tyoro「僕にかかっていた魔法は解けてない」(『エレGY』レビュー)
魔法が広がっていく
レビュアー:matareyo
やあやあ、君はどうしてその本を手に取ったのかな?
好きな作家。好きなジャンル。表紙に惹かれて。帯の文句が気になって。友達におすすめされて。なんかビビッときて。はてさて?
私が泉和良『エレGY』を手に取ったのはtyoro氏のレビューを見たからなんだね。私自身もレビューを書いてここに送ったりしているから、他の人のレビューもチェックしているわけです。そしてそれが掲載された時、ツイッターでは「新規投稿者がいきなり『金』(レビューの4段階の評価で一番すごいの!)を獲得」 とかで盛り上がってるわけですよ。
読むよね。読んだ。
これはっ、すごい! ……ような、気が、する、か、な?
実はこれがレビューとしてどうすごいのかはその時はよくわからなかった。採点者のさやわか氏の講評を読んで「そうなのかー」となんとなくわかった気になっていただけで。
でも、書き手からどこか切実なものを感じたのだ。
tyoro氏が『ジスカルドの魔法』にかかったファンの一人として、以下のように書いた箇所。
「この小説を最初に目にしたのは、3年も前に発刊された『パンドラ Vol.1 SIDE-B』と いう人を殴り殺せそうなボリュームの雑誌だった。
けど、その時は魔法が解けるのが怖くて冒頭を読んだ所でページをめくる手を止めてしまった。
ファンでありながら読めない、読まないっていうのは『それはほんとうにファンなのか?』と言われてしまえば閉口するしかないのだけど、でも、そういうファン心理が存在するって事は、多分この小説を読んでくれれば(主人公との立場は逆になるが)理解してもらえると思う」
私はこのとき「そういうファン心理」を理解できなかった。それでもその苦悩がどうも気になる。どういうことなのかな?
それ程に書き手を悩ます『エレGY』とは、ジスカルドとは、泉和良とはなんなのだろう。
気になった。 だから『エレGY』を読んだわけです。
そして、読んでわかった。理解しました。tyoro氏の言う「そういうファン心理」を。「魔法」にかかるとはどういうことなのかを。読んでない人は読んでみるとわかる! そうとしか言えない!
そしてもう一度、彼のレビューを読んだのね。
これはっ、すごい!!
今度ははっきりそう思った。
それは一つの物語だったんだ。ジスカルド/泉和良とtyoroの物語。作品を読んだからこそ、tyoro氏の切実さが身に迫ってくる。本の中の『エレGY』とtyoro氏の【エレGY】がリンクする。作家への思い、作品への思い。それが現実に、彼自身の生き方に影響を与えたこと。あの物語にはそれだけの力があったんだ。
私はtyoro氏のレビューを読んでしまった。
もう『エレGY』を作品内に描かれている事だけで見ることはできなくなってしまった。
レビューを見て『エレGY』を買いに走り、早速作品を読んで、そしてまたレビューを読む。その一連の行動とそこで自分が感じたこと。それが私にとっての『エレGY』という作品になってしまった。
作品を分析するだとか、研究するだとか、そういうことには邪魔なことかもしれない。
でも、紛れもなくこれが私の読書体験。そこで感じたことは偽ることができない大事なもの。あのレビューにはそう思わせる力があったんだ。
tyoro氏のレビューは実際に評価もされているし、私がことさらに何かを言う必要ははっきり言ってないよね。それにこういう形で『エレGY』を見てしまうことは、泉和良氏にとっても、tyoro氏にとっても不本意なことかもかもしれない。
それでも私は言いたかったんだ。
あなたのおかげで『エレGY』に出会うことができました。あなたのレビューが私の『エレGY』となりました。あなたが私にこの思いを伝えるきっかけをくれました。その感動を与えてくれました。
私はあなたに魔法をかけられたのです。
好きな作家。好きなジャンル。表紙に惹かれて。帯の文句が気になって。友達におすすめされて。なんかビビッときて。はてさて?
私が泉和良『エレGY』を手に取ったのはtyoro氏のレビューを見たからなんだね。私自身もレビューを書いてここに送ったりしているから、他の人のレビューもチェックしているわけです。そしてそれが掲載された時、ツイッターでは「新規投稿者がいきなり『金』(レビューの4段階の評価で一番すごいの!)を獲得」 とかで盛り上がってるわけですよ。
読むよね。読んだ。
これはっ、すごい! ……ような、気が、する、か、な?
実はこれがレビューとしてどうすごいのかはその時はよくわからなかった。採点者のさやわか氏の講評を読んで「そうなのかー」となんとなくわかった気になっていただけで。
でも、書き手からどこか切実なものを感じたのだ。
tyoro氏が『ジスカルドの魔法』にかかったファンの一人として、以下のように書いた箇所。
「この小説を最初に目にしたのは、3年も前に発刊された『パンドラ Vol.1 SIDE-B』と いう人を殴り殺せそうなボリュームの雑誌だった。
けど、その時は魔法が解けるのが怖くて冒頭を読んだ所でページをめくる手を止めてしまった。
ファンでありながら読めない、読まないっていうのは『それはほんとうにファンなのか?』と言われてしまえば閉口するしかないのだけど、でも、そういうファン心理が存在するって事は、多分この小説を読んでくれれば(主人公との立場は逆になるが)理解してもらえると思う」
私はこのとき「そういうファン心理」を理解できなかった。それでもその苦悩がどうも気になる。どういうことなのかな?
それ程に書き手を悩ます『エレGY』とは、ジスカルドとは、泉和良とはなんなのだろう。
気になった。 だから『エレGY』を読んだわけです。
そして、読んでわかった。理解しました。tyoro氏の言う「そういうファン心理」を。「魔法」にかかるとはどういうことなのかを。読んでない人は読んでみるとわかる! そうとしか言えない!
そしてもう一度、彼のレビューを読んだのね。
これはっ、すごい!!
今度ははっきりそう思った。
それは一つの物語だったんだ。ジスカルド/泉和良とtyoroの物語。作品を読んだからこそ、tyoro氏の切実さが身に迫ってくる。本の中の『エレGY』とtyoro氏の【エレGY】がリンクする。作家への思い、作品への思い。それが現実に、彼自身の生き方に影響を与えたこと。あの物語にはそれだけの力があったんだ。
私はtyoro氏のレビューを読んでしまった。
もう『エレGY』を作品内に描かれている事だけで見ることはできなくなってしまった。
レビューを見て『エレGY』を買いに走り、早速作品を読んで、そしてまたレビューを読む。その一連の行動とそこで自分が感じたこと。それが私にとっての『エレGY』という作品になってしまった。
作品を分析するだとか、研究するだとか、そういうことには邪魔なことかもしれない。
でも、紛れもなくこれが私の読書体験。そこで感じたことは偽ることができない大事なもの。あのレビューにはそう思わせる力があったんだ。
tyoro氏のレビューは実際に評価もされているし、私がことさらに何かを言う必要ははっきり言ってないよね。それにこういう形で『エレGY』を見てしまうことは、泉和良氏にとっても、tyoro氏にとっても不本意なことかもかもしれない。
それでも私は言いたかったんだ。
あなたのおかげで『エレGY』に出会うことができました。あなたのレビューが私の『エレGY』となりました。あなたが私にこの思いを伝えるきっかけをくれました。その感動を与えてくれました。
私はあなたに魔法をかけられたのです。