エレGY
ゲーム製作者と囲碁の関係
レビュアー:くまくま
作中、泉和良は碁会所に通っていた。フリーウェアのゲーム製作者と囲碁の関係を考えてみるのも、ちょっと面白い。
多くの人は囲碁といえば、おじいさんがお茶を飲みながらのんびりやるイメージを持つかもしれない。しかし実際の囲碁には、もっとシビアで打算的な要素が含まれている。
囲碁は、二人の打ち手が交互に打つゲームだ。ゆえに、自分ひとりの考えを追求するだけでは勝てない。相手の思惑を盤上から読み取り、それを考慮した上で自分の狙いを実現する。そのためには、多少の犠牲をはらうことも躊躇しない。この、何かを得るために何かを犠牲にする仕組みは、現実のビジネスに通じる要素だろう。
この様なビジネス性を優先したゲーム作りを嫌って、泉和良はフリーになった。しかし、定期収入が途絶えれば、結局は生活のためにゲームを作らねばならない。本来目指した、センスと個性を重視したゲームから、ユーザーに求められるゲームを作る様になったのだ。この矛盾は、彼の精神にどれほどダメージを与えただろう。
だが、この矛盾と何とか折り合いをつけなければ、生きていくことはできない。彼にとって、この折り合いをつけるための儀式が碁を打つことだったとは、解釈できないだろうか?囲碁ですら、何かを得るためには別の何かを犠牲にしなければならない。いわんや、現実をや。
そんな精神の暗闇の中で彼は、エレGYという女子高生に出会う。そして彼女に魅かれながらも、彼女が理想として見ている自分の虚像に耐えられなくて、彼女と距離を置こうとする。だがそれでも彼女は、彼にくらいついてくるのだ。
ここで、また囲碁に話を戻したい。囲碁の最も基本的な構成要件は、自分と相手、二人いなければ打てないということだ。自分が置いた黒石を見てその狙いを見抜き、それをかわすための一手を打って来る。そしてその手をさらに超えるための一手をひねり出す。その思考のやり取りの間に、相手は自分のことをどれほど理解してくれるだろう?そして自分は、どれほど相手のことを理解するだろう?
泉和良は、ずっと一人で碁を打っていると思っていた。だから誰にも本当の自分を理解してもらえない苦しみを抱えていた。だが、そうではなかったのだ。碁盤の向こう側には、いつもエレGYがいた。彼の打つ一手を見て、彼女もまた次の一手を考えていた。ただこれまでは、互いに相手の一手が見えなかっただけなのだ。
それがいま、同じ盤上でまみえる機会を得た。彼女がそれをずっと待っていたのならば、そのチャンスを逃す理由はない。だからエレGYは、泉和良にくらいつくのだ。
この作品は、はじめて立ち上がろうとする人に福音を与える作品ではない。ひとたび打ちひしがれ、泥の中に沈もうとしている人に、そっと手を差し伸べる作品なのだと思う。大丈夫、あなたの目指す先にも、あなたを見ている人はきっといるよ、と。
多くの人は囲碁といえば、おじいさんがお茶を飲みながらのんびりやるイメージを持つかもしれない。しかし実際の囲碁には、もっとシビアで打算的な要素が含まれている。
囲碁は、二人の打ち手が交互に打つゲームだ。ゆえに、自分ひとりの考えを追求するだけでは勝てない。相手の思惑を盤上から読み取り、それを考慮した上で自分の狙いを実現する。そのためには、多少の犠牲をはらうことも躊躇しない。この、何かを得るために何かを犠牲にする仕組みは、現実のビジネスに通じる要素だろう。
この様なビジネス性を優先したゲーム作りを嫌って、泉和良はフリーになった。しかし、定期収入が途絶えれば、結局は生活のためにゲームを作らねばならない。本来目指した、センスと個性を重視したゲームから、ユーザーに求められるゲームを作る様になったのだ。この矛盾は、彼の精神にどれほどダメージを与えただろう。
だが、この矛盾と何とか折り合いをつけなければ、生きていくことはできない。彼にとって、この折り合いをつけるための儀式が碁を打つことだったとは、解釈できないだろうか?囲碁ですら、何かを得るためには別の何かを犠牲にしなければならない。いわんや、現実をや。
そんな精神の暗闇の中で彼は、エレGYという女子高生に出会う。そして彼女に魅かれながらも、彼女が理想として見ている自分の虚像に耐えられなくて、彼女と距離を置こうとする。だがそれでも彼女は、彼にくらいついてくるのだ。
ここで、また囲碁に話を戻したい。囲碁の最も基本的な構成要件は、自分と相手、二人いなければ打てないということだ。自分が置いた黒石を見てその狙いを見抜き、それをかわすための一手を打って来る。そしてその手をさらに超えるための一手をひねり出す。その思考のやり取りの間に、相手は自分のことをどれほど理解してくれるだろう?そして自分は、どれほど相手のことを理解するだろう?
泉和良は、ずっと一人で碁を打っていると思っていた。だから誰にも本当の自分を理解してもらえない苦しみを抱えていた。だが、そうではなかったのだ。碁盤の向こう側には、いつもエレGYがいた。彼の打つ一手を見て、彼女もまた次の一手を考えていた。ただこれまでは、互いに相手の一手が見えなかっただけなのだ。
それがいま、同じ盤上でまみえる機会を得た。彼女がそれをずっと待っていたのならば、そのチャンスを逃す理由はない。だからエレGYは、泉和良にくらいつくのだ。
この作品は、はじめて立ち上がろうとする人に福音を与える作品ではない。ひとたび打ちひしがれ、泥の中に沈もうとしている人に、そっと手を差し伸べる作品なのだと思う。大丈夫、あなたの目指す先にも、あなたを見ている人はきっといるよ、と。