金の瞳と鉄の剣
美しい世界
レビュアー:6rin
龍が山岳に棲み、魔術師は魔力によって奇跡を起こし、傭兵は戦場で命を賭け、貴族は社交界で優雅に振舞う。
「金の瞳と鉄の剣」はファンタジーの世界を舞台に、二人の若い男、魔術師キアと戦士タウが活躍する物語です。作者は話題になったアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」で脚本を担当した虚淵玄です。
それまで虚淵玄の作品に触れたことがなかったぼくは「まどか☆マギカ」で初めて虚淵玄の作品に触れました。作者の仕掛けた、先の展開が知りたくなる罠にまんまとハマッたぼくは「まどか☆マギカ」を食いつくように観ました。「まどか☆マギカ」で虚淵玄はおもしろい話を考える人だ、ということを学習したぼくはネット上に無料で公開されている「金の瞳と鉄の剣」を読み、それから書店で本を買い求めました。
書き下ろしの最終章は主人公の二人の出会いを描いていて、特に面白かったです。
(作品世界の時間順では最初の章である)最終章で出会ったキアとタウはお互いに影響を受けて生き方を変えます。生きる目的を見つけるのです。
キアは自分が人なのか、人の姿をした人を超えるものなのかを知りたい。
タウは自分にとっての善い生き方を見つけたい。
二人は自分探しを目的とする旅に一緒に出ます。
自分探しの答えを見つけるには最後は運に頼るしかなく、確実に見つけられる方法はありません。見つけられればいいのですが、結局のところ見つからないかもしれません。
でも、ぼくはそうなったとしても二人は十分に幸せだと思います。
なぜなら、二人の関係は特別なものだからです。
二人の間には助け合いながらの旅が育んだ友情があり、キアにとっても、タウにとっても、相棒は人生のカーブを切らせてくれた恩人です。だから、二人は相棒に迫る身の危険から互いに身を守ります。それだけ、相棒を大切に想っているということです。
生き方を変えてくれた恩人との間に友情があり、一緒にいる時間がどんどん積み重なっていくというのはとても幸せなことだと思います。
人との深いところでの繋がりは狙って得られるものではありません。
誰もが二人のような人生を歩めるわけではありません。
ぼくにはそういう特別な人はいません。
ただ、ぼくや読者のおそらく全員にあって、二人に無いものがあります。
関わる者たち全員に、人間としてではなくてモノとして扱われてきたキア。
家族のような存在がいない中で戦場を生き抜いてきたタウ。
ぼくらは家族がそばにいるなかで育ってきましたが、家族や家族と言ってもいいくらい親しい人がいない二人は、ずっと孤独でした。
そんな中、相棒が二人を孤独の檻から救い出しました。だから、二人にとって相棒は掛け替えのない大切な存在なのです。
二人が絆と生きる目的を有することを象徴的に描いた場面が、ドラゴン退治の顛末が書かれた最初の章にあります。
二人は退治して名声を得ようとドラゴンの棲む山を登り、頂上の近くで予期しなかったものを見ます。眼下に広がる乳白色の雲海、雲より高い、眩い空。二人は休憩をとり、初めて見るその美観に見入ります。その場所には、夜になれば星の光が雲に遮られることなく届くでしょう。
素晴らしい眺めに見入るこの姿は、相棒との絆と生きる目的を有して旅をする二人と3つのポイントで似ており、旅をする二人を比喩的に描きます。
それを、美観に見入る二人のポイントの頭に《山》を付け、旅をする二人のポイントに《旅》を付けて説明します。
1つ目。
この世界では、ドラゴンに遭遇することは極めて稀なようです。ドラゴンが棲む、雲よりも高い山の頂上付近にあるこの場所に、人が訪れることはかなり珍しいでしょう。ここが絶景を拝める素敵な場所であるのを知る人は限られると推察されます。
《山》「人が来ることのない素敵な場所に二人だけでいること」は、
《旅》「特別な絆で二人が結ばれていること」や、「そんな二人だけの旅」に似ています。
2つ目。
異国にあるらしい山々が雲海の彼方におぼろげに浮かびます。それを見たタウは、その山々を一生涯知ることもないかもしれないと思います。
《山》「知ることもないかもしれない、輪郭がぼやけた山々」は、
《旅》「見つからないかもしれない、まだ形の分からない自分探しの答え」に似ています。
3つ目。
自分探しの答え(生きる目的)を懐きつづけるということは、二人は答えに見入っているということです。答えに魅入られているのです。二人が見入っている点は美観も同じです。
そして、彼方の山々は美観の一部なので、美観も、輪郭がぼやけているなどの山々の印象を帯びます。
だから、輪郭がぼやけている点や二人が見入っている点などで、美観と答えは似ています。
二人は《旅》「形が分からない遠くにある答えに見入る」ように、
《山》「彼方に山々がぼんやり浮かぶ美観に見入る」。
美観に見入る二人と旅をする二人には、上記のように3つの似たポイントがあり、美観に見入る二人は旅をする二人を比喩的に描いたものだといえます。
つまり、キアとタウは、二人きりの素敵な場所で(≒絆で結ばれた二人の旅において)、彼方に山々がぼんやり見える美観に見入る(≒まだ形が分からない、遠くにある自分探しの答えを懐きつづける)ということです。
自分探しの途中ながら、相棒との絆と生きる目的を有するという意味では、二人はすでに素晴らしい場所にいるのです。
そんな二人だけの美しい世界をゆくキアとタウ。
二人はどこに向かうのでしょうか?
たとえ、二人が絆や生きる目的を失おうとも、ぼくは旅の終わりまで二人を見届けたいと思います。
「金の瞳と鉄の剣」はファンタジーの世界を舞台に、二人の若い男、魔術師キアと戦士タウが活躍する物語です。作者は話題になったアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」で脚本を担当した虚淵玄です。
それまで虚淵玄の作品に触れたことがなかったぼくは「まどか☆マギカ」で初めて虚淵玄の作品に触れました。作者の仕掛けた、先の展開が知りたくなる罠にまんまとハマッたぼくは「まどか☆マギカ」を食いつくように観ました。「まどか☆マギカ」で虚淵玄はおもしろい話を考える人だ、ということを学習したぼくはネット上に無料で公開されている「金の瞳と鉄の剣」を読み、それから書店で本を買い求めました。
書き下ろしの最終章は主人公の二人の出会いを描いていて、特に面白かったです。
(作品世界の時間順では最初の章である)最終章で出会ったキアとタウはお互いに影響を受けて生き方を変えます。生きる目的を見つけるのです。
キアは自分が人なのか、人の姿をした人を超えるものなのかを知りたい。
タウは自分にとっての善い生き方を見つけたい。
二人は自分探しを目的とする旅に一緒に出ます。
自分探しの答えを見つけるには最後は運に頼るしかなく、確実に見つけられる方法はありません。見つけられればいいのですが、結局のところ見つからないかもしれません。
でも、ぼくはそうなったとしても二人は十分に幸せだと思います。
なぜなら、二人の関係は特別なものだからです。
二人の間には助け合いながらの旅が育んだ友情があり、キアにとっても、タウにとっても、相棒は人生のカーブを切らせてくれた恩人です。だから、二人は相棒に迫る身の危険から互いに身を守ります。それだけ、相棒を大切に想っているということです。
生き方を変えてくれた恩人との間に友情があり、一緒にいる時間がどんどん積み重なっていくというのはとても幸せなことだと思います。
人との深いところでの繋がりは狙って得られるものではありません。
誰もが二人のような人生を歩めるわけではありません。
ぼくにはそういう特別な人はいません。
ただ、ぼくや読者のおそらく全員にあって、二人に無いものがあります。
関わる者たち全員に、人間としてではなくてモノとして扱われてきたキア。
家族のような存在がいない中で戦場を生き抜いてきたタウ。
ぼくらは家族がそばにいるなかで育ってきましたが、家族や家族と言ってもいいくらい親しい人がいない二人は、ずっと孤独でした。
そんな中、相棒が二人を孤独の檻から救い出しました。だから、二人にとって相棒は掛け替えのない大切な存在なのです。
二人が絆と生きる目的を有することを象徴的に描いた場面が、ドラゴン退治の顛末が書かれた最初の章にあります。
二人は退治して名声を得ようとドラゴンの棲む山を登り、頂上の近くで予期しなかったものを見ます。眼下に広がる乳白色の雲海、雲より高い、眩い空。二人は休憩をとり、初めて見るその美観に見入ります。その場所には、夜になれば星の光が雲に遮られることなく届くでしょう。
素晴らしい眺めに見入るこの姿は、相棒との絆と生きる目的を有して旅をする二人と3つのポイントで似ており、旅をする二人を比喩的に描きます。
それを、美観に見入る二人のポイントの頭に《山》を付け、旅をする二人のポイントに《旅》を付けて説明します。
1つ目。
この世界では、ドラゴンに遭遇することは極めて稀なようです。ドラゴンが棲む、雲よりも高い山の頂上付近にあるこの場所に、人が訪れることはかなり珍しいでしょう。ここが絶景を拝める素敵な場所であるのを知る人は限られると推察されます。
《山》「人が来ることのない素敵な場所に二人だけでいること」は、
《旅》「特別な絆で二人が結ばれていること」や、「そんな二人だけの旅」に似ています。
2つ目。
異国にあるらしい山々が雲海の彼方におぼろげに浮かびます。それを見たタウは、その山々を一生涯知ることもないかもしれないと思います。
《山》「知ることもないかもしれない、輪郭がぼやけた山々」は、
《旅》「見つからないかもしれない、まだ形の分からない自分探しの答え」に似ています。
3つ目。
自分探しの答え(生きる目的)を懐きつづけるということは、二人は答えに見入っているということです。答えに魅入られているのです。二人が見入っている点は美観も同じです。
そして、彼方の山々は美観の一部なので、美観も、輪郭がぼやけているなどの山々の印象を帯びます。
だから、輪郭がぼやけている点や二人が見入っている点などで、美観と答えは似ています。
二人は《旅》「形が分からない遠くにある答えに見入る」ように、
《山》「彼方に山々がぼんやり浮かぶ美観に見入る」。
美観に見入る二人と旅をする二人には、上記のように3つの似たポイントがあり、美観に見入る二人は旅をする二人を比喩的に描いたものだといえます。
つまり、キアとタウは、二人きりの素敵な場所で(≒絆で結ばれた二人の旅において)、彼方に山々がぼんやり見える美観に見入る(≒まだ形が分からない、遠くにある自分探しの答えを懐きつづける)ということです。
自分探しの途中ながら、相棒との絆と生きる目的を有するという意味では、二人はすでに素晴らしい場所にいるのです。
そんな二人だけの美しい世界をゆくキアとタウ。
二人はどこに向かうのでしょうか?
たとえ、二人が絆や生きる目的を失おうとも、ぼくは旅の終わりまで二人を見届けたいと思います。