エレGY
惚れたぜ、エレGY
レビュアー:牛島
先に断っておきます。
私はこの小説が万人に受け入れられる作品だとは思っていません。
いやもう、一時期受け付けられなかった私が言うんだから間違いないと思います。
作品のあらすじはシンプルです。
「心が荒んだ青年がいる」
「青年はヒロインに出会う」
「いろいろあって、ヒロインとの出会いで青年は立ち直る」
……以上です。
我ながら酷いですが、嘘を吐いたつもりはありません。
こうしたある種ご都合主義な物語は世の中にいくらでも溢れていて、ともすれば平凡に受け取られてしまいます。実際、講談社BOX版を読んだときには「ああ、こういうのが流行ってるんだな」程度の感慨しか得ることができませんでした。当時の読書日記にもそう記されてありました。
それが今回の文庫化にあたって再読してみたところ、まったく印象が変わりました。
初見のときは「……ヤバくないか?」としか思えなかったエレGYが、……こう、可愛いんです!
いやもう、本っ当に可愛い!
「今まで私は理想のヒロイン像を探していたが、それってこの娘のことだったんじゃないの?」と自問してしまうぐらい可愛い!
初見のときの自分はなんでこれを「ありそうな物語」とか言っちゃうかなぁ!
「ヒロインが奇抜なだけ」とかさぁ!
もうね、当時の自分! したり顔で偉そうなこと言ってるお前! お前とは女性の好みについて話ができないね!
…………。
失礼。取り乱しました。
さて。
この「エレGYに対する印象の食い違い」ですが、結局この物語の魅力と本質はここにつまっているのでしょう。
つまり、エレGYに惚れられるか、惚れられないか。
端的かつ乱暴に言えば、そういうことになります。
エレGYに惚れた人間だけが、この物語を楽しむことができる。
エレGYに惚れた人間にとって、この物語は凡百の物語ではなくなる。
というのも、この物語は一貫して主人公(=筆者)の泉和良の視点で描かれているからです。
エレGYに惚れる/惚れていくというプロセスは、主人公の視点に収まることの最低条件でもあるのです。エレGYに惚れることなく彼を理解することなどできないのです。
また逆に言えば、主人公・泉和良の視点にのめりこむほど共感したら、自然とエレGYに惚れる/惚れていくようになってもいるのです。彼を理解したならエレGYに惚れずにはいられないのです(つまり初めて読んだとき「よくある話」程度にしか思えなかった私は想定された読者ではなかったということなのでしょう)。
なんという、作者の愛。
私がかつてエレGYを許容できなかったように、エレGYに惚れることができない人もいるでしょう。
そんな人にこそ、
「いやね、人間って変わるもんだから。君の好みだって変わるから」
と伝えたい。
「自分には合わない」なんて決めつけず、いつかまた読み返してほしい。
幸い、最前線には無期限無料で公開されてることですし。
私はこの小説が万人に受け入れられる作品だとは思っていません。
いやもう、一時期受け付けられなかった私が言うんだから間違いないと思います。
作品のあらすじはシンプルです。
「心が荒んだ青年がいる」
「青年はヒロインに出会う」
「いろいろあって、ヒロインとの出会いで青年は立ち直る」
……以上です。
我ながら酷いですが、嘘を吐いたつもりはありません。
こうしたある種ご都合主義な物語は世の中にいくらでも溢れていて、ともすれば平凡に受け取られてしまいます。実際、講談社BOX版を読んだときには「ああ、こういうのが流行ってるんだな」程度の感慨しか得ることができませんでした。当時の読書日記にもそう記されてありました。
それが今回の文庫化にあたって再読してみたところ、まったく印象が変わりました。
初見のときは「……ヤバくないか?」としか思えなかったエレGYが、……こう、可愛いんです!
いやもう、本っ当に可愛い!
「今まで私は理想のヒロイン像を探していたが、それってこの娘のことだったんじゃないの?」と自問してしまうぐらい可愛い!
初見のときの自分はなんでこれを「ありそうな物語」とか言っちゃうかなぁ!
「ヒロインが奇抜なだけ」とかさぁ!
もうね、当時の自分! したり顔で偉そうなこと言ってるお前! お前とは女性の好みについて話ができないね!
…………。
失礼。取り乱しました。
さて。
この「エレGYに対する印象の食い違い」ですが、結局この物語の魅力と本質はここにつまっているのでしょう。
つまり、エレGYに惚れられるか、惚れられないか。
端的かつ乱暴に言えば、そういうことになります。
エレGYに惚れた人間だけが、この物語を楽しむことができる。
エレGYに惚れた人間にとって、この物語は凡百の物語ではなくなる。
というのも、この物語は一貫して主人公(=筆者)の泉和良の視点で描かれているからです。
エレGYに惚れる/惚れていくというプロセスは、主人公の視点に収まることの最低条件でもあるのです。エレGYに惚れることなく彼を理解することなどできないのです。
また逆に言えば、主人公・泉和良の視点にのめりこむほど共感したら、自然とエレGYに惚れる/惚れていくようになってもいるのです。彼を理解したならエレGYに惚れずにはいられないのです(つまり初めて読んだとき「よくある話」程度にしか思えなかった私は想定された読者ではなかったということなのでしょう)。
なんという、作者の愛。
私がかつてエレGYを許容できなかったように、エレGYに惚れることができない人もいるでしょう。
そんな人にこそ、
「いやね、人間って変わるもんだから。君の好みだって変わるから」
と伝えたい。
「自分には合わない」なんて決めつけず、いつかまた読み返してほしい。
幸い、最前線には無期限無料で公開されてることですし。