「金の瞳と鉄の剣」(旅立ちの夜)
私の一番好きなシーン
レビュアー:zonby
「金の瞳と鉄の剣」を読んだことのない人には本当に申し訳ない。
二重の意味で申し訳ない。
いや、本当に本当に申し訳ない!
…。
と、どうしてこんなにも私が最初から謝るのか、不思議に思う方がいらっしゃるかもしれないので、これからその訳を説明しようと思う。
「金の瞳と鉄の剣」は、世慣れているがどこかすこーし、抜けたところのある体力勝負担当の傭兵・タウと、世間知らずな上に無欲で抜けたところがあるかと思えば、いざという時に人智を超えた力を魅せる魔術関連担当の魔法使い・キア。全く正反対の気質を持つが故に絶妙な関係性を保ち、またそれぞれが持つ正反対の気質にこそ互いに価値を見出す二人の冒険を描いた、ファンタジー小説である。
ファンタジー小説といっても、苦手な方は気構えないで欲しい(かつての私がそうだったから)
これはタウとキアの物語だからだ。
タウとキアの関係性に重点をおいた物語だからだ。
おまけに一冊丸々の長編ではなく、一編ずつが独立した小物語で構成させているので、長編が苦手だったり、まとめ読みが苦手な方にもおすすめできる一冊である。
で、
である。
私の言う二重の意味で申し訳ないの一つ目の問題は、私が書こうとしているのが「金の瞳と鉄の剣」の最後の最後を彩るシーンだからである。最後の最後のお楽しみをここで私が書いていいものかと数秒悩んだが、まあこれはあまり気にしなくていいだろう。という結論に達した。一応の流れはあるものの、基本的には短編集のような感覚で読むことができるからだ。
さて次の問題である。これは完全に「先にこーんな良いもの読ませてもらっちゃってごめんなさいね~」といういやらしい優越感からの申し訳ないなので…あ、これもまあいいか。
という訳で、いかせて頂きます。(レビューモードに切り替え、切り替え)。
――そこに描かれている情景を読んだだけで、肌が粟立ち心臓が震える。
ただの文字の組み合わせでできた架空のものであるはずなのに、そこで交わされる言葉・事象すべてに心奪われ、最後にはその気持ちをどこにもって行けばわからなくなって……思わず泣いてしまう。
そんな経験を私は何度できるだろうか、そんな本に私はあと何度出逢うことができるだろうか…。
幸福にも、私は「金の瞳と鉄の剣」の中でそのシーンに出逢うことができた。
それはこんなシーンである。
長い間狭くて暗い場所に閉じ込められ、人と言葉を交わすことすら稀だったキア。そんな彼をタウが外に連れ出す。そこでキアは行うのだ。
生粋の魔法使い。人智を超える力を持つ魔術師が、最初にするべきこと。
呼吸をするが如く、あまりにも自然な―――。
閉じ込めらていたことで今まで満足にすることのできなかった、『世界との同調』『生きた魔力と自分との調律』を。
「金の瞳と鉄の剣」には様々な読み所があるし、私はそれを語ることができる。他にも好きなシーンや好きなセリフもあるし、もちろんそれについてだって私は語れるだろう。
けれど私の中で「金の瞳と鉄の剣」が決定的に私の心を掴んだ箇所をあげよと言われたら、私はこのシーンしかあげられない。上記については確信を持って「語れる」と書いた。
けれど、
けれど、このシーンだけは「語れる」否、「語りきれる」言葉を私は持っている自信が、ない。
それでもあえて語るのだとすればそれはきっと、キアが世界と『同調』するシーンは理性では処理できない程強い身体性、つまりリアルな五感を伴った文章であるからだと思う。
このシーンだけが読みたくて、ページを繰る日もある。
そして、文字を追うことで私がキアに『同調』し、物語の中でキアは世界に『同調』する。同時に私も私の生きる世界との『同調』を試みている瞬間でもある。
感じるはずのない空気が頬をかすめ、見えるはずのない光が灯る。シーンの中でキアは魔法使いらしく、魔力を優雅に享受し、私はそれを見て、感じて、泣く。
勘違いしないで欲しいのは、悲しくて泣くのではないということだ。
誰かが紡いだ物語を読み、そのシーンに心を揺さぶられ、耐え切れずに泣くのだ。
それは時間も距離も超越してここにある「金の瞳と鉄の剣」のワンシーンを通して、この本に関わった全ての人たちやその力、私の理性を振り切ってしまう程の力に触れる、ということかもしれない。
この世界のどこかに、絶対に存在している何かに触れるのだ。
だから、泣いてしまうのだ。
それは…その涙は多分、一部ではあるけれど世界と『同調』できた証。
なんだと思う。
二重の意味で申し訳ない。
いや、本当に本当に申し訳ない!
…。
と、どうしてこんなにも私が最初から謝るのか、不思議に思う方がいらっしゃるかもしれないので、これからその訳を説明しようと思う。
「金の瞳と鉄の剣」は、世慣れているがどこかすこーし、抜けたところのある体力勝負担当の傭兵・タウと、世間知らずな上に無欲で抜けたところがあるかと思えば、いざという時に人智を超えた力を魅せる魔術関連担当の魔法使い・キア。全く正反対の気質を持つが故に絶妙な関係性を保ち、またそれぞれが持つ正反対の気質にこそ互いに価値を見出す二人の冒険を描いた、ファンタジー小説である。
ファンタジー小説といっても、苦手な方は気構えないで欲しい(かつての私がそうだったから)
これはタウとキアの物語だからだ。
タウとキアの関係性に重点をおいた物語だからだ。
おまけに一冊丸々の長編ではなく、一編ずつが独立した小物語で構成させているので、長編が苦手だったり、まとめ読みが苦手な方にもおすすめできる一冊である。
で、
である。
私の言う二重の意味で申し訳ないの一つ目の問題は、私が書こうとしているのが「金の瞳と鉄の剣」の最後の最後を彩るシーンだからである。最後の最後のお楽しみをここで私が書いていいものかと数秒悩んだが、まあこれはあまり気にしなくていいだろう。という結論に達した。一応の流れはあるものの、基本的には短編集のような感覚で読むことができるからだ。
さて次の問題である。これは完全に「先にこーんな良いもの読ませてもらっちゃってごめんなさいね~」といういやらしい優越感からの申し訳ないなので…あ、これもまあいいか。
という訳で、いかせて頂きます。(レビューモードに切り替え、切り替え)。
――そこに描かれている情景を読んだだけで、肌が粟立ち心臓が震える。
ただの文字の組み合わせでできた架空のものであるはずなのに、そこで交わされる言葉・事象すべてに心奪われ、最後にはその気持ちをどこにもって行けばわからなくなって……思わず泣いてしまう。
そんな経験を私は何度できるだろうか、そんな本に私はあと何度出逢うことができるだろうか…。
幸福にも、私は「金の瞳と鉄の剣」の中でそのシーンに出逢うことができた。
それはこんなシーンである。
長い間狭くて暗い場所に閉じ込められ、人と言葉を交わすことすら稀だったキア。そんな彼をタウが外に連れ出す。そこでキアは行うのだ。
生粋の魔法使い。人智を超える力を持つ魔術師が、最初にするべきこと。
呼吸をするが如く、あまりにも自然な―――。
閉じ込めらていたことで今まで満足にすることのできなかった、『世界との同調』『生きた魔力と自分との調律』を。
「金の瞳と鉄の剣」には様々な読み所があるし、私はそれを語ることができる。他にも好きなシーンや好きなセリフもあるし、もちろんそれについてだって私は語れるだろう。
けれど私の中で「金の瞳と鉄の剣」が決定的に私の心を掴んだ箇所をあげよと言われたら、私はこのシーンしかあげられない。上記については確信を持って「語れる」と書いた。
けれど、
けれど、このシーンだけは「語れる」否、「語りきれる」言葉を私は持っている自信が、ない。
それでもあえて語るのだとすればそれはきっと、キアが世界と『同調』するシーンは理性では処理できない程強い身体性、つまりリアルな五感を伴った文章であるからだと思う。
このシーンだけが読みたくて、ページを繰る日もある。
そして、文字を追うことで私がキアに『同調』し、物語の中でキアは世界に『同調』する。同時に私も私の生きる世界との『同調』を試みている瞬間でもある。
感じるはずのない空気が頬をかすめ、見えるはずのない光が灯る。シーンの中でキアは魔法使いらしく、魔力を優雅に享受し、私はそれを見て、感じて、泣く。
勘違いしないで欲しいのは、悲しくて泣くのではないということだ。
誰かが紡いだ物語を読み、そのシーンに心を揺さぶられ、耐え切れずに泣くのだ。
それは時間も距離も超越してここにある「金の瞳と鉄の剣」のワンシーンを通して、この本に関わった全ての人たちやその力、私の理性を振り切ってしまう程の力に触れる、ということかもしれない。
この世界のどこかに、絶対に存在している何かに触れるのだ。
だから、泣いてしまうのだ。
それは…その涙は多分、一部ではあるけれど世界と『同調』できた証。
なんだと思う。