フリクリ(上)
フリクリ表紙語り
レビュアー:USB農民 Adept
ウエダハジメの絵が好きだ。
単行本化されている漫画は『フリクリ』と『Qコちゃん THE地球侵略少女』しかないので、たぶん一般的な知名度はとても低いと思うが、アニメ『化物語』『偽物語』のエンディング映像や、小説『私と悪魔の100の問答』の表紙や、雑誌「映画秘宝」のエッセイなど、色々なところで仕事をしている。私はその全てを追っているわけではないけど、大体は見ていると思う。
で、『フリクリ』が星海社文庫から新たに出版されるに至り、しかし内容はもう何度も読んでいて今更購入する必要をあまり感じていなかったのだが、書店で目にしたジャケットの格好良さに胸打たれて、購入する必要を切に感じた。
このジャケットのいいところは、色々あるけど、まず目に付くのは彩色。全体的に白が多く使われているけれど、大理石のようなぴかぴかつるつるした、目に飛び込んでくるような白とは違う。無機質ではない触感を覚える白だ。その白に囲まれて、濃淡の綺麗な赤と青が浮き上がるように目立っている。三色のバランスがとても良い。光の当たる場所と陰になっている場所では赤青二色が使い分けられているが、その光線の中央には、金色の瞳でまっすぐにこちらを見るハル子の微笑が置かれている。主人公のナオ太はハル子に投げ技をかけられているような姿勢で、視線はハル子の顔に釘付けになっている。トラブルメイカーと、それにひっかき回される受け身の主人公との関係を表している構図であるけど、ナオ太の右手にはバットが、左手には誰かの手が。ジャケットから見切れているその誰かは、たぶんマミ美なのではないかと思う。だとすれば、左右の手に武器と女の子を掴んでいることになり、なんだかとても思春期の男子らしい。バットだけが白い靄の奥に霞んで見えていることも、普段意識しない暴力的衝動が潜んでいることを感じさせるし、よく見ればバットを握る手には靄がほとんど掛かっていない部分も細かい。また、バットは野球が上手い兄との思い出の道具でもあり、その下からはカンチの右手が白い空間から生えている。ナオ太の兄とカンチの関係は、どうやらネット上では諸説あるようだが、ナオ太の「兄ちゃん!」という声に反応するように姿を見せる描写が作中にあることから、全く無関係ではないと思われる。というわけで、バットとカンチの右手が並んで描かれていることにも意味はある。また、カンチが出てきたナオ太の頭は、それを利用しようと企んでいるらしいハル子の右手にがっちり掴まれている。ハル子の目的の一端を意味しているわけだが、そのせいでナオ太の頭は手に隠れていてよく見えない。見ようによっては、バットを持った右手はナオ太の頭から生えているようにも見える。だとしたらバットを持つ手はナオ太ではなく兄の腕かもしれない、などと考えるのは明らかに飛躍で邪推だけれど(そもそも頭から出てくるにしても、それは額からのはずだし、額の絆創膏ははがれていないことは確認できる)、そういう想像をさせる上手い配置であることは間違いない。あと、ハル子の絶妙なポージングも見ていておもしろい。キャラクターの体で人文字を描くというネタを『魔法少女まどかマギカ』のエンドカードでやっているウエダハジメなので、今回ももしかして、と思い、手元から離して距離を置いてジャケットを見てみたところ、しかし全然文字には見えてこない。下巻と並べると何かわかる仕組みかもしれないし、単に変なポージングなのかもしれない。たぶん後者ではないかと思う。深読みするまでもなく、ここで描かれているハル子は格好良く、魅力的だ。曲線を描くように身を反らしたハル子の体に対して、彼女の赤い髪はまっすぐに堅く伸びていて、その相反する触感が並ぶことで、お互いの堅さと柔らかさを強調している。ナオ太の姿勢について言えば、肩口あたりが上から下に残像を引くような描き方をされていることから、ハル子に力ずくで頭部を引き寄せられた瞬間なのだろう。体の逆側は、ハル子の左手で尻を押さえられている。これについては私も意味がよくわからないのだが、単純かつ馬鹿っぽく考えるならば、ハル子にエロいことをされてしまった(あるいはこれからされてしまう)ナオ太を意味しているのではないか。わざわざそれを意味する意味があるのか定かではないけれど、意味などなくても意味のないエロい妄想を駆り立てるエロい描写をすることはとてもエロくて良いことだと馬鹿っぽい私は考えるのだが、皆様におかれましてはどうでしょうか?
最後に一つ、題字と著者名の配置も絶妙であることも付け加えて、この文章を終えることにする。
単行本化されている漫画は『フリクリ』と『Qコちゃん THE地球侵略少女』しかないので、たぶん一般的な知名度はとても低いと思うが、アニメ『化物語』『偽物語』のエンディング映像や、小説『私と悪魔の100の問答』の表紙や、雑誌「映画秘宝」のエッセイなど、色々なところで仕事をしている。私はその全てを追っているわけではないけど、大体は見ていると思う。
で、『フリクリ』が星海社文庫から新たに出版されるに至り、しかし内容はもう何度も読んでいて今更購入する必要をあまり感じていなかったのだが、書店で目にしたジャケットの格好良さに胸打たれて、購入する必要を切に感じた。
このジャケットのいいところは、色々あるけど、まず目に付くのは彩色。全体的に白が多く使われているけれど、大理石のようなぴかぴかつるつるした、目に飛び込んでくるような白とは違う。無機質ではない触感を覚える白だ。その白に囲まれて、濃淡の綺麗な赤と青が浮き上がるように目立っている。三色のバランスがとても良い。光の当たる場所と陰になっている場所では赤青二色が使い分けられているが、その光線の中央には、金色の瞳でまっすぐにこちらを見るハル子の微笑が置かれている。主人公のナオ太はハル子に投げ技をかけられているような姿勢で、視線はハル子の顔に釘付けになっている。トラブルメイカーと、それにひっかき回される受け身の主人公との関係を表している構図であるけど、ナオ太の右手にはバットが、左手には誰かの手が。ジャケットから見切れているその誰かは、たぶんマミ美なのではないかと思う。だとすれば、左右の手に武器と女の子を掴んでいることになり、なんだかとても思春期の男子らしい。バットだけが白い靄の奥に霞んで見えていることも、普段意識しない暴力的衝動が潜んでいることを感じさせるし、よく見ればバットを握る手には靄がほとんど掛かっていない部分も細かい。また、バットは野球が上手い兄との思い出の道具でもあり、その下からはカンチの右手が白い空間から生えている。ナオ太の兄とカンチの関係は、どうやらネット上では諸説あるようだが、ナオ太の「兄ちゃん!」という声に反応するように姿を見せる描写が作中にあることから、全く無関係ではないと思われる。というわけで、バットとカンチの右手が並んで描かれていることにも意味はある。また、カンチが出てきたナオ太の頭は、それを利用しようと企んでいるらしいハル子の右手にがっちり掴まれている。ハル子の目的の一端を意味しているわけだが、そのせいでナオ太の頭は手に隠れていてよく見えない。見ようによっては、バットを持った右手はナオ太の頭から生えているようにも見える。だとしたらバットを持つ手はナオ太ではなく兄の腕かもしれない、などと考えるのは明らかに飛躍で邪推だけれど(そもそも頭から出てくるにしても、それは額からのはずだし、額の絆創膏ははがれていないことは確認できる)、そういう想像をさせる上手い配置であることは間違いない。あと、ハル子の絶妙なポージングも見ていておもしろい。キャラクターの体で人文字を描くというネタを『魔法少女まどかマギカ』のエンドカードでやっているウエダハジメなので、今回ももしかして、と思い、手元から離して距離を置いてジャケットを見てみたところ、しかし全然文字には見えてこない。下巻と並べると何かわかる仕組みかもしれないし、単に変なポージングなのかもしれない。たぶん後者ではないかと思う。深読みするまでもなく、ここで描かれているハル子は格好良く、魅力的だ。曲線を描くように身を反らしたハル子の体に対して、彼女の赤い髪はまっすぐに堅く伸びていて、その相反する触感が並ぶことで、お互いの堅さと柔らかさを強調している。ナオ太の姿勢について言えば、肩口あたりが上から下に残像を引くような描き方をされていることから、ハル子に力ずくで頭部を引き寄せられた瞬間なのだろう。体の逆側は、ハル子の左手で尻を押さえられている。これについては私も意味がよくわからないのだが、単純かつ馬鹿っぽく考えるならば、ハル子にエロいことをされてしまった(あるいはこれからされてしまう)ナオ太を意味しているのではないか。わざわざそれを意味する意味があるのか定かではないけれど、意味などなくても意味のないエロい妄想を駆り立てるエロい描写をすることはとてもエロくて良いことだと馬鹿っぽい私は考えるのだが、皆様におかれましてはどうでしょうか?
最後に一つ、題字と著者名の配置も絶妙であることも付け加えて、この文章を終えることにする。