ボカロPでもあり、作家でもあり、ゲームクリエイターでもある主人公がボカロ界隈のちょっとした事件に遭遇し、それを彼女であるエレGYが意外な探偵能力を発揮して解決するという連作短編集。
動画につけられた中傷コメントの犯人を見つけ出そうとしたり、初心者らしいボカロPと訳の分からないやりとりをしたりと、どうでもいいと見過ごしてしまえばそれで終わりになるようなことを、エレGYがハイテンションに事件にして、解決してしまうといってもいい。
しかしこの、ボカロPとしてはジェバンニP、作家としては泉和良、ゲームクリエイターとしてはジスカルド、である主人公のなんとも言えない覇気のなさが一貫しているせいだろうか、オンライン上の事件をオフラインで追うというある種の面倒さや、複数の名前が飛び交うややこしさはない。
ペンネームやハンドルネーム、複数のアカウントを使い分けることも昨今では珍しくないけれど、すべてを把握しなくてもいいという、なんとも言えない心地よいかったるさが続く小説なのだ。
メールをしてもなかなか捕まらない人と連絡を取るのに、オンラインゲームだと確実だとか。混雑する人混みの中で見失った知人を捕まえるのに、ブログの書き込みが有効だったとか。
そんな馬鹿なと思いながらも、あるある~と思ってしまう展開が面白い。
そういえば、ミステリの愉しみの一つに、意外なミッシング・リンクを見つけだすことがある。連続殺人事件のように見えるのに、被害者同士に共通点や繋がりがない。あるいは犯人と被害者の関係が無いように見えるから、通り魔的な犯行としか思えない。けれど実はそこに両者を結ぶ糸が隠されていた! というような。
この小説には、ミッシング・リンクがありすぎる。ゲームの数、アカウントの数だけ交遊関係があり、そのフィールドが変わってしまうと途端に誰が誰やら分からなくなってしまうところまで含めて、ミッシング・リンクだらけだ。視点をオフラインだけに置く限り。
それは逆にいうと、もはや現代日本を舞台にした小説でミッシング・リンク探しが成立しないということかもしれない。
隠された事実、謎なんて本当にあるの?
気づいていなかったり、単に無視しているだけなのではなくて?
探偵役を務めるエレGY自らが、全然興味のなかったボカロを知っていくように、未知の部分に踏み込んでいく明るい好奇心は、そう言っているかのようだ。
何が未知の部分に当たるのかは、人それぞれ。ヒミツは多いほど、きっと人はチャーミングになれる。
動画につけられた中傷コメントの犯人を見つけ出そうとしたり、初心者らしいボカロPと訳の分からないやりとりをしたりと、どうでもいいと見過ごしてしまえばそれで終わりになるようなことを、エレGYがハイテンションに事件にして、解決してしまうといってもいい。
しかしこの、ボカロPとしてはジェバンニP、作家としては泉和良、ゲームクリエイターとしてはジスカルド、である主人公のなんとも言えない覇気のなさが一貫しているせいだろうか、オンライン上の事件をオフラインで追うというある種の面倒さや、複数の名前が飛び交うややこしさはない。
ペンネームやハンドルネーム、複数のアカウントを使い分けることも昨今では珍しくないけれど、すべてを把握しなくてもいいという、なんとも言えない心地よいかったるさが続く小説なのだ。
メールをしてもなかなか捕まらない人と連絡を取るのに、オンラインゲームだと確実だとか。混雑する人混みの中で見失った知人を捕まえるのに、ブログの書き込みが有効だったとか。
そんな馬鹿なと思いながらも、あるある~と思ってしまう展開が面白い。
そういえば、ミステリの愉しみの一つに、意外なミッシング・リンクを見つけだすことがある。連続殺人事件のように見えるのに、被害者同士に共通点や繋がりがない。あるいは犯人と被害者の関係が無いように見えるから、通り魔的な犯行としか思えない。けれど実はそこに両者を結ぶ糸が隠されていた! というような。
この小説には、ミッシング・リンクがありすぎる。ゲームの数、アカウントの数だけ交遊関係があり、そのフィールドが変わってしまうと途端に誰が誰やら分からなくなってしまうところまで含めて、ミッシング・リンクだらけだ。視点をオフラインだけに置く限り。
それは逆にいうと、もはや現代日本を舞台にした小説でミッシング・リンク探しが成立しないということかもしれない。
隠された事実、謎なんて本当にあるの?
気づいていなかったり、単に無視しているだけなのではなくて?
探偵役を務めるエレGY自らが、全然興味のなかったボカロを知っていくように、未知の部分に踏み込んでいく明るい好奇心は、そう言っているかのようだ。
何が未知の部分に当たるのかは、人それぞれ。ヒミツは多いほど、きっと人はチャーミングになれる。