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読者レビュー

銅

一肇『フェノメノ』

猫を殺すもの

レビュアー:キョウ

『(中略)深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ』
とはフリードリヒ・ニーチェの言葉だ。見ることは見られることでもある、というのは、何気ない動作である見ることに伴う覚悟の程と普段目にしない世界が在るのだということを私たちに気付かせてくれる。

本書は、有り体に言えばオカルトホラーだ。主人公は怖いもの見たさで動くその実臆病な大学生、ヒロインは怖いもの見たさで動く電波系高校生美少女。

人は、知らないことに恐怖を覚える。しかし、人はまた知らないことにこそ興味を覚える。そう。その身を走る震えが、まだ見ぬ知に触れた喜びなのか、本能が告げる警告なのかの判断も付かぬほどに。

舞台は現代日本。オカルト掲示板『異界ヶ淵』の噂に惹きつけられたニンゲンは、誘蛾灯に引き寄せられるように軽々と此岸と彼岸の境界線を越える。

"願いの叶う家"、"願いの叶う病院"、"襖の向こう"

欲した願いは滞留し、濁り、いつしか悪臭を放つ。三章から成る物語はその醸造過程において魅力的なほどの香りを放つ。吐き気を催すほどに。

最初は切なる想いの結果。
最初は良かれと思っての配慮。
救いは、あったのかも、しれない。

一肇『フェノメノ』星海社、2012年初版刊行。
本書を読んでどうなろうとも、どうぞ自己責任でお願い致します。

2013.04.16

さやわか
作品の不気味な雰囲気がよく伝わってきます。どんな話なのか気になるので、読んでみたいとも思いますね。「銅」を進呈いたします!ただ、よくよく見ると、キョウさん自身の実感の部分と、物語のストーリーを紹介したい部分があまりうまく接続されていないように見えます。具体的には「本書は、有り体に言えばオカルトホラーだ」以下ですね。ここは物語の説明だと言えますが、その次の段落は「人は、知らないことに恐怖を覚える」という一般論が来ます。しかしその次はまた「舞台は現代日本」となって、物語内容の説明になっている。そしてさらに次の段落は「欲した願いは滞留し、濁り、いつしか悪臭を放つ」という感じで、これは作品の魅力を語る部分ですね。一定の雰囲気はあるけれども、書きたいことをいろいろ段落ごとに並べたよう、それぞれの段落がわりと独立してしまっているようにに見えるわけです。だからこの文章は曰く言い難い読みにくさがある。そこを整理すると、もっとよくなると思いますぞ!

本文はここまでです。