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レビュアー「牛島」のレビュー

銅

『夜跳ぶジャンクガール』

研ぎ澄まされた「青春」

レビュアー:牛島 Adept

 読了後、なんと無駄のない作品だろうと思った。
 遊び心や細かいネタがない、ではない。物語において重要でないものをわざと排斥している、そういう無駄の無さだ。もはや洗練を通り越して無骨な印象すら受ける。いや、本当に笑ってしまうほどに無駄がないのだ。

 この物語において意味や必然性があるものはすべて、主人公・高橋アユムにとって意味を持つのか、もしくはヒロイン・墓無美月にとって意味を持つ。意味を与えられなかった要素に関してはほとんど謎のままである。

 たとえば物語の中では重要な役割を当てられていたはずの後輩は、名前すら明かされていない。
 たとえばアユムに多大な影響を与えたであろう姉の死についても詳細がぼかされている。
 たとえば結局「ジンガイ」とは何だったのか、真相はわからないままだ。

 しかし、逆に言えばこれらの要素は作中では十分に意味を成している。役割を果たしていると言い換えてもいい。

 後輩は作中最大のヤンデレとして活躍し。
 死んだ姉は亡霊となってアユムの自問自答を助け。
 「ジンガイ」は墓無美月の青春の残骸に引導を渡した。

 あくまで二人にとっての装置と割り切るならば、これらは十分に機能しているのだ。


 さて、星海社ラジオ騎士団のゲストとして呼ばれた作者・小泉陽一朗氏は、物語を執筆する上で重視しているのは「救い方」だと言った。
 その視点から読み解けば、なぜこうした書き方になったのかが見えてくる。
 アユムと美月。二人の少年少女が救われるための要素だけが重要であり、細かいガジェットなど、脇役など、本当にどうでもいいのだ。

 物語に対して不誠実だ、小説として破綻している、という人はいるかもしれない。
 けれど私はそんな風には微塵も思えなかった。それはきっと、作者が「二人を救う」ということに迷いがないからだ。
 それに、青春っていうのはそもそも「そういうもの」なんじゃないだろうか。
 徹底的に自分を基準に線引きを行い我が儘に生きる。他人どころか自分自身だって理解できない衝動に身を任せる。正当性なんて一切考えず、ときに非常識で残酷な行為すら平気で行う。
 言ってみれば自分が主人公である以上、自分とかかわりのないものなど無視してかまわないのだ。

 この物語ではそうした青春の一面が浮き彫りになっている。
 だから『夜跳ぶジャンクガール』は青春を描く物語としてこれ以上なくまっとうなのだ。

 この、どうしようもなく痛々しく、無鉄砲で、我が儘で――そして愛しい二人の青春は、一応とはいえ幸福なかたちを迎えた。
 青春の物語としてまっとうで、そしてハッピーエンドである。だから私は、この青春物語が好きなのだ。

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2012.05.18

銅

マージナル・オペレーション01

リセット/コンティニュー

レビュアー:牛島 Adept

 たとえば「人生はゲームじゃない」「リセットボタンは現実には存在しない」なんて言説はコンピューターゲームにのめりこむ子どもに対して親や教師が繰り返す説教の定型ですが、さて、本当に人生にリセットボタンはないのでしょうか?

 物語の主人公であるアラタは「三〇歳・ニート」という一見ゲームオーバーの状態から民間軍事企業に再就職するという「リセットボタン」を押しました。彼が物語の最後に子どもたちに示した希望も、いわゆるひとつのリセットボタンです。マージナル・オペレーションは、そうしたリセットの肯定の物語でもあるのです。

 人生にはリセットボタンがある。一からやり直す覚悟さえあればなんだってできる。三〇歳はまだやり直せる時期である――そうした思想が物語の根底に流れているようにさえ感じられます。

 リセットしたその先――それは物語に委ねられています。アラタたちはこれからどのようなコンティニューを生きていくのか。きっとこの物語はあなたを満足させてくれるでしょう。

最前線で『マージナル・オペレーション』を読む

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2012.04.02

銀

下界のヒカリ

大晦日に自堕落な自分を捨てるということ

レビュアー:牛島 Adept

 12月31日の話をしよう。少し長くなるかもしれないが、お付き合い願いたい。

 その日の朝を私は完全な徹夜で迎えた。前日(というか深夜)まで年末年始の臨時バイトをいくつかいれていてひどく疲れていたのだが、そのとき私を包んでいたのは睡眠が必要な疲れではない。自堕落な時間が必要な疲れだったのだ。だらだらごろごろふとんの中で一日潰したくてしかたがなかった。
 結果、私はその日の予定をすべて無視することに決めた。友人知人への年末の挨拶も、年越しの大祓も、実家へ帰って紅白を見ることも、なにもかもがとにかく面倒臭かったのだ。知り合いにも神様にも家族にも会いたくなかった。別に彼らと過ごさなくても死ぬわけでもないのだし。
 やることがなくなってしまったのならもうどんな時間の使い方をしても構わない。私は自室のベッドに寝転んだままスマートフォン片手にTwitterを開きだらだらしていた。そんな時間潰しをしていたときに、星海社社長・杉原幹之助氏のこんな発言が流れてきた。

 大晦日はカレンダー小説!/泉和良がおくる「カレンダー小説」第六弾『下界のヒカリ』、本日より公開!

 そうか、そういえばそんな告知を見ていたな。それにしても珍しく朝から更新されている――なんて思いながらURLから最前線を開いた。

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 大晦日のカレンダー小説『下界のヒカリ』は一人のどうしようもない男の物語だ。
 男はなぜかとある家庭の屋根裏に住んでおり、そこで毎日鬱屈しながらだらだらと生きている。作中で明言されてはいないが、おそらくこの男は貧乏神のような存在なのだろう、彼が屋根裏に住んでいることでその家の人間はどんどん不幸になっていく。そのことに罪悪感を感じながら、そしてその家に住むヒカリという幼い少女にそれなりの愛着を持ちながら、男はただ「面倒臭い」という理由でだらだらと何年も居座り続ける。ときおり下界であるヒカリの生活を覗きながら、申し訳ないと思いつつ彼は(どこからか調達した)PS3に逃避する。彼が存在するだけで及ぼす悪影響で、ヒカリは大晦日だというのに一家団欒することもなく、一人で母親の帰りを待つことになってしまっていた。
 しかしふとした偶然から、ついに男はその家を離れる決心をする。
 出不精で怠け者な自分の持てる力の限りを振り絞って、うっかり何年もいてしまうほど居心地のよかった、出るに出られないコタツのような屋根裏を飛び出していく。ただ、ヒカリの未来を願って。

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 ところでカレンダー小説の魅力とはなんだろうか。
 企画としてのおもしろさはどこにあるのだろうか。
 それはやはり「ライブ感」だと思うのだ。情報は一度公開されたら過去の物になるのが常識であるネットで、期間限定の公開をするという試みに出る。しかも、コンテンツはその公開時期に対応した小説である。内容もさることながら、そこには読者が一種の「お祭り」に参加しているような楽しさがある。

 そこで今回の『下界のヒカリ』である。この物語はそうした「ライブ感」を非常に強く感じさせてくれた。思わず作中の男に感化され、用事を済ませて実家へ帰るほどに。
 大晦日は、程度の差こそあれ、人はだれもが疲れているんじゃないかと私は思う。一年を通して溜まった疲れからなにもかもがどうでもよくなって――そして、自堕落に過ごしたくなるんじゃないか。そんな「誰もが疲れている日」に公開されたこの『下界のヒカリ』は、どうしようもなく自堕落な男が、それでも一歩外に出る姿が描かれていた。そこには確かに希望がある。大袈裟に言えば、私はこの小説に少し背中を押してもらったようなものなのだ。

 ……別に年末の挨拶回りも参拝も、家族で年を越すことも、本当はやらなくていいのかもしれない。一人で年を越すのだってそれなりに乙なものだろう。
 けれど、私が地元に帰って、久々に友人や家族と顔をあわせたり、年越しを賑やかに過ごせたのは、やはりこの小説のおかげだと思うのだ。

 2012年の大晦日も、きっと私は頑張れるだろう。

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2012.01.30

銅

人に薦めたくなる物語

レビュアー:牛島 Adept

 大切な人を亡くしたとき、あなたはどんな行動に出ますか。
 喪失の悲しみに打ちひしがれる?
 残されたものとして強く生きる?
 この物語の主人公・塩津がとった行動はどちらでもなく、その死を「保留」するというものでした。

 急逝した彼女の死体を葬儀会場から盗み出し、自室に用意した巨大冷凍庫の中にそのままの姿で保存する。死体の保存を第一に考える彼は、人としての道を次々に踏み外していく――という筋書きはいかにも猟奇的で異常めいているのですが、そこで食わず嫌いせずに苦手な方にも是非読んでほしいです。

 常軌を逸した彼の行動は、当然誰も幸せにはしなかったけれど、しかし読了後にはなぜか感動してしまいました。
 自分を慕う女子中学生や心配する家族を裏切り、御世辞にもまともとは言えないこの青年になぜ親身になってしまうのか。それはやはり、彼が貫いた衝動が誰もが思ったことがあることだからでしょう。

「もっと一緒にいたい」
「大切な人を喪いたくない」
「このまま死別するなんて冗談じゃない」

 あるいはそれは子どもが駄々をこねているだけなのかもしれません。そうした行動は迷惑にしかならないし、いい歳なんだからそもそも納得しなければいけないのかも。
 けれどだからこそ彼の行動は心に響くのだと思います。見て見ぬふりをしていた部分で真っすぐに行動されると、読者としては揺さぶられずにはいれません。

 まだまだ寒く長い夜が続くことですし、宵のともには是非『死体泥棒』を。

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2012.01.30


本文はここまでです。