ここから本文です。

読者レビュー

銅

『レッドドラゴン』

次元越えの魔術形式

レビュアー:ラム、ユキムラ

■たこ焼きライス
■「海鮮炒めじゃないんだよ!」
■有機vs人参
■カナダ☆レモン

 正常な日本語に翻訳できるフレーズが上記に多々ある人は注意した方がいい。
貴方はテニミュ――ミュージカル『テニスの王子様』に毒されている。

 ふとした瞬間、テニミュに心奪われ、魅せられる。
 私達はいつの間にか、彼らを一人の人間として認識している。
漫画やアニメ、ゲームとは違う『テニミュ』の越前リョーマや跡部景吾として。
 本来二次元であるはずの彼らの生きる姿、実際に戦う姿を目の当たりにする稀有なる感動。
そして、ミュージカルという特性ゆえに、歌やダンスの中に、キャラではなく役者としての姿が垣間見える。
 でもそれは残念なことではない。
歌やダンスからにじみ出る役者の姿――その生き様は、「もしそのキャラならこう動くだろう」と、役になりきるためにみんなの頑張った証左なのだ。
 そんな頑張りに接して役者ごと好きになって。そして、ますますテニミュを好きになる。


 本当の、
   本当に。

 どうしようもないくらい――魅せられる。


 そんなテニミュのように、初めは作家さんに釣られてレッドドラゴンの世界へと踏み込んだ。
 テニミュと『レッドドラゴン』とは類似したカラクリだ。
 そのキャラを演じるひとがキャラと別物であることを、私達は知っている。
実際はキャラ自身が存在しているのではなく、誰かがキャラを演じているに過ぎないカリソメ//舞台劇であることも。
頭の片隅では真実を理解しながら、フィクションの世界に入り込む。
 入念に作られた音楽が世界観を奏で。
世界の創造主は、冷酷に無慈悲に、キャラに選択を迫る。
さっきまで紅玉さんだったものが対面した苦い選択は、すでにエィハとしての決断だ。
ロー・チェンシーの即断も同じ。
 作家さんがその都度、選択して、その一瞬一瞬を懸命に生きているのは、その世界を生きる者として。
 その息遣いを、確かに感じる。
「この人は、この先どういった選択を突きつけられ、どの道を選ぶのか?」
 キャラの未来を案じ、作家さん達の決断に息を呑む。
それは、現実とフィクションが交じり合った准虚構かつ准現実だからこそ、抱く感覚。
純粋な小説では味わえないし、また、純粋な現実でも持たない、曖昧な境界線。

 ――嗚呼。
 これこそまさに、2.5次元の葛藤。
 二次元ではなく、三次元でもない。
どうしようもなく…コウモリ(ルビはどっちつかず)な、2.5次元。


「2.5次元など…ないっ!!」
 そのように、以前 星海社の某編集長がツイッターでつぶやかれました。

 しかしながら、私達は2.5次元は存在すると思うのです。
確かに、実際に、明瞭に、ここに。

 2.5次元だからこその、この魔力。
そのチカラに魅了されて――レッドドラゴンの世界へと、私達がダウンロードされる。

最前線で『レッドドラゴン』を読む

2012.03.09

さやわか
これは……ラムさんとユキムラさんの合作レビュー!? この展開は面白すぎますぞ……。しかしレビューのジャッジは公平にやらせていただきますぞ!
のぞみ
テニミュのレビューをよんでいるのかのように感じましたわぁ〜。
さやわか
そうなのですよ。テニミュについて言及された部分、ここの文章が楽しそうすぎて、『レッドドラゴン』の話を食ってしまっている。実は内容的にはかなり面白いことを言っていて、「生身の人間がキャラクターを演じる」という点からテニミュと『レッドドラゴン』を比較し、その上で2.5次元というものの存在を示唆している。これはかなり優れた視点があると言っていいでしょう。しかし、文章としてはどうでしょうか。テニミュがどんなものなのか、初めてこの文章で触れた人に十分に説明できているかどうかは難しいと思います。結果的には、テニミュとか『レッドドラゴン』について、まずは書き手が楽しいんだなという、内輪っぽいムードへの好感しか持てません。「星海社の某編集長」みたいな、理解されることを前提としつつ言及を避けるような言い回しもその傾向に拍車をかけるように思います。楽しさを求めるならこれでもいいと思います。しかし、このレビューが言い得たことの総量からするとわりともったいないかな、とは思いました。ジャッジとしては「銅」相当かと思います! 得点はせっかくですからお二人ともに差し上げましょう!

本文はここまでです。