エピローグにあたる短い章を読んでいる間、私は、悪い意味でポカンとした気持ちでいた。なんというか、書いてある内容は理解できても、それが実感として伝わってこなかった感じだ。
「死と再生をめぐる物語」と銘打たれたこの作品は、『私のおわり』の対になる作品のように思う。どちらも「死」という絶対不可避な「離別」を描いているが、視点の位置は対称的だ。『私のおわり』が死んでいく人の心の再生を描いたのに対して、『ジスカルド・デッド・エンド』では、『私のおわり』では描かれなかった、残された人々の心の再生を描いている。そういう意味で、二つの作品を併せて読むことは、互いの作品の理解を深めるように思う。
『私のおわり』の読了時、「残された人々はこれから何を思うのだろう」ということが気になっていた私にとって、この作品はその間隙を埋めてくれるかもしれない作品だった。そのはずだった。
しかし、エピローグの章はあまりに唐突という気がしてならなかった。主人公がジスカルドの死を受け入れている描写を見ても、読者である私はそんなにすぐに受け入れることはできなかった。作中時間では一ヶ月が経過しているが、現実の時間ではページを数枚めくるだけの僅かな時間しか経っていない。その数ページに、一ヶ月分の重みがあったようには思えなかった。
エピローグを読み終えて、消化不良のような気分で本を閉じた。
「死と再生をめぐる物語」と銘打たれたこの作品は、『私のおわり』の対になる作品のように思う。どちらも「死」という絶対不可避な「離別」を描いているが、視点の位置は対称的だ。『私のおわり』が死んでいく人の心の再生を描いたのに対して、『ジスカルド・デッド・エンド』では、『私のおわり』では描かれなかった、残された人々の心の再生を描いている。そういう意味で、二つの作品を併せて読むことは、互いの作品の理解を深めるように思う。
『私のおわり』の読了時、「残された人々はこれから何を思うのだろう」ということが気になっていた私にとって、この作品はその間隙を埋めてくれるかもしれない作品だった。そのはずだった。
しかし、エピローグの章はあまりに唐突という気がしてならなかった。主人公がジスカルドの死を受け入れている描写を見ても、読者である私はそんなにすぐに受け入れることはできなかった。作中時間では一ヶ月が経過しているが、現実の時間ではページを数枚めくるだけの僅かな時間しか経っていない。その数ページに、一ヶ月分の重みがあったようには思えなかった。
エピローグを読み終えて、消化不良のような気分で本を閉じた。