Fate/Zero
けーねすセンセイのおしごと
レビュアー:akaya
Fate/Zeroの世界において生粋の魔術師といえば遠坂時臣を思い浮かべるかもしれないが、姿勢よりも役割としてケイネス・エルメロイ・アーチボルトを挙げたい。
時臣はアインツベルンにマキリと並び根源到達を目指していたが、ケイネスは経歴に箔をつけるためという理由で参戦する。本来はイスカンダル所縁の品物を揃えてマスターとなる予定だった。しかしウェイバー・ベルベットが腹いせに持っていったせいで代価物を用意するハメになる。そんな事情がありながらケルトの英雄を呼び出すあたり実力は抜きん出ている。
しかし参戦の結果が婚約者はサーヴァントに惚れてしまい、自身は衛宮切嗣に魔術師としての活路を断たれるという散々な内容で、マスターとしては1発退場を食らうという不憫な立ち位置である。それゆえかネットではネタキャラとして定着してしまい可哀想なセンセイなのだ。
だがケイネスこそFate/Zeroにおける魔術師観を一手に引き受ける存在だ。
ウェイバーも通った魔術師の学び舎である時計台にて一級講師を勤め、そのシーンでは「家柄を超える方法がある」と唱えるウェイバーを一蹴している。まさしく魔術師の考え方を示すもので、近代火器を用いる切嗣の異様さを際立たせる。
加えて礼装は、魔術と並ぶ錬金術を象徴する水銀を自在に動かすというのだから完璧である。
センセイがいるからこそ切嗣が爆発物や自動小銃を用いるのが異様に見えるし、ウェイバーが伝統を脱しようとする新風であることがわかる。
またランサーに対する態度も役割の一つである。
サーヴァントを駒としてしか捉えず、婚約者との事があったとはいえ信頼関係を築けずに疑心暗鬼になりながら聖杯戦争を進めていく。その様子はイスカンダルに認められ成長していくウェイバーと対照的であり、マスターとサーヴァントの関係性の違いを浮き彫りにさせる。
このようにネタキャラに評価されることもあるケイネスだが、Fate/Zeroでは一番役割を持たされた人ではないだろうか?
私はいろんなキャラクターの人間性を読み解くカギだと思うし、公式にすらネタキャラとして扱われるとか不憫すぎる。ぜひ見直してあげて欲しい。
時臣はアインツベルンにマキリと並び根源到達を目指していたが、ケイネスは経歴に箔をつけるためという理由で参戦する。本来はイスカンダル所縁の品物を揃えてマスターとなる予定だった。しかしウェイバー・ベルベットが腹いせに持っていったせいで代価物を用意するハメになる。そんな事情がありながらケルトの英雄を呼び出すあたり実力は抜きん出ている。
しかし参戦の結果が婚約者はサーヴァントに惚れてしまい、自身は衛宮切嗣に魔術師としての活路を断たれるという散々な内容で、マスターとしては1発退場を食らうという不憫な立ち位置である。それゆえかネットではネタキャラとして定着してしまい可哀想なセンセイなのだ。
だがケイネスこそFate/Zeroにおける魔術師観を一手に引き受ける存在だ。
ウェイバーも通った魔術師の学び舎である時計台にて一級講師を勤め、そのシーンでは「家柄を超える方法がある」と唱えるウェイバーを一蹴している。まさしく魔術師の考え方を示すもので、近代火器を用いる切嗣の異様さを際立たせる。
加えて礼装は、魔術と並ぶ錬金術を象徴する水銀を自在に動かすというのだから完璧である。
センセイがいるからこそ切嗣が爆発物や自動小銃を用いるのが異様に見えるし、ウェイバーが伝統を脱しようとする新風であることがわかる。
またランサーに対する態度も役割の一つである。
サーヴァントを駒としてしか捉えず、婚約者との事があったとはいえ信頼関係を築けずに疑心暗鬼になりながら聖杯戦争を進めていく。その様子はイスカンダルに認められ成長していくウェイバーと対照的であり、マスターとサーヴァントの関係性の違いを浮き彫りにさせる。
このようにネタキャラに評価されることもあるケイネスだが、Fate/Zeroでは一番役割を持たされた人ではないだろうか?
私はいろんなキャラクターの人間性を読み解くカギだと思うし、公式にすらネタキャラとして扱われるとか不憫すぎる。ぜひ見直してあげて欲しい。