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「武器としての決断思考」のレビュー

銀

「武器としての決断思考」

僕の後ろに道は出来る

レビュアー:オペラに吠えろ。 LordLord

 タイトルにもなっている「決断思考」とは、「自分で考え、自分で決めていくための方法論」のことです。これまではレールの上を歩くような人生を送ることができました。いい高校に行けば、いい大学に行けて、いい仕事に就ける……そんなレールが確かに敷かれていた時代があったのです。

 ですが、それはもう昔のこと。現代を生きる若者たちは、予め敷かれたレールではなく、自分たちでレールを敷いていく生き方を求められるようになりました。そのとき、どの方向に、どのようにレールを敷いていくのか? どこを目的地に設定すればいいのか? そうした「決断」が必要されるのです。

 この本では、ディベートにおける思考プロセスを解説することで、そんな「決断」するための思考のエッセンスを説明しています。あまり知られていませんが、ディベートというのは“特定のルールに則った”議論であり、個々人の意見・嗜好は重要視されていません。必要なのは、客観的な事実であり、正解ではなく最善解を求めようとする姿勢なのです。

 著者はそうしたことを触れながら、「決断」に至るまでの道のりを具体例を挟みながら説明していきます。それはさながら、レールを敷く作業のような印象を受けます。信憑性を見極めた情報を丁寧に積み上げていき、やがて「決断」という目的地にたどり着く。どうしてその「決断」を下すことになったのかは、振り返ればすぐにわかる。これは牽強付会が過ぎるかもしれませんが、そうした考え方ーーこの本で言うところの「決断思考」というのは、その人だけの地図を作る作業のことを指すのではないでしょうか。

 「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」とは、高村光太郎の詩「道程」の冒頭です。光太郎は「流れた時間」を「道」になぞらえ、自分は自分で作るもの、自分の道は自分で切り開くものだと訴えました。では、そのときに何が必要なのか? 何が「武器」になるのか? その答えが「決断思考」だとわたしは思うのです。

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2014.05.20

「武器としての決断思考」のレビュー

銅

瀧本哲史『武器としての決断思考』

机上をめぐる決断思考

レビュアー:ユキムラ AdeptAdept

 月末が近づくにつれ、職場の私の机は表面積が小さくなってゆく。他の人と机のサイズが違うんちがうかと、邪推せずにはいられない程に。
これはとても由々しき問題なのである。
しなければならんと、とりあえず手近に置いた書類が、気づけば縦に伸びている。ゆわゆる、タケノコ状態というやつだ。
そこにはきっと、思考の停止がある。
やらなければいけないからと、まず側にキープして、そのキープした行為で満足してしまっているのだ。
深く考えていない。
『武器としての決断思考』は、まるでそんな私に向けて書かれたかのような本だった。

 ――机上を片すは是か非か。
脳内ディベートが行われる。

   メリット
内因性→散らかったままだと、大切な書類が見つからない!
重要性→そんなときに限って、急ぎの用事で必要だったりする。
解決性→書類を片してキッチリ整理しておけば、必要なときに必要なものが出せる!

   デメリット
発生過程→ただでさえ月末は時間が無い。片付けなんかしとるヒマがあったら別のことするわ!
深刻性→月末業務がホンマにいっぱいいっぱいなんやって!
固有性→どの辺りに何を置いたのかはそこそこ憶えてるから、(勝手に動かされない限りは)掘り起こせば探してるものは大抵見つかる。

 メリット・デメリットのみっつの条件に対して、論理的な反論を行う。要は、問題に対して至極正当なるツッコミを入れれば良いらしい。
ツッコミを入れたあとは、そのツッコミに関する考察だ。
 それぞれの事情に分解して順繰りに、ひとつの命題に対してじっくりと詰めてゆくのだ。
そうやっていくと、私はやがて回答を得られる。素晴らしい!


 ちなみに、職場の私の机は、未だ散らかったままである。
フローシートを参照にしての判定を経て、デメリットに重きが置かれ、現状維持っちゃってるワケですよ。
……か、勘違いしないでよね、べ別に片付けるのが面倒なだけとか、そんなんじゃないんだから!

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2012.06.08

「武器としての決断思考」のレビュー

銅

武器としての決断思考

頭のなかの武器庫

レビュアー:よ・よ・よ InitiateInitiate

 大学の生協で聞いた。「武器としての決断思考ありますか?」店員曰く、「あー、ないですねえ」。そりゃねーよな。アホウの集まる大学の生協に置いてあっても買う奴いねーし。あの質問をしてから三ヶ月。大学の生協を覗くと置いてあった。帯には「東大NO.1ベストセラー」。格の違いを感じたね。泊の違いも感じたけど。

 授業形式の一冊。さすがにロジックを教える本だけあって、ロジカルな文章に加え、本なのに考える時間が設けられている。終始「論理的な正しさとは何か」という問題提起をし続けている。少しづつ議論が発展していく形も解りやすい。何より編集サイドの努力も見える。各章の終わりに大きな文字でまとめが書いてあり、近眼老眼なんでもござれ。さすが星海社と思わず首を縦にブンブン振った、電車の中で。

 この本の最大の良いところは、ベターを求めていないことだ。人が考えるとき、その時点のベストを目指せという。不安定な経済状況が改善されない昨今、「本物」になりたければ、この本を読むべきだろう。

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2012.04.23

「武器としての決断思考」のレビュー

銅

武器としての決断思考

帯文詐欺

レビュアー:yagi_pon NoviceNovice

「東大×京大×マッキンゼー」
『武器としての決断思考』の最初の帯には、このような文字が大きく書かれていた。これは著者である瀧本哲史の経歴だ。この本を手に取った人の中には、著者が東大、京大、マッキンゼーで得た「武器としての決断思考」を期待していた人も多いだろう。しかし残念なことに、この本と東大、京大、マッキンゼーはあまり関係がない。「武器としての決断思考」はディベート的思考法であり、そこに東大、京大、マッキンゼーのエッセンスはあまりない。はっきり言って、帯文詐欺と言ってもいい。
ではなぜこのような帯がつけられたのか、少々深読みしてみたい。考えられるのは、東大、京大、マッキンゼーというブランド力に目を付けて手に取った人にこそ読んでほしいのではないか、ということだ。一昔前であれば、特に東大、京大といった経歴が強力な武器になったであろう。いわゆる学歴社会である。しかし時代は変わり、東大や京大という名前だけではどうにもならない時代になった。武器だと思い込んでいたものは、ただの看板でしかなくなった。もちろん看板としての力はあるし、ただの看板でも振り回せばたしかに武器にはなる。ただし、文字通り看板を振り回すくらいのどうしようもない武器にしかならない。そして、そんな時代の新しい武器として紹介されているのが、「決断思考」(=ディベート的思考法)だ。この本は、「東大×京大×マッキンゼー」の文字に惹かれて手に取った人こそ、それまでの価値観を覆すものになっているはずなのだ。詐欺られたと思う人ほど、この本を読んだ意味は大きいのではないだろうか。「東大×京大×マッキンゼー」は帯文詐欺ではなく、ミスリードだったのではないだろうか。そんなふうに思うと、このシンプルな帯の中にすごく複雑な思いが詰まっているように見えてくるから不思議だ。

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2011.12.20


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