一億総ツッコミ時代
もっと面白いレビューを書きたい!
レビュアー:AZ
私は、どちらかといえばツッコミ側の人間である。自分から面白いことを言うようなことは少ない。けれど、他人のボケに対してツッコミをいれるのは、手前味噌だが得意だと思っている。高校生の頃に「ツッコミ王子」というあだ名をつけられた程だ。
しかし、『一億総ツッコミ時代』の著者は、ツッコミからボケへ転換せよという。批評してばかりのツッコミから、自ら面白いことをどんどん発信していくボケへ。確かに、その方が面白い世の中になることだろう。だが、ツッコミにどっぷり使った人間がすぐにボケろといわれても、困って右往左往してしまうだけではないだろうか。
この、レビューというのも、ボケかツッコミかといわれれば、ツッコミ側のものだろう。何か題材があり、それに対して自分の考えや感想などを述べるというのは、まさにツッコミだ。評価なんかを偉そうに書いてみれば、よりツッコミ感が増すことだろう。そんな性質をもつレビューを、どうしたらボケの側にもっていけるのか。
本書の中では、ボケに転向する手がかりとして、「良い/悪い」という評価をするのではなく「好き/嫌い」という感情を表現するということが挙げられている。「好き/嫌い」を表明するということは、自分というものを表に晒すということだ。これには、とても勇気がいる。しかし、他人を気にせず、自分の思いを押し出せる人には、強烈な魅力が備わるだろう。
レビューでも、批評に留まらず、「好き/嫌い」といった自分の思いを述べていくというのはどうだろうか。「自分は、この作品のここが好きだ!」「ここが面白い!ここを読んでほしい!」といった自分だけの思いを叫ぶ。そうすれば、他の誰にも真似できない、独自の魅力が生まれるはずである。
私は、この『一億総ツッコミ時代』という本を痛く気に入っている。外から供給される面白さだけで満足するなんて、真っ平御免だ。自分から面白いことを打ち出して、世の中の人達を楽しませたい。自分の価値観を、他の人達に広めたい。そのために、私は、もっともっと面白いレビューを書けるようになりたいのだ。
しかし、『一億総ツッコミ時代』の著者は、ツッコミからボケへ転換せよという。批評してばかりのツッコミから、自ら面白いことをどんどん発信していくボケへ。確かに、その方が面白い世の中になることだろう。だが、ツッコミにどっぷり使った人間がすぐにボケろといわれても、困って右往左往してしまうだけではないだろうか。
この、レビューというのも、ボケかツッコミかといわれれば、ツッコミ側のものだろう。何か題材があり、それに対して自分の考えや感想などを述べるというのは、まさにツッコミだ。評価なんかを偉そうに書いてみれば、よりツッコミ感が増すことだろう。そんな性質をもつレビューを、どうしたらボケの側にもっていけるのか。
本書の中では、ボケに転向する手がかりとして、「良い/悪い」という評価をするのではなく「好き/嫌い」という感情を表現するということが挙げられている。「好き/嫌い」を表明するということは、自分というものを表に晒すということだ。これには、とても勇気がいる。しかし、他人を気にせず、自分の思いを押し出せる人には、強烈な魅力が備わるだろう。
レビューでも、批評に留まらず、「好き/嫌い」といった自分の思いを述べていくというのはどうだろうか。「自分は、この作品のここが好きだ!」「ここが面白い!ここを読んでほしい!」といった自分だけの思いを叫ぶ。そうすれば、他の誰にも真似できない、独自の魅力が生まれるはずである。
私は、この『一億総ツッコミ時代』という本を痛く気に入っている。外から供給される面白さだけで満足するなんて、真っ平御免だ。自分から面白いことを打ち出して、世の中の人達を楽しませたい。自分の価値観を、他の人達に広めたい。そのために、私は、もっともっと面白いレビューを書けるようになりたいのだ。