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読者レビュー

銅

唐辺葉介『死体泥棒』

完全無糖のOne-wayLove

レビュアー:ユキムラ Adept

「しっあわっせはー 歩いてこない だーかっら 奪いにゆくんだね★」

 ...と、歌いながら減価償却を計算していたら、同僚に、ひどく同情的な視線と共にチョコレートを渡された。
 簡単に持ち運びできるチョコレートというこの存在は、まさに科学進歩の具現だと思う。
というか、初めにチョコレートを固形にした人物はノーベル平和賞に値するとI think . 主に私の心に平和をもたらしてくれたという点において。

 閑話休題、『死体泥棒』のハナシである。
コッテコテのラブストーリー。
ただし、チョコレートのように甘ったるい雰囲気は微塵も無い。
「え? ラブシーン? なにそれ ぉいしぃの?」と言わんばかりの勢いで、一方通行の恋物語は繰り広げられる。
 主人公が奪うのは幸せなどではなく、愛した人の死体だ。
死体 である。間違っても肢体の誤変換などではない。


 すでに物言わなくなった冷たい骸を、主人公は自分の部屋で保管する。
彼女が傷むことないようにと四苦八苦する其の姿に、彼女を悼む感情は見受けられない。
死体が肢体としてすぐ傍にある限り、死など受け入れぬと言わんばかりに。

 主人公の中で、彼女の死は未だ確定事項ではない。
確かに生は否定されている。
しかしながら、死は認可されていないのだ。
ゆえにこそ、歪な同棲生活は継続され 物語は信仰にも似た祈りを伴って進行しゆく。


 傍から見れば、顔をしかめてしまうようなラブストーリーだ。
たとえ、主人公にとっては彼女の存在こそ 心に平和を招くチョコレートの如き至福だとしても。
それでも、その彼女が幸福さえ感じ取れぬ彼岸にいては意味が無い。
 そう、意味が無いのだ。
主人公の行いは、自ら隘路に向かう愚行に等しい。
悪いベクトルの意味はあろうとも、改善の余地など無い。
悲願を抱えたまま、主人公は流されるまま 波にたゆたい漂っていく。


 その先に――
やがて辿り着く最果てに、甘やかな終わりなど待ち構えていないことは十二分に承知の上。
それこそ、チョコレートのような甘美なる終末など過ぎた望みでしかないことも。
 にもかかわらず。
このどうしようもない主人公に付き合って最後までページを繰ってしまうのは。
主人公と共に、彼女の最期を見届けるため だろうか?

2012.04.02

さやわか
チョコレートにからめながら作品を語るのは趣向としては悪くはないと思います。最後まできっちりとチョコレートの話題を差し挟んで、粋な文章になっている。惜しむらくは、チョコレートが単純に「甘美さ」の象徴として使われていることでしょうか。チョコレートならではの苦さ、暗さ、溶けやすさなどが絡んでいるとよりよいものになったかなと思います。これは別に僕の好みでそうなっていてほしいというのではなくて、他でもないこのレビューのタイトルが「完全無糖のOne-wayLove」となっているから、そう思うのです。このレビューの本文には「完全無糖の」みたいなニュアンスはあまり強調されてはいないのではないでしょうか。このタイトルにするのであれば、甘さ控えめな感じ、ビターな感じなども重視してあげるといいかなと思います。というわけで「銅」ということにさせていただきました。

本文はここまでです。