エレGY
1人の友として
レビュアー:横浜県
恋愛小説の楽しみ方には2つあるんだ。まずは主人公たちに感情移入し、彼らの恋を追体験する「主観的」な読み方。
初めて『エレGY』に出会ったのは講談社BOXで、当時はジスカルドやエレGYの恋心に寄り添うべく必死だった。でも上手くいかなかった。僕はジスカルドのように、リアルとネットで2つの顔を使い分けてはいない。そのギャップに悩む必要もない。加えてエレGYのように、エキセントリックな少女に出会ったこともない。彼らの恋路は、僕にとって軽く想像しうる範疇を超えていた。だから感情移入なんて、表面的にしかできやしなかった。
でも不思議なことに、僕は『エレGY』という作品をひどく気に入った。どうしてだろう。その納得できる答えが見つかるには、星海社文庫での再販を待たねばならなかった。その帯にはこうある。
「この恋、きっと応援したくなる」
僕は気づかされた。この『エレGY』には、先に挙げた読み方なんて、決して似合わないんだって。主人公たちの恋愛を、まるで友達のように応援する「客観的」な読み方こそが、この作品にはピッタリなんだって。
いうなれば、作中のききたんやnikoの立場になるってこと。(2人は主人公のことをよく知る友人である)ジスカルドの気持ちを分かってはあげられる。彼とエレGYの恋が、成就するようにと祈ってはいる。けれど背中を押すことしかできない。彼と代わってはやれない。
最初はこれじゃダメだと思ってた。とことん感情移入して、ジスカルドの苦悩を、恋慕の情を、感じとってやらないといけないんだって。
でも、本当は逆だった。それこそが、『エレGY』の魅力だったんだ。本のページを捲りながら、ジスカルドの恋を陰から応援する。そして彼と一緒に泣いて、笑ってみせる。感情移入なんて、そのためには十分条件でしかないんだ。ジスカルドの隣で、その雄姿を見つめること。それだけで僕らは、2人の恋を祝福してやれるんだ。幸せな気持ちに、きっとなれるんだ。
初めて『エレGY』に出会ったのは講談社BOXで、当時はジスカルドやエレGYの恋心に寄り添うべく必死だった。でも上手くいかなかった。僕はジスカルドのように、リアルとネットで2つの顔を使い分けてはいない。そのギャップに悩む必要もない。加えてエレGYのように、エキセントリックな少女に出会ったこともない。彼らの恋路は、僕にとって軽く想像しうる範疇を超えていた。だから感情移入なんて、表面的にしかできやしなかった。
でも不思議なことに、僕は『エレGY』という作品をひどく気に入った。どうしてだろう。その納得できる答えが見つかるには、星海社文庫での再販を待たねばならなかった。その帯にはこうある。
「この恋、きっと応援したくなる」
僕は気づかされた。この『エレGY』には、先に挙げた読み方なんて、決して似合わないんだって。主人公たちの恋愛を、まるで友達のように応援する「客観的」な読み方こそが、この作品にはピッタリなんだって。
いうなれば、作中のききたんやnikoの立場になるってこと。(2人は主人公のことをよく知る友人である)ジスカルドの気持ちを分かってはあげられる。彼とエレGYの恋が、成就するようにと祈ってはいる。けれど背中を押すことしかできない。彼と代わってはやれない。
最初はこれじゃダメだと思ってた。とことん感情移入して、ジスカルドの苦悩を、恋慕の情を、感じとってやらないといけないんだって。
でも、本当は逆だった。それこそが、『エレGY』の魅力だったんだ。本のページを捲りながら、ジスカルドの恋を陰から応援する。そして彼と一緒に泣いて、笑ってみせる。感情移入なんて、そのためには十分条件でしかないんだ。ジスカルドの隣で、その雄姿を見つめること。それだけで僕らは、2人の恋を祝福してやれるんだ。幸せな気持ちに、きっとなれるんだ。