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読者レビュー

銅

エレGY

その物語が、僕の脳をかき混ぜる。

レビュアー:冬野 氷夜 Novice

 正直な話、これがレビューかどうかはわからない。
 今年、二十歳になるような人間が垂れ流す、便所の落書きみたいなものかもしれない。ひょっとしたら、単なる自分語り(のようなもの)なのかもしれない。
 でも、そういうのでも書きたいという気持ちが湧き上がってきたので書いてみる。笑いたければ、笑って、テキストをゴミ箱の中に投げ捨ててやってくださいな。

『エレGY』を初めて読んだのは、大学校に通っている間だった。
 帰郷している時に、文庫本を購入し、大学校の寮に戻った。繰り返す日常の中で、小説やシナリオを書いたりしていた。
 そんな日常の中で、『エレGY』という本を読み終えた。読んでいる間、痛みと切なさと温かさを感じ、頭の中がグチャグチャになってしまったような気がした。気がしただけ。

『エレGY』という小説を端的に表すなら、「ヘンテコで、痛々しくて、後味すっきり爽やかな、青春っぽいラブストーリー」と言ったところか。……いや、なんというか、こう、変な表現になってしまったような気がするが。
 芸術って、なんだっけ? といった疑問が、物語の根底にあり、当時の僕は物語を読み進めるたびに、自分と『泉和良』を重ねてみるようになった。センスってなんだっけ? 実力、何それ美味しいの? みたいな共感が色々と。
 脳みそがグチャグチャにかき回されて、解体されていくみたいに。破壊されていくみたいに。現実が崩れ落ちていくように。
 僕にとっては、そんな小説のように思えた。他の人だったら、そう言った感覚を、もっと理論的に語れるかもしれないけれど。

 読み終えてしまった後には、もう何も残らなかった。
 彼らには、ハッピーエンドを。
 僕には、シビアな現実を。
『泉和良』は、芸術家になった(吹っ切れた『彼』が、そうなったように思えたのだ)。
 僕は、何も変わらなかった。いや、大学校を休学した。

『彼』と僕の違いは何なのか。いや、あらゆる意味で、僕は劣っているだろう。感覚的にだけど、そう思う。
 でも、なんとなくだけれど、『壊れかけの彼女』と出会ったのが、一番の違いに思える。
 いや、僕と『彼』は何もかも違う。共感できるが、他人だ。唐辺葉介的な断絶だ。相互不理解……多分違うだろうけど。

 ああ、そういうわけでもないのかもしれない。
 僕は、単に嫉妬しているだけだ。
『泉和良』に?
 いや、違う。
『エレGY』という物語そのものに、だ。

 まぁ、つまりは『作者の泉和良先生』が書いた『エレGY』はすごい物語だったってわけで。

最前線で『エレGY』を読む

2012.06.08

さやわか
青春小説を読んで、わがことを振り返って悶々とした感じが非常によく出ている! これもまさに青春です。僕はこういうレビュー、好きですな。『エレGY』に感じたまぶしさに対して「銅」を贈らせてください。さて、このレビューは書き手自身がよく反映されたものなので、僕は正直、このままでもいいなと思います。でも、純粋にレビューとしてこれをもっとよい形にするならば、という話をしましょう。たまにレビューの講評で書かせていただいていますが、冒頭にあるような「正直な話、これがレビューかどうかはわからない」から始まる、卑下したような部分は必要ありません。なぜこういうことを書いてしまうかというと、むろん書き手が自分の書くことに自信がないからこそのエクスキューズ(弁解)なのですが、しかし読み手は、思ったよりも書き手のことを信じようとして読み始めてくれます。その時に、自信のなさゆえに「これを信じる必要はない」というようなことが並べられていると、読み手は混乱してしまいます。だから、たとえ堂々と、自分が正しいと思うこと、感じたことを書いたほうが本当はいいのです。「頭の中がグチャグチャになってしまったような気がした」なら、「気がしただけ」とわざわざ書かない方が、読み手には強いインパクトを与えられる。しかしです。実はこのレビューには、そういうエクスキューズがたくさんちりばめられていて、それがこの文章の悶々としたイメージを作り上げています。だから、このままでいいと言ったのは、そういうことです。しかし、これを変えたいと思うなら、歯を食いしばって、自分の熱意とか思いを書くといいです。どちらを選ぶかは、ご本人次第ということになります。

本文はここまでです。