるおそるその付近の毛を掻き分ける。頭では見ない方が良いことは分かっている。しかし手を止めることはできない。
指先が再び違和感を告げる。
血を吸って丸々と膨らんだマダニが。
……それに気づいた時の心境と、感触を想像していただけるだろうか?
この物語は普通の大学生が、異様な美少女と出逢い、怪異に巻き込まれてゆく王道の怪異譚だ。
小説として全体に一つの流れはあるが、一話ずつ完結しておりテンポよく読み進めてゆくことができるだろう。怖くなったら、そこで読むのをやめることもできる。夜に読むのが怖かったら、昼に読むこともできる。それが小説の良いところだ。
しかし残念なお知らせがある。
物語の中に丁寧に織り込まれたエピソードの数々は、残念ながら創作ではない。
インターネットで検索をかければ分かる。
遭遇する度に近づいてくる怪現象。想像の中で家中すべての窓を開け、閉めるテスト。繰り返し見る明晰夢。これらはすべて、今この瞬間にも現実の世界でまことしやかに囁かれているれっきとした怪談なのだ。
本当か嘘なのかを突き詰めることに、意味はない。
重要なのは、人から人へ伝わっているいうことそれ自体が、これら怪談の生きている証拠なのだから。
そんな生きた怪談達が一肇の手によって、文章の隙間という隙間に詰め込まれて、いる。
物語を読み進める中で、掻き分けてゆく中で、もし何かおかしな違和感を感じる箇所があれば、きっとそこに、いる。
見てしまったら
気付いてしまったら、もう遅い。
恐怖には創作と現実の境界など存在しないのだから。
さてあなたは
怖いものは、好きですか?