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レビュアー「Thunderbolt侍」のレビュー

銅

僕たちのゲーム史

今、ゲーム史は優しさの時代へ

レビュアー:Thunderbolt侍 Initiate

ごくごく直近の事象を取り扱った歴史書には生の興奮がある。
その年代でホットだった事象を取り扱ったものはとくにそう。
書き手だけでなく、読み手の側にも一定以上の知識と体感があるため、より深く、歴史書の内容に踏み込んでいける。この興奮たるや。

70年代生まれの“僕”にとって「テレビゲーム」は最もホットだった娯楽の1つだ。

実は作者のさやわかさんとは私と全くの同年齢。
子どものころにファミコンを買ってもらえず、ゲーム雑誌でやたらゲーム文化に詳しい子どもになった(笑)という点も似ている。

なので、さやわかさんの語る「テレビゲームの歴史」はより実感をもって理解できた。意図的に一歩引いた、個人的感情を盛りこまない文章・構成になっているが、それでもやはり同年代にこそ強く伝わるものはある。

この新書を20代、40代後半の人が読んでも面白いと感じられるはずだが、70年代生まれの男性が読むと、それ以上の面白さが感じられるだろう。そういう意味で、さやわか世代に生まれた自分は運が良いな、と思ったり。

この「懐古」に強く寄った読み方は、「(「懐古」などだけではない)もう少し違ったアプローチができないだろうか」と筆をとったさやわかさんからしてみれば苦笑いしてしまうものなのかもしれないが、そこはちょっと許してほしいところ。

堀井雄二さんの担当していた「ファミコン神拳」の話題が出た時には脳内に「どいん」こと、土居孝幸さんのイラストとともに「あたたたっ」の文字が浮かんできたし、『ハイドライド3』といえば「はははっ、ジョークです」だよな〜、なんて当時を懐かしく振り返る事ができた。そうそう、『Ys』のキャッチコピー「今、RPGは優しさの時代へ」はたしかに話題になりました(翌年『Ys II』のリリア振り返りアニメはもっと?)。

登場するクリエイターや評論家の名前も懐かしかった。ちょっとHな福袋……もとい「ロードス島戦記」目当てで「ログイン」よりも「コンプティーク」派だった私にとって安田均さん、黒田幸弘さんのお名前は超ビッグネーム。雑誌「Beep」も今や伝説だよなぁ(誤字的な意味でも?)なんて。

もちろん懐古では終わらない。歴史書・評論書としての「僕たちのゲーム史」は秀逸だ。

歴史を紐解きながら「ゲームとは何なのか」を検証し、ゲームの「今」について納得できる考察を行なっている。

そしてその視線はどこまでも優しい。

この手のゲーム史本には、特に近年のゲーム市場縮小や、カジュアルゲーム市場の拡大をどこか嘆くようなものが多い。無責任な戦犯捜しも目に付く。

さやわかさんは、そこに一定の理解を示しつつ、ゲーム市場の今日を否定しない。それは、氏が「だれにも予知できない」とするゲームの未来の全肯定だ。

これまたさわやかさんに苦笑いされてしまうかもしれないが、本書において僕が最も感動したのはそこだ。この人の話をもっと聞いてみたい。そう思わせられた。

というわけで、明日『AKB商法とは何だったのか』を買いに行こうと思います。
えーと、レビューはどこに投稿すればいいのかな?(笑)

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2013.07.08

銅

エレGY

件名『泉和良さんへ』

レビュアー:Thunderbolt侍 Initiate

少し風変わりな恋愛小説「エレGY(エレジィ)」は、300ページ(文庫版)のほとんどをその苦悩の描写に費やしている。

エレGYがジスカルドに向ける全肯定の好意は一方的で無限大だ。
それは不本意な状況に追い込まれているジスカルドこと泉和良にとってどれほど重いものだったろうか。彼女に溺れるという状況が、その言葉の通りに彼を苦しめる。

恋愛において「相手に愛してもらえるか」と同じくらい切実な悩みが「自分が愛して貰うに足る存在であるか」だろう。

愛される資格を、自らに問う。

今、世間には「自分探し」を小馬鹿にする風潮がある。
結局自分なんて、自分の中にしかない。そう思っているからだ。

だからこそ、最後の最後、エレGYの中に「自分」を見つけることができた泉のことを心の底から羨ましいと感じた。

主人公と同名である作者によると、エレGYは7、8割実話だそうだ。
どのあたりが本当で、どのあたりが創作なのか、ちょっと下世話な興味も含めて気になるところだが、以下のくだりは本当(本音)だろう。

『僕が真摯になって生み出す創作物は(中略)奇跡的に誰かのもとへ届き、心の道標や支えとなって、未知なる新しい息吹を生んでいくのだ』

私が新しい息吹を生み出すかどうかはさておき、このことは泉さんに伝えておきたい。
届きましたよ、と。

さあ、恋をしよう。
とりあえず「君のパンツ姿の写真、求む」。

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2013.07.08

銀

コミック版マージナル・オペレーション

キムラダイスケの乾坤“一滴”

レビュアー:Thunderbolt侍 Initiate

「マージナル・オペレーション」は、作家・芝村裕吏の作品である。
おそらくは(作中で明記されていないが)彼がライフワークとする「無名世界観」の一部であり、そのため小説で描かれていない部分も含めて、芝村色に染め上げられている。

この春、その「マージナル・オペレーション」がコミカライズされた。

なお、「星海社FICTIONS」作品が社外媒体で連載漫画化されるのはこれが初めて。活字であるからこその魅力を追求している同レーベルならではの現象なのだが(芝村裕利もアフタヌーン7月号で「執筆するにあたって、ゲームや漫画にできない作品を書いたつもりだった」と述べている)、これはいまどき少々意外。

で、正直なところ、そういう作品であるため、コミカライズには不安があった。

コミカライズを担当するのはこれが初連載という若手漫画家キムラダイスケ。
掲載誌は「月刊アフタヌーン」。5月25日発売の7月号に巻頭カラーでスタートした。

結論を言う。
ファンとして満足できた。この先に期待できた。

原作を忠実に再現しようとしているからではない。コミックとして、独立して面白い作品にしようとしている点に好感を持ったのだ。原作を少しでもいじると「原作○○○」と言われてしまうこの世の中で、それでも自分なりの解釈を加えようという姿勢に好感を持ったのだ。

例えば、第1話では、小説の冒頭部分でしかない「TOKOで、何も持ち合わせていなかった、あの頃」のアラタの描写に数十ページも費やしている。

原作のアラタは、その当時の自分を冷静に客観視できるほど、本当に「何も持ち合わせていなかった」。

しかしコミック版のアラタにはきちんと友人がいた。
しかも、けっこう良いヤツらだった。
これには驚かされた。

原作のアラタは「年相応の焦り」から外資系民間軍事会社の門を叩く。
しかし、コミック版のアラタはもう少し捨て鉢だ。

「まぁ…いいか…」「僕は…こんなもんだ…」。

友人がいたからこその「僕は」という諦め。

この小さな絶望をあえて描いた意図がとても気になる。
それこそが、とてつもなく濃く、重い“芝村色”に、キムラダイスケという新人作家が落とした、“キムラ色”なのではないか。

一滴、一滴、また一滴……。

おそらく、ストーリーの骨子は最後まで変わらないはずだ。しかし、きっとコミック版は違う物語になる。そこを面白いと思う。そこに期待したい。

コミック版「マージナル・オペレーション」が漫画家・キムラダイスケの作品になりますように。

そうして生まれた2つの「マージナル・オペレーション」を完結後、改めて読み合わせたときに生まれる不思議な立体感を味わえますように。


そうそう、もう1つの“キムラ色”について、少しだけ。

この人はきっと、女の子を描くのが大好きな人だ。
冒頭巻頭カラーにジブリール(原作にない)、朝の通勤ラッシュに女子高生(原作にない)、民間軍事会社の面談で巨乳金髪職員(原作にない)、訓練キャンプの通訳が巨乳褐色肌職員(原作にない)、そして最初のブリーフィングで一足早くソフィア登場(原作にない)。

……いろいろ期待したい。

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2013.06.22

銅

世界征服/大日本サムライガール/至道流星

至道流星は勝利し続ける。

レビュアー:Thunderbolt侍 Initiate

あらゆるエンタテインメントには「快感原則」の充足が求められる。

主人公が最終的に勝利することで読者は大きな満足感を得ることができる。そのため、物語終盤直前に主人公らをあえてマイナス状態に落とし、読者にストレスを与えるという手法が定番となった。ここからプラスに引き上げることで、振れ幅を大きくし、快感の度合いを引き上げるというテクニックだ。

だがしかし「世界征服」「大日本サムライガール」の至道流星は、その常道を歩まない。水ノ瀬凛は一度の敗北・挫折も味わうことなく世界征服へと歩を進めるし、神楽日毬、織葉颯斗もそれぞれの大志・野望を最短距離で成し遂げようとしている。一時の敗北すら描かれないし、予期できなかった苦戦も存在しない。敵や障害は瞬く間に駆逐される。まさに「覇道」(「世界征服」オビより)を描く作家なのである。

そしてこの際、従来の“マイナスからプラスに至る振れ幅”を越える圧倒的な勝利を描くのが至道流だ。「倒産寸前の零細企業を救った(やったね!)」では終わらないスケールの大きさこそが至道流星作品の面白さ。そのケタ違いな大勝利にはちょっと唖然とさせられる。まあ、主人公の最終目標が「世界征服」あるいは「日本独裁」なのだからチマチマした成功を描いている場合ではないのだが……。

もちろん、ただの大ボラではない。筆者が得意とする経済・政治というツールを駆使することで「ケタ違いな大勝利」にしっかりとしたリアリティを付与している点も評価したい。水ノ瀬凛が頭脳を、神楽日毬が美貌という武器を最大限駆使したように、本業が経営者であるというバックボーンを活かした説得力のある内容に仕上がっている。

2009年8月にデビューした至道流星が、これまでに上梓した作品の冊数はすでに20冊を越えた。この精力的な活動は彼の描く物語の登場人物たちにも負けていない。圧倒的な勝利を描き続け、積み上げ続ける、至道流星の覇道からも目が離せそうにない。

まずは「大日本サムライガール」の圧倒的大勝利に期待している。

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2013.06.11


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