「サエズリ図書館のワルツさん」
携帯図書館
レビュアー:zonby
携帯できる、図書館みたいな本だな、と思う。
「サエズリ図書館のワルツさん」は。
本の中に、本物の図書館みたいに莫大な知識や空間がある訳ではない。
中にあるのは活字と物語とイラスト。見た目は他の本となんにも変わらない。
それでも、私は本棚の中に、鞄の中に、手の中にこの本を持つ時、図書館の中にいるような気分になる。
それはきっとこの本には図書館の空気や雰囲気、本と本に関わるすべての人たちの息遣いが、丁寧に凝縮されているからだ。
本を守る人。本に救われる人。本を渡す人。本を愛する人。それに、本を傷つける人。立場も関わり方も違うけれど、その間には必ず本があって、人を繋いでいる。
世界に一冊しかない本も、もう存在しない本もどんなに高価な本も、「サエズリ図書館」では同じ本だ。それを扱う人間だけがその周囲で本の持つ「価値」や「意味」について、様々な意見をもっている。
本について語る時の彼らのことを、とても愛おしく感じる。
物語の筋だけが重要であったなら、「図書館みたいな本」とは感じなかったはずだ。バトルも、推理も、怪異も、一度タネが分かってしまうと何度も楽しむことは難しい。しかし本書で描かれるのは、本さえあれば自分にも起こりそうな人とのささやかな関係や、気持ちの変化である。読む度に、私は本を巡るいろいろな立場の人になり、「サエズリ図書館」を訪れる。
私は図書館が好きで、本のある空間が好きで、静かな雰囲気が好きだ。
何か分からないことがあって困っていても、図書館の本棚を見ているととても安心する。だってこんなに本があるのだ。大丈夫。悲しいことがあっても、図書館に行く。図書館でなら、丁度良い距離感でさびしくなれる。本を一冊とってめくれば、一人だ。そして本を読んでいる一人の人は、図書館にたくさんいる。みんな一人だけれど、一人じゃない。
「サエズリ図書館」も、そんなところだといいな、と思っている。
本がたくさんあって、静かで、少しさびしい。
そんなところ。
私は今日も、本棚に、鞄の中に、手の中に「サエズリ図書館のワルツさん」を携帯する。
大丈夫。
ここには、本がある。
「サエズリ図書館のワルツさん」は。
本の中に、本物の図書館みたいに莫大な知識や空間がある訳ではない。
中にあるのは活字と物語とイラスト。見た目は他の本となんにも変わらない。
それでも、私は本棚の中に、鞄の中に、手の中にこの本を持つ時、図書館の中にいるような気分になる。
それはきっとこの本には図書館の空気や雰囲気、本と本に関わるすべての人たちの息遣いが、丁寧に凝縮されているからだ。
本を守る人。本に救われる人。本を渡す人。本を愛する人。それに、本を傷つける人。立場も関わり方も違うけれど、その間には必ず本があって、人を繋いでいる。
世界に一冊しかない本も、もう存在しない本もどんなに高価な本も、「サエズリ図書館」では同じ本だ。それを扱う人間だけがその周囲で本の持つ「価値」や「意味」について、様々な意見をもっている。
本について語る時の彼らのことを、とても愛おしく感じる。
物語の筋だけが重要であったなら、「図書館みたいな本」とは感じなかったはずだ。バトルも、推理も、怪異も、一度タネが分かってしまうと何度も楽しむことは難しい。しかし本書で描かれるのは、本さえあれば自分にも起こりそうな人とのささやかな関係や、気持ちの変化である。読む度に、私は本を巡るいろいろな立場の人になり、「サエズリ図書館」を訪れる。
私は図書館が好きで、本のある空間が好きで、静かな雰囲気が好きだ。
何か分からないことがあって困っていても、図書館の本棚を見ているととても安心する。だってこんなに本があるのだ。大丈夫。悲しいことがあっても、図書館に行く。図書館でなら、丁度良い距離感でさびしくなれる。本を一冊とってめくれば、一人だ。そして本を読んでいる一人の人は、図書館にたくさんいる。みんな一人だけれど、一人じゃない。
「サエズリ図書館」も、そんなところだといいな、と思っている。
本がたくさんあって、静かで、少しさびしい。
そんなところ。
私は今日も、本棚に、鞄の中に、手の中に「サエズリ図書館のワルツさん」を携帯する。
大丈夫。
ここには、本がある。