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「銅」のレビュー

銅

NOeSIS 嘘を吐いた記憶の物語(3)

いつからか芽生えた気持ち

レビュアー:ジョッキ生 Knight

こと恋愛が絡んだ物語での幼馴染キャラの待遇の悪さには常々不満があった。甲斐甲斐しく主人公に尽くしてきたその時間を嘲笑うかのように、ぽっとでの転校生やら先輩やら下級生やらにあっさり掠め取られるあの感じ。ないわー。そんなシナリオ書くやつ人の皮を被った鬼だわー。と、いつも心の中で毒づいていた。

本書のこよみちゃんもそうだ。1,2巻の千夜先輩ルートでのあのかませ感。露骨な主人公好きですよオーラも全く届かず、主人公はホイホイと千夜先輩になびいて、残ったのは呪いに囚われて狂って壊れてしまったこよみちゃんだけですよ。はー、やるせない。もういやだ。いっそハーレムエンドにでもなってくれた方がまだ救いはあるのに。なんて落ち込んでいた所に待望のこよみちゃんルートが。やった、これで勝つる。

この物語は古い因習であったり、呪いがまことしやかに語られる、そんな田舎社会がまだ息づく町を舞台にしている。前回までは怪談めいたものを中心に話が展開していったが、今回は冥婚と呼ばれる儀式が中心になっている。

冥婚とは死者の魂を鎮めるために行われるものとあり、聞いた瞬間即効で祟りという単語が思いつくくらい禍々しい匂いがした。実際その目的はかつて呪い殺した者達が自分たちを呪い返さないようにと始まったものとあって、あっやっぱりなと一人納得してしまった。

そんな儀式に首を突っ込み、見事に祟られてしまったこよみちゃんをどうやったら救えるのか。それが主人公に課せられた問題だった。いやー、こよみちゃんが完全にヒロインしててうれしいなー。これで祟りから解放されて結ばれれば言うことなしじゃねーか。と、読んでてテンションが上がる上がる。でも一個だけ不安だったのがバッドエンドね。こんだけ盛り上がって叩き落されたらもう立ち直れる自信はなかった。だから祈るように1ページ1ページ読み進めていったのを覚えている。

自分でも何でこよみちゃんにここまで入れ込んでいるのか分からない。はじめは不幸な幼馴染キャラを贔屓していただけだった。でも読めば読むほどこの子には幸せになってもらいたいと心から思っていた。なんだろーね、この気持ちは。この子の境遇も悲しくて子供のころ両親を目の前で殺されている。それで壊れてしまった彼女の心はいつだって幸せを求めていた。差し出した手は所在なさげに中空を漂ったまま、この子の時間は子供のころのまま止まってしまっていて、常に居場所を探している。そんな印象を受けた。救われてほしい。心から笑っていられる場所に辿り着いてほしい。いつからかそう切実に願っていた。

それが出来るのは主人公しかいない。後半は壮絶なバトルだった。疑念に囚われ、最後には主人公を殺してあの世で結ばれようと口走るこよみちゃんを如何にして信用させ現世に留めさせるか。過去に一度拒絶してしまった気持ちの清算を、ただただ好きという気持ちに乗せて。手を包丁で何度も串刺しされても叫び続ける主人公にはこっちも気持ちが入った。届いてくれ。奇跡よ起きてくれ。と、本を握る手に力も入った。そしてその願いは……。

結末は言わない。言わなくても分かるだろ。最後の訪れるのはこよみちゃんの心からの笑顔と、俺の泣き笑いの気持ち悪い顔だけだよ、こんちくしょう。あー、ほんと……よかった。

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2014.06.18

銅

「セカイ系とはなにか」

「セカイ系」をリアルタイムで知らない世代へ

レビュアー:オペラに吠えろ。 Lord

 「セカイ系」という言葉が大々的に掲げられている本書を手にする人はおそらく、多かれ少なかれサブカルチャーに興味のある人だろう。「セカイ系」にまつわる自分の知識に自信があるのなら、ただ本書を読めばいい。「セカイ系」の起源から意味の拡散、そしてそこから派生した作品に至るまでの一連の流れがしっかりまとめられており、その論旨は頭の中にすんなり入ってくるだろう。

 その一方で、わたしはこの本を「セカイ系」ブームをリアルタイムで知らない人にも読んでもらいたい。たとえば、2014年の現在、中学生や高校生で、好きな作家についてインターネットで調べているうちに「セカイ系」という言葉が出てきたけど、Wikipediaやニコニコ大百科を読んでもよく意味がわからない……という人に。

 そういう人にとって、本書はかゆいところに手が届く一冊だろう。「セカイ系」が元々は某ウェブサイトの管理人が勝手に使っていた言葉であり、いつしか本来の意味とはズレた使い方をされるようになったことが、具体的な作品名や作者名を交えて説明されている。1995年から2009年にかけての作品が多く出てくるが、それらについての知識がなかったとしても、作者による丁寧な説明があるので、議論について行けないことはないだろう。

 わたし自身、中学生だったころは自分がよく読んでいた作家に「新本格ミステリ」と冠されていて、いろいろ調べたものの、調べれば調べるほど諸説があり、「結局、どういう作品が『新本格ミステリ』なの?」と頭を抱えたことがある。もちろん、本書に書かれているのが「セカイ系」をめぐる言説の全てではないが、「セカイ系」が何なのか知りたいという人が真っ先に手を伸ばすべき一冊であることは間違いない。

 本書は2010年に発売された新書を2014年4月に文庫化したもの。おそらくはリアルタイムで「セカイ系」を知らない中高生が手に取りやすい文庫版がこの時期に発売されたのは、素晴らしいタイミングだ。

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2014.06.18

銅

「一〇年代文化論」

「残念な美人」といえば中村桜さんっ!

レビュアー:オペラに吠えろ。 Lord

 本書は、2010年代の若者文化を「残念」というキーワードで読み解いた一冊である。

 ……え? 2010年代って、今は2014年でしょ? あと6年も残っているのに何言ってんの? 早い方がいいとは思うけど、これは早すぎでしょ―。それとも何、著者の「さやわか」ってばジョン・タイターみたいなやつなの?

 その疑問はまさにその通りで、だからこそ著者は最初にその答えを明かしている。いわく、1970年代を代表するヒッピーの文化的なピークは1967年には迎えており、80年代を代表するニューウェーブも、90年代を代表するクラブカルチャーも、それぞれ70年代、80年代に存在した。つまり、次の10年を予見するものは、その10年の数年前には誕生しているのだ、と。

 その流れで、著者は2010年代を代表する文化として、「初音ミク」をはじめとするボーカロイドや「僕は友達が少ない」といったライトノベル、「Perfume」などのアイドルを挙げていく。同時代に人気を博しているという以外はつながりの薄くみえるこれらが実は00年代後半には存在しており、「残念」というキーワードで束ねられていくあたりは実に見事だ。

 それぞれがどのように「残念」なのかは自分の目で確かめてもらいたいので、ここでは詳らかにしない。だが、昔は否定的でしかなかった「残念」という言葉の意味が、今は「残念な美人」というふうに肯定的な意味合いも帯びてきていることを踏まえた議論の進め方は、著者ならでは鋭い視点が生かされたもので、多くの人が頷くことだろう。

 2014年に「2010年代の文化を総括した本」を出した著者がジョン・タイターのようなタイムトラベラーではなかったのはSF者としてやや“残念”だったが、内容は残念というより斬新。著者にはぜひ、残念……いや3年後の2017年に、2020年代の若者文化を予見した本を出してもらいたい。

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2014.06.18

銅

『ミス・モノクロームさん』

がんばれアマネさん

レビュアー:牛島 Adept

 歌って踊れるアンドロイド、ミス・モノクロームさんは狂気のアイドルである。クールビューティーと形容するに相応しい姿は仮のもの、ロボット三原則もどこ吹く風、彼女は「前に出る」ためには手段を択ばない。ディストピアを支配するコンピューター様ばりの悪辣っぷりなのだ。
 ……そしてそのミス・モノクロームさんの狂気を一身に受けるのが彼女のマネージャー・アマネさんである。

 真っ先にミス・モノクロームさんの内臓兵器(?)の標的にされるアマネさん。

 常にアイドルより一歩後ろに下がり、デフォルメ体型をぜったいに崩さないアマネさん。

 アイドルのためなら色仕掛けもするし、雪山にだって登るアマネさん。

 意外と下着姿がセクシーなアマネさん。

 ときに優しくときに厳しく、ミス・モノクロームさんが立派なアイドルになれるよう全力を尽くすアマネさん。

 気づいたら完全に不遇なヒロインとしての立場を確立していて、更新のたびにアマネさんを応援している自分がいる。これが……恋……?

 がんばれアマネさんまけるなアマネさん! ミス・モノクロームさんが一人前のアイドルになるその日まで!

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2014.06.18


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