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レビュアー「オペラに吠えろ。」のレビュー

銀

「僕は写真の楽しさを全力で伝えたい!」

僕らが住むこの世界では写真を撮る理由がある

レビュアー:オペラに吠えろ。 Lord

 写真を趣味にしてみたいけれど、何となくハードルが高く尻込みしている……という人は、きっと多いに違いない。恥ずかしながら、僕がそうだった。だってほら、写真ってかっこいい。いつもは「読書、映画鑑賞」としか書けない「趣味」の欄が「読書、映画鑑賞、写真」になるだけで、何か人間としてレベルアップした気になる。ふしぎっ!

 なのに未だに写真を始めていない理由はだいたい百個くらいあるのだけど、始めるきっかけがないというのが最大の理由です。写真を始めるにはカメラをそろえないといけないし、そのカメラは高価だし、レンズはもっと高価だし、そもそもこんな言いたいことも言えない世の中で何を撮ればいいというのポイズン(by 反町隆史)。

 そんなわけで「趣味:写真」への一歩を踏み出しかねていた僕が手に取ったのが本書「僕は写真の楽しさを全力で伝えたい!」だった。「スクールガール・コンプレックス」などで注目の写真家・青山裕企が「写真」への愛をぶちまけた一冊なのだけれど、僕は本書から「何を考えずとも、ただシャッターを切れば、それが『写真』になる」と教わった。一眼レフである必要なんてない、iPhoneのカメラでもいい、ただとにかく写真を撮れ、と。

 で、本書を読み終えた後、早速、僕も携帯のカメラで目の前にあったものを撮ってみました。ビールジョッキでした。でもね、一言にビールジョッキといっても、お店によってはジョッキが凍っていたり、ビールの泡がこぼれていたりとか、いろいろ違いがあるわけです。まあ何が言いたいかというと、ビールは美味しいし、写真は面白い。

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2014.06.18

銅

「遙か凍土のカナン2 旅の仲間」

僕のオススメは二つ角の姫君”ことジニたん!

レビュアー:オペラに吠えろ。 Lord

 「旅の仲間」という副題から、「指輪物語」(もしくは「指輪物語」を原作にした映画「ロード・オブ・ザ・リング」)を連想する人は決して僕だけではないと思う。そして作者の芝村裕吏は、そうした期待に見事に応えてくれる。言ってしまえば、“ザ・「指輪物語」”とでもいうべき、仲間集めのストーリーが、本書「遙か凍土のカナン2 旅の仲間」では展開されるのだ。

 本書は日露戦戦争直後のユーラシア大陸を舞台に、元帝国軍人の新田良造と可憐なコサックの公女オレーナが極東の地にコサック国家を建設しようと奮闘するさまを描いた「遙か凍土のカナン」シリーズ第2巻で、あとがきによると、良造がオレーナを母国につれて帰るまでを追った「帰国編」3部作の第2部にあたる。

 冒頭で「指輪物語」に言及した通り、本書では良造とオレーナの“旅の仲間”となるキャラクターが2人、登場する。一人は元英国騎兵隊のグレン(実はユダヤ人)で、もう一人は“二つ角の姫君”の異名を取るジニ(実はツンデレで純情←超重要!)だ。グレンもいい味を出しているが、とりわけジニのキャラクターは強烈で、その王道すぎるほどのツンデレぶりは世の男という男をノックアウトするに違いない。

 もちろん、メインヒロインたるオレーナの可愛さも本書を語る上では欠かせないのだが、いかんせん、オレーナは良造とは親子を間違えられるほども年が離れているーーつまり、幼すぎるきらいがある。その点、ジニはいい。「少女」「女子」というよりは「女性」というべき年齢であり、「女としては背が高い気がする」という描写があるように長身。別に個人的な好み云々というわけではないが、何とも「大人の女性の魅力」にあふれているではないか! しかもそんな「大人の女性」が良造にあんなことやこんなことを申し出るという神展開。良造がそういった好意にちっともなびかないのは相変わらずだが、うらやましいぞチクショウ……なぜ俺は明治の世に生を享けなかった……。

 閑話休題。

 上記では本書のキャラクター小説としての側面、つまりはジニの魅力にばかり筆を割いてしまったが、ああ、えっと、もう一人の新キャラクター……グレン? もそれなりにいい味を出していますよ、ええ。とはいえ、まだまだ顔見せといったところで本格的な活躍は次巻以降のお楽しみといったところ。その次巻ではついに「帰国編」が終わり、4巻からは「建国編」が始まるというから、楽しみ楽しみ! まだ巻数の少ない今のうちに本シリーズを手に取ること、そしてリアルタイムで物語の行方を見守ることができるのは、一読者として至上の悦びである。

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2014.06.18

銅

「セカイ系とはなにか」

「セカイ系」をリアルタイムで知らない世代へ

レビュアー:オペラに吠えろ。 Lord

 「セカイ系」という言葉が大々的に掲げられている本書を手にする人はおそらく、多かれ少なかれサブカルチャーに興味のある人だろう。「セカイ系」にまつわる自分の知識に自信があるのなら、ただ本書を読めばいい。「セカイ系」の起源から意味の拡散、そしてそこから派生した作品に至るまでの一連の流れがしっかりまとめられており、その論旨は頭の中にすんなり入ってくるだろう。

 その一方で、わたしはこの本を「セカイ系」ブームをリアルタイムで知らない人にも読んでもらいたい。たとえば、2014年の現在、中学生や高校生で、好きな作家についてインターネットで調べているうちに「セカイ系」という言葉が出てきたけど、Wikipediaやニコニコ大百科を読んでもよく意味がわからない……という人に。

 そういう人にとって、本書はかゆいところに手が届く一冊だろう。「セカイ系」が元々は某ウェブサイトの管理人が勝手に使っていた言葉であり、いつしか本来の意味とはズレた使い方をされるようになったことが、具体的な作品名や作者名を交えて説明されている。1995年から2009年にかけての作品が多く出てくるが、それらについての知識がなかったとしても、作者による丁寧な説明があるので、議論について行けないことはないだろう。

 わたし自身、中学生だったころは自分がよく読んでいた作家に「新本格ミステリ」と冠されていて、いろいろ調べたものの、調べれば調べるほど諸説があり、「結局、どういう作品が『新本格ミステリ』なの?」と頭を抱えたことがある。もちろん、本書に書かれているのが「セカイ系」をめぐる言説の全てではないが、「セカイ系」が何なのか知りたいという人が真っ先に手を伸ばすべき一冊であることは間違いない。

 本書は2010年に発売された新書を2014年4月に文庫化したもの。おそらくはリアルタイムで「セカイ系」を知らない中高生が手に取りやすい文庫版がこの時期に発売されたのは、素晴らしいタイミングだ。

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2014.06.18

銅

「一〇年代文化論」

「残念な美人」といえば中村桜さんっ!

レビュアー:オペラに吠えろ。 Lord

 本書は、2010年代の若者文化を「残念」というキーワードで読み解いた一冊である。

 ……え? 2010年代って、今は2014年でしょ? あと6年も残っているのに何言ってんの? 早い方がいいとは思うけど、これは早すぎでしょ―。それとも何、著者の「さやわか」ってばジョン・タイターみたいなやつなの?

 その疑問はまさにその通りで、だからこそ著者は最初にその答えを明かしている。いわく、1970年代を代表するヒッピーの文化的なピークは1967年には迎えており、80年代を代表するニューウェーブも、90年代を代表するクラブカルチャーも、それぞれ70年代、80年代に存在した。つまり、次の10年を予見するものは、その10年の数年前には誕生しているのだ、と。

 その流れで、著者は2010年代を代表する文化として、「初音ミク」をはじめとするボーカロイドや「僕は友達が少ない」といったライトノベル、「Perfume」などのアイドルを挙げていく。同時代に人気を博しているという以外はつながりの薄くみえるこれらが実は00年代後半には存在しており、「残念」というキーワードで束ねられていくあたりは実に見事だ。

 それぞれがどのように「残念」なのかは自分の目で確かめてもらいたいので、ここでは詳らかにしない。だが、昔は否定的でしかなかった「残念」という言葉の意味が、今は「残念な美人」というふうに肯定的な意味合いも帯びてきていることを踏まえた議論の進め方は、著者ならでは鋭い視点が生かされたもので、多くの人が頷くことだろう。

 2014年に「2010年代の文化を総括した本」を出した著者がジョン・タイターのようなタイムトラベラーではなかったのはSF者としてやや“残念”だったが、内容は残念というより斬新。著者にはぜひ、残念……いや3年後の2017年に、2020年代の若者文化を予見した本を出してもらいたい。

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2014.06.18


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