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「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣 第一回

いくらなんでも悪すぎる!

レビュアー:大和 NoviceNovice

『キアは苦笑して、どこか遠い彼方へと視線を投げる。
 その瞳に何が映るのか、タウは知りようがない。だがそれでも彼は信じている。二人は同じ物を見つめ、同じ夢を見て、いつか同じ場所に辿り着くのだと。』

「最新&最高のバディものがここに!」というキャッチコピーが示すように、『金の瞳と鉄の剣』という作品は、二人の主人公――タウとキアの関係が大きな魅力の一つだ。二人は強固な絆で結ばれた相棒同士として描かれている。例えば竜と戦う時の連携では「お互いにタイミングは万全に心得ている」し、冒頭で引用した文章もタウのキアに対する強い信頼を表している。時には「もうどれだけ長い付き合いだと思っているんだか」なんてモノローグが飛び出すくらいだから、第一回の時点で既に、二人は相当な場数を共に駆け抜けたパートナーとして関係を確立しているのだろう。

 ところで、エンタテインメントの作家に対して「意地が悪い」という言葉は時折称賛の意味として使われる。読者の予想をしっかり裏切れている、ということだからだ。その前提を踏まえて言うけれど――この作品は、あまりにも意地が悪い。

 そう、この作品はとことん意地が悪いのだ。『金の瞳と鉄の剣』というタイトルをつけておきながら「剣は論外」なんて言うし、高河ゆんの華麗なイラストが置かれながら中身は地べたを這いずる傭兵稼業だし、「ファンタジーの王道中の王道」と言いながら遠大な世界観も数奇な運命も出てこない。

 何より意地が悪いと思ったのは、タウとキアの関係だ。

 この作品は二人の絆がいかに強いか、繰り返し繰り返し描いてみせるけど――その実、ひどく危うい関係であることが、第一話において既に示唆されている。例えば第一話の中ほどに、こんなシーンがある。

『(…)かろうじて輪郭として見て取れるのは、薄くぼやけた遠い山々の稜線だ。
 (…)不意打ちも同然に訪れた歓喜で、タウの魂は打ち震えた。
 (…)タウにとって、そこは未知の異境だった。
 今日この日までタウが見届け、経験してきた諸相だけが、決して世界の全てではない。未だ見ぬ驚異が、神秘が、何処かに待ち受けているのだという想い――それこそがタウを旅に駆り立てる理由の全てだ。』

 この描写からタウが非日常的な感動――いわば「リアル」の対義語としての「ファンタジー」を求めていることが分かる。ここで二人は「しばらく座り込んだまま、時を忘れて目の前の雄大な美観に見入」るのだけど、このシーンの構図はまさに二人の関係性を表すメタファーとなっている。この後キアは引き返すことを提案するも、タウはそれを却下して二人は山頂へ向かう。つまり二人が座り込んでいたのは「上る」ことも「下りる」こともできる場所なのだ。

 これは、二人がどちらにも振り切っていない、曖昧な立ち位置にいるからこそ成立している関係だということを示している。「上る」ことは「竜と出会う」行為であり、「竜殺し」の称号を得るための行為であり、すなわちタウが理想とする方向へと向かう道だ。だが実際に竜と遭遇してどうなったか。想定外の強さにタウは絶望し、死ぬことすら覚悟したが、キアは想定内だと言わんばかりに「ここに来たがっていたのは僕の方なんだ」と告げ、歓喜の笑みすら浮かべてみせる。キアは竜に勝って見せるが、それが当然の結果であるかのように戦闘シーンは描かれない。

 つまり、「上る」ことで出会うモノは、タウにとっては圧倒的なファンタジーであり、キアにとっては圧倒的なリアルなのだ。逆に言えば、「下りる」方向はタウにとってのリアルであり、キアにとってのファンタジーだと言える。キアは「来たがっていたのは僕の方」と言ったが、それはタウと同じファンタジーを欲しているからではなく、むしろ自分が竜と同列の存在であることを再確認するための行為だった。キアは自分を、人の形をしたバケモノみたいな存在だと思っていて、タウが「上る」ような行為によって何かを得るほど、キアは自分が「下りる」道から程遠い、山頂にいる竜のような異形の存在であることを自覚させられてしまう。

 だが厄介なのは、タウはキアを想うからこそ山頂に向かっている、という点だ。このすれ違いは二人が初めて出会った頃から決定的だった。

『血みどろの戦場の光景がどんなに凄惨であれ、人の世の欲望と裏切りがどれほど卑劣で非情であれ、ただそれだけで絶望するには及ばない。かつて、この世界はただそれだけの場所ではないと知ったとき、タウの人生は新しい意味を得た。その理解をもたらした友が傍らにいればこそ、今のタウが在るのだ。』

 リアルに打ちのめされていたタウはキアにファンタジーを見て、リアルに打ちのめされていたキアはタウにファンタジーを見た。それを拠り所に、相手に尽くすようにして二人は生きてきた。だが――否、だからこそ、二人の考える「リアル」と「ファンタジー」は完全に真逆なのだ。相手と出会えたからこそ生きる希望が持てた、ということが、求めるモノが違うことのそのまま裏返しとなっているのだ。例えばタウが竜の角を欲したのも、結局はキアに「タウが想うファンタジー」を見せたいがためだった。二人が行く道の選択はタウが主導権を握っていて、二人がタウの望む「ファンタジー」へ向かうことはほとんど宿命付けられていると言っていい。

 そして第一回は竜の角を得ることで終わる。それは二人が山頂へと向かって上り始めたことを暗示している。それはタウが望む道であり、キアが望まない道だ。そのまま進めば、求める道がそれぞれ違うという事実に二人は直面してしまうだろう。「最新&最高のバディもの」でありながら、虚淵玄は第一回で二人の関係が瓦解するきっかけを描いてしまった。

 なんて、意地悪なのだろう。

 きっと意地悪な虚淵玄のことだから、この作品は「最新&最高のバディもの」を謳いながら、二人が決定的に道を異にする瞬間を描かずにはいられないと思う。そんな時、虚淵玄はどんな関係を、どんな結末を二人に与えるのだろう? 僕は今から、楽しみで仕方がない。


 さて、ここでもう一度、冒頭で引用した本文を読んでほしい。
 そこにどんな意味が含まれているか。判断は各々に任せよう。

 でも僕が思うに、やっぱり、この文章は――いくらなんでも、意地が悪すぎる。

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2011.12.20

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

共に歩く理由

レビュアー:秋野カゲフミ NoviceNovice

この二人、なんで一緒にいるんだ。
読み始めてすぐこの違和感を感じ、読み進めるほどにより強くなった。
明らかに共通の目的などない。
名声を求めるタウに対して、タウがそう言うなら、という感じでついていくキア。
お互い依存しているような雰囲気でもなく、別に一緒じゃなくてもうまくやっていけるのではないかと思ってしまう。
そして決定的なのは龍との戦いにおけるキアの力。これだけの力があるのにやっていることはタウと共に傭兵稼業で日銭稼ぎである。
違和感だらけであるのに、当の二人は共に歩くことをごく自然に行っている。そしてお互いの行動を信頼しきっている。妖精郷に囚われた時など、タウはその解明をキアに任せ切った。そして自分の仕事は休むことだと判断し、結局第二話でタウは、食って飲んで寝てただけである。ニートである。
そしてさらに読み進めると、キアの異常さ、危険さがより浮き彫りになってくる。第三話でのラルーバスとの対話、第四話での薬売り、話が進むほどキアの恐ろしさに気付かされる。
そうして第四話まで読み進めた所で、キアに対して”どうしてタウなんかに付き合っているんだ”と、タウに対して”どうしてそんな恐ろしい存在と一緒に入られるのだ”と、問いかけたくてしかたなくなる。
そんなところであらわれたのが、最後の第五話である。タウとキアの出会いの物語。これがすべてに答えてくれた。
タウはキアに世界を見せるという目的を得た。キアはタウの相棒というアイデンティティを得た。二人が共に歩く理由にはこれで十分なのだ。

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2011.12.20

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銀

金の瞳と鉄の剣

美しい世界

レビュアー:6rin NoviceNovice

龍が山岳に棲み、魔術師は魔力によって奇跡を起こし、傭兵は戦場で命を賭け、貴族は社交界で優雅に振舞う。
「金の瞳と鉄の剣」はファンタジーの世界を舞台に、二人の若い男、魔術師キアと戦士タウが活躍する物語です。作者は話題になったアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」で脚本を担当した虚淵玄です。

それまで虚淵玄の作品に触れたことがなかったぼくは「まどか☆マギカ」で初めて虚淵玄の作品に触れました。作者の仕掛けた、先の展開が知りたくなる罠にまんまとハマッたぼくは「まどか☆マギカ」を食いつくように観ました。「まどか☆マギカ」で虚淵玄はおもしろい話を考える人だ、ということを学習したぼくはネット上に無料で公開されている「金の瞳と鉄の剣」を読み、それから書店で本を買い求めました。
書き下ろしの最終章は主人公の二人の出会いを描いていて、特に面白かったです。

(作品世界の時間順では最初の章である)最終章で出会ったキアとタウはお互いに影響を受けて生き方を変えます。生きる目的を見つけるのです。
キアは自分が人なのか、人の姿をした人を超えるものなのかを知りたい。
タウは自分にとっての善い生き方を見つけたい。
二人は自分探しを目的とする旅に一緒に出ます。
自分探しの答えを見つけるには最後は運に頼るしかなく、確実に見つけられる方法はありません。見つけられればいいのですが、結局のところ見つからないかもしれません。
でも、ぼくはそうなったとしても二人は十分に幸せだと思います。
なぜなら、二人の関係は特別なものだからです。

二人の間には助け合いながらの旅が育んだ友情があり、キアにとっても、タウにとっても、相棒は人生のカーブを切らせてくれた恩人です。だから、二人は相棒に迫る身の危険から互いに身を守ります。それだけ、相棒を大切に想っているということです。
生き方を変えてくれた恩人との間に友情があり、一緒にいる時間がどんどん積み重なっていくというのはとても幸せなことだと思います。
人との深いところでの繋がりは狙って得られるものではありません。
誰もが二人のような人生を歩めるわけではありません。
ぼくにはそういう特別な人はいません。
ただ、ぼくや読者のおそらく全員にあって、二人に無いものがあります。
関わる者たち全員に、人間としてではなくてモノとして扱われてきたキア。
家族のような存在がいない中で戦場を生き抜いてきたタウ。
ぼくらは家族がそばにいるなかで育ってきましたが、家族や家族と言ってもいいくらい親しい人がいない二人は、ずっと孤独でした。
そんな中、相棒が二人を孤独の檻から救い出しました。だから、二人にとって相棒は掛け替えのない大切な存在なのです。

二人が絆と生きる目的を有することを象徴的に描いた場面が、ドラゴン退治の顛末が書かれた最初の章にあります。
二人は退治して名声を得ようとドラゴンの棲む山を登り、頂上の近くで予期しなかったものを見ます。眼下に広がる乳白色の雲海、雲より高い、眩い空。二人は休憩をとり、初めて見るその美観に見入ります。その場所には、夜になれば星の光が雲に遮られることなく届くでしょう。
素晴らしい眺めに見入るこの姿は、相棒との絆と生きる目的を有して旅をする二人と3つのポイントで似ており、旅をする二人を比喩的に描きます。

それを、美観に見入る二人のポイントの頭に《山》を付け、旅をする二人のポイントに《旅》を付けて説明します。

1つ目。
この世界では、ドラゴンに遭遇することは極めて稀なようです。ドラゴンが棲む、雲よりも高い山の頂上付近にあるこの場所に、人が訪れることはかなり珍しいでしょう。ここが絶景を拝める素敵な場所であるのを知る人は限られると推察されます。

《山》「人が来ることのない素敵な場所に二人だけでいること」は、
《旅》「特別な絆で二人が結ばれていること」や、「そんな二人だけの旅」に似ています。

2つ目。
異国にあるらしい山々が雲海の彼方におぼろげに浮かびます。それを見たタウは、その山々を一生涯知ることもないかもしれないと思います。

《山》「知ることもないかもしれない、輪郭がぼやけた山々」は、
《旅》「見つからないかもしれない、まだ形の分からない自分探しの答え」に似ています。

3つ目。
自分探しの答え(生きる目的)を懐きつづけるということは、二人は答えに見入っているということです。答えに魅入られているのです。二人が見入っている点は美観も同じです。
そして、彼方の山々は美観の一部なので、美観も、輪郭がぼやけているなどの山々の印象を帯びます。
だから、輪郭がぼやけている点や二人が見入っている点などで、美観と答えは似ています。

二人は《旅》「形が分からない遠くにある答えに見入る」ように、
《山》「彼方に山々がぼんやり浮かぶ美観に見入る」。

美観に見入る二人と旅をする二人には、上記のように3つの似たポイントがあり、美観に見入る二人は旅をする二人を比喩的に描いたものだといえます。

つまり、キアとタウは、二人きりの素敵な場所で(≒絆で結ばれた二人の旅において)、彼方に山々がぼんやり見える美観に見入る(≒まだ形が分からない、遠くにある自分探しの答えを懐きつづける)ということです。
自分探しの途中ながら、相棒との絆と生きる目的を有するという意味では、二人はすでに素晴らしい場所にいるのです。

そんな二人だけの美しい世界をゆくキアとタウ。
二人はどこに向かうのでしょうか?
たとえ、二人が絆や生きる目的を失おうとも、ぼくは旅の終わりまで二人を見届けたいと思います。

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2011.09.08

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

鉄

金の瞳と鉄の剣

こんなこといいな♪できたらいいな♪

レビュアー:ヨシマル NoviceNovice

栄子:ファンタジー言うたらなあ――
ヨシマル:ん?
栄子:『創竜伝』とか『十二国記』とか有名やと思うねんけど。
ヨシマル:まあ、長いシリーズといえばこの二つだよね。現代伝奇と異世界ファンタジーじゃ金字塔と言える作品ではあると思うよ。
栄子:せやろ。代表作やんか。その二作品に共通してることってさあ――
ヨシマル:共通してること? 何かあったっけ?
栄子:まあ特に意味はないんやけどな。どちらも最新刊が最新刊といってええんかなって感じだとか、そういえば次回更新まだなんかなあとか、そんなこと考えてへんよ。
ヨシマル:……充分何が言いたいか伝わってきたよ。
栄子:あたしは何も言うてないけどな!
ヨシマル:ということで今回は『金の瞳と鉄の剣』(以下『金鉄』)のレビューだよ。
栄子:『金鉄』に関しては通算三回目のレビューやな。
ヨシマル:以前はそれぞれの回に分けてきたけど、今回は全体を通してのレビューをしてみようと思う。
栄子:三回目か。星の鼓動が愛だったり、宇宙とめぐりあったりせなあかんのやな。
ヨシマル:しないよ。三部作のつもりじゃないんだから。あと、永遠への回帰とか裁かれし者とかでもないからね。
栄子:くっ。さすがにネタがマイナーすぎや。
ヨシマル:先手必勝。てことで『金鉄』レビューするよ。
栄子:しゃあなしやな。
ヨシマル:……しっかりやってよ。
栄子:まあまあ。
ヨシマル:本書は戦士・タウと「本物」の魔術師・キアによる冒険ファンタジーだね。以前にも言ったけれど人間タウと「ヒトならざる者」キアの友情が注目どころになってる。
栄子:第一回でそんなこと言うてたやんな。
ヨシマル:もちろんそれだけじゃないんだけどね。
栄子:魔術シーンなんか格好良いし。
ヨシマル:数少ないながら戦闘シーンは気合入ってて、盛り上がるというよりは臨場感たっぷりに仕上がってると思う。
栄子:パッと見バトルものっぽいのに戦闘シーン本当に少ないんやな。
ヨシマル:実はそこが全体の雰囲気作りとかにも影響してて、人間関係を掘り下げようとしていることにもつながってるんだろうね。戦闘が行われたことは書くけれど、戦闘そのものを書かないことで全体に独特のタメみたいなものができてる。一回一回が短編であることにも関係するかもしれないけれど、そうすることでクライマックスがどこかって分かりやすくなって、緊張感持って読んでいけるんだよね。
栄子:キアが魔術を使うタイミングとかやな。
ヨシマル:そうだね。
栄子:なるほどねえ。あ、戦闘といえば、重要なこと気づいてしまったんやけど、言うていい?
ヨシマル:ええけど。何なの?
栄子:いやあ、よくよく考えてみたら――
ヨシマル:みたら?
栄子:タウって弱ない?
ヨシマル:…………。えっ?
栄子:いやだから、タウって弱ない?
ヨシマル:そ、そ、そんなことないんじゃ――
栄子:せやって。第一回は竜に瞬殺やろ。第二回はいいとこなしやし、それ以降だって活躍してるの第四回の奥様相手くらいやんか。たまの戦闘でも倒してる相手ってそんなに強敵いいひんかったし。
ヨシマル:いや、でも戦った相手ってのが強いのばかりだったんじゃ。
栄子:そら、人外系の相手もいたやろうけど、太刀打ちできないのって第一回の竜くらいやん。他の人外系の敵って圧倒的に強い感じの描かれ方してなかったし、人間相手ならほぼ全敗なんやない? 
ヨシマル:うーん。
栄子:まあ全敗は言い過ぎなんかもしれへんけど、数人相手でこられたら逃げているか、キアに助けてもらってるかしてるわけやし。なんか、こう、威勢の良い割にはヘタレってるんよね。
ヨシマル:まあ、そう言われればそうかもしれない気もしてきた。
栄子:かもしれないやなくて、実際ヘタレなんよ。そのくせ言うことだけは大きなこと言うんやから、余計にたち悪いし。
ヨシマル:なにも、そこまで言わなくても。
栄子:いーや、言わしてもらうよ。タウはヘタレでその上、ピンチにいなったらいっつもキアに助けてもらう「のび太」キャラなんや!
ヨシマル:うわあ……。
栄子:つまりはキアが「ドラえもん」なんや!
ヨシマル:うわあ…………。
栄子:呆れすぎやろ!
ヨシマル:いや、だって……。
栄子:今までさんざん変な例えしといてのび太で呆れるとかないやんか。
ヨシマル:それ言われると言い返せないけど。
栄子:実際ドラえもんのひみつ道具はキアの魔術を引き合いに出せるし。
ヨシマル:進みすぎた技術はなんとかってことだね。
栄子:わざわざそんな格言持ってこんくてもええねんけど。とにかくタウは生き残るためにキアの力を使ってる。のび太がジャイアンに代表されてる脅威から身を守るためにドラえもんのひみつ道具の力を借りるのと似たようなものなんやないんかな。それに、実力のありなしは置いといて、二人とも夢語っちゃうタイプやしね。付き合うのは疲れそうやわ。
ヨシマル:うーん、なるほどね。
栄子:まあ、のび太の場合は自分からひみつ道具に頼りにいってるのに対して、タウの場合は自分でなんとかしようって計画立ててるところが違いっちゃ違いなんやけど。
ヨシマル:のび太はもとからドラえもんに助けてもらうことを前提にしてジャイアンやスネオに対して大口をたたくことが多いんだね。それに比べると『金鉄』のタウはあくまでも自分が考えた計画が失敗して、不可抗力的にキアのひみつ道具=魔術に救ってもらうっていう図式になるんかな。
栄子:そやな。
ヨシマル:うん。けど、それって大きな違いなんじゃないかな。
栄子:どういうことなん?
ヨシマル:『ドラえもん』の作中の場合、往々にしてのび太がドラえもんを当てにして大口をたたくときって最終的に失敗してると思う。それはのび太の計画性のなさや、『ドラえもん』ていう作品の道徳性みたいなものによってるんだろうね。対してタウはというと、前にも言ったようにキアの魔術は最終手段、というより最終手段がどうしようもなかった場合に発動する裏技的な扱いなんだ。だから、キアの魔術っていうのを必殺技的に使ってもそこにタウが成功しても許される不自然さがなくなっているんじゃないかな。
栄子:ごちゃごちゃ言うてるけど、平ったく言うと真面目に努力したから良かったってことやろ。
ヨシマル:まとめるとそういうことになるのかな。自分にできることをコツコツ努力してるところに惹かれる人も多いのかもしれない。
栄子:そうやって真面目に努力したところで、やっぱり失敗しちゃってるところが可愛いんやけどな。
ヨシマル:結局ヘタレのままか!
栄子:ヘタレ男子は大好物や!

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2011.09.08

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

「金の瞳と鉄の剣」(旅立ちの夜)

私の一番好きなシーン

レビュアー:zonby AdeptAdept

「金の瞳と鉄の剣」を読んだことのない人には本当に申し訳ない。
二重の意味で申し訳ない。
いや、本当に本当に申し訳ない!
…。
と、どうしてこんなにも私が最初から謝るのか、不思議に思う方がいらっしゃるかもしれないので、これからその訳を説明しようと思う。

「金の瞳と鉄の剣」は、世慣れているがどこかすこーし、抜けたところのある体力勝負担当の傭兵・タウと、世間知らずな上に無欲で抜けたところがあるかと思えば、いざという時に人智を超えた力を魅せる魔術関連担当の魔法使い・キア。全く正反対の気質を持つが故に絶妙な関係性を保ち、またそれぞれが持つ正反対の気質にこそ互いに価値を見出す二人の冒険を描いた、ファンタジー小説である。
ファンタジー小説といっても、苦手な方は気構えないで欲しい(かつての私がそうだったから)
これはタウとキアの物語だからだ。
タウとキアの関係性に重点をおいた物語だからだ。
おまけに一冊丸々の長編ではなく、一編ずつが独立した小物語で構成させているので、長編が苦手だったり、まとめ読みが苦手な方にもおすすめできる一冊である。
で、
である。
私の言う二重の意味で申し訳ないの一つ目の問題は、私が書こうとしているのが「金の瞳と鉄の剣」の最後の最後を彩るシーンだからである。最後の最後のお楽しみをここで私が書いていいものかと数秒悩んだが、まあこれはあまり気にしなくていいだろう。という結論に達した。一応の流れはあるものの、基本的には短編集のような感覚で読むことができるからだ。
さて次の問題である。これは完全に「先にこーんな良いもの読ませてもらっちゃってごめんなさいね~」といういやらしい優越感からの申し訳ないなので…あ、これもまあいいか。

という訳で、いかせて頂きます。(レビューモードに切り替え、切り替え)。

――そこに描かれている情景を読んだだけで、肌が粟立ち心臓が震える。
ただの文字の組み合わせでできた架空のものであるはずなのに、そこで交わされる言葉・事象すべてに心奪われ、最後にはその気持ちをどこにもって行けばわからなくなって……思わず泣いてしまう。
そんな経験を私は何度できるだろうか、そんな本に私はあと何度出逢うことができるだろうか…。

幸福にも、私は「金の瞳と鉄の剣」の中でそのシーンに出逢うことができた。
それはこんなシーンである。
長い間狭くて暗い場所に閉じ込められ、人と言葉を交わすことすら稀だったキア。そんな彼をタウが外に連れ出す。そこでキアは行うのだ。
生粋の魔法使い。人智を超える力を持つ魔術師が、最初にするべきこと。
呼吸をするが如く、あまりにも自然な―――。
閉じ込めらていたことで今まで満足にすることのできなかった、『世界との同調』『生きた魔力と自分との調律』を。

「金の瞳と鉄の剣」には様々な読み所があるし、私はそれを語ることができる。他にも好きなシーンや好きなセリフもあるし、もちろんそれについてだって私は語れるだろう。
けれど私の中で「金の瞳と鉄の剣」が決定的に私の心を掴んだ箇所をあげよと言われたら、私はこのシーンしかあげられない。上記については確信を持って「語れる」と書いた。
けれど、
けれど、このシーンだけは「語れる」否、「語りきれる」言葉を私は持っている自信が、ない。
それでもあえて語るのだとすればそれはきっと、キアが世界と『同調』するシーンは理性では処理できない程強い身体性、つまりリアルな五感を伴った文章であるからだと思う。

このシーンだけが読みたくて、ページを繰る日もある。
そして、文字を追うことで私がキアに『同調』し、物語の中でキアは世界に『同調』する。同時に私も私の生きる世界との『同調』を試みている瞬間でもある。
感じるはずのない空気が頬をかすめ、見えるはずのない光が灯る。シーンの中でキアは魔法使いらしく、魔力を優雅に享受し、私はそれを見て、感じて、泣く。

勘違いしないで欲しいのは、悲しくて泣くのではないということだ。
誰かが紡いだ物語を読み、そのシーンに心を揺さぶられ、耐え切れずに泣くのだ。
それは時間も距離も超越してここにある「金の瞳と鉄の剣」のワンシーンを通して、この本に関わった全ての人たちやその力、私の理性を振り切ってしまう程の力に触れる、ということかもしれない。
この世界のどこかに、絶対に存在している何かに触れるのだ。
だから、泣いてしまうのだ。

それは…その涙は多分、一部ではあるけれど世界と『同調』できた証。
なんだと思う。

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2011.07.14

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

出会えて、よかった?

レビュアー:大和 NoviceNovice

 はじめまして。君はもう、『金の瞳と鉄の剣』は読んだかな? もし読んでいないなら、是非とも読んでほしい。でも、いきなりそんなこと言われたって戸惑うだけだよね。折角だから、僕はこの小説について思うところを語ることにする。そうすることで、君がこの小説に興味を持ってくれたら――君とこの小説が出会う手助けをすることができたら、嬉しい。

 『金の瞳と鉄の剣』は虚淵玄によるファンタジー小説だ。シビアな傭兵の世界で生きてきた戦士タウと、人間たちの社会から離れて生きてきた魔術師キア。二人は互いの間にある強い絆を確認しあいながら、めくるめくファンタジーの世界を旅していく。

 この小説が持つ魅力は色々あるけれど、僕が特に気になっているのは「二人の関係がこの先どうなるか」という点についてだ。二人の関係がどう変化していくか――ということではない。むしろ別れた後にどうなるか、ということが気になっている。

 タウとキアは、いつか別れることが決まっている。と言っても、どんな出会いにだって別れがあるとも言えるから、そんなことは当たり前だと思うかもしれない。しかし二人に訪れるだろう別れはひどく暴力的で、どうにもならないものだ。

 そもそも二人は別次元の存在だと言える。タウは優秀な冒険者だが、あくまで普通の人間だ。対してキアは超常的な力を持った、条理から逸脱した存在なのだ。例えば竜という強力なモンスターと対峙した時、タウは竜にロクなダメージを与えられず気絶してしまうけれど、キアは単独でも竜と互角以上の戦いを演じてしまう。

 けれど、そういった「違い」に関してはそこまで問題にならないかもしれない。少なくとも二人は互いを対等な存在――頼りになる相棒として認め合っている。しかし、そんな二人の歩み寄りをあざ笑うかのように、二人を暴力的に引き裂いてしまうものがある。

 それは時間だ。タウとキアは生きる時間が決定的に違う。タウはあくまで普通の人間だ。普通に年を重ね、やがて死に至るだろう。対してキアは永遠にも近い寿命を持っている。タウが寿命を迎えるまで二人が一緒にいるかは分からないが、少なくともこのまま二人が長く旅を続けていれば、やがて寿命の差という壁にぶつかるだろう。

 もちろん、誰と誰の間でも、寿命が同じだとか同時に死ぬだとかいったことは、究極的には有りえないだろう。たとえそれが一日だとか一秒だとか一瞬だとかいった差であっても、どちらかが先に死に、どちらかが後に死ぬ。だから寿命に差があること自体が問題なのではない。ここで問題になるのは、二人が一緒に旅をする時間の、各々の生涯における割合が、あまりにも違ってしまうということだ。

 例えば二人が何十年も一緒に旅をしたとする。それはタウの生涯のほとんどを占めたものになるだろう。だが例えタウの生涯の八割や九割を占めた旅であっても、永い永いキアの生涯に照らし合わせれば、ほんの一瞬程度に過ぎなくなってしまうかもしれない。想像してみてほしい。自分にとって生涯のほとんどを占めた経験が、相手にとって、まるで数時間程度の暇つぶしみたいなものに過ぎないものだったとしたら――それはなんだか絶望的な「違い」に思えないだろうか? 二人は決定的に、生きる時間が違う。それ自体は、どうにもならないことだ。

 じゃあ、二人は出会うべきではなかったのか?
 二人の間には、悲しい別れしか待っていないのだろうか?

 僕は、そうは思わない。

 たった一つの、時間にしてほんの少しでしかない出会いが、人生を強く変えてしまうことは往々にしてある。君にもあるんじゃないか? 人との出会いが想像しづらければ、例えば作品との出会いをイメージしてみればいい。僕らは小説や漫画や映画やアニメやゲームといった無数の作品たちに出会う。その中の一つに強烈な影響を受けてしまう、なんて経験は多くの人が持っているだろう。それは確かに数時間程度の体験でしかないはずなのに、人生に照らし合わせればほんの一瞬に過ぎないような体験なのに、心を揺さぶり、魂に刻まれ、人生に強く影響を与えてしまう。苦しい時や悲しい時に、何らかの作品のことを想い、それが心の支えになる。そんな経験がある人も多いはずだ。

 キアにとって、タウと過ごす時間は一生のうちのほんの一瞬に過ぎないのかもしれない。でもタウと共に旅をし、別れを経験し、二人の物語を終えた時、キアはそこから何かを得ると思うのだ。たとえキアだけが世界に取り残されたとしても、タウとの出会いは何らかの形でキアを支えると思うのだ。僕はとにかく、それが何なのか、気になって仕方が無い。

 二人は決定的に違う存在で、決定的に生きる時間が違って、未来には決定的な別れが待っている。それ自体はどうにもならない、覆すことのできないものだ。だからといって、二人の出会いがただ切なく悲しいものだとは限らない。一緒にいる瞬間だけに価値があるわけじゃない。別れを経た、その先にだって価値はあるはずだ。僕は何より、タウと過ごす日々からキアが見出すモノをこそ見てみたい。もしかしたら、そこから見出すものは、必ずしも良い事ばかりではないかもしれないけど、僕はそれが尊いものであることを願う。

 何故こんなにも気になるのか――はっきり言って、キアが心配なのだ。考えてみてほしい。自分は何の変化もなく、親友だけが老いて先に死んでしまうだなんて、すごく怖いことじゃないだろうか? 一緒に年もとれないで、一緒にいればいるほど親友だけが老いていって、どんどん二人は違う生き物みたいに差が生じてきて……想像するだけで震えてしまいそうだ。一緒にいればいるほど、キアはそんな恐怖を抱えなければならなくなってしまうんじゃないだろうか? だから、タウには頑張ってほしい。キアの一生を支えてあげてほしい。例え決定的な別れが待っているとしても、そうやってタウがキアを救うことができたなら、それはとても素晴らしいことだ。二人が出会ったことは間違ってなかったと、かけがえのない大切な出会いだったと、確信をもって言えるようになるだろう。それが描かれた時、きっと僕にとっても、この作品との出会いが、かけがえのない大切なものになると思う。

 ……どうだろう。少しは興味を持ってもらえたかな? 
 この小説を読みたいって思ってくれたかな? 
 正直言って、僕はちょっぴり不安で、自信が無い。

 せめて、僕は祈ることにする。
 『金の瞳と鉄の剣』を手にとって、祈ることにする。
 タウとキアの出会いが、かけがえのない大切なものとなるように。

 君にとって、この作品との出会いが、かけがえのない大切なものとなるように。

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2011.06.17

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

ファンタジーとしての『金の瞳と鉄の剣』の魅力ってなんだ?

レビュアー:yagi_pon NoviceNovice

『金の瞳と鉄の剣』のレビューでよく言われているのは、
これはファンタジーの世界の話であること以上に、
タウとキアという二人の人間の話だということ。

それはすごく納得できる。
けれども少し残念でもある。
たしかに男二人のヒューマンドラマなんだけれど、
そこばっかりが注目されているから、
ファンタジーとしては二流だと言われているような気さえしてしまう。

じゃあ、
ファンタジーとしての『金の瞳と鉄の剣』の魅力ってなんだろうか。


一番に浮かんだのは、龍という怪物を表現しているこの文章だった。
「眼下のタウを凝っと見据えるその視線こそ、何よりも雄弁に『アレ』がただの猛獣ではないことを物語っている。獣は人間を睨んだりしない。さもなくばそれは獣以上の『何か』だ。」(p33より引用)

この表現によって自分は、物語の第一章にして早くも心を掴まれた。

そこにある「絵」としての龍を描写するだけではなくて、
そこにいる人間と対峙している龍が描かれていると思う。

翼や顎、鉤爪の描写はあるにはあるのだけれども、
そんな描写を吹き飛ばすくらいに、
読者に龍という怪物の存在感を訴えてくるこの表現、すごく好きだ。

人間に重きをおいた物語であると同時に、
人間の視点や人間の存在に重きをおいた表現をする物語なのだと思った。


これより少し前の、
「怪物はね、ヒトでは倒せないから怪物なんだ。……もしも怪物を超えてしまったら、そいつはもうヒトではない。その向こう側の何かになってしまう」(p25より引用)
とか、

皮肉の利いた
「僕を利用しているのは村の連中なんだから、彼らこそが”魔法使い”と呼ばれるべきなんじゃないかな。さしずめ僕は”魔法”そのもの、ってところか」(p229より引用)
なんかも好きだ。

ファンタジーの世界を、詳細な描写ではなくて、
妙にリアルな表現や視点で描いている。
自分はそれが、この物語の魅力だと思うな。

自分を惹きつけたのは、男二人のストーリーではなくて、ファンタジーじゃなかったら見ることのできないものだから。
自分で言っておいて撤回するのもなんだけど、絶対二流なんかではない。

結局のところ、
タウとキアのヒューマンドラマ的な物語の魅力も、
ファンタジーの世界を人間的な表現や視点で描く物語の魅力も、
その中心にあるのが人間っていうのは変わらないんだけどね。


幸いにして、まったく終わりの見えない物語だ。
ストーリーが気になるというより、
この世界に浸っていたいというより、
この人が表現するファンタジーの世界をもっと見てみたい。

自分にとって『金の瞳と鉄の剣』は、そんな物語だ。

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2011.06.01

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

奇跡を体現する男

レビュアー:大和 NoviceNovice

 とりあえず、黙って『金の瞳と鉄の剣』の単行本を手に取ってほしい。
 そして97ページを開いてほしい。


 このキア、やばい。


 かわいい。


 圧倒的にかわいい。


 これはもう今星海社から出ているどの作品のキャラよりかわいいんじゃないか。


 男だけど。


 中性的な美少年だったら女の子に見えてもおかしくない……と言えるかもしれないが、それにしても、この絵は女の子にしか見えない。何から何まで女の子にしか見えないが、決め手は足だ。特に膝からつま先にかけてが危険だ。膝先をちょこんと揃え足先をわずかに横に向けた座り方は、恐らく正座なのだけど女の子座りにしか見えない。ふわりと翻る布切れはスカートのフリルを思わせて意味も無くピラっとめくってみたくなる。全体的なシルエットの細さもあまりに男とは思えない。二の腕も非常に危険だ。ごくわずかな曲線と色遣いの加減による業なのか、ほとんど骨と皮しか無さそうな細さであっても触ってみたら意外と柔らかそうに見える。その弾力を想像しただけで気が狂ってしまいそうだ。

 隣に描かれたタウも筋肉があるにしては細いとはいえ、タウとキアとの差は一目瞭然だ。そもそも表紙も第一回の絵も第二回の絵も(立ち位置や角度の問題かもしれないが)結構身長があるように見えるし、特に第一回の絵は普通に男にしか見えないのだけど、第三回の絵はやたらと女の子っぽくて、そこに僕は奇跡の存在を見ずにはいられない。

 とにかくこの絵は、僕の琴線にひどく触れるのだ。
 見れば見るほど引き寄せられる。
 いつのまにかキアの瞳が金色に輝いていても驚かない。
 この絵は魔法に満ちている。
 なんというか……目覚めてしまいそうである。
 少なくとも僕は断言できる。この出逢いだけで、この本を買った価値はあったのだと。

 最後に、作品本編であまりにもピッタリな一文を見つけたので、引用させていただく。

『初めて胸に滾るものを手に入れたこの夜を、彼は生涯、忘れることはないだろう。』

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2011.05.09

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

誰がために

レビュアー:akaya NoviceNovice

「決まってる。俺の相棒さ」タウはキアにこう告げる。
人ならざるやも知れぬ力を持つ魔術師と共に、功を求め戦場を巡る傭兵家業。
その力は人の身では打ち勝てぬ怪異にも届き、打ち払わんとす。
しかし、相棒は人の常を知らず、どこか世に対して冷めた目線を持つ。
その相棒に生きる価値を、楽しみを伝えたい。
成り上がりは自分だけのためではない。

その生き方はひどく眩しく、純粋で、憧れる。

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2011.04.28

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

君も大人しく騙されるんだな!

レビュアー:横浜県 AdeptAdept

虚淵玄の王道ファンタジー!?
ぶっちゃけ耳を疑ったけど、覚悟を決めて読んでみたら……。

やっぱり騙されたよ!

龍胎児、神隠し、古城の宝箱、秘密結社の陰謀。
一見すれば、確かに王道のオンパレード。
でもすぐに気付かされたよ。

虚淵イズムが全開じゃないか!

魔法の世界で僕らを待っているのは、人間である意味、価値、証拠、倫理――。
こんなの、いくら深く読み込んでも足りないよ。

でもちょっと待って!
僕は「王道」ファンタジーを読みに来たんだよ!?
何で満足しちゃってるのさ!

これじゃあファンタジーじゃなくて、虚淵玄の王道だよ!

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2011.04.28

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

俺の虚淵玄が面白くないはずがない

レビュアー:ラム AdeptAdept

ファンタジー…だと?
高河ゆんのイラストに騙されるな!!
だって、作者はあの虚淵玄なんだぞ!?

虚淵玄らしさを求めれば、どんなものであれ期待が高まる。
例えば、虚淵玄が普通のファンタジーを書くわけがない、と思って裏切られたら、それはそれで楽しいことだ。
虚淵玄を知らずに読めば、ファンタジーでありながらリアルを超えたリアリティに絶句するだろう。
夢も希望もあるか探すのはあなた次第。

ただ一つ言えることは、
「俺の虚淵玄が面白くないはずがない」

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2011.04.28

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

狂おしいほどに、理想の相棒

レビュアー:大和 NoviceNovice

 タウとキアの関係は、どこか切ない。

 二人は一見して理想の相棒同士だ。
 どんな危険や困難に遭おうと絆は揺らがない。

 だがそれは男同士だったが故の関係だ。強く惹かれ合う二人は、実は男女として結ばれた方が幸せだったのではないか?

 そんなもどかしさを高河ゆんの絵は鋭く捉える。高河ゆんの絵は二人の関係にBL的な視点――つまり恋愛を予感させてしまう。それは立ち上がると同時に、成立しないことを理解させるものだ。

 文と絵の狭間に生じる狂おしい感情。それに囚われた時、あなたは二人の行く末から目が離せなくなる。

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2011.04.28

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

冷徹な愛

レビュアー:大和 NoviceNovice

 これは、虚淵玄による渾身の人間賛歌だ。

 キアは人間のことをよく理解したくて、色んな疑問や行動をタウにぶつけていく。
 タウはキアの問いに懸命に答えるが、耳触りのいいことばかり語られるわけではない。
 むしろ人々の愚かさの方が頻繁に顔を出す。
 だが物語は冷徹に描かれながらも、読んでいると、カラダの芯から熱いモノが込み上げる。
 それは虚淵玄の愛を示すものだ。
 彼は人間を愛するからこそ、真摯に見つめずにはいられないのだ。

 虚淵玄が込めた人間への愛情。
 その感触は、無骨で不器用で、けれど優しく、心地よい。

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2011.04.28

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣

二人の関係性こそファンタジー

レビュアー:zonby AdeptAdept

ファンタジーは苦手だ。
だが私がこの物語を読み通すことができたのは、主人公二人の関係性が非常に興味深かったからである。
タウとキア。
片や世慣れた傭兵と、片や世間知らずの魔法使い。タウは当たり前の世界を知っているからこそ、新たな地平を垣間見せるキアに惹かれ鉄の剣を振るう。キアは反対に人知を超越しているからこそ、何より人間らしくまた自分を人間として扱うタウの為に、己が瞳を金に染める。
敵をなぎ倒して得るカタルシスにはもうお腹いっぱい。
二人が何を得て何を互いに感じてゆくのか、それが本書の見所なのである

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2011.04.28

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

鉄

金の瞳と鉄の剣

相方

レビュアー:ヨシマル NoviceNovice

ヨシマル:相方いるっていいよね。
栄子:なんや、やっと分かってきたんか。
ヨシマル:うん、頼りになる相方がいると楽しいね。
栄子:せやろせやろ。
ヨシマル:自分のピンチには助けてくれるし、相方が危ない時は助けられるし。
栄子:足りひんとこを補って信頼って生まれてくるんよな。
ヨシマル:本当そうだよね。
栄子:なあ、これから大変なこともある思うけど、二人力を合わせて――
ヨシマル:うん。キアとタウなら乗り越えていけるよね!
栄子:「金の瞳と鉄の剣」のことかい!

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2011.04.28

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銅

金の瞳と鉄の剣 第二回

冒険者は年上彼女の夢をみるか

レビュアー:ヨシマル NoviceNovice

ヨシマル:寧々さん可愛いなあ。
透谷:あ?
ヨシマル:もうすぐ、誕生日だし、プレゼントも買わないといけないし、ケーキも用意しなきゃいけないし、忙しくなるなあ。
透谷:だから誰だよ、寧々ってのは?
ヨシマル:なんだ、透谷か。ラブプラス知らないの?
透谷:ラブプラス?
ヨシマル:うわっ! 本当に知らないの? 透谷の常識を疑うよ。
透谷:DSに語りかけてるお前に常識とか言われたくねーよ。
ヨシマル:ラブプラスってのは2009年に発売されたニンテンドーDS向けのゲームソフトだよ。ゲームに登場するキャラクターと交際していく恋愛シミュレーションゲームなんだけど、特徴としてはこれまでの主流だった付き合ったらクリアっていうパラダイムだったものが、「ラブプラス」では付き合ってからがメインになってるところかな。
透谷:あ? 恋愛ゲームつったら付き合ったらハッピーエンドじゃないのか?
ヨシマル:「ラブプラス」の本番は付き合ってからなんだよ。そこから寧々さんとの甘い生活が待ってるのさ。
透谷:プレゼントがどうのこうの言ってたやつか。
ヨシマル:そう。ニンテンドーDSには時計機能が内蔵されてるんだけど、それを使って現実の日時や時間に合わせて付き合ってる状態のキャラクターとのイベントが発生するんだ。
透谷:ああ、それで実際に付き合う行為をゲーム上で体験できるってことな。
ヨシマル:そういうこと。ちなみに寧々さんの誕生日は4月20日な。
透谷:レビュー始まって以来のどうでもいい情報だな……。にしても、知らなかったな、そんなゲーム。
ヨシマル:発売から1年以上経つし結構ブームになってたんだけど……。
透谷:まあ、普段俺はゲームしないからな。
ヨシマル:やったことない人には全然伝わらないんだよなあ。
透谷:ハマる人はハマることは分かったよ……。
ヨシマル:透谷も一回やってみれば良さが分かるはずなのになあ。
透谷:プレイしてるお前見てるだけで面白いからしばらくは遠慮するよ。んで、そろそろ本題に入ろうぜ。
ヨシマル:もう、ちょっと待って。
透谷:は?
ヨシマル:今、寧々さん機嫌良いみたいだから。
透谷:いや、ゲームしまえよ。
ヨシマル:だから、もう少しくらいいいじゃん?
透谷:早くしろっつーの!
ヨシマル:はいはい。やればいいんでしょ。
透谷:子供か! ったく。
ヨシマル:今回のレビューは「金の瞳と鉄の剣(以下「金鉄」)」第二回。以前は第一回のレビューだったけど、今回はその続きの第二回。
透谷:今気付いたけど、「金鉄」って副題がないんだな。
ヨシマル:お、本当だ。どおりで第一回とか言うときに苦労するはずだよ。
透谷:話自体は各話ごとに区切りはいいからレビューはしやすいんだけどな。
ヨシマル:単行本化するときはどうなるか楽しみだね。じゃあ、あらすじお願い。
透谷:隣国の戦に『龍殺しの戦士』として参加したタウとキアだったが、敗走してしまう。その途中で二人は蛇苺が生え茂る不思議な場所にたどり着く。怪我を追ったタウを休ませるためにしばらくそこに滞在することにするが……。
ヨシマル:第一回に続いて戦闘描写はほとんどないね。
透谷:そうだな。今回の主題はタウの理想とは何なのかとかその辺りを突き詰めてる感じだな。
ヨシマル:最後にタウは闘争を続けることを否定するような発言までしているし、今回のタウは人間味を全面に押し出してるよね。
透谷:それとは逆にキアは人間離れした特性が描かれてる。睡眠時間を簡単にずらせたり、なにより不思議空間の中で自然に振舞ってる。
ヨシマル:自然に振舞ってるっていう不自然さが際立つって皮肉な感じだね。
透谷:まあ、第二回に関しては、タウの方がアウェーな立場に立たされてるからな。
ヨシマル:言うならば完全に巻き込まれ型の被害者になってる。それにしたがって言えば犯人は――
透谷:ヤ――
ヨシマル:おっと! 関係ない作品のネタバレはそこまでだよ。犯人は妖精で、探偵がキアってところかな。
透谷:今回に限ってはそういう配役だな。けど、前回の第一回の話を踏まえると違った意味合いになる気がする。
ヨシマル:違った意味合い?
透谷:ああ。以前のレビューで「金鉄」『友情物語』って言い表してたけど、俺は別種の印象を持ったんだよ。
ヨシマル:そう? 今回もタウの理想を取り戻すっていうことでは『友情』主体だと思うけど……。
透谷:ああ、物語としてはそうなんだろうけど、俺にはキアの行動とタウとの断絶感を大きく感じたんだ。
ヨシマル:どういうこと?
透谷:ぶっちゃけると、ある種の気まずさを感じた。んで、それがどんな気まずさかって言ったら「ラブプラス」をしてる人を見たときの気まずさなんだよな。
ヨシマル:うん?
透谷:キアは妖精にも『賓の御子』と呼ばれてるくらいタウのような人間とは違うらしい。その根源は『この世の理(ことわり)の外から』来てることによるらしい。そして、逆にこの世の理の中であるタウを『健気な命』として『憧憬』を持っている。
ヨシマル:うーん?
透谷:ここで言う『理』っていうのをゲームの世界と言い換えると分かりやすい。つまり、キアの存在はゲームの世界の外側、現実の世界で、対してタウはゲームの理の内の存在ってことになる。
ヨシマル:ゲームの言葉で言ったらキアがプレイヤーでタウがキャラクターってこと?
透谷:端的に言うとそういうことだな。
ヨシマル:キアがヨシマルでタウが寧々さんってことか!?
透谷:言うと思ったよ!
ヨシマル:それが気まずさに繋がって行くんだね。
透谷:そうだな。例えばキアだけが魔術を使えることも、ゲームのプレイヤーだとしたら当然のことだろ。その世界のキャラクターが知りえないこともプレイヤーなら知っていても不思議じゃない。
ヨシマル:寧々さんと付き合うために攻略本とかを見ることで知識をつけることができるのはゲームの外にいるからだしね。
透谷:タウから見たら信じられないくらい卓越した魔術でも、キアにしてみれば単なる知識の集積でしかない。第二回の冒頭にもそんな描写は見て取れるな。
ヨシマル:ヨシマルが寧々さんの好みをすべて知ってるから寧々さんとしてはビックリしてるだろうな。
透谷:つーわけでプレイヤー=キア、キャラクター=タウって図式が成り立つ。
ヨシマル:そこまでは分かったよ。しかも、一般的な恋愛シミュレーションゲームではなくて「ラブプラス」ってところにも意味がるんだよね。
透谷:第一回のキアのセリフからするとキアの目的がタウのような人間になることではないからな。
ヨシマル:「妖怪人間ベム」とは違うんだね。
透谷:むしろ「ベム」は一般的な恋愛シミュレーションゲームの範疇だろうな。人間になることを主たる目的としてる。
ヨシマル:キアとタウの関係は付き合うことが決まった後のプレイヤーとキャラクターの関係なんだね。その状態から物語が始まってるっていうのも暗示的なのかも。
透谷:「ラブプラス」の特徴の現実の時間に従ってイベントが発生するのも受動的なシステムだからな。キアの行動原理に当てはまる。
ヨシマル:行動を起こすのはタウの方からで、キアはそれに付き合ってる形だね。それはイベント発生日時に合わせてプレイする「ラブプラス」に似てるってことかな。どちらも受動的でありながら積極的なんだ。
透谷:ああ。つまり、キアっていうプレイヤーがタウっていうキャラクターに対してのめり込んでる構図なんだ。没入感っていう観点で「ラブプラス」は特徴付けられるし、キアは実際にタウと同じ世界にいるわけだから最大限に没入してると言える。
ヨシマル:ふんふん。
透谷:それで第二回になる訳だけど――
ヨシマル:本来ならタウの世界だったはずが、今回は妖精の世界になってるのが大きな点なんだね。
透谷:先に言うなよ。まあ、そういうことだな。妖精の存在はキアの方に近い。だから、キアはキアのままだし、タウはいつものタウじゃない。
ヨシマル:寧々さんが現実に現れたら画面の中の寧々さんじゃいられないだろうしね。
透谷:そうするとだ。キアの選択っていうのが俺には単なる友情って言葉で片付けるのはどうかと思うんだ。
ヨシマル:ん?
透谷:妖精の世界ってのはキアのもともとの世界に近いものなんだろ。
ヨシマル:そうだね。
透谷:だとしたら、プレイヤーのキアは限りなく現実に近いところに戻されてるんだ。
ヨシマル:キアにとっての現実だね。「ラブプラス」ならDSに没入してるのではなくて、一線引いて見てる感じかな。
透谷:だからこそ、キアがためらいなくタウを選んだことに気まずさを感じたんだ。まるで自分の現実を否定して、タウの現実に逃げ込んでるようなものだからな。
ヨシマル:「金鉄」の場合、キアの非現実がタウ≒読者の現実だから逃げてる印象は抱きづらいけど、キア=プレイヤーとするとタウ=キャラクターそのものが非現実なんだね。
透谷:レイヤーが違うっていうのがしっくりくるかもしれない。結局キアは非現実を選ぶ。果たしてこれは健全な判断なんだろうか。
ヨシマル:俺は寧々さんと添い遂げる! って言ってるようなものだからね。
透谷:実際、この種の話は「金鉄」に限らず昔からある。そのほとんどはキャラクター世界=非現実な世界を肯定的に捉えることで解決を図ってるけど、それはかなり危うい選択だと思う。俺は妖精がキアに対して固執してしまうのも充分に頷けるんじゃねえかと思う。
ヨシマル:妖精=現実の意見を無視することで自分の我儘を貫き通してるしね。
透谷:ああ。
ヨシマル:まあ、でも、だからこそ、物語の中で本来プレイヤー=キアにとって叶えられない夢を具現化してることにもなるんじゃないかな。キア自身も透谷が提示してる壁を超えられるのかどうか悩み続けてるしね。
透谷:第一回の竜との戦闘でそんなことを言ってたな。
ヨシマル:キアと「ラブプラス」のプレイヤーには決定的な違いもあるしね。キアは完全に実体としてはタウの世界に入り込めてるってこと。この点ではゲームと決定的に違うと言える。
透谷:キアの行動には制限がかからないんだな。
ヨシマル:逆にまだゲームの選択肢は認識出来るほど有限なんだよね。だからキャラクターの行動も同様に制限される。けど、キアにはその制限がないから、タウの応答にも無限の可能性がある。その点において『憧れ』が正当なものである可能性は大きくなるんじゃないかな。それに――
透谷:それに?
ヨシマル:「金鉄」第二回を「ラブプラス」に例えると、DSにハマってたら横からいきなり声かけられてる感じだろ?
透谷:あん?
ヨシマル:しかも、ゲームやめてしっかり働けー! みたいなこと言われる訳だ。そんなこと言われてゲームやめられるかーーーー!!!!
透谷:子供だ!!!!

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2011.04.15

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

銀

金の瞳と鉄の剣 第一話

説明不要の『王道』

レビュアー:ヨシマル NoviceNovice

栄子:おう! どういうこっちゃ! 説明してみい!
ヨシマル:……申し訳、ありませんでした。
栄子:謝れば済むとでも思とるんかい!
ヨシマル:まさかプリキュアの話を広げるのが正解だったとは……。
栄子:わざわざあたしの話を遮ったよなあ自分? 納得出来る説明があるんやろなあ!
ヨシマル:まあまあ、ヨシマルが悪かったよ。始まったばかりだったし、どんな流れがいいのか探り探りだったんだから。次からは努力するよ。
栄子:ふんっ。当然やな。あのままあたしに任せとけば良かったんよ。まあ、次回くらいあたしに仕切らせてくれるんなら許してあげないこともないんやけどね。
ヨシマル:いいよ、もうそれで。あんまり前回のを引っ張ってもしょうがないし。
栄子:……前回の解説で会話形式の利点ほとんどバラされてもうたからっていじけてんねんな。
ヨシマル:まあね。心の中を覗かれた気分だよ。
栄子:あと残った利点はこうやって自分の過去のレビューを参照しやすいってことくらいやな。
ヨシマル:そうなんだよね。でもそれもあんまり使わない方がいいだろうし……。。
栄子:なんや調子狂うわあ。まあいいや、早(は)よレビュー始めよか?
ヨシマル:はあ、そうだね。
栄子:元気だしいや。今回のレビュー対象は『「金の瞳と鉄の剣」第一回』やで。
ヨシマル:うん。ついでにあらすじもお願い。
栄子:上昇思考の剣士タウと本物の魔法使いキア、二人はそれぞれの思いを胸に龍狩りに赴く。その先に何が待っているのか? 龍とはなんなのか? 王道ハイファンタジーが幕を開ける。って感じやな。
ヨシマル:今回は第一回がレビュー対象だからあらすじも短くなるな。
栄子:なんで第一回だけに限ったん?
ヨシマル:気付いたんだ。
栄子:何に?
ヨシマル:分けなかったらすぐにレビュー対象がなくなってしまう。
栄子:……。まあ、そないなとこだとは思ったけどさ。
ヨシマル:てことで第一回なんだけど、栄子はこの話どう思う?
栄子:せやなあ、男の友情って感じやな。
ヨシマル:実はそれは単純なんだけど、真実に近いとヨシマルは考えてる。
栄子:友情物語?
ヨシマル:そう。ところでこの話のジャンルってなんだと思う?
栄子:? そりゃもち『ファンタジー』やろ。
ヨシマル:その通り。惹句にそのまま『王道ファンタジー』とか『ハイファンタジー』とか書いてあるからね。でも、栄子の感想にはファンタジーってのは出てこなかったよね。栄子:そういえば、そうやなあ。
ヨシマル:それには理由があると思うんだ。感想には出てこなかったけど、ジャンルはって聞かれたら誰もがファンタジーだと答えるだろうことにもね。
栄子:どういうこと?
ヨシマル:ファンタジーって言うけれどその範囲はかなり広い。
栄子:魔法少女ものだってファンタジーやし。
ヨシマル:定義となると難しいけど魔法少女ものなんてファンタジーの典型だよね。でも「金の瞳と鉄の剣」とは大きく違うところがある。
栄子:ヒロインが女か男か!
ヨシマル:世界観が違うってことだね!
栄子:…………。
ヨシマル:多くの魔法少女作品の舞台は現実の世界、『現代ファンタジー』って範疇になる。「空の境界」なんかもこれに入るね。それに対して「金の瞳と鉄の剣」は『異世界ファンタジー』だ。実はこの二つには大きな書き分けが存在するんだ。
栄子:書き分け?
ヨシマル:どっちかを今すぐ書けって言われてどちらが書けそう?
栄子:うーん、今すぐって言われたら『現代ファンタジー』の方かなあ。
ヨシマル:個人差はあるだろうけど、多くはそうだと思う。実はそれは読む方にも言えて、手短に読みたいなら『現代ファンタジー』になる。
栄子:異世界ファンタジーって設定とか頭使いそうやし。
ヨシマル:まさにそこなんだ。異世界ファンタジーを書く場合、最も大事なところはその世界観の説明なんだ。それが『現代ファンタジー』の場合、物語に関係する部分の不思議を説明すればいい。
栄子:魔法少女はだいたい勝手に巻き込まれるしなあ。それになんか解説役みたいなんが付いてくるし。
ヨシマル:それが読者にとっても物語にとっても自然な展開になるからね。現実世界と差異があるところを随時無理なく説明できる。対して異世界ファンタジーの場合はかなり異なる。
栄子:現実と比べるってことができひんのか。
ヨシマル:うん。だからどうしても世界観説明に文章量が割かれて物語がなかなか進みにくいし、読みにくいってことにも陥りやすい。
栄子:でも、そんなに読みにくさって感じたことないんやけどな。
ヨシマル:もちろんその辺りにはかなり工夫がされてるからね。例えば主人公を現実世界から連れてきてしまうっていうのがある。
栄子:「十二国記」とか?
ヨシマル:そう。これをすると主人公の知識は読者と同等だから主人公に説明しながら読者にも説明できる。
栄子:説明役もいるし。魔法少女ものと違って可愛さ少なめやけど。
ヨシマル:現実世界からでなくとも、別の世界ってしてもいいし、例えば田舎ものが都会にやってきたっていう設定でも似たように話を進めることができる。
栄子:成り上がり物語多いんやな。
ヨシマル:それで「金の瞳と鉄の剣」を見てみると……
栄子:どうなん?
ヨシマル:よく分からん。
栄子:はあ?
ヨシマル:いや、上手く定義できないんだ。
栄子:タウもキアも現実世界から来たわけでもないし、田舎ものってわけでもないんやな。
ヨシマル:そうなんだけど、無理やり言うとしたら、キアが世間知らずで、タウがそれを教えようとしてはいる。
栄子:それならいいんじゃない?
ヨシマル:でも、実際言ってる内容自体は世界観の説明っていうよりも人間それ自体の説明だし、逆にキアが魔法の説明をタウにするっていう描写もあまり見られない。
栄子:両方おしゃべり違(ちゃ)うからなあ。
ヨシマル:てことで、よくよく考えると、この一話でほとんど世界観の説明をしてないんだよね。
栄子:ホンマや。
ヨシマル:これって結構珍しいことで、普通異世界ファンタジー書こうとすると一番重要視するところが世界観の構築だと思うんだ。むしろそれがしたいから異世界ファンタジーを描くのが自然だろ。
栄子:でもでも、あたしはこれ、ファンタジーって凄く感じるんやけど。
ヨシマル:世界自体はファンタジー一直線だし、惹句にしっかり『王道』ファンタジーなんて書いてあるからね。逆にそう書いてあるからこそ、読む側としては安心して『ファンタジー』だとして読める。
栄子:『超王道学園アドベンチャー』とかじゃないんや!
ヨシマル:なんの話かなー?
栄子:カワイイ魔法少女ものかと思たら……。なんてことはないんやな!
ヨシマル:だから何の話だよ!
栄子:まあまあ。で、つまりどういうことなん?。
ヨシマル:つまり『王道ファンタジー』の冠を付けることでファンタジーという枠から外れることに成功してるんだ。
栄子:外れる?
ヨシマル:先に『王道』と言っておけば、読者がそれぞれ持ってる『王道ファンタジー』に当てはめることができるからね。どんなファンタジーかっていう説明を省ける。
栄子:本来ならしなければならない説明をしなくてもよくなるんや。それが外れるってことやな。
ヨシマル:そう。そしてファンタジーから外れた先にあるのが、さっき言ってた友情物語なんだ。
栄子:世界自体でなく、タウとキアが物語の中心ってことやね。
ヨシマル:実際、第一話の中で登場人物は二人だけなんだ。龍も出てくるけど『人』じゃないしね。
栄子:男子二人やから――と想像してまうよね。
ヨシマル:イラストも高河ゆんさんだし……。ってそういうことじゃなくて、例えば「あぶない刑事」や「相棒」シリーズだったり、「ガングレイヴ」や「鋼の錬金術師」みたいに男二人主人公っていうのはその主人公本人たちに焦点を当てたヒューマンドラマになる傾向がある。
栄子:命を掛けて戦う男たちって絵になるんよ。相棒の危機に体を張って守って――
ヨシマル:……。まあ、つまり男二人っていのは二人の間での問題発生から解決までのプロセスをより濃く描くことができるんだと思うんだ。これはヨシマルの主観だけれど男二人主人公はガンアクションとかハードボイルド系の作品に多く見られる気がする。
栄子:その方が想像膨らむし。
ヨシマル:なんのだよ!
栄子:言いたいことは「金の瞳と鉄の剣」はファンタジーを装ったヒューマンドラマってことやな。
ヨシマル:そいういうこと。これ以降は二人の過去未来を含めた関係性に要注目だね。
栄子:にしても、今回も長かったな。
ヨシマル:こんだけ書けば前回「レビュアー騎士団」を「レビュー騎士団」なんて書いたことも忘れられるだろ。
栄子:自分で言っちゃったよ!
ヨシマル:しまった!
栄子:フッフッフ。どうせ来週はヨシマル一回休みやしな。
ヨシマル:なんか嫌な予感。
栄子:それでは次回魔法少女マジカル☆エイコ! をお楽しみに!

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2011.03.01

「金の瞳と鉄の剣」のレビュー

鉄

金の瞳と鉄の剣

“王道ファンタジー”という紹介まで伏線?

レビュアー:JET

webを放浪して見つけた小説作品。
そんな中みつけたの小説。

「うおっ、あのうろぶっちーだよ!」

なんと虚淵玄大先生。
なぬ、王道ファンタジーだと?
とか思いながらページを開き、

「わーきれーなイラストだなー」

とぼやきながら読み始める。
読了後の一言。

「この作品、王道か?」

ところどころ妙にリアルなのだ。
ファンタジーにリアルもクソもないと思うことなかれ、冒頭から主人公二人が何の話をしているのかと言えば、先の仕事で得た給金の話である。要は明日の食いぶち、今週の生活の話をしているのだ。夢なんかあったもんじゃない。

そして驚くことなかれ、二人組の片方、戦士のタウはこれから行うひと稼ぎのために、なんと自分の剣と鎧を質に入れてしまう。

王道の「剣と魔法のファンタジー」が文字通り片手落ちだ。代わりに持ちたるは槍(お手製)とボウガンだ。はっきり言って地味だ。主人公の武器じゃない。

そして極めつけが竜退治の場面。一稼ぎにと赴き、竜と対峙、戦闘開始。

ピンチ!もうだめだ!

となった次の場面。もう戦いは終わっている。語り手のダウが気絶している間に、合い方キアが龍をやっつけてくれてる。

「え?」

となる。タウといっしょに。
そこ飛ばしちゃうの作者さん?となる。

剣と魔法で主人公がドカンバコンの大活躍!…とならない“王道”ファンタジー、

「金の瞳と鉄の剣」

王道だろうとなかろうと、やっぱりうまい虚淵先生の作品だ。きっとこれからも我々凡人の予想を裏切ってくれるだろう。
今なら高川ゆん先生のイラストがついて、星海社HP『最前線』にて絶賛公開中!

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2011.02.10


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