日本人にとって、世界のいろんなところで起こっている戦争は身近なものではなく、傭兵を、自分の就く可能性がある仕事として想像できる人は少ないだろう。主人公もそのひとりだ。
だが物語の冒頭、仕事の当てがない主人公は困って、傭兵に就職することを希望する。主人公の現実の埒外だった傭兵という職業が、現実的な選択肢になったのである。
僕は戦争の存在を報道で知っていても、その場に行って自分の目で見たことはない。だから、たくさんの人が戦争で苦しんでいても、正直、ぼくは戦争を他人事のように感じてしまうところがある。僕のほかにも、そういう方は多いと思う。しかし、本作の戦争のイメージはちょっと違った。遠くの出来事にしか感じられない戦争が、本作では身近なものに感じられた。冒頭で職業としての傭兵が主人公の現実の一部になることは、そのことを予告しているかのようだった。
就職した主人公は、まず訓練キャンプで過ごす。そこでは、傭兵見習いたちが、訓練による眼精疲労や肩こりをどうにか取りたいといった、普通の職業の人と同じ悩みを抱えている。
訓練を終えた主人公は次に、基地に配属される。所属する傭兵たちは、上司や同僚との関係に良好に保つことを意識して生活する。たとえば、上司の質問に部下はそつなく答えるように務める。これはどんな職場でも見られる光景だろう。また、傭兵たちは仕事を離れれば、仲間と世間話を楽しむ、基地の近辺をを散策する。基地の近くにある村に住む現地住民に気を遣う。いわゆる近所づきあいだ。
傭兵がその生活の中で考えること、感じることは傭兵ではない普通の人とそう変わらないのだ。
また、仕事内容そのものも、傭兵という特殊な仕事についていない者の、平和な普通の暮らしに近い印象がある。命のやりとりをするにもかかわらずである。
訓練キャンプにて、主人公は提示された状況に合わせてボタンを押す訓練を受ける。基地に配属後も主人公は、モニターを睨み、状況に合わせて戦術単位に指示を出すオペレーターを任される。主人公の仕事はまるでコンピューターゲームみたいなものなのだ。大げさに言えば、部屋にひきこもってコンピュターゲームしているのと同じである。
傭兵という特殊な仕事が、主人公の仕事を通じて、普通の暮らしのひとコマのように描かれるているのだ。
本作では、仕事もそれ以外の部分もひっくるめて、傭兵生活は普通の暮らしの一種なのだ。だから、遠くにある戦争が、普通の暮らしをおくる者にはぐっと近くに感じられる。
本作の戦争を人間にたとえるなら、軍服をきた近寄りがたい雰囲気の軍人ではなく、カジュアルな装いの一般人というところだ。
戦争を身近に感じられる工夫はページのレイアウトにもある。
改行と余白が多い。それによって、読者がぎっしり詰まった文字を見て、読むのを面倒だと思うのを避けている。
それから、頻繁に見出しが入り、見出しごとにまとまった文章が短い。『家賃について』は10行、『無題』は12行しかない。文章ひとまとまりが小さく、すぐに終わるのでテンポ良く読める。
これは、長い文章が鬱陶しいものとして扱われがちなご時世にマッチしている。
このように、改行や見出しで工夫されたレイアウトは、読むことで読者の心にかかる負担を軽くしているのだ。だから、本作を読むことには、近所の公園にふらっと出掛けるような気安さがある。この点も、舞台となる戦争の現場が身近に感じられる要因だと思う。
物語の後半、主人公が現地で親しくなった人たちの命が危険にさらされる。彼らは主人公の暮らしの一部ともいえる存在だ。僕にとって身近に感じられる、主人公の暮らしが壊されようとしているのだ。主人公になんとか大切な人たちを守ってほしいと僕は思った。激しい戦場で活躍する主人公はカッコよかった。
傭兵の生活が、そして戦争が、身近に感じられるという面白さがあるからこそ、本作が面白い作品になっていると僕は感じた。未読の方は、遊びにいくような軽い気持ちで本書を手に取ってみてはいかがだろう? 戦場はすぐそこにあるのだ。
最前線で『マージナル・オペレーション』を読む