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レビュアー騎士団、第六場

『さやわかの星海社レビュアー騎士団』騎士號争奪戦ゲームボードにおいて第六場が観測されました。状況を報告します。

新しい読者レビューが以下のURLに掲載されました。

http://sai-zen-sen.jp/special/kishidan/readers/
それぞれのレビューで「続きを読む」をクリックすると講評を読むことができます。

現在のランキングが以下のURLに掲載されました。

http://sai-zen-sen.jp/special/kishidan/ranking.html

第六場の得点状況

活躍によって上級称号を拝命したプレイヤー

レビュアー活躍によって拝命した称号特 典
オペラに吠えろ。さん Lord Lord 3カ月分の星海社の刊行物がすべて与えられる。騎士団長より名誉ある二つ名「神速の一本刀」を拝命する。
ジョッキ生さん Knight Knight  1カ月分の星海社の刊行物がすべて与えられる。サイン本などファングッズに相当するモノが与えられる。
ヴィリジアン・ヴィガンさん Warrior Warrior  希望する星海社の刊行物が2つ与えられる。
ラムさん Adept Adept  希望する星海社の刊行物が1つ与えられる。画神・竹による描き下ろしイラストを使用した、特製ラバーコースターが与えられる。
jakigan blaさん Novice Novice  tugeneko画伯描き下ろしポストカードが与えられる。

ゲームボードの変移が確認されました。


全六場の変移を経験したため、ゲームボードは臨界負荷に達して破綻しました。騎士號争奪戦を終了します。総得点集計ならびにステージリセット段階に移行します。




騎士號争奪戦のルールは以下のURLにあります。
http://sai-zen-sen.jp/special/kishidan/about.html

報告を終わります。

2014.06.18

レビュー講座

レビュー講座一覧

のぞみ姫の消失

レビュアー:さやわか

ちっす!さやわかです。

レビュアー騎士団、更新されております!!!!!

 

なんと!レビュアー騎士団のアシスタントである、のぞみ姫が失踪!!!!!

これによってレビュアー騎士団のシステムは不安定化しています。

さてさて、どうなることでしょうか。

現在、事態を打開するためにゲームボードを再設定すべく、最終調整中です。

これに先立ちまして、まずは今月末にもう一度、レビューが更新されます。本日から次回更新までに送っていただいたレビューは掲載されませんのでご注意ください。

 

そして!その先は予想もつかない展開になってまいりますよ。

諸君、しばし待たれよ!

2013.04.16

250字、長いか短いか?

レビュアー:さやわか

ちっす! さやわかです。

レビュアー騎士団、第五場のレビュー投稿を締め切りました。現在、選考中であります。

それにしても皆さん、いいレビューを書かれるようになりました……。そろそろ本気でお相手しないと、こちらが斬られてしまいそうな勢いです。もう甘いジャッジとか全然する必要ありません。実際、そろそろ「騎士」の称号も目前に迫ってきているのではないでしょうか。言っておくけど、もし「騎士」にでもなろうものなら、その人は以後、僕と真剣勝負してもらうことになるからね! かくごしろー! 今はまだいわばチュートリアルなんだぜ! いや、そんなことは全然ないですけど……。

さてさて、250字レビュー企画、かなり多数のレビューを送っていただきまして、新規投稿者も増えました。どうもありがとうございました! 既に参加されていたレビュアーさんにとっても示唆に富んだイベントだったようで、この企画をターニングポイントにして書くものが変わってきた方もいるのではないかと思います。ていうか、今見る限りではいらっしゃいます。いやあ、やってよかった……。

で、250字レビュー、読んでてすごく楽しかったので、選考しつつ「俺も書いてみたいぜー」と思ってました。そんなわけで僕も『サクラコ・アトミカ』のレビューを以下に250字以内で書いてみます。

これは想像力についての物語だ。人の思いには無限の力がある。不可能はない。願い信じることが、生きる力をもたらす。たとえばサクラコは「世界一の美少女」なんだ。きみはどんな女の子を想像する? きっと誰もが、心の中に思い思いの少女を描く。その力こそ誰もが持ち、そして決して失ってはならないものだ。小説という、作者と読者の想像力が出会う場所で、『サクラコ・アトミカ』はその素晴らしさを高らかに謳う。サクラコの、ナギの、丁都の行く末を懸命に祈り、思い描いた時、物語は最高のエンディングをきみに届けてくれるだろう。

以上、250字ジャスト。いやあ、ふつうに難しいな……w

レビュアー騎士団で言うところの「愛情」「論理性」くらいまでは何とかなるけど、「発展性」をがんばって入れようとすると、途端に文字数が足りなくなるようです。逆に言うと「愛情」「論理性」までならあと50字くらい少ない方が読みやすくまとめられる気がします。実際のところ「発展性」とやらに配慮してなくてもいいと、僕は思います。究極的には今回の企画で、大和さんが『星海大戦』について書いたレビューのように、愛情迸るものがレビュアー騎士団のルールをはみ出して、すべてのレビューを凌駕するのが理想だと僕は思います。うむ。ともあれ、第五場の選考の続きに戻ろう……。

2011.04.29

定型の豊かさ

レビュアー:さやわか

ちっす! さやわかです。

二回目の更新も終わって『さやわかの星海社レビュアー騎士団』どういうコーナーなのかご理解いただけましたでしょうか。次回の更新からはジャッジをビシッと厳しい感じでやっていこうかな? と思っておりますので、どうぞ気合いを入れてご投稿ください!

皆さんのレビューを見ていると、傾向がいくつかあります。Twitterのレビュアー騎士団ハッシュタグ#SywkSRKや、編集部ブログで平林さんが書かれていたのは「文章が長い」というものでしたね(笑)。

たしかに長いのが多い。長文を推奨しているわけじゃないので、短いレビューを送ろうと思っている人が「こんな長文書けないよ!」と思って、送るのをやめてしまうかも。これはコーナー全体にとってゆゆしき問題だ。

それ以外にも、長すぎるレビューは意外と難しい問題をはらんでいる。僕が過去二回の更新でたびたび書いたのは、読者を意識するのが重要ということ。「論理性」も、とどのつまり読者に対する説得性なのだと。ならば、少なからぬ人が読むのをあきらめるようなレビューは、評価にとってマイナスかも。でも今はまだ「愛情」「論理性」「発展性」がどういうものなのか開示が進んでいないこともあるので、将来的に評価されないこともあるレビューにも得点がついていることがあります。

もちろん、長いのは全部ダメだってことでもないですよ。ともあれどんなレビューがいいのかという理想像がちょっとずつ、投稿される皆さんと僕の中で出来上がっていくはずです。

ちなみにここまで推敲して文字を減らしながら書いていて、いま630字である。僕はいつもそんなことを気にしながらレビュアー騎士団の文章を書いている。まあ僕がそうするのは当然ですが。

さて、今日は星海社文庫『ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編(下)』の話を書くつもりだったのだ。この下巻は全編、主人公の前原圭一が追い詰められて友人たちを惨殺し、自身も死に至るまでの恐ろしい展開が描かれている。上巻の楽しかった部分との落差がすごい。すごいから怖い。これはホラーっぽい作品の王道パターンの一つで、安心して楽しんでいた世界が突然崩壊するので怖いわけである。ここ10年ほどのフィクションは、このような物語の定型性に対して肯定的で、かつ、それをいかに強力に作り上げるか取り組んでいたと僕は思う。『ひぐらしのなく頃に』はその代表だと言ってもいい。いかにも怖いシーンを、怖いシーンだなと思わせながら、本当に怖く描いてしまう。僕が好きなのは圭一が大石と電話中に、窓の外を見てレナを見つけるシーンだ。ちょっと長いけど、省略しながら引用してみよう。

「どうしました? うお、こりゃ急にすごい雷だ。」
「あ、こちらもです…。すみません、どうぞ続けてください…。窓を閉めます。」
電話を続けながら腰を上げ、窓に手をかける。大石さんは話を続けてくれた。
(…)
「初めに事件と申し上げましたが、学校側も被害者も告発してないので、正式には事件ではないのです。……で、ですね、この辺りがどうも関係者の皆さん、口が重いんですよ。(…)もしもし? 前原さん? 聞こえてます?」
窓を閉めるため、俺は受話器を耳に当てたまま窓際に立っていた。……そして、外のそれを見ていた。
門の郵便受けのところにある外灯に、ずっとひとりの人影が立ち尽くしているのが見えた。
(…)
「もしもし? 前原さん? 聞こえてますか? もしもーし……。」


大石が話してるんだけど、途中から圭一は聞いていない。大雨の中を不気味に立ち尽くすレナを見ている。受話器からこぼれる声が最後まで残っているけど、カメラのフォーカスは窓の外にある。そういう、いかにもホラーものの映画や何かにありそうなシーンをなぞるために、この小説は大石の台詞を読者に意識して読ませながら、語りかけている相手の圭一は実は聞いていないという簡単なトリックを使っていて、そこがいかにもうまいなあ、と思う。こういう工夫がいっぱいあって、『鬼隠し編』は僕をきっちり楽しませてくれる。

物語の構成だってそうだ。物語の最初で結末が示されるというのもまたよくあるパターンだが、この話もやはり上巻の冒頭で圭一が衝撃的なラストを演じて、以前の穏やかな生活からその破綻に向かう流れが描かれる。竜騎士07はその定型性をきっちりと踏まえて、しかも揺るぎなく構成した。この構成の確かさは気持ちがいい。小説であろうとレビューであろうと、文章を書くならば僕もそうありたいものだ。そんなわけで、ここまでで1900字ってところ。

2011.03.05

好きな作品について書くということ

レビュアー:さやわか

ちっす! さやわかです。

さて、『さやわかの星海社レビュアー騎士団』二回目のレビュー応募締め切りが迫ってきましたよ! 今週の日曜まで! 前回は担当編集者氏に「こんなにレビュー投稿が来るなら、募集期間をもっと短くしないと来すぎて大変になるんじゃないですか」と心配されましたが、やっぱ足りないよ! いや、ウソ、足りないことはないけど、もっとあってもいいんだぜ! ということでじゃんじゃん送っていただければ。条件は一文字以上であることだけ。誰かが作品を読んでどう思ったかって、読んでて面白いし!

しかし、レビューってどう書けばいいんだろうね? 当面、皆さんにおかれましては、そんなこと考えずにポンポン送っていただいてかまわないのですし(そのほうがありがたい)、だからこその「一文字以上」ルールなわけですが、僕がそれじゃだめですよね。僕自身がレビューとは何かはっきりした考えを持っていないと、こんなコーナー、ナメてんのかよお前、ということになります。

たとえば僕はレビュアー騎士団のルールに「愛情」「論理性」「発展性」と書いたんだけど、「僕はとにかくこの話が好きなんです」「セイバーかわいいです」ということを書いただけでは、「愛情」を満たしたことにはならないのではないかなあ、という一つの考えがあります。それはレビューっていうのとは何か違う気がする。だって、単に「好きだ」ということが書かれた文章って「レビュー」じゃなくても、他にもあるもんね? たとえばそれは、感想文とかラブレター(はちょっと違うかもだけど)とか、その他もろもろの名前で呼ばれてもいいようなものだ。しかし、これが「レビュー」と呼ばれる文章であるためには、そういうものとは一線を画した部分がなきゃいけない。

その違いについて、僕はレビューなら、全く知らない誰かに、その作品が自分の心を動かしうるものだっていうことを「伝えるもの」になるんじゃないかなって思う。たとえ、その愛情がその作品自体に対して向けられていなくても構わない。しかし、何らかの愛情に基づいて書かれていて、それを他人に伝えたくて「レビュー」は書かれている。愛情を書いたものじゃなくて、愛情を伝えるもの。少なくとも僕はそんなふうに思う。

そうであるがゆえになんだけど、大好きな作品を「レビュー」するのは案外難しい。たとえば僕は『Fate/Zero』が大好きなんだけど、僕はこの作品について話す時、そして文章を書く時、愛情を「他人に伝える」のではなしに、単に愛情を「垂れ流す」ようになってしまうかもしれない。特に『Fate/Zero』は『Fate/stay night』の二時創作的な作品で、僕は『Fate/stay night』も好きだから、僕がこの作品を楽しめる理由は、単に自分自身がこの作品世界にどっぷりはまってるからじゃないか? という疑念をぬぐうことができない。

違う言い方をすると、『Fate/stay night』を知らない人がこの話を読んで、僕と同じくらい楽しめるのかどうか、僕にはもう、わからない(だって既にこの話を知っているのだから)。そのことを忘れて、僕は「みんながこの作品を楽しめるんだ!」という前提で『Fate/Zero』への愛情を書き散らしても、知らない人にとっては、何のことやらわからない。僕がある作品についてレビューを書くなら、僕がそれについて知っていることのすべてをいったん脇に置いて、初めてこれを読む人に寄り添って、書かねばならないだろう。

だから、僕はこの文庫を慎重に読んだ。僕がこの話を既に知っているということを抜きにして、読んだ。第一巻というのはとても大切な巻で、全くこの作品を知らなかった人がこの世界に入ってこようとするのだ。たとえば聖杯戦争とかサーヴァントという設定について、僕はわくわくしながら読めるけど、この作品は初めて読む人でもわかるように十分な説明が加えられているのだろうか?

もちろん、そうであってほしいと思うのは、もっと多くの人にこの作品を読んでもらいたいからだ。そして、とりあえず僕が見る限りでは、初見の人にもわかるような話だったと思う。しかも文庫の最後には、作者の虚淵玄による「あとがき」があって(これは予見していなかったので思わぬサプライズだった)、そこにはこう書かれていた。

(…)こちらの意図とはまったく異なった展開――まず先にFate/Zeroを読み、それが契機となって原典に関心を懐き、Fate/stay nightをプレイしたという人が、ことのほか多かったことである。

ならば大丈夫、この作品は『Fate/stay night』を知らなくても楽しめるのだ。よかった。そうであるなら、新しい読者が『Fate』という広大な世界に入っていく入り口として、この作品は最高であると自信を持って言える。だから僕はこの本を読んだことのないあなたにも、きっと楽しんでもらえるよって言いたい。きっと期間限定なんだろうけど、今なら第一巻が全文公開されているから、ぜひ手を出してみてくれたらうれしい(ウェブだとさっき引用した「あとがき」は読めないみたいだけど)。この世界は相当に楽しいので、早く読んでほしいなあ。

でも、それは自分の思い込みじゃないだろうか? 僕自身が『Fate』を好きだから、評価が甘くなってるんじゃないかな? 大丈夫かな? そう考えてしまうほど僕は心配性だ。だから、この話を初めて読んで、何かよくわかんなかったよっていう人とも、僕は少し話し合ってみたい気もするのだ。そして、一緒にこの作品について考えてみたい。そういうのって楽しいもの。個々の作品への思いを抜きにして、僕はそういう行為にこそ、愛情があるのかもしれない。

2011.02.17

『ひぐらしのなく頃に 第一話 鬼隠し編(上)』

会話が描写する

レビュアー:さやわか

ちっす! さやわかです。

さてさて、今週の木曜日、つまり10日には第一回のレビュアー騎士団(第一場)の更新が行われるわけですが、その前にまたまた僕が書いたレビューを掲載します。一応、今のところ(少なくとも最初のうちは)ここに掲載する僕自身のレビューは「金」が取れるようなもの、つまり「愛情」「論理」「発展性」の三つを正しく備えた文章を例として載せようとしています。これってすごいプレッシャーだけど、それは三つを備えた文章を書くのが難しいからではありません。その三つを条件としながらどんなバリエーションでレビューが書けるのか? という問いに、まず直面するからなんです。

なんだかややこしい話になってきたけど……ま、そのへんはのちのち説明する機会が必ず来ますので(予告!)、今はレビューに集中しよう。

というわけで今日は先日発売された星海社文庫の『ひぐらしのなく頃に 第一話 鬼隠し編(上)』をサクッと読み終わり、うん面白い! と思ったことがあったのでレビューを書こう。明日には『鬼隠し編(下)』が発売されるので、これを書き終わったら明日には続きを読めちゃうな。

さて、面白いと思ったことっていうのは「キャラ」の話だ。フィクションの世界、つまり小説や映画、アニメ、テレビドラマ、漫画などの領域では、多数の読者や観客から共感を得るためには、まずは「キャラを立てる」ことが重要だみたいによく言われる。これはけっこう難しい問題で、この話だけで本が一冊書けてしまうほどなんだけど、ごくごく簡単に言うとそれは要するに「その人の特徴を強く打ち出す」っていうことだ。ゲームのキャラクターデザイナーなんかがよく言う話として「キャラの絵をシルエットにしても誰だか区別できるように描く」というものがあって、たとえばそういう努力は「キャラを立てる」というの一例だと言っていいだろう。

しかし、小説の場合はどうなのか。漫画やアニメ、ゲーム、映画やテレビドラマみたいな「画のある」作品の場合は、性格や口調だけでなく、見た目によってキャラを個性的にするということができるけど、小説は文字だけだから、そううまくはいかない。これは挿絵などによって、どんな容姿のキャラなのかわかるようにしてもあまり関係がない。なぜなら実際に本文を読む時に、いつもキャラの発言ごとに絵が付いているわけじゃないからだ。

したがって小説というジャンルは、ほかのジャンルに比べてより面倒なこと、つまり文字だけで「キャラを立てる」という課題に取り組むことになった。とりわけエンタテインメントの作家は、この部分にものすごく心をくだいて、他のジャンルに負けないような強力なキャラの立った物語を作ろうとしてきたのだ。僕が『鬼隠し編(上)』を読んだ時に、そのことを思わずにいられなかった。そこにはこういう会話があった。

「あぁ…。何を買いに行かされるかわからないからな…。魅音のことだ、負けたら『痔の薬』やら『Hなゴム風船』やら、まともでないものを買いに行かされるに違いない!!」
「は、はぅ! Hなゴム風船って何だろ、何だろ!?」
「風船なんか、文房具と一緒に福田屋さんで売ってますわよ??」
「みー☆ 沙都子もその内、必要になりますのですよ、にぱ~。」
「くっくっくっく! さぁて何を買いに行かされるんだかねぇ~! せいぜい負けないようにみんな気合を入れて行きなッ!! 始めるよー!!」

ここには5人の人物が登場しているが、作者の竜騎士07はセリフだけで5人をすべて描き分けている。たぶん、この本を読んだことがない人でも、「5人いる」ということは認識できるに違いない。しかも単に区別できるだけでなくて、それぞれがどんな性格なのかまで伺えるまでになっている。

それが小説で「キャラを立てる」ってことだ。つまり端的に言って作家たちは、登場人物の語尾や口調を変えることでキャラを立てている。しかし、とりわけ『ひぐらしのなく頃に』の場合、主要な登場人物だけでも20人くらいいるのに、一人として同じ話し方をする者はおらず、しかもそれが重要な人物であればあるほど、セリフだけ見れば誰でどんな奴なのか必ずわかるようになっている。これはけっこうすごい。「??」とか「!?」という過剰な感嘆符や、「みー☆」とか「にぱ~」という言葉には、この会話の内容(つまり、登場人物が言おうとしていること)にとって何の意味もないように見えるけど、実はそれは全く逆で、これらの部分こそが修飾的に働いて、キャラの「描写」を担う大切な要素になっている。別の言い方をすると、一般に小説では「描写」っていうのは「地の文」でやるものだと考えられていると思うんだけど、この作品は会話だけで「描写」としか言いようがない効果を生み出しているのだ。

この「描写」は、さらに彼らのセリフ同士を交差させることで、わいわいと楽しそうに話をしているその関係性、彼らのコミュニティの空気感すらも立ち上らせようとしているようだ。情景は何も語られなかったのに、そこに5人の人物の語らう姿が浮かんでくる。それは「地の文」とか「文体」という考え方の根底をひっくり返しかねないことだ。まず言葉だけでキャラを立てようとして、次にセリフだけでキャラを描くことに思い至り、最後に「みー☆」みたいな表現に行き着いた作家たちの努力は、長い歴史を持つ小説というジャンル全体にとってみても、けっこうとんでもない域に到達している。ぜひ一度この本を、セリフでキャラを描こうとしているんだってことに注目して読んでみてほしい。最初から終わりまで徹底的にそのことを意識して書かれた、その意味でも、すごく巧みな作品なんだということに気づくから。

2011.02.08


本文はここまでです。