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読者レビュー

鉄

コミック版空の境界「俯瞰風景」

コミカライズで見たかったもの

レビュアー:Humanity

本作は劇場版七部作という前代未聞の形式でアニメ化されたことも記憶に新しい、奈須きのこ先生の小説「空の境界」のコミカライズです。

そんな「空の境界」のコミカライズが天空すふぃあ先生の手によってスタートしたわけですが、その始まりが「読者をふるいにかけるつもりで書いた」と奈須さんが言われる第一章の「俯瞰風景」。
原作では物語全体の時系列が組み替えられ、かつ「俯瞰風景」では章中の時系列すら組み替えられているという、一読しただけでは中々把握しにくい内容になっています。

のっけからハードルの高い第一章ですが、例えば劇場版アニメの「俯瞰風景」では、分かりやすいようにするためか時系列が整えて描写されていました。
そんな前置きがあったために、コミック版ではどういう手で来るのか、と個人的に楽しみにしていたのですが、結果は原作通りの真っ向勝負。
しかも「カレンダーに刺さったナイフとその跡」というオリジナルのギミックが仕込まれ、時系列の組み換えがスムーズに理解できるように配慮もされていました。

作品をコミックで表現するならばコミックならではの物がないと意味がない。
アニメの映像をそのままコミック化するなら程度の差こそあれ誰でもできる。

そんな風考えていましたが、この第一話を見てこの作品の媒体がコミックである必然性、描き手が天空すふぃあさんである必然性をはっきりと感じることができました。

と、つらつら書いてみましたけれども、どんな理屈も一撃で粉にしてしまう魅力がこの作品にはあります。
そう、女の子がかわいいんです!

第三回にて、ベッドの上で黒桐を想う霧絵に「あれ?霧絵ってこんなにかわいかったっけ?」と思ったのは私だけではないはず!
他にも女性の体の曲線のたおやかさであったり、式の表情であったり、枚挙に暇が無いのですが、これこそ漫画の持つ圧倒的なパワーであり、天空すふぃあ先生の真骨頂のひとつではないでしょうか?

緻密に計算されたオリジナル要素とキャラの魅力を最大限に引き出す筆致。
「最前線」で引き続き、漫画でしかできない、そして天空すふぃあ先生でしか描けない「空の境界」が読めることを楽しみにしております。

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2011.02.10

鉄

さやわかの星海社レビュアー騎士団

レビューに明日を手繰り寄せられるのか

レビュアー:横浜県 Adept

最初は斯様な企画に意味があるのかと疑問だった。最早誰でも文章を書けるような時代になった。オンラインの商店へ入れば、あらゆる物に、あらゆる人間が評価を下す事が出来る。かつては文体を持ち得た有識者の手によってしか成され得なかったレビューを、今や素人がいくつも書き殴ってしまっている。かく言う私もその一人ではあるけれど、そんなレビューの有用性もまた安易に格付けされる現状は、はっきり異常であると考えている。
その中で敢えて「優れたレビューの書き手」なる者を発掘する事に、どんな意義があるというのか。しかし次にさやわか団長の文章を読んでみると、私はどうもこのコーナーに惹かれずにはいられなくなった。このコーナーが「よいレビューとは何か」という疑問を読者と共に模索するものだと位置づけられている、そう感じたからだ。真に洗練されたレビューとは如何なるものなのか、その答えは私が欲していた将にそれだった。
これは私も参加をしなければ。即座にそう思い立った時刻は、締め切り前日の午後五時。はてさてどうすべきか。早速ルールを確認する。どうやら応募された原稿は、「愛情」「論理性」「発展性」の三項目によって評価が下されるらしい。
私は少し引っ掛かった。と同時に頼もしくも思った。要するに私は勘違いをしていたのだ。「優れたレビュー」とは何かを、ただひたすらに探し回るコーナーであると。どうやら違うらしい。このレビュアー騎士団は、既にある程度の方向性を持った上で、「レビュー」という存在そのものをレビューの対象としているのではないか。その方向性が正しい事を、帰納法的に証明するための舞台なのではないか。
先に挙げた三つの要素を順に眺めてみる。

「愛情」
何かを評価する時、確かに私達は対象に敬意を払う必要がある。そして何らかの愛着を持ち、少しずつ対象に顔を近付けて行く。
「論理性」
冒頭で述べたように、誰でも文章を発信できるこの時代には、論理性を伴わず、説得力の無い文章は相手にされまい。
「発展性」
対象を褒める乃至は貶すだけであれば、ただの感想、独り言に過ぎなくなる。今後を見通すための有用な方策が述べられている必要がある。

詰まる所、レビュアー騎士団はまず「レビュー」に「愛情」を持った上でその概要を浮き彫りにする。第二に私達読者が参加する事で多くのレビューを精査し、これら三要素が「レビュー」に必要であるとの「論理性」を持った根拠を形作っていく。そして最後に「レビュー」が持つ「発展性」を導き出して与える。この働きこそがレビュアー騎士団の存在意義なのではないか。
しかしやはり、完全にゴールが見えている訳ではないだろう。さやわか団長が呼び掛ける通り、私達が「一緒に考えて」いかなければならない。私達がレビューをいくつも送り続ける事により、少しずつ「レビュー」の「発展性」を覗かせていかなければならない。例えこの文章が如く甘ったれたものであったとしても。
私はもう既に、クリック一つでこの稚拙なレビューを投稿し得る状態にある。緊張する。胸が高鳴る。されど迷わない。私はレビュアー騎士団のための、そして「レビュー」のための踏み台になる覚悟を厭わない。
そして私以外の投稿者が、一体どのような文体で、どのような文章を書いたのか。それらのレビューにより、このコーナーと「レビュー」は発展を遂げられるのか。
楽しみで楽しみで堪らない。

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2011.02.10


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