レッドドラゴン
求めよ、さらば与えられん。
レビュアー:zonby
それは予期せず。
そして一瞬の出来事だった。
予告はされていた。
けれども私のTV環境では、見ることなどないと思っていた。
CM。
番組の合間に流される、告知や宣伝の役割を持つ映像。
『革命、開幕。』
その言葉と共に、それはあまりに唐突に。
まるでわざと置いてけぼりを食らわせるかのように、明朗な英語で始まる
闘いのリングにあがる選手を呼ぶ時のような、次々とコールされる名前と、画面一杯に広がるキャラクターの映像。
呼ばれたその名前が誰であるのか、一体何のCMであるのか。
それを理解するより早く、「考えるな、感じろ!」とでも言うように画面は次々と切り替わり、≪闘い≫のイメージをちぎりとるように投げつけてくる。
大きく表示される「RED DRAGON(レッドドラゴン)」というタイトル。
映画の予告編を彷彿とさせる音楽のフェードアウトと共に聞こえる「SAIZENSEN」の言葉。
最後にしてやったり、とでも言いたげな涼しげな佇まいで映る青い星を波が横切るような形のロゴマークと、「星海社」の文字。
「なんじゃこりぁああああああ!!こう来たかぁああああああ!!」
…と、事前の予告を知っていた私でさえそう思ったのだから、予告もなしにこのCM見た人は私の数十倍。
「なんじゃこりぁああああああ!!」
と、なり。
「…っていうか星海社ってなんじゃぁああああ!!」
と、なったに違いない。
一夜限りで星海社が行なったロールプレイングフィクション『レッドドラゴン』CM放送。
その事実は、いろいろな意味で新鮮であり、実験的であり、出版社が通常行うアプローチとしてはかなり冒険的なものだったと思う。
一夜限り!
(基本的に)予告なし!
字幕があったとはいえ、日本人が日本で見るTVに英語を使用!
その上、一夜限りで終わらせるにはもったいないくらいのクオリティ!
普通見かける、洗剤の「この洗剤を使うと汚れがこんなに落ちますよ~」。食べ物の「これを食べると体にこんな良いことがありますよ~」。あるいは「こんな危険はあるので気をつけて下さいね~」。
というものすごくわかりやすいメッセージ性が、『レッドドラゴン』のCMにはなかった。
ひたすらになかった。
ただ何か凄いことが始まりそうな予感と、自分は今何か凄いものを見てしまったんじゃないか、という理屈のわからない興奮だけは確実に見た人にぶつけたとは思う。
そう。
『レッドドラゴン』CM放送は、まるで通り魔のようで。かつ暴力的だった。
英語は簡単に理解されることを拒むようであり、次々と移り変わるイメージはボクシングのジャブのように、頭の中をシェイクする。
やっとシェイクされた脳細胞が、CMを理解しようとする頃にはCM自体が終わり。終盤にかけて見え、聞こえた「レッドドラゴン」「最前線」「星海社」という言葉が残響として残像として残る。
今のCMは何のCMだったのか。
何を伝えたかったのか。
何が始まるのか。
それらを差し置いて、最後にえも知れぬ興奮が先に生まれる。
人に理解されるものを作ることは重要だ。
言いたいことがすぐに分かってもらえた方が、両者にとって利点は多い。
しかし星海社が出してきたCMは、明らかに両者にとって利点ばかりが多いとはいえない作りである。
「なんだったんだろう」で済まされるかもしれない。
「わけがわからない」と言われるかもしれない。
けれど、このCMは最後に残る謎の興奮のありかを突き止めようとする者には、惜しまず『レッドドラゴン』への道を示す作りにはなっている。
興奮の源を自ら探求する者にだけ、『レッドドラゴン』に辿り着けるCMという名の扉なのだ。
これからもそんな
「なんじゃこりぁああああああ!!こう来たかぁああああああ!!」
と。
澄まし顔で現れる、ロゴマークと「星海社」の文字に、私は期待しています。
最前線で『レッドドラゴン』を読む
そして一瞬の出来事だった。
予告はされていた。
けれども私のTV環境では、見ることなどないと思っていた。
CM。
番組の合間に流される、告知や宣伝の役割を持つ映像。
『革命、開幕。』
その言葉と共に、それはあまりに唐突に。
まるでわざと置いてけぼりを食らわせるかのように、明朗な英語で始まる
闘いのリングにあがる選手を呼ぶ時のような、次々とコールされる名前と、画面一杯に広がるキャラクターの映像。
呼ばれたその名前が誰であるのか、一体何のCMであるのか。
それを理解するより早く、「考えるな、感じろ!」とでも言うように画面は次々と切り替わり、≪闘い≫のイメージをちぎりとるように投げつけてくる。
大きく表示される「RED DRAGON(レッドドラゴン)」というタイトル。
映画の予告編を彷彿とさせる音楽のフェードアウトと共に聞こえる「SAIZENSEN」の言葉。
最後にしてやったり、とでも言いたげな涼しげな佇まいで映る青い星を波が横切るような形のロゴマークと、「星海社」の文字。
「なんじゃこりぁああああああ!!こう来たかぁああああああ!!」
…と、事前の予告を知っていた私でさえそう思ったのだから、予告もなしにこのCM見た人は私の数十倍。
「なんじゃこりぁああああああ!!」
と、なり。
「…っていうか星海社ってなんじゃぁああああ!!」
と、なったに違いない。
一夜限りで星海社が行なったロールプレイングフィクション『レッドドラゴン』CM放送。
その事実は、いろいろな意味で新鮮であり、実験的であり、出版社が通常行うアプローチとしてはかなり冒険的なものだったと思う。
一夜限り!
(基本的に)予告なし!
字幕があったとはいえ、日本人が日本で見るTVに英語を使用!
その上、一夜限りで終わらせるにはもったいないくらいのクオリティ!
普通見かける、洗剤の「この洗剤を使うと汚れがこんなに落ちますよ~」。食べ物の「これを食べると体にこんな良いことがありますよ~」。あるいは「こんな危険はあるので気をつけて下さいね~」。
というものすごくわかりやすいメッセージ性が、『レッドドラゴン』のCMにはなかった。
ひたすらになかった。
ただ何か凄いことが始まりそうな予感と、自分は今何か凄いものを見てしまったんじゃないか、という理屈のわからない興奮だけは確実に見た人にぶつけたとは思う。
そう。
『レッドドラゴン』CM放送は、まるで通り魔のようで。かつ暴力的だった。
英語は簡単に理解されることを拒むようであり、次々と移り変わるイメージはボクシングのジャブのように、頭の中をシェイクする。
やっとシェイクされた脳細胞が、CMを理解しようとする頃にはCM自体が終わり。終盤にかけて見え、聞こえた「レッドドラゴン」「最前線」「星海社」という言葉が残響として残像として残る。
今のCMは何のCMだったのか。
何を伝えたかったのか。
何が始まるのか。
それらを差し置いて、最後にえも知れぬ興奮が先に生まれる。
人に理解されるものを作ることは重要だ。
言いたいことがすぐに分かってもらえた方が、両者にとって利点は多い。
しかし星海社が出してきたCMは、明らかに両者にとって利点ばかりが多いとはいえない作りである。
「なんだったんだろう」で済まされるかもしれない。
「わけがわからない」と言われるかもしれない。
けれど、このCMは最後に残る謎の興奮のありかを突き止めようとする者には、惜しまず『レッドドラゴン』への道を示す作りにはなっている。
興奮の源を自ら探求する者にだけ、『レッドドラゴン』に辿り着けるCMという名の扉なのだ。
これからもそんな
「なんじゃこりぁああああああ!!こう来たかぁああああああ!!」
と。
澄まし顔で現れる、ロゴマークと「星海社」の文字に、私は期待しています。
最前線で『レッドドラゴン』を読む