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「大坂将星伝」のレビュー

銅

大坂将星伝 <下>

知ることができて

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン WarriorWarrior

 下巻では、関ヶ原の戦いに敗れ、家来や小倉10万石を失ってしまった毛利勝永が、再び歴史の表舞台に躍り出る過程が描かれる。
 土佐に捕えられ、隠居生活を送る中、勝永の武将としての感性は次第に衰えてゆく。次男が生まれたものの、妻のおあんは体調を崩して亡くなってしまい、父・吉成も痴呆の末亡くなる。
 囲碁や、将棋、釣りや、茶道に明け暮れる姿は、ほとんど民と変わらない。しかし、15年の時を経て、大坂夏の陣に参戦する段になると、示し合わせたかのように信頼のおける家来や、武将たちが集まっていく様子を見ると、懐かしさと心強さが込み上げてくる。

 豊臣秀吉の子である秀頼に、もしもの時は毛利豊前を頼るよう石田三成に言われていた、と告げられる場面は勝永がこれまで培ってきた力を存分に発揮するスイッチのようで心地よい。
 秀吉、三成、秀頼、時代が流れても、主に頼られることは何物にも代えがたい嬉しさだったろう。

 最後まで読み終わってから、上巻の冒頭を読み返した。
 そこには、下巻のクライマックスにあたる場面が描かれている。下巻でも文章を変えて出てくるかと思っていたが、上巻でしか描かれない。
 著者が最も描きたかったのはこの序章ではないだろうか?
 そこには、大坂夏の陣が何のための戦であるのかを悟り、落ち着いた勝永と緊張を隠せない息子・勝家の姿がある。
 息子の緊張を解きほぐそうと勝永は「我が軍は実に大きい」や「戦では強いだけではいかん、柔らかくないと」と自信を持たせるような言葉を投げかけるが、息子はその全てを理解できない。
 彼が父の言葉を理解するには、上・中・下巻と私が読み、勝永が得てきた経験が必要なのだ。
 戦場を美しい地獄で、「新しい国生みの舞い」だとさえ感じてしまう彼の息子への言葉は、現代に生きる我々に向けたエールのようにも感じる。

 勝永の夏の陣における選択には賛否が分かれることだろう。彼は、徳川家康を追い詰めながら「生かす」決断をする。
 「小にして厚き国を造ってみせるがいい。しかし、それがこの天下にふさわしくないと我が志が断ずれば、その時はあなたかその子孫の首を頂戴に参ります」
 戦の勝敗が決まった後で、家康は
「小なるところに厚きものは生まれぬよ」
 とつぶやく。
 江戸時代が300年続いたことを考えると「小にして厚き国」という彼等の選択はこの地点においては正しかったと言えるのではないだろうか。
 
 死んでから400年後も、本意を貫く強い心と優しさを兼ね備えた人物であった、と語り継がれる武将を知ることができてとても嬉しく思う。

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2014.06.18

「大坂将星伝」のレビュー

銅

大坂将星伝<中>

事実だと思っている

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン WarriorWarrior

 中巻では、森太郎兵衛の11歳から23歳までが描かれる。
 婚儀の最中に国人達の謀反があり、九州での土地をめぐる騒動に巻き込まれる。
 豊臣秀吉から九州を納めるよう申し付けられた武将による「検地」が原因だった。どれだけ米が作れるのかをごまかさないように調べて、必ず既定の年貢を納めさせるわけだから、元々その土地に住んでいた人達からしてみれば、預金通帳や、収入を調べられるようなものである。人によっては先祖から受け継いだ土地を手放さなければならないこともあったため「ふざけんなよ!」という気持ちは実家で米を作っているので共感できた。
 ちなみに現代の日本は検地がされてないので、正確に誰がどのくらい田んぼで米を育てているのかわからず、ぶっちゃけこの時代より適当である。
 太郎兵衛はなるべく血を流さないように、交渉するが上手くいかない。
 九州の出入り口になる小倉を任された森家の親子。太郎兵衛は、元服し毛利勝永と名前をかえ、父の森小三次吉成も毛利吉成と名乗るようになった。
 天下人となった秀吉は武将たちに「唐入り(からいり)」を命じる。
 私は「豊臣秀吉は朝鮮に兵を送ったけれど失敗しました」くらいの知識しかなかったが、ちょっと考えればそれがどれほど大変なことだったかかわかる。
 16万もの兵を船に乗せて向かわせるだけでなく、その後も食料等の物資を送り続けなければならないのだ。
 問題なのは「義」がないこと。
 秀吉には「大にして広き国」にしてゆこうという意志があったが、ちゃんと理解してくれそうな近しい者にしか伝えていなかった。毛利吉成、勝永の親子はもちろん知らされていたが、これといった明確な理由も示されないまま、多くの兵が慣れない異国で戦わなくてはならなかった。
 朝鮮の義軍と、明の軍や、村人達に対し、日本式のやり方が通用しないことに戸惑う勝永達。朝鮮から小倉にやって来た陶工で、双剣の使い手・郭絶義(かくぜつぎ)を勝永は近習に迎える。彼の助言を頼りつつどうにか、切り抜けようと悪戦苦闘する武将たちの様子からは、望郷の念が伝わってくる。
 秀吉が亡くなり、日本に帰ってきた勝永だったが、武将たちの足並みは揃わなくなっていた。七人の武将に囲まれた石田三成を助けるため、勝永は徳川家康に会いに行く。
 勝永の「大にして広き国」という亡き秀吉の言葉に対し、家康の放つ「小といえども厚みのある国」という言葉は、双方の違いがわかり易く表れた台詞だと感じた。
 そして、歴史に疎い私でも知っている「関ヶ原の戦い」に突入してゆく。

 この本を読む前に1つだけルールを決めた。
「書かれていることを本当にあったことだと思い込んでみる」
というルールだ。
 だから、私は何処までが本当にあったと言われている出来事で、何処が著者の想像なのか分からないままだが、この本に描かれる武将達の台詞のやりとりや、行動を本当のことだと信じている。特に勝永の妻・おあんと従者のお玉は、山田章博氏の描いた美麗なイラスト通りの女性がそのまま存在したと信じている。
 400年以上の時を経ても語られる、歴史と想像の狭間に身をゆだねてみてはいかがだろうか?

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2014.05.20

「大坂将星伝」のレビュー

銅

大坂将星伝〈上〉

将と星

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン WarriorWarrior

 安土桃山時代の武将、毛利勝永を描く歴史小説。
 上巻では5歳から11歳になるまでが描かれる。幼名は森太郎兵衛。父は羽柴秀吉につかえる黄母衣衆(きほろしゅう)の1人森小三次吉成。
 歴史小説をあまり読んだことがないので、読み通せるか不安だった。
 困ったのが、登場人物の呼び方である。
 例えば、長宗我部元親という武将を会話の中では「土佐侍従」という通称で呼ぶし、息子である信親を幼いころから知っている人物は「千雄丸」と幼名で呼ぶので、慣れるまで、誰が誰なのか分からなくなりちょっと混乱した。おまけに親子は名前が似ている。
 ただ、一度慣れてしまえば、織田信長亡き後の戦国時代の風景が、太郎兵衛を通して鮮明に浮かんできた。
 太郎兵衛は、後藤又兵衛や、父である森小三次吉成、長宗我部一家から、混迷を極める世の中で、自分がどうあるべきかを学び、徐々に成長してゆく。
 吉成との親子の関係が興味深かった。
 太郎兵衛の判断は常に父が基準になっていて、秀吉が目の前でどんなにふざけても「父が従っているから凄い人なのだ」と考え、父に対する周囲の武将の態度から「立場的に偉くはないが、皆からは一目置かれている」ことを読み取ってゆく。
 幼いながらも父の馬の世話係として戦場に向かい、精一杯、父からの指示に従う姿は、可愛くもあり、頼もしくもある。
 一瞬の判断が生死を分ける時代の様子が、生き生きと描かれた物語の「序」。
 星の瞬きにも似た武将たちの輝きは、現代においても色褪せることはない。

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2014.03.27


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