エトランゼのすべて
特別な「普通」
レビュアー:ややせ
過ぎ去った季節の記憶。それは絵巻物のようだ。
映像のようになめらかに完璧ではない。かといって、写真ほど細切れでもない。
人と人が風景の中に描かれていて、簡単な説明があったり、交わした会話もひとことふたこと、もしかしたら但書のように残っているかもしれない。
終わってしまった出来事を振り返れば、何が正しかったのか、どんな事件が起こっていたのか、全体を把握するのは難しい。
結末を語るのは今ここに立っている自分でしかなく、物事をつなぎあわせているのは中途半端な記憶だけだからだ。
大学生活という新しいステージを前に、これまでとは違った自分、充実した学業や楽しい交遊、かわいい彼女、やりがいのあるアルバイト……などを夢見ていた針塚圭介は、新生活のスタートからしてつまづいてしまう。
大学生活の最初の一手、サークル選びからしてうまく決まらなかったのだ。
けれど、この圭介の気弱さや優柔不断さを否定する気にも責める気にもならない。オタクっぽいとか空気読めなさそうとか、そんなふうにも思わない。
この余計なところにまで気を回し考えすぎて動けなくなるところは、人として「普通」だと思うし、むしろ「普通」であってほしいと思うからだ。
この圭介が成り行きで入った、たまにご飯を食べながらおしゃべりをするだけというひたすら気楽なサークルが京都観察会である。会長という謎の美人を中心に一風変わったメンバーが集っていて、圭介は彼らにいいように翻弄される。
圭介はそれを、行き場の無い自分のような人間たちを会長が集めて救っているのだと解釈する。そして、ミステリアスで浮世離れした会長に聖母に対するもののような憧れを抱き、また、会長と自分に似通った部分を見つけ、更に想いを募らせていくのだった。
結論からいうならば、それは間違いだった。
圭介の認識には大きな誤りがあり、圭介以外の人物は皆それを知っていて、これは圭介がその認識の誤りに気づくまでの物語である。
しかし、あっと驚く現実の反転が起こっても、それは恋というイベントに憧れたり、自分の特別さを無条件に信じているありがちな大学生の物語までを無かったことにはしない。それを見ないままでは、いつまで経っても自分に関係のないところで展開されている物語のままである。
圭介はそれに気づき、探偵役のように歪んだ現実をあるべき状態に戻しただけではなかった。
そこからもう一歩踏み込み、自分のことにように理解できた会長、つまり好きだった女の子が安楽に閉じこもろうとするのを連れ出しに行くのだ。
圭介のとった行動は決して乱暴なものではないにしろ、かけられる言葉は容赦のない刃のようだった。耳をふさぎ、できれば聞きたくない類の言説だ。
しかも、最後の大きな誘惑が会長の口からこぼれでる。それは聖母があたかも悪い魔女のように変貌する瞬間で、虚構からの最後の誘惑だった。
それをも拒絶して、走り続けることを選んだ圭介はかっこいい。
「普通」にかっこいいし、「普通」がかっこいい。
自分が誇れること、自身を持てることが一つでもあるなら、それは歩いてきたこの一条の道のどこかにあるのだろう。
それは劇的でなくていいし、かっこよくなくていいし、なんの特別なことでもない「普通」のことのはずだ。
大多数の「普通」の人がいて、それらの「普通」の人に虐げられているという思い込みから、圭介も抜け出すことができるだろう。
どこにも「普通」の人なんていやしないのだ。
けれど、贅沢を言うなら。
季節の風のようにやさしく、ときに冷たく過ぎたそんな時間の中には、特別な誰かの面影が残っているといい。
そういうのが、いいな。
読み終わって、そんなことを考えながら表紙を見つめると、会長さんが笑ったような気がした。
映像のようになめらかに完璧ではない。かといって、写真ほど細切れでもない。
人と人が風景の中に描かれていて、簡単な説明があったり、交わした会話もひとことふたこと、もしかしたら但書のように残っているかもしれない。
終わってしまった出来事を振り返れば、何が正しかったのか、どんな事件が起こっていたのか、全体を把握するのは難しい。
結末を語るのは今ここに立っている自分でしかなく、物事をつなぎあわせているのは中途半端な記憶だけだからだ。
大学生活という新しいステージを前に、これまでとは違った自分、充実した学業や楽しい交遊、かわいい彼女、やりがいのあるアルバイト……などを夢見ていた針塚圭介は、新生活のスタートからしてつまづいてしまう。
大学生活の最初の一手、サークル選びからしてうまく決まらなかったのだ。
けれど、この圭介の気弱さや優柔不断さを否定する気にも責める気にもならない。オタクっぽいとか空気読めなさそうとか、そんなふうにも思わない。
この余計なところにまで気を回し考えすぎて動けなくなるところは、人として「普通」だと思うし、むしろ「普通」であってほしいと思うからだ。
この圭介が成り行きで入った、たまにご飯を食べながらおしゃべりをするだけというひたすら気楽なサークルが京都観察会である。会長という謎の美人を中心に一風変わったメンバーが集っていて、圭介は彼らにいいように翻弄される。
圭介はそれを、行き場の無い自分のような人間たちを会長が集めて救っているのだと解釈する。そして、ミステリアスで浮世離れした会長に聖母に対するもののような憧れを抱き、また、会長と自分に似通った部分を見つけ、更に想いを募らせていくのだった。
結論からいうならば、それは間違いだった。
圭介の認識には大きな誤りがあり、圭介以外の人物は皆それを知っていて、これは圭介がその認識の誤りに気づくまでの物語である。
しかし、あっと驚く現実の反転が起こっても、それは恋というイベントに憧れたり、自分の特別さを無条件に信じているありがちな大学生の物語までを無かったことにはしない。それを見ないままでは、いつまで経っても自分に関係のないところで展開されている物語のままである。
圭介はそれに気づき、探偵役のように歪んだ現実をあるべき状態に戻しただけではなかった。
そこからもう一歩踏み込み、自分のことにように理解できた会長、つまり好きだった女の子が安楽に閉じこもろうとするのを連れ出しに行くのだ。
圭介のとった行動は決して乱暴なものではないにしろ、かけられる言葉は容赦のない刃のようだった。耳をふさぎ、できれば聞きたくない類の言説だ。
しかも、最後の大きな誘惑が会長の口からこぼれでる。それは聖母があたかも悪い魔女のように変貌する瞬間で、虚構からの最後の誘惑だった。
それをも拒絶して、走り続けることを選んだ圭介はかっこいい。
「普通」にかっこいいし、「普通」がかっこいい。
自分が誇れること、自身を持てることが一つでもあるなら、それは歩いてきたこの一条の道のどこかにあるのだろう。
それは劇的でなくていいし、かっこよくなくていいし、なんの特別なことでもない「普通」のことのはずだ。
大多数の「普通」の人がいて、それらの「普通」の人に虐げられているという思い込みから、圭介も抜け出すことができるだろう。
どこにも「普通」の人なんていやしないのだ。
けれど、贅沢を言うなら。
季節の風のようにやさしく、ときに冷たく過ぎたそんな時間の中には、特別な誰かの面影が残っているといい。
そういうのが、いいな。
読み終わって、そんなことを考えながら表紙を見つめると、会長さんが笑ったような気がした。