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「死体泥棒」のレビュー

銅

唐辺葉介『死体泥棒』

エンドレス・プラネタリウム

レビュアー:ユキムラ AdeptAdept

 主人公が恋人の死体を盗みだして一緒に過ごした蜜月は、どこかプラネタリウムに似ている。
 昼に繰り広げられる偽りの夜空が決して夜闇を彩る星たちになれないように。
冷凍庫の扉越しの日々は、過ぎし日の逢瀬とは決定的にナニカをたがえている。

 このプラネタリウムは、永遠に続けば良かったのだろうか。
主人公は、このプラネタリウムを永遠に続けたかったのだろうか。
 問えども問えど、応えは無く答えは出ない。
私達読者にできることは、それを想像することぐらい。
 ――――否。
そんな邪推はもはや無粋でしかない。
文字を追ったところで読み取れるは、自身すら騙していかねない、或る愚公の世迷い言。

 だから。
「この星空は綺麗だね」って。
騙されたフリをして、プラネタリウムを眺めるだけなのもまた一興かもしれない。
偽りの夜空は近く暁に殺されて終わってしまうけれど。
二人の物語を綴ったこの本の記憶は、あるいは永久に、私達の中で息吹き続けるのだから。

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2012.06.08

「死体泥棒」のレビュー

銅

唐辺葉介『死体泥棒』

完全無糖のOne-wayLove

レビュアー:ユキムラ AdeptAdept

「しっあわっせはー 歩いてこない だーかっら 奪いにゆくんだね★」

 ...と、歌いながら減価償却を計算していたら、同僚に、ひどく同情的な視線と共にチョコレートを渡された。
 簡単に持ち運びできるチョコレートというこの存在は、まさに科学進歩の具現だと思う。
というか、初めにチョコレートを固形にした人物はノーベル平和賞に値するとI think . 主に私の心に平和をもたらしてくれたという点において。

 閑話休題、『死体泥棒』のハナシである。
コッテコテのラブストーリー。
ただし、チョコレートのように甘ったるい雰囲気は微塵も無い。
「え? ラブシーン? なにそれ ぉいしぃの?」と言わんばかりの勢いで、一方通行の恋物語は繰り広げられる。
 主人公が奪うのは幸せなどではなく、愛した人の死体だ。
死体 である。間違っても肢体の誤変換などではない。


 すでに物言わなくなった冷たい骸を、主人公は自分の部屋で保管する。
彼女が傷むことないようにと四苦八苦する其の姿に、彼女を悼む感情は見受けられない。
死体が肢体としてすぐ傍にある限り、死など受け入れぬと言わんばかりに。

 主人公の中で、彼女の死は未だ確定事項ではない。
確かに生は否定されている。
しかしながら、死は認可されていないのだ。
ゆえにこそ、歪な同棲生活は継続され 物語は信仰にも似た祈りを伴って進行しゆく。


 傍から見れば、顔をしかめてしまうようなラブストーリーだ。
たとえ、主人公にとっては彼女の存在こそ 心に平和を招くチョコレートの如き至福だとしても。
それでも、その彼女が幸福さえ感じ取れぬ彼岸にいては意味が無い。
 そう、意味が無いのだ。
主人公の行いは、自ら隘路に向かう愚行に等しい。
悪いベクトルの意味はあろうとも、改善の余地など無い。
悲願を抱えたまま、主人公は流されるまま 波にたゆたい漂っていく。


 その先に――
やがて辿り着く最果てに、甘やかな終わりなど待ち構えていないことは十二分に承知の上。
それこそ、チョコレートのような甘美なる終末など過ぎた望みでしかないことも。
 にもかかわらず。
このどうしようもない主人公に付き合って最後までページを繰ってしまうのは。
主人公と共に、彼女の最期を見届けるため だろうか?

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2012.04.02

「死体泥棒」のレビュー

銅

唐辺葉介『死体泥棒』

冷たな世界で彼女は如何な顔をしてるのか

レビュアー:ユキムラ AdeptAdept

 青が好きだ。
 色の話である。
原色ならば、断然 青が。
 ゆえに、『死体泥棒』の表紙は嫌いじゃない。むしろ好感を持っている。

 冷たい静謐を思わせる、背景の小物もいい。
だがやはり、表紙で一番目を引くのは中央の女性だろう。
 タイトルの『死体泥棒』の中央部分にあるため、これは死体なのかな~とか考える。
 妙齢の女性のイラストなのだし、読者マナーとしておりあえず胸元を凝視。
わずかに確認できる線引きに谷間を妄想して、少し幸せな気分にひたって。


 表紙の観賞と鑑賞を経て、中へと進む。
幸せな気分を引きずって。
 されど、内容は打って変わって...


 ある描写で手が止まった。【移植】。
生きてても他人の幸せの為に働き続け、死してなお 見も知らぬ誰かの幸せのために体を部品としてむしり取られた彼女…
語り部である「僕」に同化して、私は引きずられるように悲嘆にくれた。
 挟まれるのは、生前の会話エピソード。
そのとき言葉を交わした彼女はもう死んでいて、死体として「僕」と私の眼前にある。
ざっくり残された胸元の縫い跡は、ほほえましかったはずの話題を、反転、残酷なる伏線へと還元させる。

 ふたたび、表紙を。

 女性の胸元には、やはり、ひとすじの線が。
読み始める前、私が谷間だと盲信した そのひとすじ。

 それは、
もしかして、
ひょっとすると、、、



 やがて半泣きになって読み終え、本を閉じる。
みたび表紙を見て――
 そのとき初めて、私は女性の顔を見た。

 涙が邪魔で、彼女が浮かべている表情を、私は読み解くことができない。
自分以外の誰かが生き続けるための糧となれたことに、満足している?
若いうちに死んでしまったことを、嘆いている?
「僕」を残し、そして「僕」に罪を遺してしまったことを、憂いている?
それとも。
私と同じように、この「僕」の今後を祈っている?


 どうか。
どうかせめて。
 涙のフィルターをつけていない誰かに。彼女のココロを、受け止めてほしい。

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2012.04.02

「死体泥棒」のレビュー

鉄

死体泥棒

死体泥棒の現実と、私のロマンチシズム

レビュアー:zonby AdeptAdept

死んだ恋人を盗んで運んで、冷凍保存。
花盗人ならぬ、死体泥棒。
それって物語のテーマとして、なんだかロマンチック?
いいえ、そんな訳ありません。

そんな言葉を、この物語を読み始める前の私に投げつけてやりたい。
読む前に想像していた、主人公が恋人の死体を盗んで冷凍保存し、毎日夢か現の耽溺の日々。なんてひと昔前の猟奇小説のような展開は、あっと言う間に打ち砕かれました。
そうです、そうです。
そうなんです。
この現代社会において、死体を完璧に冷凍保存するなんてことは意外と簡単そうで難しいんです。
死体を盗む、ましてや自分の部屋で冷凍保存。
なんて言葉を聞くと、なんだか主人公が鬼畜に思えるでしょう?それをやった主人公の人生、180度変わるような気がするでしょう?
でもあんまり変わらないんです。
むしろ悪くなるんです。
今までぎりぎり大学生だったのが学校まで辞めてしまって、部屋には手慰みで作ったバルーンアートの山。死んだ恋人を腐らせないために巨大冷凍庫はずっと稼働させていなくちゃならないし、なんというか人生下降線?むしろゴミ虫、クズ人間一歩手前?
この本を開く前に感じていたロマンチシズムなんて糞くらえですよ、まったく。

でも思うんですよ。
死体を盗んだことで自分の人生や、何より自分が変わらなかったことに一番驚いたのは、多分主人公自身だったんだろうな、って。
もちろん、部屋に鎮座する巨大冷凍庫&冷凍保存された恋人の存在は異質ですよ。
けれど一度主人公の日常に溶け込んでしまえば、それもまた日常の一部になってしまう。ロマンなんて欠片もなく、現実的に処理されるべき問題の一部になってしまうんだな、って。
生きている人間には現実がつきまとうのです。
そこに死んだ人間を無理矢理、生きているかのように見せかけてねじ込んでも死んだ人間の時間は止まったまま。
主人公は、死んだ恋人を盗んで保存することで現実に対抗する、非現実を作り出そうとしたのかもしれません。そこまで考えていなかったとしても、死んだ恋人の腐敗、あるいは火葬という時間を止めることで主人公自身に流れる時間も、止めたかったのかな、と思います。
時間なんて、止められる訳ないのにね。

少しでもロマンを感じるとするならば、それは私の頭の中にしかないのかもしれません。
物語の中に描かれなかった彼等の部屋の描写。
壊れたおもちゃ箱みたいに、色とりどりのバルーンアートが散らかっていて、それに不釣合いな無骨な業務用冷凍庫がある部屋を、想像するんです。
低く唸るような稼働音をたてる冷凍庫。
その中で、眠るように死んでいる美しい恋人。
その音を聴きながら、馬鹿げた色の組み合わせでバルーンアートを作る主人公。
流れる時間。

その描写されなかった光景だけが。
ね?
ほら少しだけ、私のロマンチシズム。

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2012.03.09

「死体泥棒」のレビュー

銅

死体泥棒

愛らしいピエロ

レビュアー:6rin NoviceNovice

 みんなが同じことで幸福を得られるわけではない。幸福を得るために必要なものは人によって異なる。
 登場人物の一人は言う。
「本当の幸福は、もっとパーソナリティの深い部分、心の井戸の奥の奥にあるもののことさ。本質的に極めて個人的なものなんだよ」
 
 主人公の男は死んだ恋人の身体を傷つけて欲しくない。恋人が火葬されることを許容できない男は、犯罪者になるのを厭わず葬儀場から恋人の死体を盗み出す。そこから、男と死体の奇妙な同居が始まる。同時にそれは男の、犯行が暴かれることに怯える生活の始まりでもある。
 その生活は秘密がいつバレるか分からない緊張感に満ち、ページをめくる読者も男と共にその緊張感を味わう。そのスリルが本作の見所の一つだ。だがそれは本作における最大のスリルではない。実は、男は自宅に隠した死体よりも、もっと大きな秘密を抱えているのだ。

 大きな秘密は恋人の死に対する男の態度から透けて見える。恋人が健在だった頃、男は大学をサボってばかりの自堕落な自分を変え、恋人と人生を歩むために真面目に生きようと決意する。男の愛はその生き方を180度変えるほど確かなものであった。かようなまでに愛する者を失ったのだから、男は泣き崩れそうなものである。しかし、本作にそんな場面はほとんど無い。男は恋人が死んだ事実そのものに対して落ち着きを保つ。逆に目立つのは、恋人の死体が傷むことに男が過敏になっていることである。死体を盗んだことがその筆頭だ。
 盗まれた死体は冷凍庫に入れられる。死体は腐らずに生前の状態を保ち、暗い所ならば生きていると見紛うほどだ。死体の乳房が露になっていることに気が付いた男は、死体が着る装束のはだけた前を元に戻す。恋人の生きているような死体との暮らしは、男を生きた恋人と同居しているかのような気分にさせる。男は自分が逮捕されなければ恋人の望んでいた通り、クリスマスに一緒にいられると喜ぶ。恋人に対し、人生は100%望みが叶うことなんてそうないのだから死んだ状態でのクリスマスで我慢して欲しいと思う。またあるとき男は、恋人が生きていた頃よりも今の方がより大事なものを恋人と分かち合えると述べる。男は恋人の死を大した不幸ではないと考えるのだ。
 男は【生きた恋人との同居】や【恋人の死は不幸ではない】という幻想によって、恋人の悲しい死という辛い現実を覆い隠すのだ。だから恋人の死に対し、男は落ち着きを保てる。あるいは幻想【生きた恋人との同居】の前提である生前の状態に近い死体を損なう、傷や腐敗といった死体の傷みを恐れる。男は幻想の向こうにある悲しみに触れたくないのだ。
 その悲しみの裏には恋人に生きていて欲しかったという、絶対に叶わない願いがある。悲しみと願いは激しさを冷却され、冷凍庫の死体のように隠される。それらは恋人が死んだ現実と共に、本稿冒頭で言及された「心の井戸の奥の奥」で秘密にされるのだ。そんな辛い現実を幻想で隠すのも男なら、辛い現実を秘密にされるのも男自身。秘密を隠し通すのは極めて困難だ。男は常に秘密がバレるかバレないかのギリギリのところに置かれる。秘密がバレれば男は辛い現実を直視する羽目になる。男が恋人の悲しい死の直視を避けつづけるスリルは、死体隠秘のスリルと比べものにならない。それでもなお男は現実を自分から隠しつづける。男がそうするのは、恋人が死んでしまったことが男にとって途方もなく悲しい出来事だからだ。

 男は幻想に覆われた現実を生きる。それはピエロが奇抜なメイクの顔を本当の顔だと思い込むようなものだ。傍から見れば滑稽きわまりない。ある者は「君はその女をもう既に失っているんだよ?」と恋人を失っていない気でいる男のおかしさを指摘する。しかし、僕は笑う気にならない。われわれ読者も男と似たようなことをしているからだ。
 誰であっても、自分や大切な者がある日唐突に大きな事故、事件、病気、自然災害に襲われて死ぬ悲劇に遭ってもおかしくない。だが人は往々にして【そんな悲劇は自分の身に降りかからない】【自分だけは大丈夫だ】とタカをくくり恐ろしい可能性から目を背ける。人は大きな悲しみに耐えられない弱い生き物だから、男と同じように辛い現実を幻想で覆うのだ。時代や地域を超えて、人にはそのような傾向があるのではないか。
 人がそんな風に滑稽なことをするのは自分や大切な者の死が悲しいからだ。悲しいのは死んでしまう者への愛があるからだ。愛のために滑稽な行為に及ばざるを得ない人が、切なくて愛らしい存在に思える。

 いつか、読者も男と同じく大切な者を失うかもしれない。男を通して普遍的な人の在り方を描く本作の物語は、読者にとって人ごとではない。最終的に男の犯罪は裁かれるのか? 男は恋人の悲しい死を直視するのか? 是非、滑稽だけれど愛らしい男が最後にどこに行き着くのかを、スリルを味わいつつ見届けて欲しいと思う。

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2012.02.18

「死体泥棒」のレビュー

銅

「死体泥棒」

雪の冷たさを知ること

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 この小説を一言で言ってしまえば、「一人の男が恋人の死を悲しむ話」だ。
 とてもわかりやすい。が、一言で表すことと、長編小説の形をとって表すことはまったく違う。

 雪の中に手を差し入れたままにしていれば、やがて低温火傷を起こすことは、実際にやってみるまでもなく誰にでもわかるだろう。しかし、その雪の冷たさは、実際に手を差し入れる経験がなくてはわからない。

 恋人が死ねば、それは誰だって悲しいだろう。そんなことは経験するまでもなく誰にでもわかることだ。
 でも、それはどれだけ悲しいことなのか。
 その死は、どれくらい冷たいものなのか。

『死体泥棒』は、雪の中に手を差し入れた主人公に感情移入し、追体験することで、雪の冷たさを教えてくれている。
 白い雪に包まれた世界はとても綺麗な風景だが、その世界は同時にとても冷たい。
 もしこの小説を読んで感情を動かされたなら、それはきっと、この雪に触れて、その冷たさを知ったからだと思う。

 雪に手を差し入れる行為は、いつだって冷たい手触りを与えるものだ。
『死体泥棒』もきっと同じだ。
 この小説を読んで知った冷たさは、再び読み返した時でも、きっと同じくらい冷たいに違いない。

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2012.01.30

「死体泥棒」のレビュー

銅

死体泥棒

身体で伝えられること

レビュアー:ややせ NoviceNovice

わたしが死んだら、この身体を恋人に盗んでほしいと思うだろうか。
わたしの好きなひとが死んだら、その身体を盗みだしてでも一緒に過ごそうとするだろうか。

好きになったのは内面性、こころ、だ。
だからこそ、この小説の主人公の彼は恋人が性風俗の仕事をしていても安易に反対はしなかった。
心で思いあっているから、それをよすがにできたから、あんなにありふれていて、だからこそ実現の難しい夢を真摯に見ることができたのだ。

彼は作中で言う。臓器を提供してあちこちがすかすかになってしまった恋人の死体に対して、内面性なんか全然ない、と。肉体的にも空っぽだと。

「生きている時だって、僕たちはお互い何も持っていなかったから、一番大事なものを分かち合えたんだ。あの時より更に失った今なら、もっと大事なものに触れることが出来るような気もする。きっと、何もない方が良いんだよ」

わたしはこの言葉に反発する。
どんなときに笑ったり、不安そうになったか。何に夢中になり、何が得意で、何が苦手なのか。ものの考え方、価値の見出し方……
なるほど、好きになるのは心かもしれない。
でも、心と繋がっていてこその、身体。身体があってこそ、表現されるのが心ではないだろうか。

わたしが死んだ恋人なら、もっと気づいてほしかったことがあったよ、と、恨みごとの一つ二つ言ってやりたい。
あなたの子供の頃の話をもっと知りたかった、と。
けれど、恋人はそんなことは言わない。死んでしまったから。
空っぽの身体をどれだけ覗きこんでも、そこに彼女はもういない。

この長い長いとむらいの儀式のような小説。
恋人の身体がちゃんと無くなって、ようやく身体的にも悼むことができた「僕」
彼をずっと見守っていると、私が恋人の幸であるかのような気持ちになった。
呆気なく、清々しい。なんて寂しいラストだろう。
私は、誰かに手を伸ばしたくなった。
生きて、身体のあるうちに。

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2012.01.30

「死体泥棒」のレビュー

銅

人に薦めたくなる物語

レビュアー:牛島 AdeptAdept

 大切な人を亡くしたとき、あなたはどんな行動に出ますか。
 喪失の悲しみに打ちひしがれる?
 残されたものとして強く生きる?
 この物語の主人公・塩津がとった行動はどちらでもなく、その死を「保留」するというものでした。

 急逝した彼女の死体を葬儀会場から盗み出し、自室に用意した巨大冷凍庫の中にそのままの姿で保存する。死体の保存を第一に考える彼は、人としての道を次々に踏み外していく――という筋書きはいかにも猟奇的で異常めいているのですが、そこで食わず嫌いせずに苦手な方にも是非読んでほしいです。

 常軌を逸した彼の行動は、当然誰も幸せにはしなかったけれど、しかし読了後にはなぜか感動してしまいました。
 自分を慕う女子中学生や心配する家族を裏切り、御世辞にもまともとは言えないこの青年になぜ親身になってしまうのか。それはやはり、彼が貫いた衝動が誰もが思ったことがあることだからでしょう。

「もっと一緒にいたい」
「大切な人を喪いたくない」
「このまま死別するなんて冗談じゃない」

 あるいはそれは子どもが駄々をこねているだけなのかもしれません。そうした行動は迷惑にしかならないし、いい歳なんだからそもそも納得しなければいけないのかも。
 けれどだからこそ彼の行動は心に響くのだと思います。見て見ぬふりをしていた部分で真っすぐに行動されると、読者としては揺さぶられずにはいれません。

 まだまだ寒く長い夜が続くことですし、宵のともには是非『死体泥棒』を。

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2012.01.30


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