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レビュアー「冬野 氷夜」のレビュー

銅

キタイのアタイ

確率の話で、なんでニヤニヤしちゃたんだろう?

レビュアー:冬野 氷夜 Novice

 なんで、頭が痛くなるような、確率の話で、ニヤニヤしてしちゃったんだろう?
 この短編を読みながら僕は、そんな事ばっかり考えていた。なんせ、客観的な三人称だけど、どこか優しい文体だし、甘い匂いが漂う描写(表情とか、仕草とか)多めだし……と。
 そんな風な印象を抱きつつ、読み終えたら、「やっぱり、イチャイチャ甘い話じゃねーか!」と叫びたくなった。
 騙されたー。……いや、別に騙されてもよかったし、なんとなくイラストからそんな感じかなー、と勘付いてもいた。
 ただ、ごく普通の小難しい会話に、ニヤけるほど甘い砂糖がまぶしてあっただけなのだ、と。

 カップルが、気まぐれに、やたら衒学的にしてしまったピロートークみたいな感じの。……色んな意味で、そんな会話をした経験なんてないけど、さ。

 最初っから脱線しているような話を元に戻す。

 この物語を簡潔に言ってしまえば、
「答えのわかっていることについて正しくない道を選ぶのは、あまりよろくない」
「でも、恋なんてのは、答えなんてないし、それが正しいのなんか、わからない」
 ってな話だ。実につまらなさそうな言い方での説明である。そうでもしないと、なんだか頭がよくなりそうな砂糖を食っているような気がしてしまうのだ。
 確率の話とか、そういうのを頭で整理すると知恵熱が出てくるような僕が、甘い空間の中に飲み込まれて、ひたすら数学を理解していく感じ。
 意味不明である。

 またまた脱線したので、話を戻す。

 主人公の秋山君は、曖昧な言葉で、東堂さんのバッサリとした言葉を受け止める。ちょっと難しいだけの確率や期待値の話を。ふんわりとしたクッションみたいに、やたら現実味がある言葉を受け止め続ける。けれども、時々、東堂さんに、優しいさ混じりの、ちょっとした仕返しをする事もある。
 なんだか、凸凹した会話(……だと思う。僕にとっては)。
 というより、液体みたいな二人。

 きっと、彼らはお似合いのカップルなんだろう、と思える。

 僕個人の話をしてしまえば、僕はかなり頭の悪い人生を送っているような気がする。
 期待値だとか確率だとか、ましてや数学なんかとは無縁な感じ。
 数字の列を見たら、知恵熱が出てしまうくらいだ。
 それでも、この物語で書かれている話は、なんとなく理解できたが。

 少しだけ、この物語では語れないところで、東堂さんの話についていけてる(だろう)秋山君が羨ましいかもしれない。

 僕は、このレビューらしきもの――僕がこのテキストをレビューと称しても、他の人がこれをレビューとは言わないかもしれないから、曖昧な感じにしておく――を書いている時に、少しだけ思った。
 ……数学の基礎から、勉強しよう。

 ちなみに、これは本当に蛇足でしかない話。くじの日つながりで、とりあえず。
 僕は、何度か二百円のスクラッチ宝くじを買った事があるが、あまり大きな当たりがなかった。たまに、当たる程度でしかない。それも、五百円くらいの当たり。
 まぁ、そんなもんかな、とは思う。
 だけれど、答えのわかっていることについて、正しくない道を選んでみるのも、そんなに悪い事じゃないと、僕は思うのである。

 ……あの二人も、単に描写されていないだけで、そんな風に考えているのかもしれない。言葉にしないだけで。

 そんな風に思い巡らし、レビューを書いた九月二日――くじの日の夜の事であったとさ。

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2013.04.16

銅

エレGY

その物語が、僕の脳をかき混ぜる。

レビュアー:冬野 氷夜 Novice

 正直な話、これがレビューかどうかはわからない。
 今年、二十歳になるような人間が垂れ流す、便所の落書きみたいなものかもしれない。ひょっとしたら、単なる自分語り(のようなもの)なのかもしれない。
 でも、そういうのでも書きたいという気持ちが湧き上がってきたので書いてみる。笑いたければ、笑って、テキストをゴミ箱の中に投げ捨ててやってくださいな。

『エレGY』を初めて読んだのは、大学校に通っている間だった。
 帰郷している時に、文庫本を購入し、大学校の寮に戻った。繰り返す日常の中で、小説やシナリオを書いたりしていた。
 そんな日常の中で、『エレGY』という本を読み終えた。読んでいる間、痛みと切なさと温かさを感じ、頭の中がグチャグチャになってしまったような気がした。気がしただけ。

『エレGY』という小説を端的に表すなら、「ヘンテコで、痛々しくて、後味すっきり爽やかな、青春っぽいラブストーリー」と言ったところか。……いや、なんというか、こう、変な表現になってしまったような気がするが。
 芸術って、なんだっけ? といった疑問が、物語の根底にあり、当時の僕は物語を読み進めるたびに、自分と『泉和良』を重ねてみるようになった。センスってなんだっけ? 実力、何それ美味しいの? みたいな共感が色々と。
 脳みそがグチャグチャにかき回されて、解体されていくみたいに。破壊されていくみたいに。現実が崩れ落ちていくように。
 僕にとっては、そんな小説のように思えた。他の人だったら、そう言った感覚を、もっと理論的に語れるかもしれないけれど。

 読み終えてしまった後には、もう何も残らなかった。
 彼らには、ハッピーエンドを。
 僕には、シビアな現実を。
『泉和良』は、芸術家になった(吹っ切れた『彼』が、そうなったように思えたのだ)。
 僕は、何も変わらなかった。いや、大学校を休学した。

『彼』と僕の違いは何なのか。いや、あらゆる意味で、僕は劣っているだろう。感覚的にだけど、そう思う。
 でも、なんとなくだけれど、『壊れかけの彼女』と出会ったのが、一番の違いに思える。
 いや、僕と『彼』は何もかも違う。共感できるが、他人だ。唐辺葉介的な断絶だ。相互不理解……多分違うだろうけど。

 ああ、そういうわけでもないのかもしれない。
 僕は、単に嫉妬しているだけだ。
『泉和良』に?
 いや、違う。
『エレGY』という物語そのものに、だ。

 まぁ、つまりは『作者の泉和良先生』が書いた『エレGY』はすごい物語だったってわけで。

最前線で『エレGY』を読む

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2012.06.08


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