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レビュアー「大河」のレビュー

銅

ビアンカ・オーバースタディ

時を忘れる面白さ

レビュアー:大河 Novice

『ビアンカ・オーバースタディ』という名の本。
 興味を持った理由は二つ。
 一つはイラストレーター。涼宮ハルヒ、灼眼のシャナなどの挿絵を担当し、有名となった絵師、いとうのいぢの描く美麗なイラストに惹かれて、私はこの本を手に取った。
 そして、もう一つは著者名。筒井康隆という名前に目を疑った。見間違えかと思って二度ほどまばたきをしてから、自分の見たものが間違いでないと知った。
 筒井康隆先生は、時をかける少女などで有名な、日本を代表するSF作家である。そのお方がどうしてライトノベルを書いているのか、きっと誰もが不思議に思うことだろう。私も例外ではなく、何なんだろうこれ、と思った。

 結論から言おう。
 物凄く面白かった。

 しかしこの作品、単に「面白いから」と知り合いに勧められるものではない。理由は明白で、章タイトルをちらと眺めれば一目瞭然である。カタカナにすればよい、という話では決してない。
 と言われれば、きっと興味が湧くだろう。そして本を手にし、私の言葉が間違いではないことを理解するだろう。そうなった人に対して、今のうちに告げておく。
 食わず嫌いは良くない。物は試し、ページをめくってみよう。
 章タイトルまんまの内容が、そこには広がっている。
 ライトノベルというものは、内容の半分以上がキャラクターの魅力で成り立っていると言っても過言ではない(あくまで私の考えだが)。勿論『ビアンカ・オーバースタディ』の場合も登場人物は非常に魅力的で、この本の序盤は、溢れんばかりの可愛さをこれ以上なく有効活用した展開ではあるのだ。
 しかし、本当にやるとは。
 どちらかというと各自で想像すべき内容を、本編中で。
 そう思うだろう。きっと誰もが思うだろう。私も思った。
 だが、せっかく読み始めたのに中途半端で止めるのは良くない。ページを進めていってみよう。
 引き込まれていくことになる。
 徐々にSFとしての形を露としていく、『ビアンカ・オーバースタディ』の真の姿に。
 空想科学小説、との呼称がぴたりと当てはまる。ありえるかもしれない技術、ありえるかもしれない可能性が、次々と読者の前に示されていく。いつしか、読者自身が物語の主人公になったような気分に陥って、どうしようもないほどに胸が高鳴ってくる。どうなっていくのだろう、どうなってしまうのだろう、どうすればいいのだろう。
 ありもしない、けれどありえなくもない、そんな可能性。
 そして間に挟まる、細かな笑いとメタ的な内容。軽快な文章は、私に時間の経過を忘れさせていた。
 改めて言おう。
 物凄く面白かった。
『ビアンカ・オーバースタディ』は、間違いなく筒井康隆先生のSFである。
 その名に最初こそ違和感を覚えたが、内容を知れば納得である。
 作者ごとに並んだ本棚、筒井康隆先生のコーナーに、このライトノベルを入れる。

 とんでもない違和感を覚えた。見た目的に。

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2013.06.11

銅

月の珊瑚

極上の御伽噺

レビュアー:大河 Novice

『奈須きのこ』の名を書店で見かけ、購入してから早1年と半年。
 誰でもない自分に急かされて、先日ようやく本を開いた。
”本に点数なんて付けられませんよ”
 読み終えて、それから。
 そんな言葉が頭をよぎった。
 
 恋愛の話としては王道的なもので、相互理解の叶わない、それでも想い合う二人を丁寧に描いている。『極上のSFラブストーリー』を謳うのは伊達ではないと思った。
 思った、が。
 私が圧倒されたのには、別の理由がある。

『御伽噺(童話)』
1. 大人が子供に語って聞かせる昔話や言い伝え。
2. 現実とは懸け離れた架空の話。夢物語。
(三省堂 大辞林より引用)
 目的としては、
・幼年期の子どもが言葉や文字を学ぶ
・美的感覚、善悪の判断等の情操教育や想像力や価値観を育成する
 ことが挙げられる。

 この作品は明確に童話であり、これ以上ないほどに御伽噺だ。月の珊瑚という作品は、読者に対して『夢物語/架空の話』という形を表し、また、作品中の登場人物に対して、子供への言い伝えとして機能している。
 御伽噺として記述される『過去』。
 成長を示す『現在』。
 二つの要素からなるストーリー。
 月の珊瑚は、作者が『現在』の登場人物に語って聞かせる昔話だ。そして、彼女らが読者に見せる御伽噺なのだ。奈須きのこが描く『過去』の物語は、確かな意味を持って、『現在』のキャラクターたちを成長させていく。あるいは、成長させている。退廃的な世界にあって、僅かであろうとも変化を生み出すそれは、なるほど確かに『夢物語』と呼べるだろう。
 本に点数を付けるべきではない。
 御伽噺。ありとあらゆる作品が、成長という結果をもたらすならば、そこに個別の評価など必要なく、ただ経験として蓄積するだけのものなのだろう。
 そんな思いを抱きながら、圧倒的な感動に呑まれていた。

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2013.05.29


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