大坂将星伝<中>
事実だと思っている
レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン
中巻では、森太郎兵衛の11歳から23歳までが描かれる。
婚儀の最中に国人達の謀反があり、九州での土地をめぐる騒動に巻き込まれる。
豊臣秀吉から九州を納めるよう申し付けられた武将による「検地」が原因だった。どれだけ米が作れるのかをごまかさないように調べて、必ず既定の年貢を納めさせるわけだから、元々その土地に住んでいた人達からしてみれば、預金通帳や、収入を調べられるようなものである。人によっては先祖から受け継いだ土地を手放さなければならないこともあったため「ふざけんなよ!」という気持ちは実家で米を作っているので共感できた。
ちなみに現代の日本は検地がされてないので、正確に誰がどのくらい田んぼで米を育てているのかわからず、ぶっちゃけこの時代より適当である。
太郎兵衛はなるべく血を流さないように、交渉するが上手くいかない。
九州の出入り口になる小倉を任された森家の親子。太郎兵衛は、元服し毛利勝永と名前をかえ、父の森小三次吉成も毛利吉成と名乗るようになった。
天下人となった秀吉は武将たちに「唐入り(からいり)」を命じる。
私は「豊臣秀吉は朝鮮に兵を送ったけれど失敗しました」くらいの知識しかなかったが、ちょっと考えればそれがどれほど大変なことだったかかわかる。
16万もの兵を船に乗せて向かわせるだけでなく、その後も食料等の物資を送り続けなければならないのだ。
問題なのは「義」がないこと。
秀吉には「大にして広き国」にしてゆこうという意志があったが、ちゃんと理解してくれそうな近しい者にしか伝えていなかった。毛利吉成、勝永の親子はもちろん知らされていたが、これといった明確な理由も示されないまま、多くの兵が慣れない異国で戦わなくてはならなかった。
朝鮮の義軍と、明の軍や、村人達に対し、日本式のやり方が通用しないことに戸惑う勝永達。朝鮮から小倉にやって来た陶工で、双剣の使い手・郭絶義(かくぜつぎ)を勝永は近習に迎える。彼の助言を頼りつつどうにか、切り抜けようと悪戦苦闘する武将たちの様子からは、望郷の念が伝わってくる。
秀吉が亡くなり、日本に帰ってきた勝永だったが、武将たちの足並みは揃わなくなっていた。七人の武将に囲まれた石田三成を助けるため、勝永は徳川家康に会いに行く。
勝永の「大にして広き国」という亡き秀吉の言葉に対し、家康の放つ「小といえども厚みのある国」という言葉は、双方の違いがわかり易く表れた台詞だと感じた。
そして、歴史に疎い私でも知っている「関ヶ原の戦い」に突入してゆく。
この本を読む前に1つだけルールを決めた。
「書かれていることを本当にあったことだと思い込んでみる」
というルールだ。
だから、私は何処までが本当にあったと言われている出来事で、何処が著者の想像なのか分からないままだが、この本に描かれる武将達の台詞のやりとりや、行動を本当のことだと信じている。特に勝永の妻・おあんと従者のお玉は、山田章博氏の描いた美麗なイラスト通りの女性がそのまま存在したと信じている。
400年以上の時を経ても語られる、歴史と想像の狭間に身をゆだねてみてはいかがだろうか?
婚儀の最中に国人達の謀反があり、九州での土地をめぐる騒動に巻き込まれる。
豊臣秀吉から九州を納めるよう申し付けられた武将による「検地」が原因だった。どれだけ米が作れるのかをごまかさないように調べて、必ず既定の年貢を納めさせるわけだから、元々その土地に住んでいた人達からしてみれば、預金通帳や、収入を調べられるようなものである。人によっては先祖から受け継いだ土地を手放さなければならないこともあったため「ふざけんなよ!」という気持ちは実家で米を作っているので共感できた。
ちなみに現代の日本は検地がされてないので、正確に誰がどのくらい田んぼで米を育てているのかわからず、ぶっちゃけこの時代より適当である。
太郎兵衛はなるべく血を流さないように、交渉するが上手くいかない。
九州の出入り口になる小倉を任された森家の親子。太郎兵衛は、元服し毛利勝永と名前をかえ、父の森小三次吉成も毛利吉成と名乗るようになった。
天下人となった秀吉は武将たちに「唐入り(からいり)」を命じる。
私は「豊臣秀吉は朝鮮に兵を送ったけれど失敗しました」くらいの知識しかなかったが、ちょっと考えればそれがどれほど大変なことだったかかわかる。
16万もの兵を船に乗せて向かわせるだけでなく、その後も食料等の物資を送り続けなければならないのだ。
問題なのは「義」がないこと。
秀吉には「大にして広き国」にしてゆこうという意志があったが、ちゃんと理解してくれそうな近しい者にしか伝えていなかった。毛利吉成、勝永の親子はもちろん知らされていたが、これといった明確な理由も示されないまま、多くの兵が慣れない異国で戦わなくてはならなかった。
朝鮮の義軍と、明の軍や、村人達に対し、日本式のやり方が通用しないことに戸惑う勝永達。朝鮮から小倉にやって来た陶工で、双剣の使い手・郭絶義(かくぜつぎ)を勝永は近習に迎える。彼の助言を頼りつつどうにか、切り抜けようと悪戦苦闘する武将たちの様子からは、望郷の念が伝わってくる。
秀吉が亡くなり、日本に帰ってきた勝永だったが、武将たちの足並みは揃わなくなっていた。七人の武将に囲まれた石田三成を助けるため、勝永は徳川家康に会いに行く。
勝永の「大にして広き国」という亡き秀吉の言葉に対し、家康の放つ「小といえども厚みのある国」という言葉は、双方の違いがわかり易く表れた台詞だと感じた。
そして、歴史に疎い私でも知っている「関ヶ原の戦い」に突入してゆく。
この本を読む前に1つだけルールを決めた。
「書かれていることを本当にあったことだと思い込んでみる」
というルールだ。
だから、私は何処までが本当にあったと言われている出来事で、何処が著者の想像なのか分からないままだが、この本に描かれる武将達の台詞のやりとりや、行動を本当のことだと信じている。特に勝永の妻・おあんと従者のお玉は、山田章博氏の描いた美麗なイラスト通りの女性がそのまま存在したと信じている。
400年以上の時を経ても語られる、歴史と想像の狭間に身をゆだねてみてはいかがだろうか?