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読者レビュー

銅

「マージナル・オペレーション」01

あまりにも日常的な「長いお別れ」

レビュアー:オペラに吠えろ。 Lord

 フィクションで初めて「死」という概念に接したのは「ファイアーエムブレム」というゲームだった。いわゆる「シミュレーション・ロールプレイングゲーム」というジャンルの代表作で、簡単に言うと、戦地で部隊を指揮して勝利に導くというものだ。プレイヤーは言ってみれば指揮官、「マージナル・オペレーション」に登場する架空の役職「オペレーター・オペレーター」に相当するポジションを担当することになる。

 その「ファイヤーエムブレム」(以下、「FE」)で衝撃だったのは、戦闘中に死んだキャラクターは戦闘が終わっても生き返らないという「ロスト」の概念だった。それまでやっていたゲームでは、死んだキャラクターはいつのまにか生き返り、また死んで、また生き返った。だから、あるキャラクターを犠牲にして戦いを勝利に導くなんていう所業にも抵抗感はなかったのだけれど、「FE」では死んだ人は死んだままだ。その当たり前のことに驚いてしまった。でも本当は、それに驚く方が異常なのだ。「マージナル・オペレーション」を読んだときに思い出したのは、そういうわけで「FE」だった。

 思えば、映画にしろ小説にしろ漫画にしろ、登場人物の死には大抵、意味が与えられる。自分を犠牲にして大勢を救うためとか。だから「ガンダム」なんかでキャラクターが犬死にするとそれが逆に話題になったりするのだけど、現実では死に特別な意味が与えられることはそうそうない。いや、死に限ったことではないだろう。昨日まで会っていた人に明日からは二度と会えないなんてことはざらで、だからといってそのことに意味を見いだしたりはしない。別れはあまりにも日常的なことであり、それに慣れてしまっているのだ。

 「マージナル・オペレーション」では、そうした日常的な別れがたくさん出てくる。けれども語り手はその一つ一つに執着することはない。文章も至ってドライであり、読んでいる方はその淡泊さについつい読み飛ばしそうになる。それを「リアル」ということに躊躇いがあるのは、わたしが別れに何かしらの意味や象徴を見いだしがるロマンチストだからかもしれない。だが、そのことに気づかせてくれたというだけで本書を読むだけの価値はあったと思う。そうした発見をもたらしてくれたラスト数ページは、別れを惜しむようにゆっくり読ませてもらった。いやはや、わたしはやはり、いささか感傷的にすぎるのかもしれない。

2013.06.22

さくら
感覚を麻痺させる為に、兵士にシューティングゲームさせるって記事見たことあります。「死」に対して現実的なゲームってそう多くないからこそ、主人公はゲーム感覚を持ったまま民間軍事会社に足を踏み込んでしまったのかも知れません。これからアラタは「死」というリアルとどう向き合っていくのでしょうか。
さやわか
なんというか、文体に独特の魅力があるレビューだと思いました。わりとつっけんどんなのですが、論理的なものをしっかりと求めているようでもある。それに、実は文章を読者に読んでもらうための構成をきちんと作っています。最初の段落から流れるように読んでいける。ちょっとしたエッセイとして成り立っていると思います。「別れとは日常的なものだ」という理屈も面白いのですが、日常的に経験する別れ(昨日まで会っていた人に明日からは二度と会えない)と非日常的な別れ(死)をわりとあっけなく混同させているかなと思いました。言い換えると、このレビューだと「死は日常的なもので慣れてしまっている」ということになりますが、だったら人々は葬式をやったりそこで泣いたりしなくなるはずですよね。人が死に慣れておらず、非日常的な、意味深いものだと思っているから、人はそういう行為をするのではないか。そういう反論ができてしまうわけです。必ずしも書き手の理屈が間違っていると言いたいわけではありません。ただここで「死は日常的な別れ」という理屈に反論が出ないようにしておかないと、ちょっと引っかかってしまうわけです。しかし、面白いレビューでした! 「銅」を献上いたしましょう!

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