ここから本文です。

レビュアー「 k.d.q.」のレビュー

銅

星猫ラバーストラップ

星猫といつでも一緒

レビュアー: k.d.q.

 春先の星猫ストラップ先着1000名プレゼントには滑り込み900番台で間に合った。ネット上であれオフラインであれ個人情報を漏らすことに神経質な私だが私の個人情報で星猫グッズが貰えるのなら住所でもスリーサイズでも初恋の思い出でもどうぞ好きなだけ持って行っていただいて構わない。
 星猫ストラップを私は最初、机の上に常置してあるクリップボードにダブルクリップで留めてみて、それだと書類を置くと隠れて見えなくなると気づきデスクライトのアームにマグネットで固定し、それではライトの位置を動かすたびちらちら揺れて、立体的なデザインであれば前も後ろも見えれば二倍可愛いだろうが平面的なこのストラップの場合裏返った状態は残念であると思い知りここで初めて携帯電話に着けてみたものの(先客の清涼飲料水販促品シャアとアムロのストラップはPSPケースに引っ越させた)後述する心配な点から一時間と保たずに外し、毎日使うがめったに外には持ち出さないポメラのストラップとして装着されて落ち着いた。余談だがその後携帯には名前を知らない眉毛の太い軽音部員がぶら下がっている。
 流浪の星猫に安住の地を提供できたところで、このストラップの気に入っている点とそうでもない点を順に並べていきたい。

【気に入っている点】

 まず、大きいこと。可愛いものは大きいにこしたことは無い。いっそ携帯電話より大きくてもよかった。
 そして星猫の鮮やかに青い輪郭線がイラストレーター・竹氏の描線のタッチを意外なほど伝えていること。この点、私はこのストラップが立体ではなく(いや、三次元的な立体物であるのだが)平面的にデザインされたことと併せて高く評価したい、と言えば偉そうになる。嬉しいです。竹氏のイラストの線の柔らかさと闊達さがいつでも手元に愛でられて幸せだ。
 目のデザインも良い。これまでサイトで見ることのできた星猫のイラストでは気づかなかったのだが、まん丸い両目に青い水面がゆるやかに波打っている意匠はあたかも真夜中の舷窓を思わせて幻想的だ(駄洒落だ)。
 そして尻尾。近眼のためかパソコンの液晶画面ではいまひとつどうなっているのか分からずにいた尾の先端だが、これは万年筆のペン先の切り割りに星があしらわれているのだろうか。星猫がイメージキャラクターを務めるところの星海社文庫をまだ私は買っていないが、このレーベルの印象として私は「読みもすれば書きもする」人を対象としていると感じる。この尻尾が万年筆の先っぽであり、書く人に近しくある猫であるというデザインであるならば、書くのが好きな人間のひとりとして励まされる思いがする。もしかしたら全然そんな意味はこめられていないのかもしれないが、そうだとしても勝手に励まされていたい。勘違いの瓢箪から生まれる駒もある。
 
【そうでもない点】

 この星猫ストラップから携帯ストラップとして毎日持ち歩ける実用性、信頼性を大いに損なっているのが首の細さだ。
 これだけ細くて材質がラバーとなると、頻繁に持ち歩き鞄からポケットから日々出し入れするほどに首チョンパの可能性が高まると想像される。毎日見ていたいという愛が星猫の首をもいでしまうという残酷なジレンマは星海社FICTIONS新人賞に応募するに足る文学的モチーフを与えてくれるかもしれないが、私はできれば星猫グッズで心に傷を負いたくはない。竹氏の優しい絵柄は心の傷を癒すことにこそ適している。今後あまたあるだろう星猫グッズの製作企画時には「使用により星猫が恐ろしい有様になりはしないか」との視点を忘れないでいただきたい。
 あと、裏面が(c)seikaisha/takeと白く印刷されただけの黒くつるつるなのっぺらぼうなのはちょっと寂しい。無料で貰っておいて厚かましい言い分だとは思うので、値段の付いた製品版星猫ストラップの出る暁には裏面も可愛いといいなあと言い添える。

 以上が星猫ラバーストラップを今日まで使用と言うか愛玩しての感想である。長々と書いたが、ひとことにまとめると、とても可愛い。首がもげるのが怖さに実物を持ち歩いてはいないが携帯のカメラで撮影して壁紙に設定したので星猫とはいつでも一緒の毎日だ。

「 星猫といつでも一緒」の続きを読む

2011.07.14

銅

泉和良『私のおわり』販促ダイレクトメール

本の国から抜き打ちで

レビュアー: k.d.q.

『STEINS;GATE』の話をしながら家族に行ってらっしゃいを言って、玄関のドアを閉めがてら郵便物受けに手を突っ込んだらhuke氏のイラストが入っていたから驚いた。いま閉めたばかりの玄関をがばっと開けて家族を呼び止め「シュタゲの絵の人の絵が入ってた!」と報告したものの誰が何のために入れたのかその時点では分かっておらず、真っ先に頭に浮かんだのは毎週末我が家が夜中にシュタゲのアニメを視聴しているその音量が大きすぎることに対する近隣のどなたかからの無言の警告という可能性だった。しかしよく見ればハガキの右上には「料金特別納郵便 SEIKAISYA」の青い文字。よかった、迷惑しているご近所さんはいなかったんだ、とホッとしたものの改めて考えてみるとhuke氏の絵ハガキの差出人が星海社だった事実は我が家のテレビの音量が大きすぎない保証に全くなっていない。以後、今夜放送のシュタゲ第10話からさっそく、深夜のアニメ鑑賞には静粛を心がけたい。

 そんなふうにして御近所トラブルから我が家を未然に守ってくれたのかもしれない星海社からのハガキについて、感謝の気持ちでレビューしてみる。
 
(1)サイズ

 ハガキではあるが通常のハガキの寸法ではなく、ハガキを縦方向にやや間延びさせたような具合。以前星海社から星猫ストラップが届いたときに使われていた封筒と同じサイズ。この紙を横長に使って、切手を貼るほうの面の(料金別納郵便なので切手の欄に切手は無く、星海社のマークが入っている)右側ほぼ三分の一が宛名とリターンアドレスが記され、残りの面積がhuke氏描く女の子と白黒猫のバストアップ絵に充てられている。 
 横長の用紙を横向きに使ったことでどことなく「招待状」っぽい雰囲気が出ていて、手に取ったとき(正確にはそれが御近所からのブラックメールではないと理解したあとで)嬉しかった。通常サイズのハガキで日々無味乾燥に送りつけられてくる有象無象のダイレクトメールとは受け取った気分がちょっと違う「プチ特別」感、とてもよい。

(2)記載内容

『……そう。これは/私が死んでしまう/四日前の光景。泉和良/私のおわり』
『“死(エピローグ)”から始まる物語。/2011年6月15日星海社FICTIONSより発売予定』
 以上の文面がピンクの活字でhuke絵の印刷されたほうの面に記載されている。ではもう片方の面には何が、と裏返すと、青い背景にでかでかと星海社FICTIONSのロゴ。それだけ。青々とした広大な余白はこれを見る者に「なるほど、このハガキは星海社の新刊の案内のために送られてきたのであってそれ以上でも以下でも以外の何物でもないのだな」と良くも悪くも分からせてくれる。

(3)要望
 
 まず第一に、この家にはオタクが住んでいるということを郵便屋さんに知られて恥ずかしいのでこのハガキはできたら封筒に入れて送付していただきたかった。しかし過ぎたことを言ってもはじまらない。オタクはオタクなのだから逃げ隠れせず開き直って生きろという星海社からの檄として受け取っておく。
 第二に、星海社のロゴで片面丸ごと使うんだったらそっちの面にこそhuke絵を割り振ってほしかった。あるいは、ロゴの左の贅沢な余白に泉和良氏のコメントなり竹さんの星猫イラストなり太田克史のキスマークなり、何かしら書き足してあったらもっと嬉しかった。いや、キスマークは嬉しくないかもしれない。でも貰ってみたら意外に嬉しいのかもしれない。
 
(4)嬉しさ

 タダで貰っておいてああだこうだと要望を書き連ねたけれど、このハガキを郵便受けから出したときの嬉しさはちょっとしたものだった。たぶん他の人たちもだいたいみんなそうだったろうと推察する。と言うのは、星海社の読者層は(私のように星海社の出版物には今のところ手を出しておらず、ただサイトだけを日々覗いているエア講読者も読者の定義に入れていいものとして)読むのと同じに書くのも好きな人間によって結構な割合を占められているのではないかと端で見ていて感じるからだ。
 ものを書くのが好きな人間は出版社から郵便物が来ると嬉しい。今回の星海社からの抜き打ちハガキは私にとって、遠い異国の地から絵葉書が届いたような(この場合「本の国」から)ささやかな非日常体験だった。

(5)レビューの〆としての昭和生まれブルース

 一律に印刷されて一斉に送付される新刊本宣伝ダイレクトメールのハガキ一枚であっても、「郵便物」が届くのは同じ宣伝目的でEメールが届くのとは気分がこんなにも違う。不思議なものだ。同一文面一斉送信の宣伝Eメールは「不特定多数に対して言うだけ言って言い捨てる」感が強く、読んで損した気分になるのに。
 私が昭和生まれだからだろうか? 星海社のこれからを支えていくだろう若い世代にとってはインターフェイスが紙であろうと液晶モニタであろうと大して違わないのだろうか? WEB展開と電子書籍への取り組みに意欲的な星海社からのダイレクトメールでこんなことを考えさせられるなんて皮肉な気もする。

「 本の国から抜き打ちで 」の続きを読む

2011.06.17


本文はここまでです。