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レビュアー「akaya」のレビュー

銅

私の猫

自分の小説

レビュアー:akaya Novice

なぜか知らない世界だけどノスタルジックを感じる。これが昭和という奴なのか。
いまの大学生がこんな生活していたら瞬く間に親に怒られて就職も出来ず嘆き途方にくれるだろう。まあ作中の男も就職できない日々を過ごすのだけれど。そういう自堕落な様を描いた小説に、最前線で触れられるとは思わなかった。

そんな作品であるが、"自分"という単語だけがただただ曲者な文章である。この作中では常に"俺の"や"私の"に置き換えられる。このせいで時折混乱するのだ。"女は一週間がかり自分の部屋を片付け"と書かれたら普通は女自身の部屋である。ここでは否だ。ギター男の部屋なのである。
自分の猫はというのもギター男の猫だ。とにかく1人称を貫き続ける。日本語の持つ素晴らしき文脈というパワーを反故にしてまでも貫き続けるのだ。そういう手記のような小説なのだ。

この最前線で読むには何処か古臭くて、それが新しい。

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2012.03.09

銅

Fate/Zero

けーねすセンセイのおしごと

レビュアー:akaya Novice

Fate/Zeroの世界において生粋の魔術師といえば遠坂時臣を思い浮かべるかもしれないが、姿勢よりも役割としてケイネス・エルメロイ・アーチボルトを挙げたい。

時臣はアインツベルンにマキリと並び根源到達を目指していたが、ケイネスは経歴に箔をつけるためという理由で参戦する。本来はイスカンダル所縁の品物を揃えてマスターとなる予定だった。しかしウェイバー・ベルベットが腹いせに持っていったせいで代価物を用意するハメになる。そんな事情がありながらケルトの英雄を呼び出すあたり実力は抜きん出ている。

しかし参戦の結果が婚約者はサーヴァントに惚れてしまい、自身は衛宮切嗣に魔術師としての活路を断たれるという散々な内容で、マスターとしては1発退場を食らうという不憫な立ち位置である。それゆえかネットではネタキャラとして定着してしまい可哀想なセンセイなのだ。

だがケイネスこそFate/Zeroにおける魔術師観を一手に引き受ける存在だ。

ウェイバーも通った魔術師の学び舎である時計台にて一級講師を勤め、そのシーンでは「家柄を超える方法がある」と唱えるウェイバーを一蹴している。まさしく魔術師の考え方を示すもので、近代火器を用いる切嗣の異様さを際立たせる。
加えて礼装は、魔術と並ぶ錬金術を象徴する水銀を自在に動かすというのだから完璧である。

センセイがいるからこそ切嗣が爆発物や自動小銃を用いるのが異様に見えるし、ウェイバーが伝統を脱しようとする新風であることがわかる。

またランサーに対する態度も役割の一つである。
サーヴァントを駒としてしか捉えず、婚約者との事があったとはいえ信頼関係を築けずに疑心暗鬼になりながら聖杯戦争を進めていく。その様子はイスカンダルに認められ成長していくウェイバーと対照的であり、マスターとサーヴァントの関係性の違いを浮き彫りにさせる。

このようにネタキャラに評価されることもあるケイネスだが、Fate/Zeroでは一番役割を持たされた人ではないだろうか?
私はいろんなキャラクターの人間性を読み解くカギだと思うし、公式にすらネタキャラとして扱われるとか不憫すぎる。ぜひ見直してあげて欲しい。

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2012.02.18

銅

六本木少女地獄

戯曲集って……

レビュアー:akaya Novice

正直に言えば戯曲集は苦手だ。嫌いとまではいかないけど好きじゃない。それはおそらく読むための物語ではないから。

そう言いながら私の書架の中には一冊だけある。それはシェイクスピアの『リア王』で時間潰しに、手遊びのように中身も見ずに購入した。

「あぁこれが演劇の台本というものか」と思ったことを覚えている。『リア王』に関してはあらすじを知っていたし、映像で見たことがあったので何とかなった。

しかし『六本木少女地獄』は違う。初めて触れる作品で、それが戯曲として書かれている。苦労した。

セリフの合間に簡単な動きの説明があるだけ。怒っているときはどんな顔をしているのか。手は振り上げたか否か。その辺りの細かい描写が無い。

こうなると完全に自分の想像だし、それについてもぼんやりで、登場人物を個別に認識しづらい。

だが、それでもこれは面白かった。とにかくセリフが印象に残るし、ユーモラスだ。"ボクケットミントン"なんてよく考えたなと思う。

ストーリーの把握としてはまだ完全とは言いづらい。どこが劇中劇でどこが対話なのか判断しにくい部分がある。それを掴もうとさせる、再び読ませる力がこの作品にはある。

思うにこれは星海社を巻き込んだ演劇の宣伝なのではないか?読めば読むほどこの戯曲が実際に演じられる舞台を想像してしまう。機会があるならばぜひとも観てみたい。

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2011.09.08

銀

空の境界 the Garden of sinners

痛みを感じさせて

レビュアー:akaya Novice

奈須きのこの文章はとにかく『痛い』。
それは俗に言う中学二年生的な言動のアレさではない。痛覚が発する神経伝達によってもたらされる感情のほう。

"新伝奇"なんていわれる作品だから魔術や能力を使った戦闘が描かれる。とうぜん血も出るし人が死ぬ。その時の奈須きのこはトンデモナイような文章を紡ぎだす。

挿絵はほとんどというか全く無い。映し出す光景は字の連なりからのみ想像されている。それなのにまるで観ているように感じてしまう。ナイフの冷たさを、刺さった熱さを、骨の砕ける音を身体にフィードバックするかのよう。だから『痛い』。

劇場版空の境界はその『痛さ』があった。とりわけ最終第7章は眩暈がするほど痛かった。目がチカチカして意識が飛んでいきそうだった。多分それは悲鳴の演技や効果的使われた光の明滅と音からだと思う。映像作品としての演出が奈須きのこの痛さを届けてくれた。

ではコミック版ではどうだろうか?
『痛み』を届けてくれるだろうか?
私は出来ると思っている。

コミックだけの表現としてコマ割があるし、何よりも絵と文字が同時に存在している。映像的な伝え方と同時に活字的な届け方をしてくれるのではないだろうか。

殺人考察(前)/06ではその片鱗が見えた。実際に式の手が飛び出して首を掴まれるかと思った。血が飛び出していくシーンは客観的な構図だが、そこはやけに主観的だ。まるで式と対峙しているかのよう。

次は3章痛覚残留が描かれる。腕はねじ切られ血は出るし骨も折れる。その光景をぜひ主観で感じさせて欲しい。『痛み』を届けて欲しい。

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2011.09.08


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