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読者レビュー

銅

エレGY

未来へ飛び立つ重さ

レビュアー:大和 Novice

 この小説は、不思議な重さを持っている。

 主人公・泉和良はフリーウェアゲームを作りながら関連グッズの販売で収入を得ているクリエイター。だが生活は安定せず、半ば自暴自棄的になった泉和良はブログで女の子のパンツ姿写真を募集する。そこにエレGYと名乗る少女が本当に写真を送りつけてきて、二人は出会い、惹かれ合っていく……それが『エレGY』という物語だ。

 一見して普通の恋愛小説みたいだけど、泉和良という主人公の名を見て「おや?」と思った人もいるはずだ。そう、この小説は大部分が作者・泉和良の体験した実話なのである。無論ただ起こったことを書き殴ったというわけではなく、ある程度は小説として再構成されているだろう。だが描写の仕方一つにしても妙にリアリティがあって、一度読めば、この物語は実際にどこかで起こったことだということを感じてもらえるはずだ。

 しかし、それだけならばただノンフィクションっぽいだとか私小説的だとかいった話で終わってしまう。でも僕は、この小説はそれらの「実話っぽさ」だけでは説明のつかない強度を持っていると思う。

 思えばゼロ年代は「いかにして作品の外部を利用し、強い表現を獲得するか」という手法が多くのクリエイターによって発展した時代だった。例えばFateにおいて、奈須きのこは神話や伝承といった既存の広く知られた物語をキャラクターの背景に取りこんだ。ひぐらしにおいて、竜騎士07は解決不可能にも思える謎と挑発的な惹句によって、プレイヤーたちが謎解きを競い合う広大なゲーム空間を作り出した。そんな時代の潮流の中に『エレGY』もいた。

『エレGY』が利用したのは、ジスカルドというキャラクターであり、アンディー・メンテというサイトであり、数々のフリーウェアゲームであり、泉和良自身の生き様だ。

 アンディー・メンテという言葉で検索してみるといい。僕らはすぐに、ジスカルドの作ったサイトにアクセスし、多くのフリーウェアゲームと出会うことができる。それらを実際にプレイすることができる。そうして泉和良の生きてきた軌跡に触れた時、『エレGY』という作品は不思議な重さを持ち始める。

 そして小説だけが一方的に強化されるのではない。

 物語の終盤、泉和良はエレGYという少女を通して創作することの喜びを知る。エレGYはジスカルドの作品に強く影響を受け、その才能を開花させる。自分の作ったものが誰かに影響を与え、それが「種」となり、新たな才能を生みだしうる――その事実、その実例に出会った泉和良は強く感動する。そして泉和良もまたエレGYの輝きによって影響を受け、より高みへと昇っていく。その結実として誕生したのが『エレGY』という小説なのだ。

『エレGY』という作品はジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちを背景として読み込み自身を強化しながら、同時に『エレGY』自身がそれらを強化する。僕らはジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちに触れながら、『エレGY』によって描かれた物語に思いを馳せることができる。そこで泉和良が過ごした時間を想うことができる。そこで泉和良が出会った感動に、エレGYに蒔かれた種に出会うことができる。

 それは泉和良が智恵を振り絞って繰り出した利口かつ狡猾な手法だとか、そういう話ではないのだと思う。きっと彼は、挫けそうになりながらも全力に生きたからこそエレGYと出会うことができて、どこか不器用にしか生きられないからこそ『エレGY』という作品は書かれたのだ。むしろ自然と生まれたからこそ、この物語は心を揺さぶるのだし、自然とこの作品に辿りついたという事実自体もまた、ジスカルドやアンディー・メンテやフリーウェアゲームたちを強化する物語になるのだ。

 『エレGY』という作品は、ただの恋愛小説みたいでありながら、ぱらぱらと広がっていた泉和良の人生を一点に凝縮させたような力強さがある。そして更なる高みへと飛翔する泉和良の背中を『エレGY』という作品自体が力強く押してみせる。今、僕が手にしている文庫本は、たかだか数百グラム程度の重量しかないだろう。けれど僕は、そこにかけがえのない重さを感じずにはいられない。ここにあるのは軽快な恋愛小説のようで、一人の男が救われる話のようで、同時に一人の男の人生そのものがぎゅうぎゅうに詰まった物語で、そして一人の男が未来へ向けて飛び立つ意思が刻まれた作品なのだ。

 ぜひ『エレGY』を読んでみてほしい。暖かくて力強くて、飛び立ってしまいそうな重さを感じとってほしい。きっと泉和良は、あなたの胸にも種を蒔いてくれるはず。

2011.12.20

のぞみ
(´ω`)細やかな説明で、良いな~と思いました。
さやわか
まったくです。非常にうまく書けていると思います。かなり慎重に読者を「重み」という結論へと誘導しているのがわかる。
のぞみ
読む側を置いていかない感じがしましたわ。
さやわか
独りよがりな感じがしないのがいいですな。そしてレビュー単体で『エレGY』という作品の熱をも感じさせてくれる。唯一きになったのは、「ゼロ年代は(…)という手法が多くのクリエイターによって発展した時代だった」というあたりだけです。というのも、ここではゼロ年代という大きな概念がポーンと出てきますが、その説明に使われるのは奈須きのこと竜騎士07という二人だけなのです。これはちょっと惜しい。この二人が「ゼロ年代」という大きなものを代表しているという了解が読者に得られているならいいです。でもそうとは言い切れない。両方とも星海社と関わりのある作家なので、知らない人が見たらこのレビュアーは単に星海社の作品を読んでいるだけの、視野の狭い人だと思われてしまいます。「ゼロ年代」「世界」「日本」「思想」みたいな広い概念を使って作品を語ると、容易に作品の価値を広げやすくなりますが、ちゃんと書き手自身が広い視野を持って語っているように見せねばならない。注意が必要なんです。もうほんの一言だけ、強引でも「これらの作家がゼロ年代を代表するのだ」という説明があれば、まだ何とかなるのですが。ということで「銅」にいたします!

本文はここまでです。