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「坂本真綾の満月朗読館」のレビュー

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坂本真綾の満月朗読館マグカップ

満月をつかまえたマグカップ

レビュアー:ticheese WarriorWarrior

『坂本真綾の満月朗読館マグカップ』とは
星海社のwebサイト『最前線』にて、Ustream配信されていた『坂本真綾の満月朗読館』という企画の中で販売されたオリジナルグッズです。

デザインは本を掲げた女性(坂本真綾さん?)が満月の中にシルエットで描かれたイラストをワンポイントにした帯を、マグカップ側面に一周させたシンプルなものです。
このマグカップを購入したのはレビュアー騎士団における5点獲得者の褒賞である『特製ラバーコースター』とセットで使用したかったから。シンプルなデザインは地味な男の部屋にあっても浮かず、常用として使いやすそうなのも購入理由のひとつでした。
しかし実際に使う段になって、この消極的な考えを改めることになりました。

真夜中
箱から取り出して一通り鑑賞してからお湯を沸かし、お手軽なインスタントの紅茶を入れてくつろぐ。いつもの部屋での光景。
ただカップだけがいつもと違う。ぼんやりおニューの品を眺めていると、そこに新たな違和感に目の焦点がいった。
黄色い円がカップの底から浮かび上がっている。
満月だった。紅茶に満月が映っている。
ここは自分の部屋の中。紅茶に映った月はカーテンの向こう側で輝いているはずなのだ。
箱から出して眺めている間は気づかなかったが、このマグカップの底には紫紺の夜空と満月が描かれていた。

これにはいささか驚かされました。
『坂本真綾の満月朗読館』は「満月の夜にだけ」配信されていた企画なのです。

満月の夜に、坂本さんの朗読を聞きたい人たちは『最前線』のサイトを訪れる。
きっと一度この朗読を聞いた人は次の満月の夜が待ち遠しかったことでしょう。
しかし楽しい時にも終わりはきます。そして12月21日に最終夜を迎えた『坂本真綾の満月朗読館』に寂しさを感じた人は多かったはずです。
そんな人たちにこの『坂本真綾の満月朗読館マグカップ』は終わりのない満月の夜を与えてくれたのです。

なんておしゃれな計らいですか。

『最前線』のサイトでは、2011年春以降に『坂本真綾の満月朗読館』が「星海社朗読館」シリーズとして発売されることが発表されています。いつでも聞ける朗読と終わらない満月を映したマグカップ、この2つがそろうことを今か今かと待っています。

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2011.06.01

「坂本真綾の満月朗読館」のレビュー

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ベッドタイム・ストーリー

「失われるはずだった物語」

レビュアー:zonby AdeptAdept

最初に言っておく。
この物語は「わたしとあなた」の物語である。
この物語は「異能を持つ少女と、平凡な少年、そして世界」の物語である。
そして
この物語は「もしも読み手である貴方にその異能があったらどうするか?」を問いかけてくる物語である。

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「――先輩、聞いてください。私には超能力があるのです。」

ぼくの横たわるベッドのそばで、少女・椎名アカリはその能力について語り始めた。いわく、彼女には物を動かす力があるらしい。いわく、彼女の能力は対象が自分から離れる程に力を増すらしい。いわく、彼女は宇宙の天体をも動かす力があるらしい。――いわく、彼女はぼくと恋仲なるために天体を動かし、占星術を変えてしまったらしい…。そしてそのせいでぼくは…。
おとぎ話のようで壮大な物語は、ただ一人「ぼく」だけのために語られ、彼女の持つ異能は「ぼく」の運命にも作用する?彼女の話は本当なのか。彼女の選んだ決断とは。
満月の夜にそうっと語られる、彼女の「ベッドタイム・ストーリー」。

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「ベッドタイム・ストーリー」は、「坂本真綾の満月朗読館」第三夜にむけ、作家、乙一氏が書き下ろした物語である。 この物語の骨組みはとても平凡で、いくつもの小説の中で、またいくつもの映画の中で繰り返されてきたテーマだ。
いわゆる「君と僕の関係が世界に直接作用する」セカイ系という枠組みになるのではないだろうか。だがそれ故に作者の味付けが試される、非常に読み応えのある物語であったと思う。

この物語の特徴は、主人公であるぼくが冷静な聞き手にまわり、語り手であるアカリの話を冷静に分析していく点だ。これは、元々が朗読用に書き下ろされたからということを差し引いても効果的な書き方だと感じた。ボケとツッコミで言うところのツッコミの役割である。
主な語り手となるアカリの話の内容は、簡単なところから始まって占星術や天体の動き、それによっておこるパラドックスなど、次々に理論展開してゆく。そのところどころで一度ぼくが冷静に聞き質すことで、読み手が理論展開においてけぼりになることがなく、一つの物語として読むことができた。これはSF的な発想や、物語が苦手な人にもおすすめできる点である。

さて、忘れてならないのは物語としての余韻だ。乙一氏の新作を読めるのは久しぶりだが、その「セツナイ系」の書き味は少しも衰えてはいない。過去の作品郡から言うと、「きみにしか聞えない Calling you」「傷 ―KIZ/KIDS―」「しあわせは子猫のかたち ―HAPPINESS IS A WARM KITTY」などの余韻に共通するものを感じる。その共通点とは誰とも分かち合えない「異能」を持つ人間が登場すること。そして、今回の題名にも取り上げた通り何らかが「失われて」いるという点だ。
「ベッドタイム・ストーリー」も例外ではない。
そう。「失われて」いる。
正確には「失われているはずだった」のである。
それは、アカリが天体を動かす前の物語だ。つまり「ぼくとアカリが出会わなかった物語」である。同時に、アカリが天体を動かさなかったとすれば「ぼくとアカリが出会う物語」(つまり「ベッドタイム・ストーリー」自体)が「失われているはずだった」ことになる。
物語が進みアカリに感情移入すればするほど、彼女の苦悩が真に迫って感じられることだろう。何かを「失う」ことはもう決定しているのである。自分だったらどうするか、どう行動するか、その壮大過ぎる異能がゆえにどうにかできるのではないかと思わず自分でも考えてしまう。でもそこは物語。物語は読み手の意思を無視して進む。
けれど、不思議なのは何かは確実に「失われて」いるはずなのに、驚くほど悲壮感がないことである。これも上記で述べた作品との共通点のひとつだ。
最後に残るのは、繊細で壊れやすく透明感のあるすがすがしさのような気がする。
勿論、すがすがしいといっても何もかもがさっぱりと晴れ、痛快感を感じるようなすがすがしさではない。「失う」ことさえ良しとし、悲しいことも辛いことも肯定して辿りつくすがすがしさである。
現在、この物語の無料配信は終了し2011春以降に「星海社朗読館」シリーズとして、発売が決定しているそうだ。そこで是非、この感覚を感じて欲しいと思う。

最後にもう一度言う。
この物語は「わたしとあなた」の物語である。
この物語は「異能を持つ少女と、平凡な少年、そして世界」の物語である。
そして
この物語は「もしも読み手である貴方にその異能があったらどうするか?」を問いかけてくる物語である。

―――けれど、この物語の答えはもう決まっている。

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2011.03.22

「坂本真綾の満月朗読館」のレビュー

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満月朗読館

満月浪漫

レビュアー:zonby AdeptAdept

「満月朗読館」。
その名前だけで、どこかしっとりとして浪漫を感じさせる素敵な命名だと思った。
竹さん画による、本を読む女性の横顔のシルエットを看板に掲げ、朗読者たるは、様々な分野で活躍される坂本真綾。彼女の凜として透明感のある声音で紡ぎだされる朗読に、告知の時点から期待を寄せる視聴者も多くいたことと思う。満月の夜にしか開館しない電子空間の中にだけ存在する朗読館――。

四度に渡って行われたこの企画は非常に完成度、満足度共に高かったものと思う。星や月、銀河をテーマとした古典から、この企画のためだけに書き下ろされた新作文芸と、イラストのコラボレーション。30分も前から待機していないと接続すらままならなかったのがその証拠だ。
しかし同時に、こう思った人――特に仕事などで都合がつかず、配信時間に間に合わなかった人や、うっかり配信予定を忘れてしまった人など――もいたことだろう。
「なぜわざわざ毎回満月を待って朗読をする?パソコンでなら簡単に動画でも、音楽でも自分の好きな時間、好きなものを好きなだけ落とせるこの時代である。TVだって時間は決まっているが、録画ができる。完成したものをコンテンツとして配信し、好きな時に見ることができるという方法もあったのではないだろうか?」と。
確かにそうだ。
私自身そういった動画配信のサイトをよく利用する機会は多いし、自分の都合で見ることができるので便利だと思う。何より星海社の運営する「最前線」自体が、無料でいくつものコンテンツをいつでも見ることができる状態にしている。
では何故そのような時代に、わざわざ見る側の人間の時間を拘束する「満月朗読館」などという企画をしたのだろう。

誠に勝手な解釈で申し訳ないが、私はこの企画はすべて「浪漫」ゆえ、と理解している。
もう一度言おう「浪漫」だ。
満月の夜に、美しい声音の女性が紡ぐ月や星の絵物語。その朗読を聴く。浪漫ではないか。そして「浪漫」ゆえと言うならば、ある程度の不便も拘束も甘んじて受け入れなければなるまい。なぜなら浪漫とはそうそう簡単に叶えられてはならないものであるからだ。
満月まであと幾日か、数え数えて満月を確かめるように空を見上げて帰る夜。いつもより早めに風呂に入り、少量の酒やお茶などを用意してパソコンの前に待機する。電気は消し、窓から入るわずかな月光とパソコンの光源を頼りに、耳にはヘッドホン。配信を聴き終えた後、たった今耳元で語られていた物語の余韻に浸りながら窓を開け、夜空に煌々と浮かぶ満月を確かめた人間は一人や二人ではあるまい。(無論、私もその一人であることをここに明記しておく)

そう考えると、「満月の夜」だけに開館し、その日その時間にだけしか聴くことのできないという趣向も、中々粋ではないかと思えてくるから小気味良いものである。きっとあの四晩、配信を待ちわび満月を数えた人間のほとんどは、私を含め普段は満月など気にもせずパソコンの画面やTVばかり見つめているような人達が大多数だったろう。そんな人達が「満月の夜」をキーワードに日にちを数え、わざわざ「満月朗読館」が始まる前から待機し、電気を消して月光を入れたりヘッドホンの準備をしたりしていたのである。
手間をかけ暇をかけ、きたるべき時をどきどきと待つ。(いつもは右クリックで保存なのに)
ただ「満月朗読館」を満月の夜に聴くために。(いつもは深夜、適当にザッピングなのに)
これはもう浪漫のなせる技としか言えまい。

「満月朗読館」は、本来無機質な電子空間にあるだけの存在だというのに、「満月の夜に」という条件を付け加えることで、初めて息づく極めて有機的な企画だったのではないかと、これを書いていて思った。
だからなのか――
現実には存在するはずがないというのに、しかし私は物質として存在するそこを幻視する。
そのある種そっけないたたずまいは、私に路地裏の奥の奥にひっそりと在る謎の建築物を彷彿とさせる。普段は「閉館」の看板が愛想もなくかかっているくせに、満月になるとどこからともなくたくさんのファン達が集ってくるような、そんな独特の閉鎖感と親密感のある空間。誰もが顔を紅潮させ、思い思いの格好や食べ物を用意して、無意識的な同調と適度で個人的な距離感を保ちながら、その始まりを待っている。
私の幻視する「満月朗読館」は、そんな場所だ。

「次の開館はいつですか?」
「誰が朗読をするのですか?」
「どんな物語が聴けるのですか?」

「さあ、それは誰も分からない。だから中々この「閉館」の札ははずれませんね。そもそも次があるのか。誰がやるのか、どんな物語が生まれるのか。でもきっといつかひょこり開くのでしょう。またあの満月、四晩のように」

――さて、それではいつかの満月に、浪漫を込めて

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2011.03.22

「坂本真綾の満月朗読館」のレビュー

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坂本真綾の満月朗読館 最終夜『月の珊瑚』

満月の夜には、月と珊瑚が

レビュアー:yagi_pon NoviceNovice

最終夜のイベント及びブックレットの感想です。

劇場では、大画面に映し出される美しいイラストと、聞こえてくるのは真綾さんの声だけ。それまではUstreamだっただけに、非常に贅沢なイベントだった。

そして家に帰り、ブックレットを開く。最初は目で追って読み、二回目は声に出して読む。声に出して読んでみるのがオススメ!
ページをめくるたびに変わる背景絵は、場面が移るごとに”色”が変わっていくようで、自然と引き込まれる。

憎いな!と思うのは、ブックレットには劇場では見られた少女の石の美しいイラストが掲載されていないこと。ひときわ美しく、鮮やかな服を着た彼女は、見た人の記憶の中だけだなんて。それを思い出すために、ブックレットを何度も手に取る。読んでいるこっちも、気づけばブリキの彼のように、彼女の記憶をたどっていく。

不器用な二人は、思いを伝え合うことはなかったけれど、満月の夜には月と珊瑚が、互いに光り合っている。
その光は、その想いはたしかに届いたんだと思う。

何百年も待たなくても、この物語に出会えたことに感謝。

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2011.02.10


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