ここから本文です。

「欲情の文法」のレビュー

銅

欲情の文法

前代未聞

レビュアー:キノケン NoviceNovice

いったい何なんだ、この本は。
もちろん、良い意味で言っています。
「官能小説」という、サブカル的文学の手法や作者の考えを柱に構成された本文の中に、官能小説作家ならではの深い人間考察がちりばめられて・・・。男性と女性の「快楽への追及」などへの考察がこれほどまでに赤裸々に語られた書物を、僕は読んだことがありませんでした。
「官能小説作家」が著者の新書ということが、この本のもっとも面白い部分だと思っています。
多くの人が、官能小説や、それを生み出す作家の本を読んだことがないように思います。自分とは、まったく違った世界、そこに生きる人。その世界の、その人たちの価値観に触れる機会は、普通に生きるだけではほとんどないと思います。
そんな機会を与えてくれる本著を、面白くないと言えるでしょうか。

歳をとって、自分の考えが凝り固まってしまう前に、少しでも多くの価値観を自分に取り込む。
ちょっとレジに持っていくのは恥ずかしいかもしれませんが(笑)、たったそれだけで自分の価値観に変化が生まれる可能性が生じる。


そんな面白い体験を、あなたもこの本でしてみたくはないですか?

ジセダイで『欲情の文法』を読む

「前代未聞」の続きを読む

2012.05.18

「欲情の文法」のレビュー

銅

睦月影郎『欲情の文法』

官能小説というファンタジー

レビュアー:ユキムラ AdeptAdept

 生理という存在の一時否定――

 睦月氏が掲げる原則に、「うん なるほど」って思った。確かに、小説における濡れ場の多くが当てはまる。あまりにも不条理で一方的な行為の濡れ場を除けば、該当はほとんどだろう。

 ところで。
 とあるゲームの主人公。こやつ、痴漢である。官能小説でこそないものの、この痴漢主人公もまた、睦月氏の信念に合致した世界の下、生きている。
 痴漢相手の双子の片割れが男の娘だった!ってコトはあっても、痴漢相手が生理中なことはない。
「オイオイ、確率論で考えてみろよ…」なんてツッコミはナンセンスだ。
 それもこれも、ひいては官能を愉しむためのファンタジー性なのだから。

 媒体がゲームだとしても小説だとしても、根っこは同じ。
 物語の形を整える上で、余計な現実など拭い去ったファンタジー。それは確かに、現実性には乏しいのかもしれない。
 でもでもそれでも、やっぱり心惹かれちゃう!

ジセダイで『欲情の文法』を読む

「官能小説というファンタジー」の続きを読む

2012.04.23

「欲情の文法」のレビュー

銅

「欲情の文法」

官能小説の舞台裏

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 私はこれまで官能小説を読んだことがなかった。
 しかし、この本を読んで官能小説にも少し興味が出た。

 官能小説というと、つまりは濡れ場がメインとなるわけだが、しかし、濡れ場さえあればただそれでいいという程、単純ではないらしい。そこに至るまでの物語や設定は勿論、濡れ場で読者の興奮を誘うような文章技術も必要不可欠らしい。『欲情の文法』というタイトル通り、本書はその技術に最も紙幅を費やしている。

 著者が語る「欲情の文法」は、官能小説の舞台裏の解説のようで、官能小説の内容を普通に語るよりも、ずっと魅力的な紹介に思えた。
 何かの職業の舞台裏について語ることは、その仕事がどれだけの手間や時間や情熱を必要としているのか、強い説得力をもって語ることに等しいからだろう。

 特に私がすごいと感じた話は次の二つだ。
 一つは、思春期の性にまつわる経験を作品に活かすために、毎回童貞に戻ったつもりで執筆をするという件だ。

<童貞の頃の気持ちや性に対する渇望を忘れないようにしなければ、読者の共感を得られないだろうし、私自身面白くないのだ。新鮮な気持ちで、感謝と感激を持っていなければ、童貞喪失を描けないということである。だから、私は毎朝童貞に戻るのだ。>

 著者の官能小説に対する誠実さと情熱を見せつけられているような話で、読んでいて素直にすごいと思えた。「童貞に戻るって……そんなことが、物理的に可能なのか……」と読みながら少し考えたが、自分としては「不可能だ……!」という結論に落ち着いた。(そもそも物理的に童貞と非童貞を厳密に区別する方法がないのだから、問い自体が無効だ)「童貞に戻る」とは、あくまで心構えの問題なのだ。

 もう一つは、作品中のリアリティの設定について。

<匂いの描写であっても、リアルに描くと読者が引いてしまう。実際は、汗の匂いや残尿の匂い、お尻の穴の匂いというのは、いろいろな匂いがする。それをリアルに「臭い」と描くと、読者の夢を壊してしまうだろう。だから、常に「良い匂い」と描写する必要があるのだ。>

 読者が作品を楽しむ邪魔をしないために、過度にリアル過ぎてはいけないのだという。官能小説としての商品価値を高めるための、細やかな工夫だ。著者は独自に「官能の三原則」というものを作っていて、「1、避妊はいらない 2、生理中ということがない 3、処女でもイク」という内容だ。この原則も、読者が作中に没頭するの妨げる要素を描かないためのものだ。著者がリアリティの問題について、真剣に考えていることが窺える。(確かに、官能小説の濡れ場で「私、今日は生理だから、できないよ……」とか女の子が言うのは嫌そうだ)

 本書を読んでいると、著者が真剣に官能小説を執筆していることがわかる。仕事なのだから、真剣であることは当たり前だろうと思われるかもしれないが、その当たり前の事実を他者に伝えることは実は難しい。(「私は真剣にやっています」という言葉だけでは、説得力は生まれない)
 著者はそれをやってのけている。
 私は著者の真剣さに少しばかり胸を打たれた。

 本書を読了後、私は生まれて初めて官能小説を購入した。
 書名は、睦月影郎の『母娘下宿 上でも下でも』である。

「官能小説の舞台裏」の続きを読む

2012.02.18


本文はここまでです。