タイトルにもなっている「決断思考」とは、「自分で考え、自分で決めていくための方法論」のことです。これまではレールの上を歩くような人生を送ることができました。いい高校に行けば、いい大学に行けて、いい仕事に就ける……そんなレールが確かに敷かれていた時代があったのです。
ですが、それはもう昔のこと。現代を生きる若者たちは、予め敷かれたレールではなく、自分たちでレールを敷いていく生き方を求められるようになりました。そのとき、どの方向に、どのようにレールを敷いていくのか? どこを目的地に設定すればいいのか? そうした「決断」が必要されるのです。
この本では、ディベートにおける思考プロセスを解説することで、そんな「決断」するための思考のエッセンスを説明しています。あまり知られていませんが、ディベートというのは“特定のルールに則った”議論であり、個々人の意見・嗜好は重要視されていません。必要なのは、客観的な事実であり、正解ではなく最善解を求めようとする姿勢なのです。
著者はそうしたことを触れながら、「決断」に至るまでの道のりを具体例を挟みながら説明していきます。それはさながら、レールを敷く作業のような印象を受けます。信憑性を見極めた情報を丁寧に積み上げていき、やがて「決断」という目的地にたどり着く。どうしてその「決断」を下すことになったのかは、振り返ればすぐにわかる。これは牽強付会が過ぎるかもしれませんが、そうした考え方ーーこの本で言うところの「決断思考」というのは、その人だけの地図を作る作業のことを指すのではないでしょうか。
「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」とは、高村光太郎の詩「道程」の冒頭です。光太郎は「流れた時間」を「道」になぞらえ、自分は自分で作るもの、自分の道は自分で切り開くものだと訴えました。では、そのときに何が必要なのか? 何が「武器」になるのか? その答えが「決断思考」だとわたしは思うのです。
ですが、それはもう昔のこと。現代を生きる若者たちは、予め敷かれたレールではなく、自分たちでレールを敷いていく生き方を求められるようになりました。そのとき、どの方向に、どのようにレールを敷いていくのか? どこを目的地に設定すればいいのか? そうした「決断」が必要されるのです。
この本では、ディベートにおける思考プロセスを解説することで、そんな「決断」するための思考のエッセンスを説明しています。あまり知られていませんが、ディベートというのは“特定のルールに則った”議論であり、個々人の意見・嗜好は重要視されていません。必要なのは、客観的な事実であり、正解ではなく最善解を求めようとする姿勢なのです。
著者はそうしたことを触れながら、「決断」に至るまでの道のりを具体例を挟みながら説明していきます。それはさながら、レールを敷く作業のような印象を受けます。信憑性を見極めた情報を丁寧に積み上げていき、やがて「決断」という目的地にたどり着く。どうしてその「決断」を下すことになったのかは、振り返ればすぐにわかる。これは牽強付会が過ぎるかもしれませんが、そうした考え方ーーこの本で言うところの「決断思考」というのは、その人だけの地図を作る作業のことを指すのではないでしょうか。
「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」とは、高村光太郎の詩「道程」の冒頭です。光太郎は「流れた時間」を「道」になぞらえ、自分は自分で作るもの、自分の道は自分で切り開くものだと訴えました。では、そのときに何が必要なのか? 何が「武器」になるのか? その答えが「決断思考」だとわたしは思うのです。