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読者レビュー

銅

死体泥棒

愛らしいピエロ

レビュアー:6rin Novice

 みんなが同じことで幸福を得られるわけではない。幸福を得るために必要なものは人によって異なる。
 登場人物の一人は言う。
「本当の幸福は、もっとパーソナリティの深い部分、心の井戸の奥の奥にあるもののことさ。本質的に極めて個人的なものなんだよ」
 
 主人公の男は死んだ恋人の身体を傷つけて欲しくない。恋人が火葬されることを許容できない男は、犯罪者になるのを厭わず葬儀場から恋人の死体を盗み出す。そこから、男と死体の奇妙な同居が始まる。同時にそれは男の、犯行が暴かれることに怯える生活の始まりでもある。
 その生活は秘密がいつバレるか分からない緊張感に満ち、ページをめくる読者も男と共にその緊張感を味わう。そのスリルが本作の見所の一つだ。だがそれは本作における最大のスリルではない。実は、男は自宅に隠した死体よりも、もっと大きな秘密を抱えているのだ。

 大きな秘密は恋人の死に対する男の態度から透けて見える。恋人が健在だった頃、男は大学をサボってばかりの自堕落な自分を変え、恋人と人生を歩むために真面目に生きようと決意する。男の愛はその生き方を180度変えるほど確かなものであった。かようなまでに愛する者を失ったのだから、男は泣き崩れそうなものである。しかし、本作にそんな場面はほとんど無い。男は恋人が死んだ事実そのものに対して落ち着きを保つ。逆に目立つのは、恋人の死体が傷むことに男が過敏になっていることである。死体を盗んだことがその筆頭だ。
 盗まれた死体は冷凍庫に入れられる。死体は腐らずに生前の状態を保ち、暗い所ならば生きていると見紛うほどだ。死体の乳房が露になっていることに気が付いた男は、死体が着る装束のはだけた前を元に戻す。恋人の生きているような死体との暮らしは、男を生きた恋人と同居しているかのような気分にさせる。男は自分が逮捕されなければ恋人の望んでいた通り、クリスマスに一緒にいられると喜ぶ。恋人に対し、人生は100%望みが叶うことなんてそうないのだから死んだ状態でのクリスマスで我慢して欲しいと思う。またあるとき男は、恋人が生きていた頃よりも今の方がより大事なものを恋人と分かち合えると述べる。男は恋人の死を大した不幸ではないと考えるのだ。
 男は【生きた恋人との同居】や【恋人の死は不幸ではない】という幻想によって、恋人の悲しい死という辛い現実を覆い隠すのだ。だから恋人の死に対し、男は落ち着きを保てる。あるいは幻想【生きた恋人との同居】の前提である生前の状態に近い死体を損なう、傷や腐敗といった死体の傷みを恐れる。男は幻想の向こうにある悲しみに触れたくないのだ。
 その悲しみの裏には恋人に生きていて欲しかったという、絶対に叶わない願いがある。悲しみと願いは激しさを冷却され、冷凍庫の死体のように隠される。それらは恋人が死んだ現実と共に、本稿冒頭で言及された「心の井戸の奥の奥」で秘密にされるのだ。そんな辛い現実を幻想で隠すのも男なら、辛い現実を秘密にされるのも男自身。秘密を隠し通すのは極めて困難だ。男は常に秘密がバレるかバレないかのギリギリのところに置かれる。秘密がバレれば男は辛い現実を直視する羽目になる。男が恋人の悲しい死の直視を避けつづけるスリルは、死体隠秘のスリルと比べものにならない。それでもなお男は現実を自分から隠しつづける。男がそうするのは、恋人が死んでしまったことが男にとって途方もなく悲しい出来事だからだ。

 男は幻想に覆われた現実を生きる。それはピエロが奇抜なメイクの顔を本当の顔だと思い込むようなものだ。傍から見れば滑稽きわまりない。ある者は「君はその女をもう既に失っているんだよ?」と恋人を失っていない気でいる男のおかしさを指摘する。しかし、僕は笑う気にならない。われわれ読者も男と似たようなことをしているからだ。
 誰であっても、自分や大切な者がある日唐突に大きな事故、事件、病気、自然災害に襲われて死ぬ悲劇に遭ってもおかしくない。だが人は往々にして【そんな悲劇は自分の身に降りかからない】【自分だけは大丈夫だ】とタカをくくり恐ろしい可能性から目を背ける。人は大きな悲しみに耐えられない弱い生き物だから、男と同じように辛い現実を幻想で覆うのだ。時代や地域を超えて、人にはそのような傾向があるのではないか。
 人がそんな風に滑稽なことをするのは自分や大切な者の死が悲しいからだ。悲しいのは死んでしまう者への愛があるからだ。愛のために滑稽な行為に及ばざるを得ない人が、切なくて愛らしい存在に思える。

 いつか、読者も男と同じく大切な者を失うかもしれない。男を通して普遍的な人の在り方を描く本作の物語は、読者にとって人ごとではない。最終的に男の犯罪は裁かれるのか? 男は恋人の悲しい死を直視するのか? 是非、滑稽だけれど愛らしい男が最後にどこに行き着くのかを、スリルを味わいつつ見届けて欲しいと思う。

2012.02.18

のぞみ
「読者も男と似たようなことをしている。」という言葉とその意味には凄く驚きました。
さやわか
男が単に死体を隠していたのではなくて、同時に女性の死という現実を自分に対して隠蔽していたという言い方は、たしかに面白いですな。
のぞみ
今まで気がつかなかった新しい考え方を教えて頂いた気がいたしますわ! レビューを読んでいるだけでドキドキしましたわ!
さやわか
しかしそれだけに少し気になったのは、男がやっていることは「死」という「終わってしまったこと」からの逃避であるのに対して、「人は往々にして【そんな悲劇は自分の身に降りかからない】【自分だけは大丈夫だ】とタカをくくり恐ろしい可能性から目を背ける」というのは、将来起こりうる出来事からの逃避になっているようだということです。既に起こったことから逃避しているからこそ、男は深刻な状態にあるとも言える。「われわれ読者も男と似たようなことをしているからだ」という読者の注意を引きつける書き方は非常にうまいのですが、だからこそ細かな違いが気になりました。しかしこれは、書いている内容が間違っているというのではないです。読者に「ちょっと違うじゃん」と勘ぐられるような書き方をしないほうがいいということですな。そこをもう少し詰めてほしかった! ということで「銅」とします!

本文はここまでです。