金の瞳と鉄の剣
出会えて、よかった?
レビュアー:大和
はじめまして。君はもう、『金の瞳と鉄の剣』は読んだかな? もし読んでいないなら、是非とも読んでほしい。でも、いきなりそんなこと言われたって戸惑うだけだよね。折角だから、僕はこの小説について思うところを語ることにする。そうすることで、君がこの小説に興味を持ってくれたら――君とこの小説が出会う手助けをすることができたら、嬉しい。
『金の瞳と鉄の剣』は虚淵玄によるファンタジー小説だ。シビアな傭兵の世界で生きてきた戦士タウと、人間たちの社会から離れて生きてきた魔術師キア。二人は互いの間にある強い絆を確認しあいながら、めくるめくファンタジーの世界を旅していく。
この小説が持つ魅力は色々あるけれど、僕が特に気になっているのは「二人の関係がこの先どうなるか」という点についてだ。二人の関係がどう変化していくか――ということではない。むしろ別れた後にどうなるか、ということが気になっている。
タウとキアは、いつか別れることが決まっている。と言っても、どんな出会いにだって別れがあるとも言えるから、そんなことは当たり前だと思うかもしれない。しかし二人に訪れるだろう別れはひどく暴力的で、どうにもならないものだ。
そもそも二人は別次元の存在だと言える。タウは優秀な冒険者だが、あくまで普通の人間だ。対してキアは超常的な力を持った、条理から逸脱した存在なのだ。例えば竜という強力なモンスターと対峙した時、タウは竜にロクなダメージを与えられず気絶してしまうけれど、キアは単独でも竜と互角以上の戦いを演じてしまう。
けれど、そういった「違い」に関してはそこまで問題にならないかもしれない。少なくとも二人は互いを対等な存在――頼りになる相棒として認め合っている。しかし、そんな二人の歩み寄りをあざ笑うかのように、二人を暴力的に引き裂いてしまうものがある。
それは時間だ。タウとキアは生きる時間が決定的に違う。タウはあくまで普通の人間だ。普通に年を重ね、やがて死に至るだろう。対してキアは永遠にも近い寿命を持っている。タウが寿命を迎えるまで二人が一緒にいるかは分からないが、少なくともこのまま二人が長く旅を続けていれば、やがて寿命の差という壁にぶつかるだろう。
もちろん、誰と誰の間でも、寿命が同じだとか同時に死ぬだとかいったことは、究極的には有りえないだろう。たとえそれが一日だとか一秒だとか一瞬だとかいった差であっても、どちらかが先に死に、どちらかが後に死ぬ。だから寿命に差があること自体が問題なのではない。ここで問題になるのは、二人が一緒に旅をする時間の、各々の生涯における割合が、あまりにも違ってしまうということだ。
例えば二人が何十年も一緒に旅をしたとする。それはタウの生涯のほとんどを占めたものになるだろう。だが例えタウの生涯の八割や九割を占めた旅であっても、永い永いキアの生涯に照らし合わせれば、ほんの一瞬程度に過ぎなくなってしまうかもしれない。想像してみてほしい。自分にとって生涯のほとんどを占めた経験が、相手にとって、まるで数時間程度の暇つぶしみたいなものに過ぎないものだったとしたら――それはなんだか絶望的な「違い」に思えないだろうか? 二人は決定的に、生きる時間が違う。それ自体は、どうにもならないことだ。
じゃあ、二人は出会うべきではなかったのか?
二人の間には、悲しい別れしか待っていないのだろうか?
僕は、そうは思わない。
たった一つの、時間にしてほんの少しでしかない出会いが、人生を強く変えてしまうことは往々にしてある。君にもあるんじゃないか? 人との出会いが想像しづらければ、例えば作品との出会いをイメージしてみればいい。僕らは小説や漫画や映画やアニメやゲームといった無数の作品たちに出会う。その中の一つに強烈な影響を受けてしまう、なんて経験は多くの人が持っているだろう。それは確かに数時間程度の体験でしかないはずなのに、人生に照らし合わせればほんの一瞬に過ぎないような体験なのに、心を揺さぶり、魂に刻まれ、人生に強く影響を与えてしまう。苦しい時や悲しい時に、何らかの作品のことを想い、それが心の支えになる。そんな経験がある人も多いはずだ。
キアにとって、タウと過ごす時間は一生のうちのほんの一瞬に過ぎないのかもしれない。でもタウと共に旅をし、別れを経験し、二人の物語を終えた時、キアはそこから何かを得ると思うのだ。たとえキアだけが世界に取り残されたとしても、タウとの出会いは何らかの形でキアを支えると思うのだ。僕はとにかく、それが何なのか、気になって仕方が無い。
二人は決定的に違う存在で、決定的に生きる時間が違って、未来には決定的な別れが待っている。それ自体はどうにもならない、覆すことのできないものだ。だからといって、二人の出会いがただ切なく悲しいものだとは限らない。一緒にいる瞬間だけに価値があるわけじゃない。別れを経た、その先にだって価値はあるはずだ。僕は何より、タウと過ごす日々からキアが見出すモノをこそ見てみたい。もしかしたら、そこから見出すものは、必ずしも良い事ばかりではないかもしれないけど、僕はそれが尊いものであることを願う。
何故こんなにも気になるのか――はっきり言って、キアが心配なのだ。考えてみてほしい。自分は何の変化もなく、親友だけが老いて先に死んでしまうだなんて、すごく怖いことじゃないだろうか? 一緒に年もとれないで、一緒にいればいるほど親友だけが老いていって、どんどん二人は違う生き物みたいに差が生じてきて……想像するだけで震えてしまいそうだ。一緒にいればいるほど、キアはそんな恐怖を抱えなければならなくなってしまうんじゃないだろうか? だから、タウには頑張ってほしい。キアの一生を支えてあげてほしい。例え決定的な別れが待っているとしても、そうやってタウがキアを救うことができたなら、それはとても素晴らしいことだ。二人が出会ったことは間違ってなかったと、かけがえのない大切な出会いだったと、確信をもって言えるようになるだろう。それが描かれた時、きっと僕にとっても、この作品との出会いが、かけがえのない大切なものになると思う。
……どうだろう。少しは興味を持ってもらえたかな?
この小説を読みたいって思ってくれたかな?
正直言って、僕はちょっぴり不安で、自信が無い。
せめて、僕は祈ることにする。
『金の瞳と鉄の剣』を手にとって、祈ることにする。
タウとキアの出会いが、かけがえのない大切なものとなるように。
君にとって、この作品との出会いが、かけがえのない大切なものとなるように。
『金の瞳と鉄の剣』は虚淵玄によるファンタジー小説だ。シビアな傭兵の世界で生きてきた戦士タウと、人間たちの社会から離れて生きてきた魔術師キア。二人は互いの間にある強い絆を確認しあいながら、めくるめくファンタジーの世界を旅していく。
この小説が持つ魅力は色々あるけれど、僕が特に気になっているのは「二人の関係がこの先どうなるか」という点についてだ。二人の関係がどう変化していくか――ということではない。むしろ別れた後にどうなるか、ということが気になっている。
タウとキアは、いつか別れることが決まっている。と言っても、どんな出会いにだって別れがあるとも言えるから、そんなことは当たり前だと思うかもしれない。しかし二人に訪れるだろう別れはひどく暴力的で、どうにもならないものだ。
そもそも二人は別次元の存在だと言える。タウは優秀な冒険者だが、あくまで普通の人間だ。対してキアは超常的な力を持った、条理から逸脱した存在なのだ。例えば竜という強力なモンスターと対峙した時、タウは竜にロクなダメージを与えられず気絶してしまうけれど、キアは単独でも竜と互角以上の戦いを演じてしまう。
けれど、そういった「違い」に関してはそこまで問題にならないかもしれない。少なくとも二人は互いを対等な存在――頼りになる相棒として認め合っている。しかし、そんな二人の歩み寄りをあざ笑うかのように、二人を暴力的に引き裂いてしまうものがある。
それは時間だ。タウとキアは生きる時間が決定的に違う。タウはあくまで普通の人間だ。普通に年を重ね、やがて死に至るだろう。対してキアは永遠にも近い寿命を持っている。タウが寿命を迎えるまで二人が一緒にいるかは分からないが、少なくともこのまま二人が長く旅を続けていれば、やがて寿命の差という壁にぶつかるだろう。
もちろん、誰と誰の間でも、寿命が同じだとか同時に死ぬだとかいったことは、究極的には有りえないだろう。たとえそれが一日だとか一秒だとか一瞬だとかいった差であっても、どちらかが先に死に、どちらかが後に死ぬ。だから寿命に差があること自体が問題なのではない。ここで問題になるのは、二人が一緒に旅をする時間の、各々の生涯における割合が、あまりにも違ってしまうということだ。
例えば二人が何十年も一緒に旅をしたとする。それはタウの生涯のほとんどを占めたものになるだろう。だが例えタウの生涯の八割や九割を占めた旅であっても、永い永いキアの生涯に照らし合わせれば、ほんの一瞬程度に過ぎなくなってしまうかもしれない。想像してみてほしい。自分にとって生涯のほとんどを占めた経験が、相手にとって、まるで数時間程度の暇つぶしみたいなものに過ぎないものだったとしたら――それはなんだか絶望的な「違い」に思えないだろうか? 二人は決定的に、生きる時間が違う。それ自体は、どうにもならないことだ。
じゃあ、二人は出会うべきではなかったのか?
二人の間には、悲しい別れしか待っていないのだろうか?
僕は、そうは思わない。
たった一つの、時間にしてほんの少しでしかない出会いが、人生を強く変えてしまうことは往々にしてある。君にもあるんじゃないか? 人との出会いが想像しづらければ、例えば作品との出会いをイメージしてみればいい。僕らは小説や漫画や映画やアニメやゲームといった無数の作品たちに出会う。その中の一つに強烈な影響を受けてしまう、なんて経験は多くの人が持っているだろう。それは確かに数時間程度の体験でしかないはずなのに、人生に照らし合わせればほんの一瞬に過ぎないような体験なのに、心を揺さぶり、魂に刻まれ、人生に強く影響を与えてしまう。苦しい時や悲しい時に、何らかの作品のことを想い、それが心の支えになる。そんな経験がある人も多いはずだ。
キアにとって、タウと過ごす時間は一生のうちのほんの一瞬に過ぎないのかもしれない。でもタウと共に旅をし、別れを経験し、二人の物語を終えた時、キアはそこから何かを得ると思うのだ。たとえキアだけが世界に取り残されたとしても、タウとの出会いは何らかの形でキアを支えると思うのだ。僕はとにかく、それが何なのか、気になって仕方が無い。
二人は決定的に違う存在で、決定的に生きる時間が違って、未来には決定的な別れが待っている。それ自体はどうにもならない、覆すことのできないものだ。だからといって、二人の出会いがただ切なく悲しいものだとは限らない。一緒にいる瞬間だけに価値があるわけじゃない。別れを経た、その先にだって価値はあるはずだ。僕は何より、タウと過ごす日々からキアが見出すモノをこそ見てみたい。もしかしたら、そこから見出すものは、必ずしも良い事ばかりではないかもしれないけど、僕はそれが尊いものであることを願う。
何故こんなにも気になるのか――はっきり言って、キアが心配なのだ。考えてみてほしい。自分は何の変化もなく、親友だけが老いて先に死んでしまうだなんて、すごく怖いことじゃないだろうか? 一緒に年もとれないで、一緒にいればいるほど親友だけが老いていって、どんどん二人は違う生き物みたいに差が生じてきて……想像するだけで震えてしまいそうだ。一緒にいればいるほど、キアはそんな恐怖を抱えなければならなくなってしまうんじゃないだろうか? だから、タウには頑張ってほしい。キアの一生を支えてあげてほしい。例え決定的な別れが待っているとしても、そうやってタウがキアを救うことができたなら、それはとても素晴らしいことだ。二人が出会ったことは間違ってなかったと、かけがえのない大切な出会いだったと、確信をもって言えるようになるだろう。それが描かれた時、きっと僕にとっても、この作品との出会いが、かけがえのない大切なものになると思う。
……どうだろう。少しは興味を持ってもらえたかな?
この小説を読みたいって思ってくれたかな?
正直言って、僕はちょっぴり不安で、自信が無い。
せめて、僕は祈ることにする。
『金の瞳と鉄の剣』を手にとって、祈ることにする。
タウとキアの出会いが、かけがえのない大切なものとなるように。
君にとって、この作品との出会いが、かけがえのない大切なものとなるように。