きみを守るためにぼくは夢を見る 3 白倉由美
空音へ
レビュアー:鳩羽
空音へ
きみは僕のことをお兄ちゃんと呼ぶ。最初は本当のお兄ちゃんじゃないかと、疑ってすらいたね。
きみを初めて見たとき、つまりあの事故に遭ったとき、僕もきみを大切なひとと重ね合わせて見ていた。僕の初恋の相手、会いたくても会えない永遠の恋人の小さい頃に、きみがあまりによく似ていたから。
ほんのうたた寝のつもりが七年経っていた僕と、十七歳のときから七年分、子供に戻ってしまった空音。
まったく正反対の体験をした僕らが過ごした短い夏は、つらいことばかり多かった。僕にとってのつらいことなんて、きみの苦しみに比べると全然たいしたことじゃないかもしれない。けれど、僕にとっても、結構しんどい日々だった。
僕はかつて、主治医の先生に言われたことがある。僕は「行きて帰りし物語」の主人公みたいだと。この物語の主人公は、共同体に戻るためには犠牲を捧げなければならないのだと。
思えば僕たちは、交換や取引に慣れきっていて、なにかを差し出せば何かを得られることが当然だと思っている。けれど、好意を差し出したとしても、同じだけの好意が返ってくるとは限らない。僕にとって特別な存在のひとでも、そのひとにとって僕が特別になれるとは限らない。
そのことを知らずに、傲慢にも僕は大切な初恋のひとを犠牲にした。その行為が、最終的に初恋のひとと僕を守ることになると信じて。
でも、そうじゃなかったのかもしれない。何かを犠牲にしたり差し出したりするんじゃなくて、ただ手をさしのべるように、背中を押すように、プレゼントすればよかったんだと今は思う。
そして、こんなすてきなプレゼントをありがとうって受け取っていれば、こんなおかしなことにはならなかったのかもしれない。
僕をお兄ちゃんと慕ってくれるきみの初々しさ、甘えた声の奥にあるしっかりとした中心が、僕にはまぶしい。本当に妹がいたらこんな感じなのかな、とくすぐったい気持ちになる。空の音に、耳をすませていたくなる。きみはそんなすてきな女の子だ。
だからこそ、きみをあがなう、ということは考えられない。
それなのに、僕はきみにチョコレートを食べさせてしまった。特別な、甘くてほろ苦い契約のチョコレート。
僕は、僕の試練から帰る場所を見つけたはずだった。これが「行きて帰りし物語」なのだとしたら、ようやく帰路につくのだと。
そう身をひるがえした途端、きみは僕を導いてくれる存在から、冷たい檻に僕を捕らえようとする存在に変わってしまった。
ヨモツヒラサカの喩え。けれど、帰れなくなるのは黄泉の食べ物を口にした方じゃなかったっけ。まあそんなことはいいか。僕はきみに対しての責任を負ったのだ。
僕は夢をみる。
逃避のために、夢から覚めないままでいるのとは違う。自分の意志で、夢を見続けることを選んだ。
出かけていっては帰ってくる。旅立っては戻ってくる。単純なくり返し。誰かが僕の人生を物語のように読むのなら、その通りだろう。
けれど、僕にとっては一方通行の、不可逆の時の流れに従って進む一本道だ。
僕は僕の物語を取り戻し、そのなかへ帰ることができるのだろうか。
この檻を開けはなってくれるきっかけを。夜の動物園で眠る鳥たちのように、僕はひっそりと待つしかないのだろうか。
ただ、ひととひととが同じ虹を見るということ、それが一体どうしてこれほど困難で、苦しいほどに望まれる……
きみは僕のことをお兄ちゃんと呼ぶ。最初は本当のお兄ちゃんじゃないかと、疑ってすらいたね。
きみを初めて見たとき、つまりあの事故に遭ったとき、僕もきみを大切なひとと重ね合わせて見ていた。僕の初恋の相手、会いたくても会えない永遠の恋人の小さい頃に、きみがあまりによく似ていたから。
ほんのうたた寝のつもりが七年経っていた僕と、十七歳のときから七年分、子供に戻ってしまった空音。
まったく正反対の体験をした僕らが過ごした短い夏は、つらいことばかり多かった。僕にとってのつらいことなんて、きみの苦しみに比べると全然たいしたことじゃないかもしれない。けれど、僕にとっても、結構しんどい日々だった。
僕はかつて、主治医の先生に言われたことがある。僕は「行きて帰りし物語」の主人公みたいだと。この物語の主人公は、共同体に戻るためには犠牲を捧げなければならないのだと。
思えば僕たちは、交換や取引に慣れきっていて、なにかを差し出せば何かを得られることが当然だと思っている。けれど、好意を差し出したとしても、同じだけの好意が返ってくるとは限らない。僕にとって特別な存在のひとでも、そのひとにとって僕が特別になれるとは限らない。
そのことを知らずに、傲慢にも僕は大切な初恋のひとを犠牲にした。その行為が、最終的に初恋のひとと僕を守ることになると信じて。
でも、そうじゃなかったのかもしれない。何かを犠牲にしたり差し出したりするんじゃなくて、ただ手をさしのべるように、背中を押すように、プレゼントすればよかったんだと今は思う。
そして、こんなすてきなプレゼントをありがとうって受け取っていれば、こんなおかしなことにはならなかったのかもしれない。
僕をお兄ちゃんと慕ってくれるきみの初々しさ、甘えた声の奥にあるしっかりとした中心が、僕にはまぶしい。本当に妹がいたらこんな感じなのかな、とくすぐったい気持ちになる。空の音に、耳をすませていたくなる。きみはそんなすてきな女の子だ。
だからこそ、きみをあがなう、ということは考えられない。
それなのに、僕はきみにチョコレートを食べさせてしまった。特別な、甘くてほろ苦い契約のチョコレート。
僕は、僕の試練から帰る場所を見つけたはずだった。これが「行きて帰りし物語」なのだとしたら、ようやく帰路につくのだと。
そう身をひるがえした途端、きみは僕を導いてくれる存在から、冷たい檻に僕を捕らえようとする存在に変わってしまった。
ヨモツヒラサカの喩え。けれど、帰れなくなるのは黄泉の食べ物を口にした方じゃなかったっけ。まあそんなことはいいか。僕はきみに対しての責任を負ったのだ。
僕は夢をみる。
逃避のために、夢から覚めないままでいるのとは違う。自分の意志で、夢を見続けることを選んだ。
出かけていっては帰ってくる。旅立っては戻ってくる。単純なくり返し。誰かが僕の人生を物語のように読むのなら、その通りだろう。
けれど、僕にとっては一方通行の、不可逆の時の流れに従って進む一本道だ。
僕は僕の物語を取り戻し、そのなかへ帰ることができるのだろうか。
この檻を開けはなってくれるきっかけを。夜の動物園で眠る鳥たちのように、僕はひっそりと待つしかないのだろうか。
ただ、ひととひととが同じ虹を見るということ、それが一体どうしてこれほど困難で、苦しいほどに望まれる……