ドッペルゲンガーの恋人
違うからできること。わからないからしたいこと。
レビュアー:yagi_pon
私は悲しいなって思うんです。
この結末を迎えた二人って。
恋とか愛って二つの楽しみがあると思うんですよ。
一方通行の楽しみと、交わる楽しみが。
片想いの楽しみと、両想いの楽しみ。
愛する楽しみと、愛し合う楽しみ。
もちろん人によっては、
片想いされる楽しみと、愛される楽しみもありますが。
けれど、この二人には交わる楽しみがないと思うんです。
実際、交わる描写がないんですよ。
むしろ意図的に描写していないと言ってもいいですけど。
結婚って、二人がいっしょになるということですよね。
そのいっしょになることの象徴が結婚式のキスで、
二人がつながり、交わるということですよね。
けれども、二人の結婚はつながりの描写が一切ないんです。
むしろウエディングドレスの画像付きメールを送ったり、
結婚式をあげたいと勝手に想像して
(そう考えているのは)「間違いない」と断言したりと、
一方的な思いを余計に強調しているようにすら見えます。
ただ、二人の中では交わる必要ないという見方もできます。
二人の中ではおそらく、クローン人間同士になったことで、
一つになったという思いがあるはずなんです。
少なくとも彼は、彼女と同じものになることを望み、
そうなったのですから。
物語の中の二人はきっと幸せなんだと思いますよ。
世界でたった二人だけの同じ者同士なんですから。
本当にわかりあっているのかもしれません。
二人ではなく、もはや一つとして。
けれども私は、やっぱり悲しいなって思います。
一つになってしまったら、
交わることはできないですから。
違うから、わからないから、交わるものだと思うんです。
彼女が彼女であるのかをたしかめるように交わった、
あのときの二人のように。
男と女で違うから交わったんだと思うんです。
同じだったら、一つだったら、それができない。
心が完全に通じ合っていないからこそ、
物理的に交わったり、つながるのだと思うんです。
手をつないだり、キスをしたり、セックスをしたり。
違うから、わからないから、
そういうこと、したいじゃないですか。
だれとも違う人間で、よかったなって思います。
まぁ、当たり前なんですけどね。
P.S.
SFってこういうところが好きなんですよね。
もちろんわくわくするようなSFも好きですけど。
当たり前じゃない現実にはないことを描くことで、
当たり前の現実にあることを再確認できるような、
そんなところが。
この結末を迎えた二人って。
恋とか愛って二つの楽しみがあると思うんですよ。
一方通行の楽しみと、交わる楽しみが。
片想いの楽しみと、両想いの楽しみ。
愛する楽しみと、愛し合う楽しみ。
もちろん人によっては、
片想いされる楽しみと、愛される楽しみもありますが。
けれど、この二人には交わる楽しみがないと思うんです。
実際、交わる描写がないんですよ。
むしろ意図的に描写していないと言ってもいいですけど。
結婚って、二人がいっしょになるということですよね。
そのいっしょになることの象徴が結婚式のキスで、
二人がつながり、交わるということですよね。
けれども、二人の結婚はつながりの描写が一切ないんです。
むしろウエディングドレスの画像付きメールを送ったり、
結婚式をあげたいと勝手に想像して
(そう考えているのは)「間違いない」と断言したりと、
一方的な思いを余計に強調しているようにすら見えます。
ただ、二人の中では交わる必要ないという見方もできます。
二人の中ではおそらく、クローン人間同士になったことで、
一つになったという思いがあるはずなんです。
少なくとも彼は、彼女と同じものになることを望み、
そうなったのですから。
物語の中の二人はきっと幸せなんだと思いますよ。
世界でたった二人だけの同じ者同士なんですから。
本当にわかりあっているのかもしれません。
二人ではなく、もはや一つとして。
けれども私は、やっぱり悲しいなって思います。
一つになってしまったら、
交わることはできないですから。
違うから、わからないから、交わるものだと思うんです。
彼女が彼女であるのかをたしかめるように交わった、
あのときの二人のように。
男と女で違うから交わったんだと思うんです。
同じだったら、一つだったら、それができない。
心が完全に通じ合っていないからこそ、
物理的に交わったり、つながるのだと思うんです。
手をつないだり、キスをしたり、セックスをしたり。
違うから、わからないから、
そういうこと、したいじゃないですか。
だれとも違う人間で、よかったなって思います。
まぁ、当たり前なんですけどね。
P.S.
SFってこういうところが好きなんですよね。
もちろんわくわくするようなSFも好きですけど。
当たり前じゃない現実にはないことを描くことで、
当たり前の現実にあることを再確認できるような、
そんなところが。